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札差と獺の江戸ぐうたら。  作者: 安東捨一
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第一幕 札差のお仕事

 時は天保元年、巷では伊勢の御蔭参りが大流行中で八百万の神は今よりずっと身近に存在していた。


 同じく見えざる者の一角である妖かしも然り、その姿をあからさまに晒すようなことは無くとも、人々の生活に寄り添って確かに暮らしていたそんな時代。


 浅草寺と谷中の間の林の奥、人目を避けるように静かに佇む小さな廃寺、六畳ほどしかなさそうなその寺の中から言い争うような声が聞こえてくる。


「おうおう|良膳≪りょうぜん≫よ、誰のお陰で札差の仕事で儲けてると思ってるんだ」


 子供のような甲高い声にも聞こえるが怪しげな艶もある、そんな不思議な声に若者の声が答える。


「ちいせぇことでうだうだ言うんじゃねぇ、そもそも札差の仕事を得たのは俺でお前はただの手伝いだろうが、大体寿司がくいてえのはかまわねーが、お前、シャリを食わずに魚だけ食べるなんざ行儀ってもんがなってねーんだよ」


 竹の薄皮の上には寿司が数貫と、ネタだけが食べられたシャリ、つまり酢飯のおにぎりが数個乗っている。

 そしてまだ寿司の体裁を維持している方へと小さな腕が伸びてくる、人間の指二本分ほどの太さしかない、小動物の前足のような小さな手。

 その細い前足に付いている指は更に細くこれも箸の先ほどしかない。


 その小さな手は寿司の上から魚だけを剥ぎ取る。


「言ってるそばからそれするなっての、シャリ食えシャリ!」


「いや、そうは言っても、良膳よ、オレ、|獺≪かわうそ≫だぜ? 見たことあるかシャリを食うカワウソを」


 そう、齢十七、八の若者の対面には愛らしいコツメカワウソがおやじくさい胡座をかいて座っている。


「それを言うならしゃべるカワウソを見たことねぇ、なんならもう一個言ってやらぁ、なんだカワウソって、俺は見たことねぇぞ、イタチの間違いだろ」


「だから何度も説明してやってるだろ、カワウソはイタチの仲間だがイタチじゃねぇ、お前が見たことなくてもジャカタラにはオレの兄弟が沢山住んでるんだぜ。良膳、世界ってぇのは広ぇんだよ」

 なぜか遠い目で決め顔を作るカワウソ。


「しゃべんのかよ」

「あん?」

「お前の兄弟は喋るのかって聞いてるんだよ」


「しゃべらないが……」


「だろうが、どう考えてもお前は妖かしだ、つまりカワウソだからシャリはくわねぇって道理は通らねぇ」


 ひょい、ぱくっ。

 小さな手がまた一つ寿司の上の魚をつまむ。


「確かに、返す言葉もねぇ。むぐむぐ」


 良膳はカワウソの頭を捕まえようと手を伸ばす。

「だから、おまっ……」


 シュルっとその手をすり抜けてカワウソが積み上げられた座布団の上に逃げる。


「さっきからカワウソ、カワウソと、オレには|風路≪フーロ≫って粋な名前があんだよ、ちゃんと呼びやがれ」


 びしっと小さな指を前に突き出してポーズを決めた風路を無視して元々寿司だった酢飯のおにぎりをほおばる良膳。


「いや、呼べよ」

 無視されたことで立場を無くした風路がもう一度念を押す。


「さてと、日も暮れてきたし仕事の時間だな、ひとっ走り行こうか風路」


「お、おう、ちゃんと呼べるじゃねーか」

「いいから行くぞ」

 良膳は立ち上がり寺から出ようと踵を返す。


「よーし、それじゃ……」


 風路がその小さな手で|柏手≪かしわで≫を一つ打つとむくむくその体が一回り二回りと大きくなってゆく。


「てめ、馬鹿、何度言えばわかんだよ、寺の中で大きくなるんじゃねーよ、床が抜けんだろ」


 良膳が慌てて大きくなってゆく風路を抱えて寺の外へと連れ出す。

 その体はみるみる大きくなり、犬の大きさ、鹿の大きさ、そして最後には立派な馬ほどの大きさへと変化した。


「妖かしだねぇ」

 心のままに感想を言う良膳。


 良膳がひょいと風路へ飛び乗ると、合図をするでもなく風路はまだ街灯の無いこの時代の闇多き夕暮れを颯爽と駆けてゆく。


「いつも思うんだが……」

 風路の背中にしがみつきながら良膳が問う。

「なんでこの大きさで人目に付かないんだ?」


「妖かしってのはそういうもんなんだよ、こちらから見せてやる気がねーかぎり、周りの風景と馴染んでるから、見えてるのに見えてねぇ、そんな存在なんだよ」


「そんなもんかい、俺にはお前の口元に付いた魚の切れっ端まできれいに見えてるんだがね」


「てめぇが特別なんだよ、実は妖かしの類いなんじゃねーかとオレは疑ってるぐれぇだぞ」

 そう言うと口元をペロっと舌で拭い、魚の切れ端をとらえる風路。


「てか、俺はどうなる、やっぱり周りからは見えてるのかね」

「どうだろうな、お前だけ見えてたら、宙に浮いた間抜け面が手足も動かさず韋駄天のように水平に移動してるわけだろ? このオレ様でもそんな奇妙なもんは怖すぎて、見えたとしても見ねぇふりしてぇくれぇだよ」


 少し考えて、同じ答えに達する良膳。

「ちげーねぇ、そいつぁ不気味だ。やっぱし仕事は日が暮れてからじゃねーといけねぇな」


 そんな話をしてる間に風路は目的地である、浅草御蔵に着いた。


 ここは御家人が御公儀からの俸禄米を受け取る場所でもある、良膳の仕事の札差とはこの俸禄米を御家人の代わりに受け取り、御家人が食べる分を除いた米を米問屋に売り、食料分の米とその売った代金を御家人に届けるのを生業とする者を指す。


 本来はこんな夕暮れに行う仕事ではないのだが、良膳は米を運ぶために人や馬を雇う銭をケチり、風路の妖かしの力を大いに活用して、その作業を二人だけで行う。

 なので、なるべく人目に付かないこの時間に来る必要があった。


 トトントン、トトン。

 良膳が御蔵の勝手口を変わった拍子で叩くと勝手口から顔見知りの役人が出てくる。


「おう良膳、今日は平尾様のとこの三十俵だろ? そこに出しといたぜ。って、おい、また馬も人も無しかよ、一体どうやって運んでるんだお前」

「へへ、知らぬが仏ってやつですよ宗兵衛さん、あ、これいつものやつです」


 良膳が幾らかの銭を役人に握らせる。


「そうだな、俺はお前が米をどう運ぶか興味はないし、お前が毎度夕暮れにしか来ないことも一切気にならない」


 宗兵衛と呼ばれた役人が白々しい台詞を吐いて、勝手口を閉める。


 それを確認すると、闇夜に溶け込んでいた風路がスーっと現れ、三十俵の米俵に向けて柏手をひとつ打つと米俵は跡形もなくどこかへ消えてしまう。


 そして良膳を背中に乗せ、今度は米問屋に向けて走り出す、米問屋でも似たようなやり取りと幾分かの夜間料金を握らせて米を買い取ってもらうと、御家人の屋敷へと向かった。


「待ちわびたぞ良膳」


 良膳が札旦那の屋敷まで来ると御家人自らが屋敷の前で良膳を待っていた。

 それを予測していたのか、良膳は風路に乗っておらず、風路の姿もない、代わりに米俵を担いだ男が良膳と一緒に歩いてきていた。


「いやいや、お待たせして申し訳ありません平尾様、こちらが食料としての米と、あとこちらが米を売った代金となります」

「うむ」


 代金を受け取った御家人がその中から札差としての良膳への手数料を渡す。


「あ、いえ、平尾様、うちは他よりも多少安くしておりますのでこちらはお返しします」


 良縁は渡された、二朱判二枚のうち一枚を御家人に返した。


「おおそうであったな、助かる」

「いえいえ、今後ともご贔屓に、では失礼致します」


 良膳は連れてきた男と共に御家人の屋敷を後にする。


「なぁなぁ、あの御家人なんで家の前まで出てきて待ってたんだ」

 男は喋りながら元のカワウソの姿へと変化を解いた。


「ありゃ、あれよ、おかみさんに銭を渡す前に幾らかちょろまかそうとしてるんじゃねーかな」

「はっ、人間てなぁあざといね」


「まぁいいじゃねーか、俺らの儲けがどうこうなるわけでもなし」

「まぁな」


「よっしゃ、一仕事終えた後だ、好きなもん食わせてやるよ」

「ほんとか、あれが食いたい、えーと、あれだ、あの、あ、どぜうだ、どぜうと酒を頼む!」


「どぜうってのは生のままかい?」

「馬鹿言ってんじゃねぇ、どぜうと言えば鍋だろうが」


「さっきカワウソだからシャリはくわねぇとか言っときながら柳川鍋と酒はかっ食らうってぇのか」


「ああ、妖かしだからな」


「都合のいい身分だな妖かしって奴ぁ」

「はははっ、ちげーねぇ」


 二人はすっかり日も暮れ暗くなった道をいつもの様にじゃれあいながら寝床である廃寺へと帰っていった。


 もちろん、途中寄ったどぜう屋でどじょうだけをつまむ風路に、|牛蒡≪ごぼう≫も一緒に食えと叱りつつ、残された玉子と牛蒡で米をかきこむ良膳という一幕もありながら。

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