018話:安田 志帆
そこにいたのは少女、そしてそれを取り囲むように展開する狼型のモンスター六匹だった。
汚れた金の短い髪を持った村人の様相をした少女は泣き叫び、胸に手を当てたままガタガタと震えている。
名称:クルル
種族:人間族
性別:女性
年齢:五歳
レベル:二
……
名称:ワーウルフ
種族:モンスター
レベル:十二
……
モンスター六匹のレベルはどれも十二。
名前は全てワーウルフ。それは種族じゃないのか? とも思うのだが、けっこうこの鑑定能力は適当な部分があるのだ。とりあえずワーウルフと呼ばれているモンスターってことだろう。
急いでそのワーウルフ達を無視して、少女クルルに駆け寄ろうとするも、俺の接近に気付いたモンスター達が焦ったのか一斉に少女に飛び掛る。
くっ! 俺の足ではどうやっても間に合わないっ!!
「イヤァァァ!! ウァ、ガフッ! ハァッ……アグ……」
「ちょっ……」
噛まれた……
噛まれた噛まれた噛まれた噛まれた……!!
抵抗はかなく少女の首元にモンスターの鋭い牙が突き刺さり、泣き叫ぶ声は苦しそうな痛々しい物に変貌する。
必死に己の喉へ食らいつく狼の頭を少女は押し返そうとするが、牙は深く深く穿たれて少女の喉からは赤い鮮血が流れ出ていた。
金の髪の隙間からは苦しそうに涙を流しながら必死に抵抗する少女の顔。
そうその顔は、金色の髪に包まれた泣きじゃくる顔、そして五歳の少女の顔……それは、どこかの奴隷な知り合いに、長耳族の小さな少女に似たような面影。
俺は走りを止めることは無かった。
助けなければと思ったんだ。ミラの姿がチラリと脳裏をよぎったから。
ハンクさんに見られることも関係なく俺は【怪力のマスク】へ仮面を変え、叫びながらワーウルフに突っ込んだ。
「ルー!! 近づいてくる奴は蹴り上げろ!! 俺はあの少女の首に噛みついてる奴をやるっ!!」
「任せろっ!!」
一心不乱に走る。足の速さは変わるわけではないが、それなりに大きな獲物を咥えた狼に劣るほど足が遅いわけではない。
俺を見て、少女を咥えたまま逃げようとしたワーウルフ。
しかし、俺の指の先がそのモンスターの尻尾に届いた。指先でも掴めればこちらのもの、そのまま俺は引きちぎる勢いで引っ張る。
クンッ、と慣性を無視したかのような急激な制動さらには逆行。一気にとんでもない力で引っ張られた衝撃がワーウルフを襲った。
そして、その首からモンスターの口が離れ、勢い余って空中に放り出される少女クルル。
動体視力が向上しているため、俺は難なくそれを片手でキャッチする。
もちろんもう一方の手では狼の尻尾を放さない。放すわけがない。
俺はそのまま剣でも振るかのごとく腕を上げ、そして振り下ろした。
尻尾の先のワーウルフは抵抗することもできないまま、空中に浮かび、そして地面に衝突する。
これで終わりではない。もう一度……!!
しかし、そう思ったのも束の間、ブチィという鈍い音と供に再度空中に振り上げようとしたそのモンスターの尻尾が根元から千切れる。
見れば、強く地面に叩き付けられたことで体の半分と頭が潰れワーウルフは即死していた。
「終わりか……あれ、ルー!?」
そう言えば他にもワーウルフがいたんだったと思い、振り返れば丁度ルビーが踵落しを喰らわせて最後のワーウルフの脳天を割っている所だった。
あ、あれ? もう五匹倒したの……?
二匹は頭が潰れていた。恐らく先程の踵落しだろう。
もう二匹は体が折り紙のように『く』の字に折り曲がっている。蹴ったのか? 蹴りであそこまで体がとんでもない形になるものか?
最後の一匹は何故か木の上に延びていた。俺の言った通り蹴り上げたのだろうか? いや、蹴り上げて木の上まで飛ぶのか? いや、飛ぶか、こいつただでさえ鬼人族で怪力だし、レベル五十超えてるもんな……
「シン、その子の回復を!」
「あぁ! そ、そうですね、えっとこういう時は……」
止血か!?
そう思っていたがすぐにハンクさんに薬草を渡された。これは明らかに依頼に関係なく、しかも俺を助ける行為でもない。試験に影響はないだろう。
でも……え? 薬草? これ、どうすれば?
RPGでは「使う」という項目を選択すればそれでHPが回復したが、気絶してしまっている少女にどう使えばいいのだろうか?
俺が少女を抱え悩み、ルビーとハンクさんがそんな俺を見守っているその時だった。
「オイ!! お前っ! クルルを放せぇ!!」
「なっ!?」
突然現れたのは……仮面!! 同じような木彫りの仮面を被った背の小さい者から大きな者まで入り混じった謎の集団だった。
いつの間にか包囲されている。声からすると焦りと怒りが混じっているようだった。
その集団が付けている仮面は俺の仮面よりも作りが荒くほとんど板だ。でも、だからこそ作り物感が際立つ。怒りをたたえるように掘られた吊り上った目の部分は相手を威嚇するために作られたものなのだろう。
集団の数は二十近い。誰もが仮面を着け、着物は質素なシャツとズボンのようなもの皆バラバラだ。髪色は金色の者もいれば茶色や赤毛の者もいた。彼らは全員がまばらで唯一仮面で持って統率を取っている印象だ。そして手にはそれぞれ武器を持っている。その中には弓矢もいくつかあり、その全てがこちらを狙っていた。
俺一人なら【怪力のマスク】を付けた今、全ての矢を腕で落すことも可能だと思うが、手が使えないルビーを守りきれるだろうか……?
俺は害意が無いことをその小さな集団に伝えるためゆっくりと少女を地に下ろし、両腕を上げ、降参のポーズを取った。
◇◆◇◆◇
結論から言うと彼らは孤児だった。
森に集団生活してる孤児。と言っても、俺くらいの年齢もいるみたいだ。
こっそりと仮面を【魅了のマスク】に変え、害意がないことを訴えつつワーウルフの死骸と首から血を流すクルルに治療を行おうとしていたと薬草を見せて必死に伝えればすぐに信じてもらえたのだ。
少しだけ魅了したことが心に痛いが、別に嘘をついている訳ではないのだからと自分を納得させる。
集落で回復魔法を使うと言うのでそこまで俺がクルル少女を運ぶことになった。
ここまで来るとせっかくモンスターを倒したのだからしっかり治してもらわないと俺の方も気になってしまう。
集落とやらへ走りながらこの子供達の話を詳しく聞いてみる。
「それで、君たち孤児はなぜここで暮らしているんだい?」
「街では今奴隷狩りが凄いからよ……なんでも炭坑だか鉱山だかに売られちまって死ぬまで働かされるって聞いてる」
「あぁ……そんな話俺も聞いたな。それで逃げてきたのか……」
「そういうことだ。クルルは花が好きであれほど一人で花摘みには行くなって言ってあったのにクソッ!! よし、着いた! すぐに治療を!! おーい、シホ! カンラを呼んでくれ!!」
集落に着いたようだ。と言っても森の開けた所にボロテントのような物がいくつか設置されているのと、洞窟がありそこが大きな口を開けている場所だった。
隣の仮面男は俺と同年代くらいか少し上か? とりあえず、この集落ではそれなりの立場の男のようだ。
『シホ』それから『カンラ』なる人物の名を呼び、これから治療を始めるらしい。
俺達は気を失っている少女クルルと共に一番近くのテントに通された。
「カンラ呼んできたよっ……あれ?」
「っ!?」
俺達が入り狭くなったテントの入口を開けたのはシホと呼ばれていた女性だ。
シホは汚れのついた黒いスカート、大きな襟が特徴的な黒い上着を着ていて、それは衣替えを済ませた我が高校の女子制服『セーラー服』だった。
転移者!? いや、違う! よく見れば何処かで見た事ある顔で、あの左手の甲に見えるのは紋章!! 俺と同じクラスの……紋章者!!
そう思った時には遅く、俺は彼女と既に目を合わせてしまったのだ。
「その目、髪……もしかして日本人……?」
「っ! え、えっと……」
「もう、シホ何してるんだよぉ僕が入れないんだけど!」
「あ、あぁごめんカンラ……」
顔を見られた……
【魅了のマスク】を付けていたため、左半分だったが確実に見られた。それどころか日本人であることまで指摘された。
ん? いや……バレてないのか?
……俺が同じ学校の、クラスの一員であり、紋章者であることを……?
後から入ってきた『カンラ』と呼ばれた小さな男の子が回復魔法をかけたことで、少女の首に開けられた大穴はすぐに閉じていった。
俺はコチラに熱心に視線を向けて来るシホからわざと目を背けるように、その回復魔法をかけられているクルルを見ながらこれからどうするかを考えていた。
バレていないならこのまま転移者としてやり過ごすべきか?
今更仮面を変えても遅い、それに【魅了のマスク】を外すということは怪しく思われるリスクが高まる。
紋章の話など墓穴を掘らないよう最新の注意をしながらなんとか切り抜ける! そうするしかない!
そう思い始めていた頃にやっと治療が終わる。十歳くらいのカンラ少年はふぅーっと汗を拭った。
「よぉし、もう大丈夫! キズがなくなったぞ! それで……この人達、誰? アル兄ちゃん?」
「森でクルルを助けてくれた人だ。クルルに噛み付いたワーウルフを倒して救ってくれた」
「へぇー! いい人達なんだな! 僕はカンラって名前で……」
「カンラちょっとゴメン、お姉ちゃんこの人と向こうでお話してもいい!?」
「え? う、うん……」
突然俺の手を取りテントの外、集落と森の狭間へシホに連れていかれる。
告白なんて浮かれたものでは無いことくらい分かっている。
転移者同士の話だろう。俺の紋章は……見えていないはずだ。そもそも、こいつは俺が紋章者だと疑っているようには見えない……
俺はルビーとハンクさんに目配せして待っていてくれと伝えた。何故かカンラ、そして、リーダーらしき仮面を外した男アルとやらに睨まれた気がするが気のせいだろう。
「えっと、私は安田 志帆。日本で高校二年生していたものです。あの、あなたも日本人ですよね……?」
「……あぁ、俺も転移者だ。名前はシン。そう呼んでくれ」
「やっぱり!! シン君ですね、わかりました! あ、あの、それで……ここっていったい……えっと、スイマセン私がここに来てまだ一月も経っていないんです。それで色々と大変ことばっかりで、その、良ければ私の話聴いてもらえますか? ど、どうすればいいのか相談できる人も居なくて……」
「……そうだね、聞こう」
安田志帆は安堵したような顔でツラツラと言葉を紡ぎ始めた。
まず、転移した場所はこの森の中だったそうだ。ただ、転移後直ぐに友人である大西 綾と出会えたことで精神的に落ち着くことが出来、お互いに熊が出るかもしれないから騒ぐことなく森を出ようという考えに至ることが出来た。
しかし、二人といえども町中に転移した俺と比べるとかなり危険だ。俺達は転移した当初のレベルは“一”なのだ。
戦闘向けのユニークスキルでもなければ雑魚に等しい。
そして、その危険は見事的中。
三日三晩森をさ迷い、飢えに襲われたその時にあのワーウルフ達に襲われてしまったようだ。
叫んだことでアル達仮面の集団が助けに来てくれたのはいいが時すでに遅く、大西綾は亡くなってしまった……と。
それから大怪我を負っていた安田志帆はここで治療を受け、そのまま暮らすことになったらしいのだが、ここで少し疑問があると言われた。
「あの……私の顔、どう見えますか?」
「え!?」
……あぁ、なるほど。俺は改めて安田志帆の顔をマジマジと見る
彼女の顔はお世辞にも美人とは言い難い。
だからと言って面と向かってドブスと言えるほど俺は強靭なメンタルも人の気持ちを汲めない心も持っていなかった。
「えっと、特徴的な顔、かなぁ……お、俺の趣味とは少し違うかもしれないね」
「うっ……で、ですよねぇ……なんかここの人達私を白雪姫かシンデレラかのようにとりあえず凄い可愛い、可愛いってチヤホヤするんです。変なことになっちゃって顔まで変わってしまったのかと思えるくらいに……」
「あー、それは多分この世界の女性の顔の美醜に関する価値観が日本とは違うからだと思う……俺も最初戸惑ったけど、ここの集落の人達は本心から言ってると思うから心配しなくていいと思うよ……」
「え……そうなんですか? ふぅーん。なるほど……あ、あと……元の世界に帰る方法を知りませんか!?」
来た。
安田志帆はずっと紋章の話を隠していた。
紋章集め以外に元の世界へ帰れる方法があるならきっとそちらを追い求めるだろう。
しかし、この世界に異界へと渡る方法は存在しない。あれば数多の転移者は続々と変える道を選ぶだろうし、日本でも異世界行ってきたって人が続々と現れるはずだからだ。
「……すまないが、俺は知らない」
「そう、ですか……あの、シン君は……知り合いを……こ、殺せば、元の世界に帰れるとしたら……どうしますか?」
安田志帆は無意識なのだろうか、左手の甲をさすりながらそう俺に聞いてきた。
大西綾と過ごした三日に何かあったのだろうか、もしかしたら大西綾を殺したのはモンスターではななかったのではないだろうか、疑念は考えれば考えるほど出てくる。
安田志帆の話からも分かるが、紋章の話を聞かされて俺達は転移した。
だが、俺は心に決めていたことを話す。
それはこの世界に来た時に直ぐに決断したことだった。
「殺さない。俺はこの世界で新しい人生を過ごすよ」
ちょっと新登場が多いので纏めます。
〇安田志帆
転移者で紋章者。シンと同じクラスの女子。あまり可愛くなく、シンも会話はしたことがなかった。
〇大西綾
転移者で紋章者。既に死亡。
〇クルル
孤児集落の女の子。五歳。花摘みが好きな金髪の女の子。
〇アル
仮面部隊の隊長で集落のリーダー的存在。歳はシンと同じくらい。
〇カンラ
回復魔法の使える10歳くらいの男の子。仮面部隊ではなく集落に待機していた。