024話:業を背負う者
雨は勢いを増す。
森はもう秋だというのに未だに青々と繁り、そこらには草の匂いが漂っている。
早く帰らなくては。
ザーザーと降る雨の中俺は帰路を急ぐ。
傘などは用意していなかったため、俺達の体は次第に濡れていった。
モンスターの出る森の中で傘をさすのは少し危ない気もするが、カッパくらいは用意しておけば良かったと後悔している。
一度、孤児たちの集落で雨宿りさせてもらうべきか……?
少し悩みつつ、森の出口と孤児たちの集落両方に向かえる方向に歩を進めていた。ぬかるみに足を取られないよう下ばかり見て移動していたのだが、そこでルビーが俺に注意を促した。
「左斜め前……誰か来る」
「え? 誰だ?」
顔を上げ、目を凝らしてみれば本当だ。木々の中からこちらに向かって誰かが歩いて来ている影が見える。
俺達は立ち止まった。
雨が打ち付ける音で足音なども聞こえなかったが、背が高く、孤児たちではないことは分かった。
あの中では最年長のアルが最も身長が高いものの、俺とそう変わりはないはずだ。
俺は何か嫌な予感がするままじっとその人物が近付くのを待った。
向こうも気付いているのだろうか?
歩くペースも方向も全く変えようとしていない。
その人物の歩く方角は俺達の元というよりかは、先程まで俺達のいた森の奥の方へ向かっていた。
近づけばその顔が見えてくる。
そいつは……北川修一だった。
高身長からやはりといえばやはりなのだが……
何を考えているのか分からない奴に出会ってしまった。
俺達は警戒しつつその動向を見守る。
俺達の左側の森の中を歩き、後方へ通り去って行こうとした間際、北川修一はチラリとこちらに顔を向けた。
雨に濡れた顔は、あの歪んだ酷い顔だった。しかし今日は少しだけ何処か苦しそうな、物悲しそうなようにも見えている。
「ん……また君か。この雨だ、早く帰ったほうがいい……」
「あ、あぁ……」
俺の着けている仮面は前回同様【怪力のマスク】だ。
北川修一もこの特徴的な鬼の面を覚えていたのだろう。
その顔は俺達を認識すると平静を装うように穏やかな物に戻って行ったが、コチラは警戒を緩めない。何か危ない気がしたからだ。
そして、北川修一が顔を進行方向へ戻し歩き去ろうとしたその瞬間、俺の嫌な予感は的中した。
「オイ……待て」
「……なんだい?」
振り返り、再びこちらを見つめる北川修一。
お互いに雨に濡れビショビショだった。
だけど、こいつはここで止めないといけない。
「お前のその左手の甲、ちょっと見せてみろ……」
「……そうか……君、安田に何か聞いたのか?」
「いいから見せろっつてんだよっ!!!」
俺は北川修一の左手に掴みかかろうと腕を伸ばし踏み込む。
しかし、そいつはその両手を瞬時に大上段へと構えたのだ。
それは以前ワーウルフを切って見せた構え。
それを思い出したため俺は危険を察知し、一歩出たはずがすぐに一歩引くことになった。
前に出るのをためらいお互いに膠着状態に陥る。
雨は強さを増し、俺の中の暗い気分はますます重みを増して行く。
「お前の左手に浮かぶその【紋章】は安田志帆の物だったはずだ……」
「そんな話まで聞いているのか、ということはもう分かっているだろう。今更僕に何かしようと全て無駄なことだ。そして、僕は関係ない人を殺したくはない」
「お、お前っ……いったい何をしやがったんだぁっ!!!」
体が動いてしまった。
その瞬間北川修一の腕は頭上から振り下ろされる。
だが、その軌道を読み取り、俺は右足を引くことで瞬時に半身になった。
一か八かの賭けだった。
こいつのユニークスキル『分離の力』には動作または準備が必要なのだろう。
次々とモンスター達を分離しなかったこと、竹刀でも持っているかのように腕を振り上げて振り下ろす動作を行っていたこと。
それらから俺は仮想的な剣で切るようなユニークスキルなのだと考えた。
この俺の賭けは大当たり、それは正解ではなく検討違いな考えなのかもしれないが、避けたという事実が、結果がそこに確かにあった。
見事俺のすぐそばに切れ目が現れたのだ。
先程まで俺がいた場所の中心部に、あのワーウルフを尽く切り裂いた空間の切れ目が生じていた。
それは物体を強制的に切り離す驚異の力。
命中した場合対抗する手段はないと思われるが、こうして【怪力のマスク 】の動体視力で避けてしまえば……
しかし、そんな余裕は命取りだった。
北川修一からは既に次の動作が放たれていたのだ。
……ヤバッ!!
それは横一線の薙ぎ。
ヤバイなんてものでは無い。
避けようが無いのだ。
ジャンプ? しゃがむ? それらの動作をするには既に遅かった。体は腕のように素早く自由には動かない。動体視力が高まっている今、膝の屈伸をする余裕があるかどうかさえ判別出来るようになっていた。
諦めたくはない、肉を切らせても……
しかし……
バキィ!
と、いう音と共に北川修一の腕は蹴り上げられる。
「ルビィッ!!」
ルビーだ。彼女が真っ直ぐ横に薙ぎ進もうとしていた北川修一の拳を下から蹴りあげていたのだ。
しかし、北川修一の左拳はルビーのとんでもない威力の蹴りで潰れたものの、その目は、その視線はこちらを熱を持って見つめ続けていたままだった。
そして、諦める、狼狽える、焦る。そんな感情など全くないように、冷静に、ルビーに蹴り上げられていた腕が、潰れた拳がその頭上から再び落ちて来ていたのだ。
俺は横から出てきたルビーを急いでその服の裾を掴んで引き戻す。
脳裏に浮かんだのはユリアさんとの戦闘で叩き切られたルビーの腕。また、再びそれが、それ以上のことが起きようとしていたのだ。
だからこそ、俺は必死にルビーを抱き寄せた。
そして今度も間に合った、再度北川修一の攻撃を俺達は避けたのだ。
抱き寄せたルビーの前には空間の裂け目が生まれていた。
ルビーはどこも分離されることなく俺の腕の中にいる。
ただ安堵するのも束の間だった。それはただの亀裂で終わらなかったのだ。
目の前のその裂け目は消えることなく、唐突にぐわっと大きく開かれる。
それは空間に突如現れた異物。膨らむ風船のように周りの空間にあるものを押し出す効果があったらしい。
気付いた時には突風、いや、空気の壁がルビーの体ごと俺を後方へ吹き飛ばしていた。
しかし衝撃に怯んでいる場合ではない。急いで俺は立ち上がり、手が使えず、立ち上がるのに時間がかかるルビーの前へ立ちふさがる。
あのユニークスキル……こんなことも出来るのか!?
ただ、俺が驚きと危機感を感じ、急いで立ち上がったもののそれは杞憂だったようだ。
北川修一もどうやら同じく影響を受けたようだった。
俺達と違うのは使い手ということもあり、その押し出される力を上手く使って後方へ飛び、転ぶことなく俺達と間合いを取ったと言うことだ。
これも分離の力なのか!?
分け、離れさせる力の一端なのだろうか……!?
「なぜ、僕に攻撃をする……? まさか君は……」
「いいからその左手のことをさっさと話せ!!!」
「ちょっと待てシン!!」
「待ってられないよハンクさん! こいつは、こいつの紋章は……!!」
止まらなかった。
聞かずにはいられない。
俺の考えを否定してもらいたかった。
しかし……
「……僕は帰らないといけないんだ、こんな所で立ち止まるわけにはいかないっ!!」
北川修一の顔はみるみるあの歪んだ物へと変わっていく。
まるでモンスターと戦う時のように、ワーウルフでも見るかのような顔で、俺達に向かいながら再び腕を振り上げる。
あの凶悪すぎる能力の効果の範囲が分からない、俺はハンクさんの制止も聞かず身を屈めつつ突っ込んだ。
近距離に近付いてしまえばあの攻撃の前に振り下ろされる腕を止められる。そう思ったのだ。
地面スレスレまで姿勢を屈めることで右手で土を掴む。
それは雨に濡れ、泥と化していたためになんなく掴み取ることが出来た。
そして俺はそのままアンダースローの体勢で北川修一の“目”に向かいその泥を放った。
「なっ!? 泥!?」
「ウラァッ!!」
俺を見下ろしていた顔に降り掛かる泥。
流石に怯んだのか北川修一は急いで後ろ足を出し下がろうとするが、俺は逃さない。
泥に足を取られながらも己の手をその男に向かって真っ直ぐに伸ばしていた。
焦れば焦るほど、靴が滑り体制は崩れていく。
動体視力を使って転ばないようバランスを取るのだが、俺は元々運動神経が良くない。
急ぎすぎたのだ。既に立て直せる体制ではなく転んでしまう結末は見えていた。
それでも俺は足掻く。
刹那の時間、ほんのコンマ数秒の間、倒れる体を持ち堪えさせればいいのだ。
体を捻る、左腕を振り勢いを着ける、反作用か遠心力か分からないがとにかく倒れるまでの時間を稼ぐ……
そして、俺の指先は確かに北川修一の学生服へ届いていた。
第一関節から第二関節へ、人差し指から中指へ、指から手へ、俺は学生服へ引っ掛けた一本の指先からしっかりと北川修一の体をたぐり寄せていた。
捕まえたっ!!!
しかし……
「くっ……!!」
北川修一は泥に奪われた視覚ではなく服を引かれることで俺に捕まったことを理解したのだろう。
捕まえたと思った次の瞬間、なんと自分の着ている上着を裁断分離したのだ。
まるで魔法だ。輪切りの如く服が次々と裁断された後、縦にも線が入っていく。
気付けば俺は片膝を地に着き、必死に伸ばした手で学生服だった布を掴んでいたのだ。
ユニークスキル『分離の力』……能力の底がしれない。
俺は本能的に恐れを抱いてしまった。
お互いに距離を取る。
俺は体中泥だらけ、北川修一も上半身は裸だ。
学生服を掴んでいた手を見てみるがどうやら傷一つついていない。北川修一は見事に学生服のみを断ち切ったようだった。
「……終わりだシン。これ以上は俺が出ないといけない」
「ま、待ってハンクさん!!」
「……それに気になることがあるのだろう? さっきあの美しい知り合いの女性の名前を言っていたじゃないか……」
「っ!!」
美しいと言われてもピンと来ないが、安田志帆のことだろう。
この世界では随分チヤホヤされていると本人が言っていた。
ただ、俺はその名前を考える度、頭がガンガンと痛む。脳が考えることを拒否しているようだった。
「ふぅ……僕も流石に学生服を無くすとは思っていなかった。これ以上は風邪を引きそうだから終わりにさせてもらいたい。それに君はやっぱり紋章者じゃない、君みたいな髪の長い男子は僕のクラスにはいなかった。関係ないのだからこれ以上首を突っ込まないでくれ」
「ッざけん……えっ? お、お前……お前、紋章が……四つ!?」
驚くべきことがあった。
北川修一の上半身には四つの紋章があったのだ。
左肩、左胸、左手甲、そして右の耳の下あたりにもあったはずだ。もしかしたらまだそれ以上の紋章が隠れているのかもしれない。しかし、最低でも四つの紋章を集めていた。
「僕は決めたんだ……紋章の話を聞いた時から、こちらの世界に連れてこられた時から、決断していたんだ……! 妹がいる。僕は元いた世界に妹がいるんだ。僕は帰らないといけない、妹のために誰を犠牲にしても、僕が帰らないといけないんだ!!」
「……こ、この……クソやろうがぁぁぁ!!」
こいつ、コイツは……!!!
しかし、再度飛び出そうとする俺の前にハンクさんが立つ。
鞘に手を掛けていた。抜刀されたらその時点で俺の依頼を手伝ったと見られる、その時点でクラス昇格試験は失格だった。
また、俺の体には白い腕が回されていた。
それは左腕であり、手首から先は力なく垂れていた。
あまり力が入っていないが、その腕を振りほどくことは出来なかった。
とてもよく見慣れた腕だ。毎日のように見る腕……
「ルー……?」
「もう、これ以上はやめよう……お前が死んでしまう」
振り返れば珍しく悲しそうな表情をするルビーと目が合う。
こんな顔も出来るのかと俺は素直に驚いた。
とても驚いたんだ。
対峙する相手のことも忘れるほどに……
おかげで俺は少しだけ冷静さを取り戻す。
北川修一はもうこちらに攻撃を加えるつもりはないようだった。
寒いのか体を抱きつつ、ボロボロになった左手を庇うように立っている。
俺はそんな男を置いて走り出す。
その紋章者の男が今来た方向へ、恐らくそこには……
一層雨が強くなる。
木々に雨粒が打ち付けられ、様々な音をかき消し、流し去る。
ただ、足を前へと進めていた。
そして、見つけた。
……森に臥し、絶命している安田志帆を。