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作者: 冲田

とても月のきれいな夜でした。その日は満月で、まるで明かりでもついているみたいに、青白い光があたりを照らしていました。その明るさのせいで、満天の星も月のまわりだけはまるで星がなくなってしまったようです。このあたりでは、いつでも月がきれいで、子供の名前にもよく「月」が使われました。暗い夜を明るく照らしてくれる、やさしくて明るい、月のような子になって欲しいという願いが込められていました。


 ここにも、つきと名づけられた、名前にふさわしい明るさと美しさをもった少女がいました。彼女は、まだ薄暗いうちから起きだして、外を散歩しながらオレンジ色の太陽の光を浴びるのが好きでした。日が沈んでみなが起きだしてくるまで、太陽のよく見える木のてっぺんで、ごろごろしながら景色をながめているのが好きでした。


 木の上にいると、鳥たちが一日の仕事を終えて帰ってくるのに出会います。鳥たちは大好きなつきを見つけると、巣に帰る前にちょっとつきのところに寄り道しました。


「あら、つき。今日も早起きさんだね。私にとっちゃ、もうくたくたで寝る時間だけれど」


「鳥さん、おはよう。それともおやすみなさいかしら? だってこの時間に起きないと、鳥さんたちとおしゃべりができないもの。夜にも楽しい友達がたくさんいるけれど、お昼の友達がこんなにいるのは私だけね」


「私もつきとおしゃべりできてうれしいよ。他の妖精たちときたら、お寝坊さんで夜更けにならないと起きてこないんだから。私たちにとって、妖精の親しい友達はつきだけだ」


「あら。うれしいわ」


しばらくおしゃべりしていると、そのうち鳥たちは眠くなってきてそれぞれの巣に帰ります。鳥たちが帰った後つきは、とてもあかるくて綺麗な今夜満月を眺めるのでした。


 「つき、あなた、また日の入り前に起き出して昼の生き物と遊んでいましたね」


空がすっかり暗くなると、妖精たちがつぎつぎと起きてきました。今、月に話かけたのはつきの母親です。母親とは呼びますが、つきやその兄弟たちは彼女のお腹から生まれたわけではありません。妖精を産むのは土、水、火、空気、音、光。母親とよばれる妖精は、少し歳をとった妖精で、何人かの子供を大自然から任されます。つまり、母とは集団の長のことです。


 「昼の生き物は良い生き物ばかりではないわ。夜の生き物とは、お互いに助け合って生きているから、良い生き物も悪い生き物も、私たちに危害を加えたりはしない。けれど、昼の生き物は違うの」


母親は言いました。月はその言葉に首をかしげました。


 「どうして? わたしの昼の友達は良い子たちばかりだわ。悪い生き物がいるだなんて、信じられない。だって、太陽の光の中で生きているのよ」


「あなたはやさしい夕日しか見たことがないから、そう思うんだわ。一番力があるときの太陽は、それは焼けるように熱くてまぶしくて、とても兇暴なのよ」


母親は、そんな怖ろしい太陽の様子を思い出したのか、身震いをしました。


「それに、昼には人間が出るかもしれないのよ」


「人間なんて、本当は存在しないんでしょ。子供を昼に遊ばせないためのお伽話だわ」


背格好は妖精にそっくりで、しかしその大きさは、鳥に聞く熊という生きものより一回り小さい程度といいます。それは自分たちなど、片手で握り潰されるほどの大きさです。牙や鋭い爪が無い代わりに、狡猾で頭が良く、すべての生きものを脅かすほどの力を持っているという、伝説の怪物です。


 寝しなに聞くお話のひとつとして、人間という怪物と妖精の英雄が戦い、ついには怪物を撃退するというお話を、子供たちはよく聞きます。母親はそのような物語を語り聞かせた後には決まって、


「さあ、もう寝ましょう。いつまでも外で遊んでいて明るくなれば、いつ人間が住みかを見つけて襲ってくるかわかりませんよ」


と、言うのです。


青年が上を見上げると、群青色の空が遥か高く広がっていました。心地よい風が髪をゆらし、草の香を運んできます。なんと素晴らしい所なのだろうか。この地上に人の手のまったく加えられていない、こんなに美しい自然の風景があったなんて。青年は、今こんな状態にさえなければ、素直にこの景観に感嘆の声を上げたことでしょう。しかし、青年の口から漏れたのは、絶望のため息でした。


 無線はまったく通じない。GPSも使えない。この人跡未踏の地に、青年は完全に取り残されてしまったのでした。青年はこのまったく役にたたない文明の利器を、地面に思い切り叩きつけようとしましたが、ふいに思いなおしてリュックサックにしまいました。自ら、助けが来る望みを完全に断ち切ることもなかろうと思ったのです。


 青年はもう一度、自分が足を滑らせて落ちてきた崖を見上げました。崖の高さや傾斜を見る限りはがんばれば登れそうなのですが、青年は崖から落ちたときに足を怪我してしまい、満足に歩けなくなっていました。探検隊とはぐれて一夜、もと来た道を戻りつつ、なんとか探検隊と合流しようとしていたところに、背の高い草に隠された崖に青年は足を取られてしまったのです。


 日が傾くと冷たい風が吹き始めたので、彼は手近の枝や落ち葉を集めて火をおこしました。暖を取りながら、ひょっとして誰かがこの煙を見つけてくれれば、とも考えていました。


 ある日、月がいつものようにみんなより早起きをして、いつものように高い木の上で鳥やリスとおしゃべりをしていると、さほど遠くないところで煙が上がっているのを見つけました。


「山火事かしら」


つきが不安げに言うと、鳥が声をひそめて答えました。


「人間、ですよ」


「人間ですって?」


つきはびっくりして聞き返し、恐怖に身震いをしました。


「ええ。私の仲間が見かけていてね。何体かいるらしいが、人間てやつはどこにでも現れるってのは本当なんだねぇ。あの煙は人間のおこした焚き火だ」


つきは鳥の話を怖ろしく思うのと同時に、人間という怪物を見てみたいという思いにも駆られました。鳥たちがそれぞれ巣に帰っていった後、恐怖心より好奇心が勝ったつきはこっそり、煙が昇る方に向かいました。


太陽は沈んであたりは真っ暗になり、明かりといえば月や星と、焚き火の火ばかりになりました。急に冷え込んできたので、人間の青年は荷物をといて毛布を取り出し、肩からすっぽりとかぶりました。缶詰に入った食料を少しついばみながらぼうっとしていると、ふと、少し先の木の葉がきらりと光ったような気がしました。青年は目を凝らしてそちらの方を見ました。また、何かがきらりと光り、今度はその光が動いたように感じました。それは月の光のようにはかなく、そうかと思うとダイヤモンドのようにきらめくのでした。


 青年はまさかと思い、その小さな光を見失わぬようじっと見つめながら、リュックサックの中を探りました。ようやく双眼鏡を取り出すと、覗き込んでまた光のほうをみました。しかし、一瞬だけ目を離した隙に光は隠れてしまったようでした。


 青年の心臓はどきどきと脈打ちました。青年の所属する探検隊の目的、それは、この世のどこかにいるという妖精を探し出し、その存在を証明することでした。今まさに、青年は妖精を見たかもしれないのです。


(大発見だ。やはり妖精は本当にいたのだ。やつを捕まえて帰れば、僕は一躍時の人だぞ!学会で散々ぱら僕を馬鹿にしてきた奴らに一泡ふかしてやる)


青年はそう思いながら、大成功を収めた自分の姿を想像して喜びに胸を震わせましたが、はたと生きて帰れないかもしれないという身の上を思い出して、ため息をつきました。しかし、帰れないと決まったわけではありません。青年はもう一度双眼鏡をのぞきました。


つきは、妖精が全身から自然と放つ光を極力暗くしながら、煙のたちのぼるあたりに近づきました。木陰からそっとのぞくと、ぱちぱちとはぜる火の向かいに、見たことのない生き物をみつけました。自分など簡単に踏み潰されそうなくらい大きく、しかしその顔や身体の造形は妖精にそっくりでした。


(あれが、人間)


どんなに怖ろしいものかと思っていましたが、人間は怪物と呼ぶにはあまりにやさしそうな生き物に見えました。


 つきは、もっと人間に近づいてみることにしました。そうっと、なるべく草々の間に隠れるように、地面の近いところを進みました。


「捕まえたぞ!」


つきが気がついた時には遅すぎました。急に大きな声が聞こえたかと思うと、つきは人間に小瓶をかぶせられ、逃げることもできずにコルクの蓋をされてしまいました。ああ、やはり人間は恐ろしい怪物だった。人間に捕まってしまった私は、丸のまま食べられてしまうのだ。つきはそう思って瓶の中でがたがたと震えました。


「お願いです。助けてください。お腹がすいているのなら、木の実のあるところを教えます。喉が渇いているのなら、水のあるところにご案内します」


青年は妖精の語る言葉が自分に理解できたことに心底驚きながらも、怖がる妖精の様子を見て、やさしく言いました。


「怖がらないで。とって食おうなんてしないから」


つきはその言葉で、少し落ち着きを取り戻しました。


「私を捕まえたのは、食べるためではないのですか? 人間は妖精を食べると聞きました」


「人間は妖精を食べたりなんかしない。人間は妖精の友達さ」


「では、なぜ私を捕まえたのです」


「あなたと話をしたかったんだ。でも、声をかければすぐに逃げてしまうと思って」


「逃げませんから、ここから出してください。妖精は決して約束をやぶりません」


青年はとても迷いましたが、窮屈なところに閉じ込めておくのもかわいそうだと思って、妖精を瓶から出してやりました。妖精は誓いの通り、逃げずに青年のもとに留まりました。


 瓶から出たつきは、こころの隅で人間はお話に聞くほど怖い存在ではないかもしれないと思い始めました。それから、話をしたいという青年の言葉どおり、人間と妖精はぎこちなく会話をはじめました。


そのころ、ようやく目を覚まし始めた他の妖精たちも焚き火の煙を見つけていました。夜の生き物達が、妖精の母に急を知らせに来ました。


「大変だよ、妖精さん。ついに人間がこの近くまでやってきた。あの煙は人間が起こしたものさ。さあ、早く、見つからぬうちにお逃げなさい」


知らせを聞いた妖精の母親は、急いで兄弟を集めました。


「あら、つきは? つきはどこなの?」


母親がつきだけが見当たらないことに気がついて言いました。


「今夜はまだ、誰もつきのことを見ていないわ」


兄弟の一人がこたえました。


「大変。まさか、あの子ったら人間を見に行ったなんてことは」


母親と兄弟は、しばらくつきが現れるのを待ちましたが、いつまでたっても来る気配はありません。母親は決心しました。


「しかたがありません。心は痛いですが、つきのことは諦めましょう。もしも人間に捕まっているのならばなおのこと。私たちの住処を知られるわけにはいきません」


一方のつきと青年は、おしゃべりをしているうちにすっかり仲良くなってしまいました。つきは、驚くべき人間の生活模様や青年の故郷の話に熱心に耳を傾け、青年は妖精の生態や思想について非常に多くのことを知ることができました。それと同時に、青年は自分がこれからやろうとしていることが、間違いだと気付かされるのでした。


 青年はそもそも、目の前の妖精を安心させ、住処の場所を聞き出し、そしてこの妖精をつれて帰るつもりでいました。しかし、話をするにつれて、妖精の世界に人間が立ち入ることは決してしてはならない事なのだということを、強く感じるようになりました。


 今まで、妖精の存在を明らかにし、名声を得て偉い教授になろうとしていた自分が、どうしようもなく馬鹿馬鹿しく思えてきました。妖精という偉大な大自然の化身を前にして、人間とはなんとちっぽけで取るに足らない存在なのだろうと、ひしひしと感じるのでした。


そろそろ夜も明けようかという頃、青年は頭上から「おおい」という呼び声を聞いたような気がしました。耳を澄ませると、どうやら幻聴ではなく、確かに仲間の声でした。


「ここだ、ここだ!」


青年は呼び声に答えて叫びました。しかしすぐに、自分が大変な間違いを犯したことにはっと気がついて、つきに向かって早口で言いました。


「逃げるんだ、早く! 他の人間が来てしまう」


「どうして? あなたのお友達でしょう? きっとその方たちとも仲良くなれるわ」


つきはきょとんとして言いました。


「彼らは違う。きっと君に酷いことをするだろう。だから早く!」


それを聞いてつきは青年から離れましたが、逃げるのが遅すぎました。


「やや! あれは妖精ではないか!」


崖を降りてきた仲間の探検隊は、青年を見つけるより早くつきを見つけて、夢中で追いかけはじめました。


人間の足の速いこと。


つきは追ってくる人間の、狂気にも似た表情に恐怖を覚えながら、必死ににげました。この人間たちは、あの青年とまるで違う生き物のように見えました。


 足の怪我のために仲間の後を走って追うことができなかった青年は、しかたなくこの場所で待つことにしました。待ちながら、つきから聞いたお伽話を思い出していました。


 人間を倒した妖精の英雄は、人間を巧みに底なしの谷に追い込んで、人間をその谷に突き落としました。ひょっとしたら、仲間は二度と帰って来ないかもしれない。青年は思いました。


 まだまだ闇の残る空を見上げると、月から零れ落ちた宝石のような、きらきらとした無数の光が見えました。ああ、あれはきっと、あの妖精の仲間達だ。青年はそう感じました。


 やがて、その光は闇のむこうへと消えていきました。


end



2009/07


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