序章幕間:奴隷商
……ここは『ケビンの奴隷商』と呼ばれている。
なんてことはない、奴隷を販売しているただの商店だ。
小洒落た店名など持たず、店主である“ケビン”の名を持って呼ばれている小さな小さな店だった。
しかしながら、この王都アルハスにおいてはケビン、そしてこのケビンの奴隷商はそれなりに有名である。町の中に限れば、多くの者に知られているし、信用力も高く、幾人かの貴族とも取引があるほどなのだ。
そんなケビンの奴隷商の店舗の中、受付に立つこの店の店主ケビンはため息をついていた。
「……あーあ、やらかしたなぁ」
ボソリと独り言を呟く。どうやらケビンは後悔しているようだ。
ダンジョンへ向かうと言って、毎日のように来店し奴隷にご執心だったあの仮面の客がここを発ってから今日で既に三日目。売れ残っていた片腕の鬼人族の女を買ってくれたのは良かったのだが、それきりここへはパッタリと来なくなってしまったのだ。
他の売れ残りの奴隷全てを買うからと言って炭鉱へ売り渡すのを待たせてる癖に、この三日間一向に顔を出さないのだからケビンも色々と考えてしまう。
そう、例えばダンジョンへ潜るとかと言っていたので、もしかしたらもう死んでいるかもしれないのだ。
「あぁ、こんなことなら先に金になりそうな担保でも置いていってもらえば良かった……死んでしまったら金を巻き上げることもできない、勿体ないなぁ……」
受付の机につっ伏すように項垂れるケビン。ただ、客が来ないにしてもこのままいつまでもウダウダ考えていても仕方が無いので、売れ残りの五人には一応これからのことを話しておくことにしよう。そう思い立ち上がった。
向かった先は奴隷達の部屋の中でも一番奥、売れ残りの奴隷達の部屋。
「おいお前ら、あと三日ほど待ってここにシン様が現れなかったらギルドに生存確認しに行くが、結果次第によってはお前らは炭鉱送りだ。覚悟しとけ」
「そ、そんな……この子だけはっ!」
「そ、そうですまだこんなに小さな子供を……それに生存確認なら今すぐギルドに行けば……」
「オイ、奴隷がここの主人であるケビン様に向かって口を出すな ! 少し客が着いたからって調子に乗っているのか? お前らの主人は炭鉱の主になるかもしれんのだからな! 少しは分をわきまえろ!!」
等と口出ししたのもまたケビンの奴隷である『ネルネ』という娘であった。
このネルネ、二十四時間営業のこの奴隷商にて夜から朝までの時間帯、ケビンから仕事を任されている奴隷なのだ。
現在時刻はとっくに日が落ちた夜。もうすぐ交代と言うことでケビンと一緒に行動しているのだが、どうやら当のネルネもガッツリ口出ししているあたり調子に乗っているようだ。
彼女の顔はここにいる五人の奴隷ほど悪くは無いが最上級という訳でもない。元々、お手頃な値段の奴隷であった。
しかし、ネルネは頭が良かったのだ。知識があるというより物覚えが良かった。そのため売れる前にそのことに気付いたケビンはある程度の自由時間と給金を与え、そのままこの奴隷商で働かせているのだ。
ただ、仕事は出来るのだが細かいところは決して完璧とは言えず、こうして調子に乗ってしまう部分や自分本位な部分にケビンは額に手を当ててヤレヤレと項垂れていた。
「それじゃあネルネ、私はもう寝る。後は任せたぞ? シン様が来たら普通に対応しろ。わざわざ炭鉱の話はしなくて良いからな?」
「はい、お任せを!」
そして、ケビンは寝室へ向かう。
と、その前にいつも通り軽く夕食を取り、体を拭くことにした。
ケビンは毎日、寝る前と朝くらいしか自由な時間を取れない。あとはずっと奴隷商の商いの時間だからだ。
そんな彼がパンを一つ取り出し一口齧ると、そう言えば……と、あることを思い出す。
「あぁ、シン様が来なくなったからあの五人はここんところ飯を食べてないのか? いつもパンを持ってきてくれるから何も出さずにいたが、このままあと三日も何も飲まず食わずしたら餓死しちまうかな? まぁその前にネルネがどうにかするだろう、あいつは俺より奴隷側の人間だからな……ここでの商品達の気持ちはよく分かっているはずだし……」
などとは上手くいかなかった……
ネルネは必要以上のことはしない。
奴隷に食事を与えることはあってもそれは本当に必要があれば、だ。
セラ達五人はシンに与えられたパンをこういう時のためそれぞれ残しており、細々と食い繋いでいたことをネルネは知っていたのだ。そのためひもじいながらもなんとか食べ物がある奴隷にわざわざ食事を用意することはなかった。
というか、基本的に顔さえ見に行くことはなかった。
そうしてケビンが寝息を立て始めたころ、レンタルのため出来ていた人々の列も落ち着いた時分、ネルネの元に一人の女騎士が現れる。
こんな夜の時間帯、列を組むのは男性ばかりだ。そんな中に女性のお客様は珍しい。しかもとてもじゃないが綺麗な方とは言い難い容姿だ。
ただ、まぁこのお顔では男の奴隷でもレンタルしに来たのだろう。ネルネはそう思いつつ接客した。
「いらっしゃいませ、当店は可愛い男の子の奴隷から屈強な男らしい男性奴隷まで幅広くご用意させていただいております。本日はどのようなご予定で?」
「か、可愛い男の子!?」
「はい、なおレンタルの場合ですと数えて二回目の日の出までその奴隷の一パーセントの料金をいただきます。よろしければ奴隷を見てから御検討ください……」
「あっ、ちょっと……!」
ネルネは女騎士の話も聞かずに奥へ進む。
こういうのは勢いだ。特に女性は恥ずかしがったりするのでグイグイ押さなければならない。あのお客様は顔も恵まれていないので男に飢えているのだろう、良いカモだぞ。
ネルネはそう思いつつ足を早めて少年奴隷達の所へ向かった。
その後、女騎士の前に連れ出されたのは五人の少年奴隷達だ。
猫っ毛の優しそうな少年や鼻の頭に傷があるヤンチャそうな少年、メガネをかけた理知的な少年に、素朴な雰囲気の爽やかな少年、自らの金髪が気になるのかずっといじっている顔立ちの良いマイペースな少年等、女騎士にとってその誰もがとても魅力的な少年達だった。
しかし、女騎士がここに来た理由はこんなことではないのだ。首をブンブンと横に振ると、ネルネに要件を告げる。
「す、すまない、用件なのだが、シンを知っているか? 今日はパンを持ってくるよう頼まれたのだ! それさえ言えばきっと分かると言われていたのだが大丈夫だろうか?」
「シン様? あぁ、パンですね! もぅ、この前私はこれ以上食べたら太るからいらないと言ったのに、律儀な方なのだから……」
女騎士ソフィアがネルネに手渡したパンは五つ。
えぇ五つも!? もう、こんなに食べきれませんよぉ! とネルネは言うが、それはもちろんネルネの物ではなくセラ達の物だった訳だが、シンもケビンもいないこの場では誰もその間違いを訂正できなかった。
ソフィアもパンは五つもあるのだから五人の奴隷に一つづつあげるのだと思っていたのだが、あまりに悩むことなくネルネが受け取ったため、そうなのかと納得するしかない。
そして、そこでソフィアはハッとあることに気付く。
「そ、それと少し待っていてくれ!! 私からももう一つ渡したいものが……ちょっとそのまま待っていてくれぇ!!」
そう言うとソフィアは急いで外に飛び出していった。
部屋の中には五人の少年奴隷とネルネがあまりの突然の出来事にポカンとしたまま取り残されている。
そして、すぐにゼーハーと息を切らしてソフィアは帰ってくる。その腕の中にはパンが五つ抱かれていた。
「え? なんですか? 私、そんなにパンばかり貰っても食べきれませんよ、どうせなら飲み物かデザートを……」
「違う、君のではない……ハー、ハー……そ、そこの五人の奴隷の少年達にさ、差し入れだ」
「……はぁ、そうでしたか」
なお、この少年奴隷達は愛玩用奴隷だ。
体型維持のため食事も管理されている。確かに美味しい物は食べれていないのだが、特に食事に困っている訳では無いのだ。
だからと言ってパンを貰い、食べることくらいはそこまで問題もないのだけれど、五人の少年奴隷達は引きつった笑顔になる。
渡す人物が人物だからだろうか?
しかし、彼等は奴隷の身、嫌でも贈り物は笑顔でもって受取るしかない。
自らの善行に満足してか、少年達にパンを恵むことで好意を抱いてもらえると思ってか、ニコニコと満面の笑みでパンを手渡すソフィアとは対照的に苦笑いでパンを受取る少年達。彼女に気に入られないように、しかし失礼はないように無難な対応を心がけていた。
「はい、これ!」
「あ、ありがとうございます……」
猫っ毛の少年は頭を下げる。
しかし少年はあまりにソフィアの顔が見るに耐えがたいためか、そのまま頭を上げることは無かった。
そんな様子を見てソフィアは恥ずかしがりだなぁと微笑む。
「よし、次は君だ!」
「い、いらねぇよ、俺達ちゃんと飯貰ってるし!」
ヤンチャそうな少年はなんと奴隷とは思えない行動を取る。
客からの贈り物を拒否すること等あってはならないのだ。
しかし……このこのぉ、これがツンデレってやつかぁ?
等と盛大に勘違いしながらソフィアはパンを無理やり手渡した。
いつもならばすぐ自己嫌悪に走るソフィアだが、奴隷相手ならばある程度優位性が確保されているためかネガティブになる様子もない。
次の少年に向き直る。
「はい、パンだよ?」
「……」
メガネの少年は黙りこくってしまう。
この女騎士の奴隷になってしまったらどうすれば良いんだ!?
そのことを考えて思考がフリーズしてしまったのだ。
パンをもらえてビックリしちゃったのかな? 等とソフィアは気にせずに次の子へパンを渡しに行く。
「はい、パンは好きじゃないかな?」
「えっと、いや……あの……」
純朴そうな爽やか少年はなんとか拒否できないかと頑張るが、要りませんの言葉を持ってしても今のソフィアからパンを拒否することは無理だった。
軽く悲鳴を上げる少年も無視してその手にパンを握らせる。
ソフィアの善意は止まらない。
「はい、君にもパンをあげよう! 今回は買ってあげられないけれどこれで我慢してね!」
「……はは、ははははは……あはははは」
どうやら金髪でマイペースだった少年は少し壊れてしまったようだ。買う買わないの話なんてされてしまったら本人は笑うしかない状況なのだろう。
ソフィアはそんなに嬉しかったのか、また来ようかな等と恐ろしいことを考えていた。
ソフィアに買われること、気に入られることを奴隷達が恐れているという事実に全く気付かず、遠慮しなくて良いんだ、食べてくれ! 等と声高に言うソフィアだったが、少年奴隷達はハハハ……と乾いた笑いを返すのみだ。
これも数少ないソフィアの自尊心が保てる場所なので仕方がない。一般人相手だと彼女はどうしても自分を卑下してしまうのだ。
その後、奴隷達は買われなくてホッとするが、ソフィアはパンを恵んであげて喜んでくれた(と本人は思い込んでいる)ことが自己満足に繋がっていた。
……
翌日、ケビンは目覚めるとまずネルネと店の様子をチェックする。
特に変わったところはない。ネルネにも話を聞いたが特別なことと言えば、女騎士が来たとの報告程度であった。
女性が来るのは珍しいことだが少年奴隷達を見せたらどうやら気に入ったようだと言っていたので、品定めにでも来たのだろうとケビンは考える。
「ふむ、ただ、本当に騎士様ならば、神剣騎士ユリア様のようにお屋敷まで我ら奴隷商を呼ぶのが普通なので冷やかしか店の雰囲気を見に来た可能性が高い……好印象を与えられたならばもう一度お顔を伺う機会もあるだろう。失礼のないようにな、ネルネ!」
「ふぁい!」
「ん? ところでお前太った?」
「き、気のせいですよ!!」
ネルネは一晩でパンを五つも食べてしまったことをケビンには黙っていた。
流石にパンを一度に五つも食べれる食い意地の張ったヤツなどそうそういないので恥ずかしかったのだ。
おかげでシンの話はケビンにも五人の奴隷達にも伝わることはない。
シンの代わりにパンを届けに来たソフィアはただ少年奴隷を気に入った女騎士としてネルネからケビンへと伝えられていたのだった。
今日も奴隷商は奴隷を買いに来るお客様で賑わう。
ケビンは少しでも儲けようとあれこれ考え、ネルネは寝る前に少し腹筋しておこうと思いつつケビンに引継ぎをする。
いつもと変わらない日々が今日もまた始まる。
奴隷商の部屋の隅にはゴミ箱の中に静かに五つのパンが捨てられていた。