025話:生きて
大きな横一線の裂け目が胸に入っている。
右の脇の下から体の中央部まで伸びるその傷は心臓に達しているようだった。
体がちぎれるような大きな傷だ。セーラー服は赤く染まり、口からも吐血している。さぞ痛かっただろう。
血は雨と共に流れ、周囲は真っ赤に染まっていた。
……安田志帆は目を閉じ、眠っているかのように死んでいた。
俺は膝を着く。
もう、四人目だ、これで日本人の死体を見るのは……
もう……
「オイ!! 早く! もっと急げっ!! こっちだ、見つけたんだ、傷が酷くて……早くっ!!」
声がする。
雨の中現れたのは孤児達だった。
孤児たちのリーダーであるアル君が急かしながら孤児たちを引き連れてきたのだ。
そして、次々とあがる悲鳴、泣き声、叫び。
彼女は愛されていた。それが彼らの感情を揺さぶる。
何故こんなにも愛されていた者が殺されなければいけないんだ……
そんな阿鼻叫喚の中、ゼーゼーと息を荒立てながら倒れる安田志帆の前に歩み出て来たのはカンラだった。
休むことなく、この雨の中走ってきたのだろう。白い息を吐くカンラを俺はただ無言で見上げていた。
俺の存在を無視して、カンラを安田志帆の傷に手をかざす。
青白く優しい光がそこから放たれる。
「回復魔法か……だが、もう……」
ハンクさんの言いたいことは分かる。
回復魔法は治療のための魔法であって、蘇生魔法ではない。
命がなくなってしまったものは回復出来ないということなんだろう。
分かってはいるが体は動いてしまう、心は信じてしまう。
皆、一様にその光景を固唾を飲んで見つめていた。
アル君もクルルもその他の孤児たちも皆一様に安田志帆を治療しようと回復魔法を使い続けるカンラを黙って見続けていた。
そして、奇跡は起きる。
閉じられていた安田志帆の瞼がパチリと開いたのだ……
「……え?」
誰かが声を漏らす。
もしかしたらそれは俺の口から出たのかもしれない。
……生き返ったのか?
左手からは既に紋章が失われている。
恐らく安田志帆は大西綾の分の紋章も持っていたはずだが、それも既に北川修一の体に移っているのだろう。
紋章のない体で安田志帆は目覚めた。
「み……んな……」
ワッと歓声が上がる。
泣きながら、笑いながら、様々に喜びを体現しながら……
俺も歓喜の様相で振り返る。ハンクさんに奇跡が起きたのだと認めて貰いたかった。これで安田志帆は助かり、孤児たちと幸せに暮らしていくのだと言って欲しかった。
しかし、ハンクさんは悲観的な顔を変えてはいない。
見つめる先はいまだに残る大きな傷。
そこは一切閉じることがない。
回復魔法が効いているはずなのに傷が閉じないのだ。
「あは、は……私、もうダメみたい……綾の分も、生きようと、頑張った、のに……」
それは本人の口から告げられた。
残酷な終わりを感じ取った言葉だ。
「っ! 諦めるなよっ! まだっ、まだっ! ここで暮らすんだろ!? ここにいる子供達と暮らすんだろ!?」
「っ!! お姉ちゃん!」
「死んじゃやだ、やだよっ!!」
「ダメ! 死んじゃダメだよお姉ちゃん!!」
「でも、わかるの……カンラ君の、おかげで、喋れるけど……もう……」
「死ぬな! 生きて、生きて、帰れる方法を探すんだよ!! いや、帰れなくてもいい、こっちにはホットドッグやホストクラブなんてあるんだぜ!? 日本の物を持ち込んで、楽しくやって行けばいいんだよっ!!」
「……えっ……?」
様々な声と叫びが森の中に溢れている。
俺の言葉もそんな子供達の泣き声と雨にきっと消されているだろう。消されていなくても伝えたかった、同じ紋章者として、生きて欲しいと伝えたかった。
そしてそれは確かに届いた。俺の言葉は一番近くにいる安田志帆には届いていた。
俺は【怪力のマスク】を外す。
俺は彼女に素顔を見せることにしたんだ。
「そ、その目……そっか……君も、そうだった、んだ……じゃあ、君は生きて……私、こんなに、愛され、たのは初、めてで……みんな、私はとっても幸せ……だ……た……君も……後悔の……な……い……よ……」
「お姉ちゃん! お姉ちゃん!!」
彼女は右手で俺の手を握り、左手でカンラの手を握っていた。
玉のような汗がカンラの顔に浮かんでいる。
安田志帆の体の傷は一行に閉じることがない。
それでもカンラは彼女に握られていない方の手で回復魔法をかけ続けていた。
そして、沈痛な空気の中、とうとうカンラの意識がプツリと途切れてしまう。
「ありがとう」そう最後に言おうとした彼女の途切れ途切れの言葉が、次第に音へと変わって行く。
濡れた土の上で再びゆっくりと目を閉じる安田志帆。俺の手の中には先程「生きて」と握られた安田志帆の掌があり、そしてさらにその中には一枚の金貨があった。恐らく、安田志帆かそれより先に亡くなってしまった女子のものだろう……
土砂降りの雨の中、傘もささずに、俺達や子供達に囲まれて、志帆は笑顔で安らかに逝った。
雨は降り続く。
子供達の泣き声や涙も枯れることなく流れ続けていた。
暗い空はここにいる皆の心を映すように、決して晴れることのない影を落とした。
◇◆◇◆◇
「おめでとうございます。これでシン様はFクラス冒険者になりました。しかし、今まで通り月に一度以上依頼を受けていただかないと再びGクラスへ降格となってしまうのでお気を付けください」
「……はい」
ズブ濡れの服を着替えてからギルドへ依頼達成の報告をしに来た。
クラス昇格試験であろうと依頼達成についての報酬は支払われる。俺はわずかばかりの金とFクラスから発行される冒険者証を受け取りカウンターを離れた。
後ろからは相変わらず無言でルビーが付いてくる。
特に話すこともない。俺達は無言だ。
ハンクさん達ラヴィアンローズの三人が食事をしていた。アイさんもバッツさんも元気そうだ。ハンクさんから話を聞いているのか、俺には片手を上げて挨拶するのみだった。俺もそれに軽く会釈するだけとさせて貰った。
トボトボと足を進める。
この後はパンを買って、奴隷商へ行かなくちゃ……
そう思っていた時であった。
「よぉ! Fクラスへの昇格おめっとさん!! 今日はパァっと祝だな!! ハウスで腐れ騎士の奴がご馳走作ってるってよ!
アイツ料理は上手いからな、早く行こうぜ!!」
「……あぁ。うん、そうだな……」
「おっ、どうした? 元気な……」
「……いやいや、マジかよ!? 俺のためにお祝いかよ! こりゃあ楽しみだなぁオイ、金も入ったしシャンパンでも買っていくか? あっ、俺飲めないんだったテヘ」
「お、おう……まぁ、とりあえず行こうぜ……!」
「あ、スマン、ダイナ。俺は奴隷商に寄ってから行くから先に行っててくれ、なんなら決闘して待っててくれてもいいぜ? 好きだろ、決闘?」
「いや、別に好き好んで決闘してねぇよ!!」
ハハハと笑って俺はその場を後にした。そう言えば着替えに帰った時ソフィアがドタバタとしていたな。
……ルビー、お前がそんなに辛そうな顔をするなよ、せっかく俺が笑っているのにさ。
いや、表情はいつもと変わらないブスっとしたものだったのだけれど、俺を見る視線が、その雰囲気がなんだかとても辛そうに感じたのだ。
今、俺は大金を手にしている。
ハンクさんは監視官という立場からか俺が幾らか渡そうとしたら受け取りを拒まれたが、それはワーウルフに食われていた遺体のポケットに入っていたものと、安田志帆に手渡されたものだった。
安田志帆は俺に手渡した金貨以外にももう一枚金貨を持っていて、それはカンラに握られていた手の中に入っていた。
恐らく先に亡くなっていた大西綾の分も含まれた紋章者二人分の金貨だろう。
そもそも俺はハンクさんの前にこの金を孤児たちへ渡そうとしたのだが、アル君は受け取らなかったのだ。
「その金はシホがあんたに手渡した金だ」と言っていた。
とりあえず受け取ってしまった。
そして、安田志帆の墓を作っている時にアル君はハンクさんに王都に住みたいと相談していた。
彼は孤児たちを引き連れて王都アルハスへ移り住むようだ。百万ガルドもあればとりあえず少しは暮らしていけるし、先のトゥートルフゥなど、幾らか貯蓄もあるのだろう。
もしかしたらこの場所の思い出が辛すぎるのかもしれない。俺達が転移してからまだ一月も経っていないが、安田志帆は随分彼等に懐かれていた。
俺は雨の中、安田志帆とその隣に大西綾、そしてその二人の側に名も分からぬワーウルフの餌になっていた男子生徒の三人分の小さな墓を作った。今更ながらあの男子生徒も北川修一の犠牲になったのではないかと思っている。
そして、残ったのは二百万近い大金。使ってしまうことにさほど抵抗はない。というよりこんな金は早く手放してしまいたかった。
そして、俺はそれを使って奴隷を一人買おうと考える。子供に囲まれていた安田志帆ならそれを許してくれるだろう。あの男子生徒には悪いが有効に使わせてもらうことにする。
「やぁ、今日はまとまった金が出来たので一人買いに来たんだ……!」
俺は皆の前で開口一番にそれを告げる。
パンを抱きつつ、とびきりの笑顔でそう言ったはずだった。
しかし……
「シン様、なんか……変? ……大丈夫?」
「えぇ? シンさまどうしたの? おなかいたいの??」
「……血の匂いが……」
何故か直ぐにコレットに気付かれてしまう。
それにロアには安田志帆の血の匂いを感じ取られてしまったようだった。
心配そうにコチラを見つめてくる皆。少しでも安心させようと俺は嘘を吐く。
「ちょっとした事があってね、あっ、俺は擦り傷くらいしかしてないから大丈夫! それよりもまずはミラ、君を買おうと思うんだけど……!」
「っ!! シン様、ありがとうございます!! ほらミラもお願いしますって……!」
「ミーちゃんだけ? シンさまぁ、ママは……?」
「大丈夫、セラも直ぐに買いにこよう。だけど、もうすぐ冬だからね、とりあえずミラは小さいからなるべく早く暖かい所で住んでもらいたいんだ」
「……ミーちゃんはママと一緒に……」
「ミラ、毎日ママに会いに来て? パンを持ってシン様と会いに来て? 毎日シン様のために頑張って、毎日ママにちゃんと出来たのか教えに来て頂戴? いい子にしていたらきっと直ぐにママと一緒にお外をお散歩出来るようになる、だから寂しくないの。大丈夫、ミラはいい子だから……ねっ、頑張れる?」
「……うん! ミーちゃんいいこだからねっ!」
「うん、偉いわ……!」
セラがなんとかミラを納得させる。
他の皆もミラが買われることには賛成だったようだ。
バニーなんかも心配していたが、もうすぐ冬が来る。
冷たい牢獄のようなこの場所はいささか子供には厳しいのだ。
そんなことより、特にコレットなんかは俺の様子が変だとかなり心配してくれていた。
誰もルビーに何があったのか聞かないのはどうせ彼女が何も答えてくれないことを知っているのだろう。
心配をかけさせて悪いなと思いつつ、皆にはパンを渡して、ミラの奴隷契約を済ませてからその場を後にした。
何度も振り返っては手を振るミラが俺にドナドナされているようであまりいい気がしない。
「ミラ、俺、頑張るからママを早く買いに行こうな?」
「うん、ミーちゃんもがんばる……!」
とりあえず、その日は俺のクラス昇格祝とかでご馳走だったので助かった。
それまで少し元気がなかったミラも初めてのご馳走だったので途端に大はしゃぎだ。特にデザートのプリンが特にお気に召したらしい。「これは、あしたママにもっていく!!」と騒いでいた。
パンとプリン、あまり食べ合わせが良い気がしないが明日は買っていってみるか。
そのあと、軽く体を拭いて三人で寝た。
ミラは人肌恋しいのかルビーにベッタリくっついて寝ている。
ルビーの方はそんな可愛いらしいミラをガン無視して寝ていた。やはりこの女子、強者だ。
ちなみに俺はその隣のベッドで寝ている。
ルビーは片腕がなく、残った方の腕も手首から先が動かないので寝返りが打ちづらいのだ。だから俺が夜中に目が覚めた時はわざわざ気にしてやる。
決して変なことをしようと一緒の部屋で寝ている訳ではない、むしろ一緒の部屋のせいで変なことも出来ない。
眠れずに暗い天井を見ているとどうしてもあの雨の中、言葉を失っていく安田志帆のことを思い出してしまう。
いつか、俺が紋章者だと言うこともばれてしまうのだろうか。いつか、俺の元にも紋章を求め誰かがやって来るのだろうか。
仮面もある、学生服もしまい込んだまま出してはいない。安田志帆にも北川修一にも俺の正体はバレていなかった。
オレには自分が紋章者だとバレない絶対の自信がある。でも、いつかはバレてしまうのだろうか。
『生きて』
死の間際、同じ紋章者だと分かった俺に伝えられた言葉。
彼女の死をどう受け止めればいいのか分からない、心だけが削れて行く感覚。
生きたいけど、生きること、生き続けることへの不安、恐怖、悲しみ。そんな思いが俺の頭の中でグルグルと回っていた。