016話:約束
「もう一口くれ」
「へいへい、あーん……」
「ん、あーん……」
パクリとその燃えるような赤髪の鬼人族が俺の差し出した匙を頬張る。
あの二号ダンジョンでの一騒動から二週間ほどが過ぎ、流石に俺も慣れたものだ。
一方、目の前で共に食事をしているソフィアはいまだに羨ましそうに見てくるが、やらないよ!? ソフィア健常者でしょ!?
……そう、ルビーはダンジョン内での怪我により両腕共に使えなくなってしまったのだ。
一応ユリアさんに切られた左腕は繋がったのだが、血を流しすぎたためか三日三晩眠りこけて盛大に俺に心配をかけさせた上に、起きてからはその左腕の手首から先が麻痺して動かなくなってしまった。
血は通っているようなので、神経系の損傷が起きているのだろう。ただ、俺がそんな話をしても「神経? なんだそれ?」と治療士は言うのみ、回復魔法に頼り切った世界では医学……というより解剖学か生物学か? が全然発達していなかったのだ。
回復魔法ってのは即ち悪い所を治してくれる魔法なのだけど、症状とその原因である“悪い所”がある程度分からないと回復できないらしいのだ。
だから、診察は発達してないし例えば今だに寄生虫に寄生されて死ぬ人は多いらしい。ウイルスや細菌なんかの治療もけっこう困難だと思う。せいぜい白血球を元気にさせるとかそんな治療なんだろうなと思った。
もしかしたらバッツさんの足の怪我もそれが原因で治らないのではないだろうか?
俺が回復魔法を使えれば、と思ったが魔法の『ま』の字も発動できない。もうこうなったら転移者で回復魔法を使える人を探そうか……とも思ったが、自ら正体をバラして歩くのも危険だ。
と言うことで、俺がルビーの介護のようなことをしている。
なお、これを俺がやらないとルビーは食器に直でパンやスープに齧り付く。机がとんでもなく汚れる、いや、机どころではない。口やその周辺を拭えないルビー自身が大変なことになるのだ。
一応ここは借り家なので、そんなに連日汚すわけにはいかない。俺達が住んでいるここは借り家、クランの人々が集う『クランハウス』ってやつだった。
俺とルビー、そしてソフィアの三人はこの町外れのクラン所有の屋敷に月一万ガルドという破格の値段で住まわせてもらっていた。
普通はいくつものパーティが集まって作る共同生活の場、または会社のようなシステムである《クラン》。
そして、ユリアさんが作ったそのクラン【ソードオブナイト】。そこに俺は、俺達は、二号ダンジョン脱出後に強制加入させられた。
クランリーダーはユリアさん。
メンバーは俺とソフィア、そしてダイナだ。いわゆる創設メンバーってやつだろう。ルビーは俺の所有物ということになるらしいので何故かカウントされていない。
そういえばダンジョンに潜る時も冒険者以外は入れないはずなのに、ルビーはさほど何か言われる訳ではなかった。
よくよく考えてみると恐らく冒険者ではない斎藤達はどうやって入ったんだ? とも思ったがあいつらダンジョンに大穴開けまくってたんだ、入口とか関係ないなという結論に辿りついた。
さて、このクラン【ソードオブナイト】なのだが、実は色々と特別だ。
まずは、クランというのは三パーティ以上の人数とCクラス以上の冒険者がリーダーになって設立しなければならない。
リーダーの点はユリアさんによって解決しているが、三パーティの方は実は名前だけで実在していない書類上のみのパーティが登録されている。
なので、俺達が住めるほど屋敷の部屋が空いているのだが……こんなの冒険者ギルドにバレたら大変なことになる!
……ということもなく、実はこのクランの人数問題はギルド側から容認されている不正だったりする。
それほどまでに二号ダンジョンの“ボス”は秘匿事項なのだろう。このクラン内ではあの白い幼女については厳命に守秘義務が課されていた。
そして、転移者であることが知られてしまった俺は冒険者ギルドからあれこれと聞かれることになった。
今回ダンジョンを襲撃した転移者である斎藤達との関係、その目的などなど。答えられるものには答えたつもりだ。というか、流石にここまで来たら隠し通せないし、隠した時のデメリットを考えると怖い。
そして、いまだにそんな尋問の最中思い出すのはダンジョン最下層、ボスの間で倒れていた二人の転移者。それは確かに俺と同じ学校の制服を着た者達だった……
◇◆◇◆◇
――今から一週間とちょっと前……
ダンジョンから帰ってきて三日目だっただろうか?
俺達はダンジョンから脱出してすぐにユリアさんが作ったクランに加入させられそこで暮らすよう言われていた。ルビーの腕は繋がったが目覚めず、安静にする場所が必要だったためそれは有難かったのだが、冒険者ギルドの職員が連日やってきて俺達を質問攻めするので、ルビーの看病もあり俺は全く休めなかった。
そして、三日目となったその日、ギルドの職員は二つの死体を持ってきた。
それはあの日倒れた二人の転移者。ダンジョン攻略を目論見、ユリアさんに切られた俺の同級生だった二人の遺体だった。
彼等は俺達と一緒にあの白色ロリの不思議な力によってダンジョン外へ吐き出されていたのだ。
名前は確か……田中と……なんだっけ?
……うん、ダメだ思い出せない。
全然話したこともなかったが、それでもやはり同級生。
ユリアさんを恨もうなんて思わなかったが、少なからずこれからのこと、この世界のことにネガティブな思いは生まれていた。
検死なんて作業をギルドに強いられたその日はあまりに死の現実が近すぎてゲロを吐きまくったが、その体に紋章は見当たらなかった。
あるのは大きな斬られた跡と、そして苦しそうな死に顔。
日本ではありえない状況は俺の気分を深く消沈させた。
奴隷の皆の所へパンを持っていけていなかったが、この日もとても行けるような状況ではなかった。ただ丁度ソフィアの手が空いたようだったので代わりに行ってもらうことになる。
いまだにベッドではルビーが苦しそうに呻くだけで全く目覚めないのと、その脳裏に焼き付いた同級生の死体という衝撃に俺の体調は全く芳しくなかった。
そして、ダンジョンから帰還後四日目の朝、とうとうルビーは目を覚ます。
俺、ソフィア、ダイナが驚き見守る中、彼女は第一声を発する。
「……腹が減った」
うん、なんだかとっても元気そうだ。とても安心したのを覚えている。
ソフィアが食事を取りに行ってくれたので俺は少しルビーのそばにいることにした。
と言ってもルビーはあまりお喋りするタイプじゃない。
俺も声をかけずに起きたルビーの様子を確認する。長い赤髪はソフィアがブラシをかけていてくれたのかまっすぐ伸びていた。
寝ている間はスープを布につけ口を湿らせていたが、食事をとっていなかっただけあり少しやせ細った気がする。
そんな彼女が左腕を持ち上げてじっと見ていたのだ。
胸の前に持ち上げられた彼女の左腕。
右腕はもう姿も形もないが、この左腕は繋ぐことが出来た。
鬼人族の怪力はいったいどこから来ているのか、その細く白い左腕は手首から先がブランと力なく垂れており、そんな左腕をただルビーは眺めていた。
「……動かない」
「……え?」
「左手が動かない」
「……え?」
「……だから……」
彼女の言葉が耳に入って来なかった。
ダイナはユリアさんに報告と治療士を連れてくると言って出て行った。
俺はただ、ルビーのいるベッドの隣にある椅子に座ったままだった。
気付いたら彼女は立ち上がって、ソフィアの持ってきた食事に口をつけていた。本当に言葉通り、皿やパンに直接口をつけていた。
でも、そんな彼女の突拍子もない行動が俺の意識をしっかりさせる。
「ちょっ、ちょっと! ルー、なにやってんの!?」
「ズルル……手が動かないんだ仕方ない」
「仕方ないじゃないよ! あぁ、そこらじゅうスープでビショビショ……」
「なかなか美味いな!」
「分かったから落ち着け! ホラ、食わせてやるから!」
「えっ、シンが奴隷の世話をして食べさせるのか!?」
ソフィアは無視して、俺はパンを千切り雛鳥のように口を開けるルビーに与えた。
あまり、表情を変えないやつだけど、たぶん嬉しがってる気がする。
少なくとも手が動かないから悲しいって気持ちは彼女から感じられなかった。
それが俺の心を少しだけ救ってくれた……
◇◆◇◆◇
そんな訳で、今俺は買った奴隷の世話しているという謎の状態だ。
冒険者ギルドからの尋問の日々もやっと落ち着きを見せ、ダイナは元々住んでいた借り家に帰って行った。宿屋暮らしだった俺とソフィアは破格の値段のここに住み着いている。
しかし、しかし、だ!!
意外と食費がかかる!
最初こそ寝ていた分を食べているのだろうと思っていたが、このルビーさん……すげぇ食べる!!
俺の三日分を一日で消費するのだ。しかも何故かそれだけ食べても太らない。お前どんだけウ〇コしてんだよ!?
と、問いたくなるほどだ。
今はルビーが倒してくれたデスサイズの魔核などを売った金やソフィアの緊急依頼の報酬などで二十万ほどの余裕はある。
ソフィアへの十五万も貸し付けたままだ。
しかし、一日八千ガルドほど食費で減っていっている。特に最近は依頼も受けていなかったので、金がみるみる減るだけだった。
さて、八千ガルド……それは薬草積みで賄うならば、有に四千以上の薬草が必要になる。そんなに摘み取ったら薬草がマッハでこの周辺から無くなるのではないだろうか。というか、俺一人で一日にそんなに採れない。
そこで俺は決めたのだ。
「クラスを上げよう!! そうすれば、もう少し高い依頼にありつける。ルー、ちょっと冒険者ギルドに行ってくる!」
「それじゃ、私も行くとしよう。まだシンに金を返せていないからな」
「……なら、私も行こう」
「え? ルーも来るの?」
「……悪いのか?」
「いや、別に……」
まぁ、もう二週間だし大丈夫か。
目覚めた時から随分元気そうだったが、一応外出は控えていたのかしていなかったのだ。彼女にとって久しぶりの外出になるだろう。
「あぁそうだ、もう無理はするなよ?」
「……ん」
俺とソフィアが連れ立って道を歩く。今は特に考えることなく【真のマスク】をつけているのだが、この町に斉藤がいるかもしれないので俺は基本的にこの【真のマスク】を着けるようになっていた。
それにしても後ろからついてくるルビーが何処と無く嬉しそうだ。
いや、特段笑顔って訳では無い。というよりいつも通りの仏頂面だ。
しかし、なんだか足取りも軽いし何処と無く嬉しそうな雰囲気なのだ。
久しぶりに外に出れて嬉しいのだろうか?
しかし、彼女は他の奴隷の皆とは違ってキョロキョロと町中を見ることもなく、まっすぐに俺の後頭部を見て付いてきている。
なんなんだろう? 視線で俺の後頭部をハゲさせる気なのだろうか? 流石に気になったので話しかける。
「ど、どうしたんだルー? なんか様子がおかしくないか?」
「あぁ、楽しみだ」
「そ、そうか……ん!? そうか!」
何が? とは聞かなかった。俺は思い出したのだ。
二週間もかかってしまったがそれは大切な約束だった。
こんな姿になるまで頑張ってくれたのだ約束は果たすべきだろう。
すっかり忘れていた、危ない危ない……
「ソフィア、冒険者ギルドの前に少し案内して欲しい所があるんだけど……」
「ん? いいぞ、どこに行く?」
「……宝石商!」
……
そこは金銀財宝が展示されている宝石商。
この世界じゃ高価な透明なガラスに入れられ数々の宝石が展示されている。
触れることも出来ないような高価なそれらにルビーだけでなくソフィアも目を輝かせた。
と言うか、ソフィアがこちらをチラチラ見てくる。
なんだか期待しているようだが、残念だったな手持ちの金では一~二桁足りない。
「それで、お前が言っていた……」
「オイ、君! 奴隷が主人に向かって『お前』はないだろう!?」
「……そう呼んでもらいたくないならそう命令すれば良い」
「まぁまぁ、ソフィア、俺はいいから……」
「ふんっ、所でルビーはどこだ?」
ルビーはルビーを探していた。
ただ俺に聞かれても分からない、えーっと……とそれっぽい宝石を探していると、それを見ていた店員に接客されてしまう。
金もないので買えないのがなんだか心苦しい。
「ルビーをお探しですか? それでしたら……」
「違う、お前には聞いていない」
「え?」
ルビーはこちらを見てくる。
ガン無視された店員はタジタジだ。
ソフィアも好き放題しているルビーに若干呆れつつ事の成り行きを見守っていた。
「ルビーはどれだ? 本物じゃなくてもいいんだ、お前がそうだと思う物を教えてくれ」
「え? えっと、それじゃ……たぶんこれ?」
俺は近くにあった真っ赤な宝石を指さす。
四角にカットされ、金細工を施されたブローチだった。
透明なその石は内側から燃えているかのように綺麗に輝いている。
ルビーなんて俺は本物を見た事がなかったけれど、きっとこのくらい綺麗だと思う。
「そうか、これが……とても綺麗だ」
そう言って、真っ赤な宝石を見て口角を上げるルビー。
直ぐにいつもの顔に戻っていたが、オレは確かに見た。それはほんの一瞬の出来事だったけど、見間違いなどでは無い。確かにルビーは笑っていたのだ。
嬉しそうに、そして、照れ臭そうに微笑んでいたのだ。