① 始まりの森
「は、はっくしゅっ!」
針の様に鋭い冷気が鼻を刺激してきます。
その寒さにより引き起こされたくしゃみにより、目を覚ましてしまいました。
「ふあ」
真っ暗で何も見えません。ここはまだ夢の中なのでしょうか。
部屋の中は電気を消した時、こんなにも真っ暗な空間だったでしょうか。
暗すぎて自分の身体すら見えません。
自分の体がある場所を見ても、そこに見えているのは暗闇だけ。
自分の存在が消えてしまっったかのようで、得体の知らない怖気を感じます。
なんですか、これは。
世界は魔王にでも征服されてしまったのでしょうか。
魔王の力により世界は闇に包まれた、君の冒険はここで終わってしまった……なんてある訳がない。
わたしたちの住んでいる地球、その中でも平和な国である日本に魔王なんていません。
魔王にコスプレしている人ならいますが、本気で世界征服を企み世界を闇に包もうなんて考えて、
闇の力とか魔法の力で人々を混乱に陥れるなんて人物はいないはずです。
リア充を爆発させようとしている人は割とよく見かけたりはしていますが、
本当に爆発させることができる魔法使いがいる訳がありません。
リア充は爆発したりなんてしない、それが現実。
きっと目がきちんと開いていないために、いつもよりも暗く見えているだけでしょう。
「うー、寒い」
寒さから身を守ろうと、布団に包まろうとします。
ですがそこにあるべきはずの布団はなく、わたしの手はむなしく空を切るのでした。
「あれ?」
背中に伝わる感触も妙な感じがします。
フワフワした羽毛の感覚ではなく、どっしりとした固い感じ。
ベッドの在るべき場所に手を置いてみました。
先が少し尖っていて、ざらざらとした感触、この感触は草でしょうか。
触れただけではそれが本当に草なのか、よくわかりません。
バラエティ番組とかで、何が入っているか分からない箱に手を入れて、
入っているものを当てるというものがありました。
それを今、自分が体験することになるとは、人生とは何が起こるか分からないものです。
他に何か情報はないのかと、耳をすませて音を聞いて見ることにしました。
冷たい風、風の音、風で草木が揺れている音がしています。
この手で触れているものは草で間違いないはず。
見えないので核心は持てませんが、そう仮定して考えを進めます。
「えーっと……」
草が生えているということは、ここは外である可能性が高い。
わたしの家は古いですが、流石に草は生い茂っていません。
そもそも、草が生い茂っている家なんて見たことがないです。
となると、ここは家ではない別の場所ということ。
実は野球場やサッカーグラウンドで、触れているものが芝という可能性もありますが、
わたしの住んでいる贅沢山町、その付近に野球場やサッカーグラウンドはありません。
このド田舎の贅沢山町で草のような物が生えている場所は、外しかないはずで。
外で草が沢山生えている場所となると、公園とか、森の中、山の中の何処かでしょうか。
贅沢山町はド田舎といっても公園の中には外灯がありました。
この場所は真っ暗闇なので森か山ということになります。
よりによって、わかりにくい場所に来てしまっているみたい。
町によっては、森や山というだけで場所がわかる所もあると思いますが、
贅沢山という町は森が多く中央に大きな山があり、
町を囲むように山脈が連なっている盆地と言われる地形になっています。
真ん中にでっぱりのあるすり蜂型と、よく担任の先生が例えていました。
森も山も多い地形なので、森か山ということがわかったというだけでは、
ここがどこなのか特定することが難しい。
森か山かは歩いてみて、登り下りがあったのなら山で、
ずっと平地であるのなら森ってことでいいのでしょうか。
どっちかというのは深く考える必要はないかも。
分かったところで、町にある山の場所、森の場所を事細かく理解できているわけではないので、
現在地を探るための大きな収穫にはならなそう。
でも、決めておかないと考えるときに混乱してしまいます。
地面を触る限り斜めにはなっていないようだから、一先ずは 《森》であるとしよう。
問題は、どうやって森の中に来たのかということになります。
それについては、少しばかり心当たりがありました。
なぜか、というと――眠る前に見たテレビ番組で夢遊病特集がやっていたのです。
夢遊病とは睡眠時遊行症とも呼ばれていて、何らかの原因で睡眠中に無意識の状態で起きて、
歩いたり何か異常行動をとってしまうこと。
再び眠りにつくのですが、本人はその間のことをまったく覚えていないのだとか。
覚えていない、それが怖い。
子供に多い病気で主にストレスとか興奮した状態で眠りに就くことが原因とされるらしい。
わたしは寝る前に興奮していました。夢遊病のテレビ番組をみたせいか、
睡眠のことについて考えを巡らせ、ベッドのぬくもりにつつまれることでその興奮は加速。
そして、無意識で行動していたときのことを覚えていない。
無意識で外まで、この場所まで歩いてきて再び眠りに就いたとしたら――。
なんとなくですが、当てはまっている気がします。
今までこんなこと一度もなかったと思うのですけど。
夢遊病になってしまったと考えると、今の状況に一応説明がつく気がします。
――と、考えたものの。本当に夢遊病になったのかはわかりません。
他に考えられる理由も思い浮かばないけど、答えが分からないからこれは後回しにしましょう。
今は理由を考えるよりも、帰る方法を探すことを優先したほうが良い。
「むむむ……」
変なことを考えていたら、眠くなってきました。寝起きに考え事はキツいです。
「駄目駄目! こんなところで眠ったら風邪引いちゃう」
か弱き女の子がこの真夜中に一人で外にいるというのに、眠気は空気をよんでくれません。
このまま眠ってしまいたい気持ちは山々なのですが、外の森の中はあまりにも危険。
野犬などに襲われたりしたらひとたまりもありません。
不本意ですが、痛みを持って意識を現実に引き戻すことにします。
「目覚めよ、わたし!」
――気合一発。パァンッ! と暗闇に音が鳴り響きました。
両手でほっぺたを叩いたのです。……痛い、痛すぎるよ。でも、目は冴えて来ました。
「強く叩きすぎたかも……」
ひりひりして熱くなったほっぺたを両手でおさえて冷まします。……涙がでそうです。
気合を入れると言っても限度がある。強く叩きすぎては逆に気持ちがへし折れてしまいます。
でも、ききめはばっちり。お目目もぱっちり。
そして、この行動でわかってしまったことがあります。
それは今起きていることは夢ではない、今まで見てきた夢と一緒じゃない、
まぎれもない《現実》だということ。
夢と現実がわからなくなった時、判別するために一番簡単な方法と言われているのが、
痛みを感じるのかを調べることだと言われています。
ポピュラーなやり方はほっぺたをつねることにより、痛覚を刺激するという方法。
つねるどころではなく涙がでそうなほど強く叩いてしまいましたが、わたしはしっかりと痛みを感じた。
夢であったならどれだけよかったのだろうか。
夢であるその可能性があるからこそ、危機感を持たずにいられたのに。
現実なんだ、そう思うと足が震えてきます。
もしも、もしかしたら一生帰れないかもしれない。
そのもしかしたらが起こってしまったら、
あの暖かい居場所に帰れなくなってしまうということだから。
「もう、ここはどこ何ですか! 誰かいませんかー!」
声が闇の中で木霊します。
叫んでも、帰ってくるのは自分の声だけで周りには人がいません。
人がいない暗闇がこんなにも不安と恐怖を煽るものだとは思いもよりませんでした。
足が小刻みに震え始めています。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。
晩御飯のセロリを残してしまったことに対しての罰を受けているのでしょうか。
あの美味しくないセロリだって農家の人が汗水たらして作ってくれたものです。
それを残してしまい、その努力を踏みにじってしまったという報い。
これがそうだというのなら、甘んじてそれを受け入れる所存ではあります。
受け入れはしますが、セロリと和解することは金輪際ありませんけど。
恐怖のセロリ王の呪いによって、わたしは闇の中へと閉じ込められてしまった。
なんだか、意味の分からないことも考え始めてきちゃいました。
冷静に、冷静に考えよう。慌てるにはまだまだ早い。
セロリを残しただけでこのような仕打ちを受けてしまうのであれば、
日本にいる子供のほとんどがこの暗闇に招待されてしまいます。
セロリは子供が嫌いな野菜ランキングの常連にして王となりえる器を持っている。
青臭さと苦味で子供の鼻と舌を苦しめる罪づくりな存在。
セロリが嫌いだからと言って暗闇に放り込まれるのであれば、他にも人はいるはず。
父がセロリを残したということで、罰している可能性もありますが、
子供をこんな何も見えないところへポンッと放り込んだりはしないと思います。
今は理由より帰る方法を探すべきなのに、自分が何か悪いことをしたのではないだろうか、
それで罰を受けているのではないかと後ろ向きな考え方をしてしまいます。
いけない、後ろ向きな考えは捨てよう。
見るのはいつだって前、今必要なのは前向きな考え方。
歩いてきたのだとすると、同じように家から歩いてこれる場所なはず。
その場で立ち上がって、空を見上げました。
そこには月の光も、星の輝きもありません。
光ない世界、本当に暗闇です。見えないとどちらへ向かえば家に帰れるのかわからない。
「考えよう、戻るためのすべを、考えるの。……頑張れ、頑張れ」
頭の中で考えを巡らせます。
ですが、寝起き頭のせいなのか元から学がないせいなのか。
良い案は思い浮かびません。
でも、まずは動こう。このまま動かないでいるとせっかく覚ました眠気が加速してしまう。
ここでずっと待っているよりは、きっと動いたほうが良い。
適当に進んでいても、いつかは町につくはずなのだから。
「怖いけど、勇気を持って一歩を踏み出さなくちゃ、なにも始まらない。
後悔するなら、やらないで後悔するよりやって後悔する。……そうだよね」
自分にそう言い聞かせて、一歩を踏み出しました。
――途端、身体が前に倒れていきます。
「へぶしっ!」
無様な転びっぷりです。
不肖ですが、このわたくし、倒れるときはどんなことがあっても前のめりと、
そう決めておりますゆえ。
土下座みたいなポーズではありますが、これは決して負けを認めているわけではありません。
まだ頑張れます。目から涙はでてますが、これは強がりはでなく、決して。
草がクッションになってくれておかげで大きな怪我はないようです。
一歩を踏み出した時、地面を踏みしめたはずの足の感覚に違和感を感じました。
違和感の正体を探ろうと、手で足を触ってみます。
それは毛糸の靴下と思われる感触。
ということは眠ったときのままの格好で、そのまま歩いてきたようです。
靴を履いていない。着替えて靴を履いた状態で、外に出てくれれば良かったのに。
なんて不親切な夢遊病(仮)なのか。
もし本当に夢遊病になってしまったとしたら、眠るときは靴を履いたほうが良いかも。
お父さんに家の中で履ける靴を頼むか、学校の上履きを持ち帰るのもいいかもしれません。
森の中には木のとげや尖った石、人の通る道沿いならガラスの破片や釘など、
危険な物が落ちている可能性があります。
それらを踏んでしまわないように気を付けながら歩かなければ、怪我をしてしまいます。
ですが地面に落ちているそれらをこの暗闇の中、灯りなしで判別するのは難しい。
靴を履いていないとなると、一歩一歩、細心の注意を払って歩かなければいけません。
幸い毛糸の靴下を履いて眠っていたため裸足ではないのが救いです。冷え性に救われました。
涙を袖で拭って、もう一度立ち上がり、前へ進みます。
――ゴツン! 今度は、頭に衝撃。
「いったあ……! こんなんじゃあ、進めないよー!」
ぶつかった物に触れてみると手に刺さりそうなざらざら感。木だと思われる物体です。
転んだり、ぶつかったり。普段はそんなドジじゃないのに、見えないってかなり辛い。
光がある明かりがあることの利便性がよくわかります。
「せめて、お月様とか星の光があれば良いのになあ」
途端、パキンッと小枝がどこかで折れるような音が響いてきます。
足に小枝を踏んだような感触はありません。
何かいるのかと周りを見渡していると――
「……えるか? 聞こえるか? 応答してくれ!」
「ふわぁああいっ!」
妙に頭の中に響いてくる謎の声が聞こえてきました。心臓に悪い。
「うるさい、落ち着けよ。……挨拶はできるか? こんばんは、言葉通じてますか」
「こ、こんばんは? こちらか弱き少女、か弱き少女です」
自分が弱いことをアピールしておきます。
抵抗の意思がないことをいち早く相手に教えるための手段であり、ぱにくったりはしてません。
今にも心臓が飛び出してしまいそうですが。
「言葉が通じるようでなによりだ。お互い、無駄な時間はかけたくないだろう」
「え、あ、はい! そうですね?」
なにこれこわい。ぜんぜん姿が見えないのに声だけは聞こえる。
真っ暗だから見えないだけかもかもしれないけど、
こんな真っ暗な時間帯に何の用事で人が森の中にくるのでしょうか。
人じゃないという可能性もありえます。幽霊とか悪魔とか。
やめてください、もしそうだったら本当に心臓がとびでて死んでしまいそう。
「こちらは《異世界管理局員》のアウル・グスタッド。君はこの世界に何をしに来た?
目的を言え。もし隠すのならば、こちらもそれ相応の対応をさせていただくことになる」
異世界管理局員? 分からない単語がでてきましたが、何か疑われているように感じます。
「えぇと、眠って起きたら来ていました。目的とかはないんです」
「寝て起きたら、か。……なるほどな」
なにやら理解があるご様子。
気になっていたことを聞いてみることにしました。
「わたし、夢遊病なんでしょうか?」
「知るか、君がそう思ったのならそうだろ」
ばっさりきられました。なるほどなって思わせぶりに言ってたのにひどい。
「君は今、自分のおかれている状況をまったく理解していないようだな」
自分のおかれている状況とはいったい。考えつくことは、迷子である。それ一点のみ。
「はあ、目覚めたてなものでして」
「君はずいぶんとのん気なやつだな」
たしかに、のん気ではあったかもしれませんが、初対面の人に言われると悲しくなります。
初対面といっても、辺りを見渡しても真っ暗でまったく見えていないので、対面はしてませんが。
わたしには見えていないだけで、この声の彼には見えているのかな。
なんだか色々混乱してますゆえ、思考がぐちゃぐちゃです。
「その……、それでどのような状況になっていたり?」
「順を追って話そう。まず、とある世界。俺たちは《現世》と呼んでいる世界から、
この世界に転移してきた奴がいるのさ」
「ふむふむ」
よくわからないけど、とりあえず相槌はうっておきます。
そうすると理解はしてなくても賢く見えるのです。最初から頭悪いとは思われたくはありません。
「俺達の情報では現世にはまだ《異界転移》を開発できる技術力がなかったはずだった」
異界転移、言葉の通りなら異なる世界を行き来するということ、だよね。
「だが、それを行なったものが現れた。もし現世が異界転移の技術を手に入れたとしたら、
他の世界に大きな影響を及ぼすことになる。
まして、他の世界に攻め入るようなことがあれば……大混乱を引き起こすだろう」
異世界からの侵略者というやつですか。映画とか漫画でありそうな設定です。
「ということで、草木も眠る丑三つ時だっていうのにだ。管理局員は全員緊急招集がかかり、
大慌てでその原因探らされたのさ。調べた結果、とある人物が変てこな力を使い、
この世界《隠世》に来たらしいことがわかった。それで今、そいつを探している最中ってワケだ」
まとめると、現世と言われている所から隠世という所に異世界転移で来た人がいて、
世界征服的なことをたくらんでいないかを、探し出して吐かせようとしているってことでしょうか?
「それはまた、はた迷惑な話ですね」
「まったくだ」
彼はさっきの話の中で、この世界が隠世だと言っていました。
それがどこかわかれば、家に帰る道がわかるかもしれない。
わからなくても、家に帰るための道を教えてもらえるかもしれません。
「その現世からこの世界へやってきた迷惑な奴を今俺は探していてね」
「わたし、その現世も隠世と呼ばれている世界も聞いたことがないです」
「そりゃそうだ。現世の人間は自分の世界が何て名前で呼ばれているのか、まだ知らないからな」
話の内容がだいたいつかめて来ました。その探している人物のことも。
「この森は人里から離れすぎている。
その上、普通の人間が簡単に来れるような場所でもないようだ」
この人が探している犯人は、わたしだったようです。
そして、ここは異世界。眠って起きたら異世界に来ていました。
にわかには信じられない話ですが、そんな話を作って騙したところで何も得はありません。
だから、騙している訳じゃないと思う。たぶん、本当のことなんだ。
「あの、迷惑をかけてしまってごめんなさい」
頭を下げて謝りました。
その気持ちが届いたのかはわかりませんが、彼の声色が少しだけ優しくなります。
「まあ……、君が嘘をついていないだろうということは、よーく伝わってきた。
そのおかげで予想していた時間よりも早く終わりそうだ。だから、そんな暗い顔をするな」
まさか、眠るだけでそんな迷惑がかかるなんて思いもよりませんでした。
ガラスのハートにどんどん亀裂が入っていきます。罪悪感で今にも壊れてしまいそうです。
「さて、たいした目的もないのならば、早くおうちへ帰るんだな」
帰れるのであれば、そそくさと帰ってしまっています。
「帰り方が……わからなくて。その方法とか、アドバイスなんていただけたりは?」
「しょうもない奴だな、君は。自分の力を制御できてないのか」
その力とやらが勝手に発動したんです。制御できていたらこんなところに来ていません。
「……目覚めたてなものでして」
アウルは少し考え事をするかのように間を空けてから言いました。
「それもそうか。……そうだな。だから、目的もないのにこんな所をうろついているんだよな」
どうやら、納得してくれたみたいです。よかった。
「俺は今そこにはいないから、直接手を貸してやることができない。君に声が聞こえているのは、
テレパシーだ。君のアンテナに勝手に俺が電波を送受信している感じだな。そう認識してくれ」
「はい、わかりました」
この頭の中に響いてくるような感覚はテレパシーだったからなんだ。
これをみんなが使えるようになったら電話がいらなくなってしまいます。
「これから君をナビゲートする」
「わあ、ありがとう」
「俺も早く眠りたいんでね、頑張ってさっさと元の世界に帰ってくれ。一刻も早く颯爽とな」
よかった、なんとかうちに帰ることが出来そう。
異世界って聞いたときは吃驚してしまったのですけど、意外とあっさりと帰れるのかな。
「あの……それで、どうすれば……?」
「急かすな、喚くな、邪魔をするな。君がいる周辺のことをよく調べているんだ。
忠犬のように尻尾を振り回しながら、おとなしく待っていろ」
わたしは犬や猫の様に尻尾がある種族ではありません。
普通の人間なので尻尾を振ったりなんてできないです。
「はい、ごめんなさい」
この人、絶対にドSです。声色からして、ドSな雰囲気がかもし出されています。
他に優しい異世界空間管理局員の方がいらしたらチェンジをお願いしたい。
このままではハートを粉々に粉砕されて粉々になったカケラすらも消滅してしまいかねません。
「ふむ、この森を抜けた先に摩妖崖という断崖がある。その断崖の岬付近に魔女の館があるようだ。
魔女に会うんだな。そこにいる魔女なら君を元の世界に返してくれるはずだ」
ここは森であっていました。そして、魔女と来ましたか。
怖いおばあちゃんではなく、アニメとか漫画にでてくる可愛い方でありますように。
ドS異世界管理局員に進む方向を教えてもらって、魔女の館に向かい歩き始めました。
ですが視界は真っ暗のままで、手を前に何かないか探りながら歩いているためスピードがでません。
「もしもし、アウルさん、アウルさん」
「何か様か?」
アウルは不機嫌そうに言葉を返してきました。
贅沢山中学校の教師の中にも質問をされるのが嫌いという先生がいますが、
この人も同じタイプようで、声が低くなり不機嫌そうな感じが醸し出されています。
「灯りとかだせたりしません?」
「君はずうずうしいな」
「面目なく、ございます」
暗い所でも時間が経てば目が慣れるという話を聞いたことがありますが、
この暗闇はそんな生半可な暗さではないようで、闇を塗りこめた墨汁のように濃い黒さ。
濃密な黒色、光が一切届かない深海の奥底にでもいる気分になってきます。
暗い場所にいると、心もだんだん暗くなっていく……そう、幼心に聞いた覚えがありました。
人間には光というものは不可欠でなくてはいけないもの、だから光を大事にしなさい。
この言葉を口癖にしていた近所のお姉さんは、遠い昔に引っ越してしまいました。
幼いわたしには言葉の意味を理解することができませんでしたが、
光のない暗闇にいることでその意味を少しだけ理解できている気がします。
光を失ってしまうと、今のわたしみたいに迷子になってしまうのだから。
「ふん、仕方あるまい。小枝を拾え」
この人、実は素直なのでは?
足元付近の地面をまさぐり小枝を拾います。鉛筆くらいの大きさでしょうか。
「これくらいのでいいです?」と私が聞くと「ああ、問題ない」と直ぐに返事が返ってきました。
そして、そのまま持っているように指示を受けます。
――ふと、風が止まり、ピリッとした緊張感のある雰囲気になって
「闇を払う光の精霊よ、灯を担う者たちよ、幾千の星の一滴を発現させ、今こそ闇を光で滅せ」
アウルが言葉を紡ぎます。すると、持っていた小枝の先に光が灯りました。
どのような原理なのかは理解できませんが、黄色の明かりペンライトといえばいいのでしょうか。
振り回しても光は一切衰えず、ギラギラと輝き炎のような熱も持ち合わせているようです。
「わあ……すごい。明るいし、暖かい」
「その灯は、君にしか見えない光だ。それのせいで魔物や悪魔たちに見つかるということはない。
安心して使うといい。それと耳を澄ませてみろ、森の出口はもう少しだ」
耳に意識を集中してみました。
木々や草が風に揺れる音、そして水の音が聞こえる。
森を抜けた先には崖があるといっていました。この音は海の水が崖にぶつかっている音。
聞こえる位置であれば、崖が近くにあるということで、森の出口も結構近いはず。
「ふふふ、灯りがあるって素晴らしい!」
「おいおい、転ぶぞ。足元をきちんと見て歩け」
灯りを手に入れたことが嬉しくて、ライトを振り回しながら進みます。
足元も周りの風景もきちんと見える、おまけの効果でしょうが身体もぬくぬく暖かい。
冷たい風がもう気になりません。
歩くスピードも先ほどとは見違えるくらい速くなっていると思います。
ふと足元を見ると、照らし出された靴下がもうボロボロで無残な姿に変わり果てていました。
結構長い距離を歩いていて来たので、仕方がありません。
……無事に帰れたら綺麗に洗ってあげるから、もう少しだけ待っててね。
「……これ、雪? アウルさん、綺麗な雪が降って来てるよ」
ひらひらと青白く光る雪が空から降って来て、森を明るく照らし出しました。
目の前に幻想的な光景が広がっていきます。
思わず足を止めてその場を見渡し、くるりくるりと踊るように回りました。
木々にどんどん雪が積もり、光る雪は電飾のたくさんついたクリスマスツリーのよう。
次々とライトアップされていく木々にワクワクが止まりません。
その場で雪を始めてみた子犬の様にはしゃぎ回っていると、鈴の音が聞こえてきました。
何だろう、ソリにのったサンタさんが良い子の私にプレゼントを届けにやって来たのでしょうか。
「――おい! 早くこの森を抜けて魔女の家に向かうんだ!」
「え? ……うん」
アウルが声を荒らげて叫びます。なんだか、すごく嫌な予感。
「急いで、走れ!」
「わかりました! 走ります、走りますよう!」
光る小枝を握り締め、森の出口に向かって走り出しました。
雪のおかげで小枝をかざさなくても地面が見えます。木の位置が分かります。
これなら恐らく転ぶ心配はないはず。
背中の方から鈴の音がリィン……リィン……とだんだんと近づいて来ているのがわかります。
鈴の音と同時に何かの蠢く地鳴りの様な音も響いて、空気の振動が肌に伝わって来て――。
「なになに、何ですかー!」
「絶対に後ろは振り向くなよ、恐怖で動けなくなるからな」
「ううっ」
見ただけで恐怖しそうな何かに追いかけられてるって怖すぎるよ。
見ないことで、逆に想像してしまって、恐怖倍増なんですけど!
頭の中で想像できる怖いものが、色々かけめぐっています。
「……何がきてるの! アウルーーッ!」
耐え切れなくなり、恐怖を払いのけるかのように震えた声で聞きました。
「君たちの住んでいる、現世の……日本といったか。そこの百鬼夜行に近い。魔物や亡霊、
悪魔に妖怪なんでもだ。それらを率いて魂を狩るマリトの軍勢、それが来ている」
「そ、それは怖い」
アウルは大きくため息をつきました。……ああ、その仕草が思い浮かぶようです。
きっと肩を大きく落としてダメだこりゃ、みたいな感じ。
「たまたまここを通りがかったんだろうが、君は運も持ち合わせていないようだな」
「不運に自信がついてきました」
「そんなのに自信を持つな、もう少し前向きに考えたらどうなんだ」
たしかにそう、少し不運がかさなったからって後ろ向きに考えちゃいけない。
色々なことがあって心が折れかけていましたが、これじゃあダメなんです。
前向きに、倒れるときはいつだって前のめりに。
「もしものことがあるかもしれない、だから説明しておく。
先程、君が持っている小枝にかけた光は闇を払う力がある」
「闇を、払う?」
それって、光の勇者みたいで格好良い。ただ手にしてるのは、ひのきの小枝。
「そうだ。本来なら直接鈴の音を聞いてしまった君は、その時点でマリトの闇に魂を抜かれていた。
君のおねだりは大正解だったな」
「ふ、ふふふ。日ごろの行いが功をそうしました」
灯りを欲しがらなければ、もう死んでしまっていたらしい。過去のわたし、グッジョブ。
「何かあったら、遠慮なくどんどんおねだりしちゃいますね」
「……無事に送り届けるのが仕事だ。善処はしてやる」
「わぁい! さっそくですが何か乗り物とか出せたりしません? 走るのしんどくって」
「ない、自分で走れ」
「は、はい……ごめんなさい」
善処するといったわりに、思考時間がノータイムな返答です。
「君のそのずうずうしさ、見習いたいものだな」
「任せてください、その道で私の右に出るものはいないと自負してますから」
ずうずうしくして、本当に良かった。もっと、もーっと貪欲に生きよう。
「あの軍団の中の何かが君の事に気がついて、追いかけてくるかもしれない。
追いつかれても、もう駄目だと諦めるなよ。最後まで足掻いてみろ、生きたいのならな」
「うん、頑張るよ!」
「良い声になったな。……必ず帰してやる、心配はするな」
必ず帰る、わたしの好きなあの場所に。
走りながら心の中で深呼吸をします。大丈夫、大丈夫。
犬の遠吠えが森の中を木霊します。
それに答えるかのように、雪が止み風が嵐の様に吹き荒れて、
風が耳をふさぎたくなるような音をあげはじめました。
雷の轟音が鳴り、馬のいななき、蹄の音。
他にも聞いたことのないような吠え声をあげて、たくさんのモノが近づいて来るのがわかります。
全身から汗が噴出し、身体の全体が危険信号を発して早く逃げろと急かしてくる。
「……まずいな、群れからはぐれて黒い犬が二匹ほど君を追いかけてきている」
「もー! わたし、足遅くて……逃げ切れる自信ないよっ!」
小学生のマラソン大会で後ろから数えたほうが早いくらいの足の速さと持久力を兼ね備えたほど、
運動は苦手分野でありまして、普段から運動しようとは思わない系のインドア派なんです。
「だろうな、ノロすぎる。もっと運動をして体を鍛えておけよ、君は牛か」
「今言われましても、もぅ~~!」
「もーもー鳴くんじゃない。去勢されて、ブクブクと太らせられたあげくに、
程よい年頃になった時、切り刻まれて食べられたいのか?」
「それはいや。絶対やだ」
畜産を営んでいる農家の方々、特に肥育農家さんにはとてつもなく感謝をしています。
もちろん、牛肉だけでなく牛乳を主に生産してくれている酪農家さんにも。
けれども、自分が同じ立場になったとしたらそれはもう嫌でしょう。
自分が美味しく食べられることで、みんなの命の糧になるだなんて自己犠牲精神は正直ないです。
大切な人たちを守るために命を張れるのであれば、話は少し変わるかもしれませんけども。
こんなことになるならもっと運動して身体を鍛えておけばよかったです。
太股も二の腕もぷにぷにである、これはまずい。
「それにしてもすごいヨダレだ。あまりの量に口から水を吐いてる様に見える。
犬どもにとって、君の匂いはなかなか美味しそうな匂いみたいだな」
「うわぁあい、嬉しくない!」
冷静な実況をありがとうございます。
口から涎を水の様に吐きながら追いかけてくる黒い犬ってなんですか。
怖い、怖すぎるよ。どれだけお腹を空かせちゃってるの、飼い主さんはちゃんと餌をあげるべき。
犬に食べられて死ぬなんて、そんな惨い死に方、絶対嫌です。ごめんこうむります。
「このままじゃ、魔女の館につく前に追いつかれそうだな。……まったく、世話のかかる奴だ。
そのまま足を止めずに、走りながら聞けよ。追いつかれるからな」
――追いつかれそう、その一言に身体から血の気が引いて、冷たくなっていくのがわかります。
けれども、まだ諦めない。帰るんだ、絶対に。
「モチのロンです。まだまだ、死にたくないですものー!」
「良い返事だ。奴等は君の匂いを追ってきているようだ。
だから、その履いている靴下を走りながら、適当に脱いで投げ捨てろ。両方ともだ」
言われたとおりに走りながら、靴下を左、右と。左右に脱ぎ捨てます。
転びそうになりましたが、なんとか気合で待ちなおしました。
「こ、これで大丈夫?」
「大丈夫、とは言い切れないが……時間稼ぎにはなるはずだ。そのまま突き進め」
「うんっ! 頑張る!」
全力疾走で森を抜けて断崖に出ました。
断崖の岬がみえますが、魔女の館が見えません。
「んうっ……アウル、ないよ! 魔女の館がない!」
「大丈夫だ。魔女の館はたしかにそこにある。不可視の魔法がかかっているみたいだな。
俺を信じろ、あの岬から真っ直ぐ海に向かって飛び込む感じだ。
感じというか……もう飛び込め!」
飛び込むんですか、すごいこといいだしましたよ、この人。
少し投げやりになってませんか、大丈夫なんですか、それで。
「信じていいんだよね、それ。本当に飛び込んじゃいますよ、信じちゃいますからね」
「安心して信じてくれ。死んだら後で骨を拾い、お前の家に届けてやるから。花も添えておこう」
「それ、フォローになってない!」
白い息が口からこぼれ、心臓が爆発しそうなほど激しいビートを刻んでいます。
足が棒になりそう。でも、走ることはやめない。
ここで止まってしまったら、死んでしまう。そんな気がするから。
「はぁ、もって足! も、もうすこしだから!」
こんなに全力で走ったの初めてかもしれません。身体の節々が悲鳴をあげています。
「……落ち着いて、聞いてくれ」
「アウル? どうしたの?」
声色が重たい、そのおかげで次に発せられる言葉がだいたい予想できました。
「一匹は靴下と戯れているんだが、もう一匹が君の後ろに来ている」
「……うん」
頭の中は不思議なくらい冷静でした。
自分の足では逃げ切れないとわかってはいたから、こうなることも覚悟していたからです。
少し怖いけど、少しどころかとても泣き出したいくらいに怖い。でも、戦わないといけません。
「君が、その小枝の光で追い払え。タイミングは俺が教える」
「わかったよ、やってみる」
小枝を握る手が震える。心臓の鼓動が大きく聞こえてきます。
「スリーカウントだ、いくぞ」
「はいっ」
息を深く吸い込み、吐き出した。
「――さん、にい、いち、今だっ!」
くるりと後ろを向いて、小枝を真っ直ぐ前に突き出す。――当たった感触がありません。
小枝の灯りに照らされて黒い犬がヨダレを吐きだしがら、横にステップをしているのが見えました。
「ちぃっ、避けられた!」
アウルの悔しそうな声が聞こえます。
足が地に着いているのかわからなくなって、心臓の音が聞こえなくなる。
「右から来るぞ! 気を付けろ!」
ステップを終えた黒い犬が涎を大量に吐き出しながら、
わたしに向かって真っ直ぐに跳びかかって来ているのが見えました。
目の前の風景がどんどんと掠れていく、どうして……?
これは涙、恐怖と絶望、未練と後悔が入り雑じった雫が目から零れているから。
「諦めるな、最後の最後まで足掻け!」
頭に響いた力強い声が、掠れていた視界の霧を晴らしていきます。
そうだよ、まだ終わりじゃない。わたしは生きてるんだ。
生きてる限り、希望はあるはず、諦めるのは死んでから。
地に着く足に力を入れます。
呼吸が止まり、周りの景色がゆっくりになりました。
わたしは地を蹴り宙に跳んでいる黒い犬に向けて、両手で持った小枝を縦に振り下ろします。
――当たった感触はありません。
小枝の光に触れた瞬間、当たる感覚もなく黒い犬は煙の様に蒸発してしまったからです。
「……やったの?」
「ああ、君の勝ちだ。誇るが良い」
「よかった……やった! やったあ! やったよ、アウル! やったー!」
その場で飛び跳ねて喜びました。
どんな時でも諦めてはいけない、諦めなければ未来はきっと掴めるんだ。
「よくやった。臆せず立ち向かったその勇気に対して、俺は賞賛の声を惜しまない。
だが、靴下に向かっていた方の犬がこっちに向かってきている。まだ気を抜くな」
「わわっ、そうだね。急いで走らないと!」
危機を一つ乗り越えたからか、不思議な高揚感を感じています。
おかげで今までの疲れが吹き飛んでしまったかのように身体が軽い。
これなら、まだまだ走れそう。
「……ぐ……何だ? ……強い魔力で……妨害されて……? ……あと……じぶ……」
「アウル?」
「……しん…………ばれ……」
ノイズの様な音がはしりブツンッと何かが切れる音が聞こえます。
電波の届かない区域に入ったのでしょうか、彼の声が聞こえなくなりました。
「アウル、どうしたの? アウルー!」
追いつかれないように走りながら、
彼の名前を何度か呼びましたが、彼の返答がありません。
もう完全にアウルとのテレパシー電話が切れてしまったみたいです。
彼がいなかったら、ここまで来ることさえできませんでした。
きっと森の中で死んでしまっていたことでしょう。
また、いつか会いたいな。会って今日のお礼が言いたい。
「アウル……、ありがとう」
彼との短い思い出に浸りながら走っていると、岬の端に着きました。目の前には何もありません。
小枝で崖の下を照らすと大荒れの海。そこに魔女の家があるらしいのですが……何も見えないです。
見えないせいで心に不安の種が芽生えそう。
ここから真っ直ぐ飛び降りろと、そう彼はおっしゃってました。
不安がないと言ったら、それは嘘になります。見えないものを信じるのはとても難しい。
でも、彼は今日会ったばかりの私をここまで導いてくれました。
それが異世界管理なんとかの仕事だとしても、
彼が人を騙すような人間だとは思えない。
信じよう、信じるんだ。
震える足を手で叩いて、気合を入れます。
恐れを、不安を、振り切って、大きく大きく息を吸いこみ、ゆっくりと吐き出しました。
後ろからウオオオオォ――ンッと犬の遠吠えが聞こえてきます。
迷っている時間はありません。
「ええいっ! なせばなる、もうどうにでも……なれー!」
不安の種から生える疑心の蔦を引きちぎり、荒れた海に向かって真っ直ぐに飛びました。
身体に当たる空気、荒れている波の音。
そして身体に衝撃が走り、痛みと共に音も何も聞こえなくなります。
水の感覚も次第に薄れて意識も遠くなって、全てが真っ黒に染まっていったのです。
◇
次話は明日投稿予定。