036話:教皇
教会本部の片隅にある一室。そこにいたのは三人の男女だった。
一人は白い兎人族であるバニーだ。白い小綺麗な服を着せられている彼女は開けられたドアの向こうにいる俺を見て目を大きく開いていた。
そしてもう一人は同じくバニーと同じ白い兎人族の妙齢の女性。瞳や耳などとても良く似ているがバニーよりも肌が白い。そしてすごく綺麗な人……ということはこの世界ではブスってことか。
最後の一人、その人は俺と同じ黒髪、そして黒目の人間……まるで日本人のような者の姿がそこにあった。
「連れてきました。こいつが奴隷の主、シンです」
「っ!?」
クロウが発した言葉に驚く。
……騙されたのか?
どうやら彼は俺をここへ連れてくるように言われていたようだ。
そして俺はまんまとそれに釣られてここに現れた、と。
しかし、別にそんなことは関係ない。目の前にはバニーがいる。クロウという男が何を企んでいようと俺の目的は達成されたのだから今からのことは今から考えるとしよう。
それよりも、だ。もっと驚くべきことは部屋の中にいる男だ。
口角をわずかに上げ、少しだけ嬉しそうな顔をした男。
俺はここに到着してから【鑑定のマスク】を常に着けていた。
同郷の者達が聖女と共にこの協会本部にいるはずだからだ。
【魅了のマスク】は顔が半分露出するため控えていた。
そしてその【鑑定のマスク】の力によれば彼の名前はシンノスケ・ゴトー。
そう、恐らく『後藤 しんのすけ』。しんのすけの方の字は分からないがゴトーは後藤だろう。そう、日本人だ。
彼は一歩前に進み、俺の目の前に立つ。
「お前がこの子の主か……!」
「まっ、待って、お……お父さん!」
……えっ?
……はっ?
お父さん?
バニーの口から出たのは驚くべき事実だった。
別に両親がいるということは聞いていた、その点については驚くことはない。
しかし、本当なのかは分からないが、バニーのお父さんがこの転位者だと……?
「オイ、なんか言ったらどうだ? うちの娘を奴隷にしてさんざん弄んでくれたみたいじゃないか?」
「すっ、すいませんっ!?」
い、いや、ナニモシテナイヨ?
ちょっと柔らか~な胸で優し~く抱きしめてくれたぐらいでそれ以上何もしてないし!!
むしろ俺から手は出してないから無罪、無罪だし!
ちょっと勢いに負けてつい謝ってしまったが何のやましい点もないんだぞ!
だからそんな俺を疑うような、ゴミでも見ているかのような視線はやめてくれソフィア!!
とりあえず、何か、何か言い訳でもしようと思ったその時だった。
「まぁ、挨拶はこのくらいにして……この娘を連れて今すぐ逃げてくれ。頼む」
突然のお願い。
俺の脳ミソは目まぐるしい展開に着いていけない。
先ほどゴミでも見ているかの如くこちらを蔑んでいた男がいきなり頼みごとをしてきたのだ。
激しく非難されていると思っていたのだが、今、シンノスケ・ゴトーは頭を下げて腰低く下からお願いしてきたいるのだ。
「お、お父さん! 私、は……」
「これで良いんだ、俺はお前が生きていることが分かったそれだけで充分だ。ここ数日のことは夢か幻、本当はありえなかったこなんだ。ここにいる俺達はお前の親ではないし、お前はこの仮面男の奴隷に戻るんだ。そして……幸せに生き続けろ……」
「あ、あの!! ちょっと! せ……説明を……」
◇◆◇◆◇
兎人族の少女は巫女の家系である兎人族の女性エバと転位者である人間シンノスケの間に産まれた女の子だった。
そこら辺はなんか色々あったらしいが、他人のイチャコラ話に興味は沸かない。聞かずに先を促した。
彼女は二人の両親の元で育てられ、母親から“マケロの紋”も受け継ぐ『巫女』となるべき少女だった。
『巫女』は百年の間、特に活躍の場も無かった訳だが対魔王としての機能として、対にその存在が亡くなってしまうこともなく百年間の間脈々と受け継がれて来たそうだ。
そして、彼女が二歳になる頃、とうとう魔王となるべき者が見つかる。
当然百年もの間教会に大きな貢献もしてこなかった巫女へは期待が高まっていた。
今回の魔王となる運命の者は事前に発見されたのだ。“マケロの紋”を持つ巫女もしっかりと確保できている教会は魔王への対策についていくらでも取れる筈だった。
しかし、エバとシンノスケはこれに狼狽えた。
娘が巫女となり対魔王の半ば道具として使われる。これは分かっていたはずのことなのだが、百年間の安寧はこの覚悟をドロドロに溶かしていたのだ。彼等は娘が巫女となることを受け入れられなかった。
特にエバはあと十年、いや五年早く魔王が見つかっていればと次代の巫女となる子を産み、巫女と言う役職を辞してしまった己を責めた。
そして二人は二人のその小さな兎人族の少女を逃がしたのだ。
遠くに住む友人に預け、教会には巡礼の際に盗賊に襲われ拐われたということにしたのだった。
しかし、それは上手くことを運ばなかった。
その友人は教会に悟られぬよう、遠くへ遠くへとバニーを連れて旅している最中、本当に盗賊に襲われ命を失ったのだ。
それ以来、バニーが死ねば資格の有る者の元に戻るはずの“マケロの紋”は、とうとうエバの元へ戻ることもなく巫女は行方不明となった。
「つまり、今、再び“マケロの紋”を持つ娘であり巫女であるバニーが見つかったけど、やはり逃がしたいからさっさと一緒に何処かへ行けってことですか? なぜあなた方が共に逃げないのですか?」
「そうだ。そして、俺達はここから出ることは出来ない、俺達はこの教皇区の人間。国に縛られているんだ関所から外には出られない」
そう言えば関所は確かに教皇区に入るときに通ったな。
今更この人達が各地の教会等を巡礼したいと申し出た所で過去の例もあるのだから簡単には危ない目に合うようなことも許可されないだろう。
バニーはどうなっているのかと聞けば、奴隷になり名前を失うときに既に戸籍等は無くしているはずだとのことだった。そこら辺は率先して奴隷制度を推奨している教会だからこその逆にありがたい制度だな。因みに解放する場合はその時の主人の居住する国に籍を置くことになるが、解放奴隷や職のない者等は比較的簡単に国を移せるらしい。転移者もここに含まれる。何も産み出さない者は国もさほど重要視しないってことだろう。
俺の場合冒険者として登録されている『アルビオン王国』の住民だろう。と、言うかアルハスの冒険者ギルドから目をつけられているので易々とどこか遠い国へとは逃げ出せないと思われる。
よく考えてみればロアやコレットは俺の物として関所を越えたはずだ。バニーを連れて国に戻るのも簡単なのだろう。
「私達は教会からの罰を受けよう。娘……いや、ここにいるバニーという奴隷は君がキチンとつ、つつつ使ってくれ……!」
「お父さん! わ、私はここにいる、罰なんて受ける必要ないよっ!」
「そっ、そうですっ!! 魔王が復活するってことですよね!? 何故逃がそうとするのですか!?」
悔しいのか唇を噛みながらシンノスケは言う。
バニーはそれに対して必死に残ると言い出している。
そして、もう一人声が上げた者がいる。ソフィアだ。彼女は敬虔な教会信者だった。
魔王云々なんかも教会が倒すべき物だとか思っているのだろう。
だから巫女が逃げ出すことを許せない。
だけどな、俺はそんなもん全く気にならない。
いっそ投げ捨てちまえよとさえ思う。
それは俺の偏向も入っているかもしれないけれど、あまりに突然すぎるし、いきなり魔王と戦えとか言われても普通なら断る。
そもそも“巫女”って存在はそんなに凄いものなのか?
“マケロの紋”だか魅了の力だか知らないが、本当に魔王に対抗できる力があるのか、そもそも魔王ってそんな弱いのかと様々なことが不思議に思えて仕方ない。
「えっと、とりあえず一緒に逃げてくれと言われても……そ、そう言えば聖女、違うな次期聖女か、シンシアとは会いましたか?」
「……ん? はぁ……あのお嬢様はまた色々と外で漏らして来たみたいだな。今は『祈りの部屋』に軟禁……と言うより籠城してるな。ついこの前沢山の怪しげな人を連れ添ってやって来てな、何か言おうとしたみたいだが教皇が彼らを排除しようとしたため全員引き連れて引きこもっちまった。外で襲われたって話もあったから部屋の外で教皇派の神聖騎士団が交代で見張ってるしな」
「因みに俺はやる気がないと怒られた上に見張りから外されて暇だ」
赤髪の鬼人族は大概適当らしい。
確かに力は強いが色々と不真面目……というかあまり物事を深く考えていないようで、そこにうちのルビーの面影を見て少し笑ってしまった。
「と、とりあえず俺は一度聖女と話がしたいと思っているんですが……コレットやロアも心配だし」
何よりこんなときこそ先生に相談したい。
最善の道が分からない、このままじゃぐちゃぐちゃだ。
助けに来たのに相手から連れていけと言われる始末。
しかし、本人は残りたいと言っている。
いや、奴隷が勝手にそんなこと言っちゃいけないだろう。
今、この状態のバニーがどんな立ち位置になるのかはよくわかんないんだけどさ。
とりあえず先生なら、先生の力なら何らかの道筋を示せるはずだ。
そして、話がまとまらないそんなときにガチャリと再び扉が開いた。
「ん? おや、誰です? 怪しい人がいますが……神聖騎士団がいると言うことは何かあったのですか……?」
「っ!! こ、これは教皇様、ど、どうしましたか?」
「「「教皇」」様!!」
直ぐに声を発したのはエマだ。そして、振り返り驚く俺達。
俺は勿論この軽いメタボなハゲ男、鑑定によれば『ネロ・クロード』という名のこの男が教皇なのかと言う気持ちだったが、クロウは主人の筈の教皇に対してなぜここに来たとでも言いたげだ。しかも様も付けずに呼び捨ててるし。そして、一方ソフィアは目をキラキラさせて様付けしている。本当に彼女が一番の教会の信者だと思う。
そして、突如表れた教皇とその取り巻き達はズカズカと部屋に入り込む。俺のことを思い出したのか何人かの騎士の人が喋ろうとするがこれを教皇が手で制していた。
それにしても、一層部屋が狭くなったぞ。
男の比率が高くて気分が良くないが、神聖騎士団の人に取ってはここにいるエマ、バニー、ソフィアの三人の顔がとても綺麗には見えていないのだろう。彼等の方が俺やシンノスケよりもあまり嬉しくない状況のようだ。
「ふむ、まず貴女は見たことがない顔の方ですね。教会にはお祈りに?」
「はっ、ハイ!! 信じるものは救われると……今は教皇様に会えてとても感動です……!!」
「ハッハッハ、そうですか最近はここも物騒ですがよくいらっしゃいました。大丈夫です、貴女にもいずれ幸せは訪れるでしょう。さて……それではこの状況について聞いてもいいでしょうか、クロウ?」
「……はぁ。この男が巫女様に会いたいと言っていたので会わせただけです。そして、そこの女は連れ添いです」
「……彼女の存在は秘密とされていた筈です。クロウ、あなたは……」
「いや、この男は彼女の主人。つまり奴隷主ですよ」
「何!? ……ほう、君が。ただの変人ではなかったみたいですね」
初対面の人に変人とはどんだご挨拶をしてくれる。
まぁ自分でも分かってたけどさ!!
クソ、これならこの部屋に入った時点で【魅了のマスク】に付け替えておくべきだった。
「いやぁ調度良かった。こちらも今から用事が出来てアルビオン王国へ行くところだったのですが貴方に会うのも目的の一つだったのですよ。さて、ではとりあえず……彼女を私共に売ってください」
「……は?」
周りを見る。バニー含めたウサギ&転生者親子は悲しそうに顔をうつむけ、ソフィアはよく話が分かっていないのか頭に疑問符を浮かべている。クロウや神聖騎士団は完全に無表情であった。
今、なんと言われた?
バニーを売ってくれ。そう言われたのか?
「彼女はの外見は良いとは言いきれない。安く買い叩いたのでしょう? 五百万ガルド。これでいかがですか? 相場よりは充分に高い値段でしょう」
ここは教会の国。
奴隷という制度が完全に認められている場所。
だからこそ教皇は買い取るという策に出たのだ。
これはお願いである一方で、教会にとって買い取ることは決定事項なのだろう。
「……断る」
「ふむ、では言い値で買いましょう。いくでしょうか?」
俺は彼女をどうしたいのか分からない。分からないんだ。
だけど、この男の“奴隷”にすることは避けなきゃいけない気がした。
それは単にあれだけ残りたいと言っていたはずの今のバニーの消沈した顔を見て思っただけで、何の根拠もないし、何が最善なのかも分からない。
でも、俺はまだバニーとゆっくり話もしていないんだ。だから……
「断る。売るつもりなんてない」
そう言ってやった。