021話:ロア・ハートフル
前半はロア視点(回想)。後半はシン視点(前回の続き)です。
――犬人族、ロア・ハートフル。
十一歳の時の彼女は立派な犬耳と尻尾、そして茶色の毛並を持つ誇り高き一族だった。
だけどある日……ダーバンの森から僕の、僕達の村が突然なくなった。
村を出る時までは確かにあったのに、帰ってくるともうそこに村はなかったんだ。
あるのは大きな村の『跡』だった。
木々がなくなり、土は抉れている。
そこだけ空が大きく開いて、日の光が強く挿しこんでいる。
村がまるごとどこかに飛んで行ってしまったみたいだった。
僕はその何もない場所でお母さんとお父さんを探す。
でも、やっぱり村と一緒にいなくなってしまったみたいだった。
その時、僕はまだ小さな子供で一生懸命「くぅーん」と鳴いていたけれど全然見つからなかった……誰も答えてもくれない。
「ロア、むらどこいった?」
「……ぼく、わからない」
「さがそ」
「ん、さがそ」
「そうだね。さがそ……!」
一緒に薬草を摘みに行っていた仲間たちと村を探す。
その日から僕達は僕達の村を探す日々が始まった。
だけど、何度夜が来て、そして、何度朝になっても僕達の村は見つからなかった。
僕達の村はなくなってしまったんだ。
その日から、僕達は家に帰れない『迷子』になった。
だから、とうとう皆でバラバラに探すことにした。
それが僕達の、ダーバンの森の犬人族の使命になった。
僕も色々な所を一生懸命探した。
他の村の中も、モンスターのいそうな場所も、そしてダーバンの森の外までも一生懸命探し回った。
毎日、毎日……ずっと探した。
だから僕は魔法を覚えた。
一日で多くの所へ行くために。
一日で遠くの場所まで行くために。
そして、早く、早く村へ帰るために。
僕の足は日に日に速く動くようになって行った。
……でも見つからない。
寂しかった。
仲間ももういない。
村がないからみんないつの間にかバラバラになってしまったんだ。
きっと村が見つかればまたみんな集まる……と思う。
だから早く見つけないと……!
最初の内はそう思えた。
最初の内は頑張れた。
……
どれくらい月日が経っただろう。
皆まだ村を探しているのだろうか?
それとも、もう諦めて自分の過ごす新しい村を見つけているのだろうか?
仲間を、家族を……見つけているのだろうか?
僕は人のたくさんいる『町』に来ていた。
ここの人達は僕の“顔”を見る。そして、汚い物のように扱われる。
僕の村の話を聞きたくても嫌な顔をされる。僕はその度に、その顔を見る度に悲しくなる。
嫌なこともされた。近づくなと殴られたこともある。
耳が千切れて、そこが膿んだ。熱が出て、そのまま死んじゃうかと思ったこともある。
ここには野菜も果物も肉もない。
村も大事かもしれないけど、美味しいご飯も大事だ。
人に聞くことが嫌になり人に自ら近づくことが嫌になり始めた頃、僕はそう考えるようになっていた。
僕の中では村のことよりもどうやって日々を過ごそうか、いつの間にかそれが問題になっていたんだ。
だから、お腹の減った僕はその日も頑張って食べ物を探す。
良い匂いがしたんだ。
あったのは焼いた鳥肉を串に刺したものだった。
お腹の減った僕は次々と鳥肉を焼くその様子に見入っていた。
「気持ち悪い子だねぇ、寄るんじゃないよ! 客が散っちまう……ほれ、一本売ってやるからさっさと……」
目の前に差し出されたお肉にガブリと噛み付く。
お、美味しい!!
すんごく美味しくてビックリだった。
僕達の村では狩りができる人が一番偉い。
僕のお父さんは村一番の狩人で僕もその誇り高き一族だった。
だけど、こんなに美味しい肉はその時まで食べたこともなかった。
それまでも僕はお肉が大好きだったけど、その後からはもっと大好きになった。
そして、そのあと直ぐに僕は怒られる。
僕は“お金”を持っていないからだ。
そんな怒られる僕を助けてくれたのはケビンって人だった。
その人が僕の代わりに“お金”を出してくれた。
そして、僕はその人に引っ張られて“奴隷商品”になったんだ。
“奴隷”は上手く行くと美味しいご飯もお肉も食べ放題と聞いた。
貴族の奴隷になると凄く幸せになれると聞いた。
僕は魔法が使えるからもしかしたら買ってくれるかもしれないと言われた。
でも、僕はダメだった。名前まで捨てたけど、“売れ残り”になってしまった。
顔が良くないと言われた。
顔なんて気にしたことがなかったからどうすればいいか分からない。自分は汚い顔なんだと思った。
食事も日に日に減らされて、こんな汚い顔を沢山の人に見られ、「汚い」と言われることも嫌になり始めていた。
「あ、あのっ! 僕、頑張りますっ! お肉もあんまり食べないように頑張りますっ! それから、匂いを嗅ぐのが得意です! 魔法も少しなら使えますっ!」
最後のチャンスだぞ、と言われた。
僕達が連れていかれてた場所に立っていたその人は真っ白なお面を着けていて、格好は変だけどもしかしたらお金持ちかもしれない、と言われた。
僕は買って欲しかった。
日に日にいろんなことが辛くなる。
ただ外に出たかった。村へ帰りたかった。
……ダメだった。
買ってもらえなかった。
僕ではなく耳長族のお姉さんとその娘さんがレンタルされて行った。
あぁ、僕の村はどこへ行ったの? お父さんとお母さんはどこへ行ったの?
帰りたいよ、帰りたいよぉ……
でも、すぐにビックリすることが起きた。
白いお面の人『シン様』はパンをくれたんだ。
僕はこれをチャンスだと思った。僕が本当は仕事が出来る所を見せればきっと買ってもらえると思った。
その後、少し失敗しちゃったかもしれないと落ち込むこともあった。
だけど、シン様は僕を、僕達“売れ残り”の奴隷を買ってくれると約束してくれたんだ。
選ばれたこと、頼られだこと、頭を撫でられたこと、そして良い匂い、そんなことが僕にとってとても嬉しかった。
寂しさはどこかに行ってしまった。気にしていた顔のこともどこかに行ってしまった。ただ、誰かと一緒にいれることを幸せだと感じられたんだ。
ずっとこのまま……ふと、そう思った時だった。
……匂いだ。
ずっと忘れていた匂いだ。
体中を電気が走るような感覚に襲われる。
ダーバンの森、僕達の村の匂いが微かにした。
気づいたら僕はシン様に謝って走り出していたんだ。
ダーバンの森へ、僕達の村へ向かって、僕は走り出していた。
◇◆◇◆◇
「僕達の村の匂いだっ……!」
そう言ってロアは飛び出してしまった。
斜面を駆け下りて行くロア。
その先には北川修一。
モンスターを圧倒的な力で倒す北川修一の表情や雰囲気を俺は何かとても危険に感じたんだ。
だから、今度は流石に体が動いた。
その危険な所へロアが自ら突っ込んで行くのがまざまざと見えたからだ。
【怪力の仮面】にマスクを変えて飛び出す。
ロアの後に続いて崖を駆け下りる。
「うぉぉぉ!!」
いや、駆け下りるというか、落ちている。
ほとんど直角な崖の斜面を走るとか俺には無理だった。
だけど、今ならどうとでもなる。
動体視力が跳ね上がり、黒くなった両腕の筋肉は一瞬の動作にも反応できるしなやかさと、強い衝撃でも壊れない頑強さがあった。
地面に落ちるその瞬間、俺は受身の要領で掌を地に叩きつける。
バンッという強い音と共に体へ衝撃が走る。
しかし、思っていたより軽い。
俺はすぐに立ち上がった。
そもそも崖の高さは五メートルそこら。もしかしたら怪我せずに着地出来たのかもしれない。
しかし、そんな余裕はなかった。
がむしゃらに崖下へ飛び込んで、着地して、そして今はロアを背に北川修一の前に立っていた。
「……」
「……」
「……」
三者三様に無言になってしまう。
ロアは俺が目の前に飛び出して来たことで少しは冷静になってくれたのだろう。
北川修一はそれまでの歪んだ恐ろしい顔から驚いたような顔へ変わっていた。俺の記憶ではそれは本来の親しみやすい北川修一の顔だったと思う。
そして、俺はこれからどうすべきか必死に考える。今から【魅了のマスク】でも着けて「やぁ!」と一言挨拶を交わしてみるか? いやいや、あの仮面では俺の顔がバレる。ただでさえ既に安田志帆に日本人だと悟られているのだ、これ以上色々とバレるのは危険だろう。
場の空気はさほど緊張したものではなかった。と言うのも、先程まで感じていた恐ろしい雰囲気が最早北川修一から漂っていなかったのだ。今はただ気のせいだったのかもしれないと疑念が浮かぶばかりだ。
そんな沈黙を打ち破ったのは意外にも北川修一だった。
というか、さほど彼が驚きから復帰するのに時間はかからなかった。
「君は男性だろ? その子の『兄』かい?」
「えっ!? い、いや……」
「そうか、でもその様子、大切な人みたいだね。しっかり守ってあげてくれ……」
まぁ、俺の格好を見たら性別は分からないな。ただでさえ顔は仮面で隠れているし、髪は長いし、自分でも体型がガリガリなのは分かっている。服装もローブ姿のためパッと見は男女の見分けはつかないと思う。
それにしても『兄』?
俺が今つけている仮面は【怪力のマスク】。角があるからどちらかと言えば、犬人族より鬼人族に見えると思う……
そんな考え事をしていると今度はロアが口を開く。
「ねえ! 僕の村を知りませんか!?」
「村? さぁ……でも、ここから近い所に王都ならあるはずだよ」
「僕の、僕達の村の匂いだ、確かに匂いがしたんだ!! ダーバンの森です! 犬人族の住んでる村です!」
「す、すまないね、わからないよ……」
「……そうですか」
明らかに項垂れて元気がなくなるロア。
とりあえずロアは自分の村を探しているってことだろうか?
そんな盛大な迷子いるのか?
そこらの人に聞けば分かりそうなものだけど……
「さて、要件は済んだみたいだね。僕はもう行くよ。やらないといけないことがあるから。ここら辺はモンスターが多く出るから気を付けて。君。しっかりその子を守ってあげてくれ……」
「お、おう……」
「ねぇ! 北川君!?」
「っ!!」
突然イケメンオーラを発し始めた北川修一。
先ほどの悪鬼羅刹が如く表情は朗らかな物へ変わり、俺とロアへ優しい声をかけ去ろうとしていたその時だった。
安田志帆が飛び出して来たのだ。
バカ野郎!! お前なんで出て来んだよ!?
一瞬、北川修一の顔が再び歪む。
悲しみや憎悪が入り混じったようなそんな負の表情だ。
しかし、俺やロアを見てすぐに落ち着き、その顔は真面目な顔へと戻っていった。
「……安田」
「ひ、久しぶり……」
「あぁ。僕はもう行かないと……またな」
「う、うん、またねっ! が、頑張ろうねっ!!」
こいつの能天気さがイラッとする。
何を頑張るんだよ!!
北川修一が歩き去ったあと、俺はロアの前に安田志帆に怒った。
ただ、俺が紋章者とはバレていない。だから紋章の話を出来ないジレンマにさいなまれる。
「お前、あいつのワーウルフとの戦い見てただろ!? あいつが危ないヤツだったらどうするんだよ!!」
「北川君はそんな人じゃないよ! 妹思いの優しい人なんだから!!」
「妹? そう言えば兄がどうとか言ってたな……」
「そうだよ、もともと心臓を患ってた妹さんの容態が夏休み開けてから悪化しちゃって大変そうにしてたの!! そんな時にこんなことになっちゃって……」
「な、なんでお前そんなことまで知ってんの……?」
「私、北川修一ファンの一人だからね!!」
あ、なんかこいつと話しててもダメな気がする。
とりあえず諦めてロアと話すことにした。
見るからに元気がないロア。村を探してるみたいだったけど……
「ロア、突然こんなことをした理由を聞いてもいいか?」
「……はい」
聞けば、ロアの住んでいた村がなくなってしまったらしい。
まるで、どこかに移動したか、隕石が落ちてクレーターになったかのようだ。隕石なんて落ちたら周りの草木も真っ直ぐ立っていられないから有り得ないだろうけど。
でも、そんなことがあるのか? まぁ、あるんだろうな。ここ、異世界だし。魔法がある時点で何が起きてもおかしくない。
北川修一がそのロアの村の手がかりを何かしら持っているのか?
でも本人は知らなかったし……というか、用事があるみたいだったが一体このあと何かあるのか?
っと、北川修一の話よりもロアだ。
「とりあえず突然走り出すからビックリしたぞ? ロア、自分の村を探すのは止めないけど心配はさせないでくれ……」
「はい……」
「まぁ、あれだ。今度皆で探してみようか! なんか俺も気になるし! いいよなルー?」
「あぁ、だけどその前に腹ごしらえだな!」
ルビーは『トゥートルフゥ』を握り締めていた。