⑮ 不安な気持ちと、幸せな君と
遅れてしまいました……。
部屋に布団をひいて、小さなランプを灯してわたしたちは横になりました。
静かな空間に冷たい風が舞い踊り、火照った体を冷ましてくれています。
「柚衣、まだ起きてる?」
「ふふっ、起きてますよ、文乃ちゃん」
天井を見ながら、できる限り声が震えないように話を繰り出します。
「その、お願いがあるんだ」
「何でも言ってくださいまし。私にできることでも、できないことでも」
「一緒の布団で、寝てほしいのだけど……」
「ふええええええっ! い、いいいいいっいっしょにですかっ!」
眠ることが不安だ。
目を閉じて次に視界に映るのは、この部屋ではなくまた別の世界である可能性が高いから。
今まで異界へ行きながらも無事に帰ってこれたのは、色々な人たちが助けてくれたおかげで。
一人だったなら、もう死んでしまっていてもおかしくありません。
エクレアがくれた腕時計のおかげで帰る術は困りませんが、
針が零時を指す前まで誰が守ってくれるのでしょうか。
「もしも……もしもだよ? 柚衣が異世界に跳んだらどうする?」
「どうするも何も、文乃ちゃんがいるこの世界に帰ってきますよ! 全力で!」
「そう……だよね」
わたしもそうだ。
元の世界に戻るために、色々と頑張ってきたつもりです。
「……一緒に跳んだとしたら? どうする?」
「一緒に、ですか」
着ていたもの、履いていたものは今まで一緒に転移することができていました。
じゃあ、人と一緒に眠っていたらどうなるのだろう。
一緒に眠ったからといって、異界へ転移することは変わらないかもしれない。
そもそも、どうして異界へ飛んでしまうのかもわからないのだから。
着用していたものは、そのまま一緒に転移してきているけれど、
人と一緒に眠ったらその人がどうなるかなんて、わかりません。
わたしは……、最低なお願いをしています。
どうなるかはわかりませんが、命にかかわる実験をしてしまっているのだから。
一人で行くのが怖いという理由で、柚衣を巻き込もうとしています。
「眠ったらね、また別の世界にいるかもしれない」
「文乃ちゃん……」
「今まで、色んな人に助けてもらったんだ。
一人だったら、もう死んでしまってる。ここでこうして柚衣と話すこともできなかった」
「はい……」
「その人たちがいない世界に行ってしまって、
誰も助けてくれる人がいなかったら……そう考えてしまったら、少し怖くって」
自分でも声が震えてしまっているのがわかりました。
必死に恐怖を抑えようとしても、それを超えるほどの恐怖が押し寄せてきます。
自覚してしまったのかもしれません。
夢を見るのがあんなに楽しかったのに、どうしてなんだろう。
「それでね……、一緒に眠ったら、もしかしたら一緒に……って考えてしまって。
……駄目だね。最低だ、わたし。
柚衣を巻き込みたくないのに、矛盾しているのは分かってるのに!
どうしてこんなに怖いんだろう、夢を見るのが楽しみだったはずなのに……」
怖さはどこから来ているんだろう。
この世で怖いことって、なんでしょうか。
死んでしまうこと、未知の世界へ行くこと、孤独になること?
怪物は怖いし、悪魔や幽霊だって人によってそれぞれに恐怖したりしなかったりします。
中には人間が一番怖いという人だっています。
父から恐怖というのは生物として防衛的な感情で、
安全への退避の動機を起こすために湧き出るものだと聞いた覚えがあります。
人は失ってから恐れるのではなく、失うかもしれないという思いで恐れを生み出している。
恐れることは、悪いことじゃない。
そうすることで、大切なものを守ろうとしているのだと、
雷に怯える幼いわたしのことを抱いて話してくれていました。
わたしは何を失うと思っているのだろう。
「何が怖いのかな……」
「……私が文乃ちゃんと同じ力を持っていたら、同じ様に怖がっていたと思います。
だって、誰も知り合いのいない世界で。
文乃ちゃんがいない世界で、人知れず消えてしまうかもしれないんです。
そんなの耐えられません。死んでしまっても、死に切れません」
誰も自分のことを知らない世界で死んでしまうことが怖い?
死んでしまっても、誰かが覚えてくれている限り人の思いはその意思は生き続ける。
でも、誰もが忘れてしまったらその人がいたということさえ、
消えてしまっているのと同義ではないのでしょうか。
たとえ、生きていたという記録が残されていたとしても、
調べようともしない限りはその事実はでてこない。
忘れ去られてしまっていたら、調べようとさえされない訳で。
忘れ去られた人は、果たして本当にこの世に実在していたのでしょうか?
誰もいない見知らぬ世界で死んでしまう、それはとても恐ろしいこと。
いなくなっても、住んでいた世界には遺体すら残らない。
見知らぬ世界では、自分の存在を知ってくれている人もいない。
その人が存在していたという、大事な証の一つである肉体が元の世界から亡くなってしまう。
生きていた、存在していたということを失ってしまうんだ。
そんな中で、わたしがいた事実を誰が覚えててくれるのでしょうか。
小木君の弟さんの話を聞いてから、
ずっと頭の隅に引っかかっていた小さな棘がチクチクと痛みを与えてきます。
異界転移というのは、わたしという存在が、
存在していたこと事態が記憶から消えてしまうかもしれない危険な力だったのです。
それに、あろうことか柚衣まで巻き込もうとしていたんだ……。
「ごめん、柚衣……」
「いいんですよ、文乃ちゃん。私をもっと頼ってください。
もっと、もっーと巻き込んでください。それが、私の幸せなんです。
この話を聞かせていただいたからには、例えっ!
文乃ちゃんに止められても、一緒の布団へ入らせてもらいますから!」
「……ごめん、ありがとう」
「謝るのは禁止です。私が文乃ちゃんを助けるのも当たり前なのでお礼もいりません。
お礼の気持ちだけで、天にも昇るほどに嬉しいのですけどもっ!
……文乃ちゃんが知らないところでいなくなってしまうのは耐えられないことです。
どうか私に、この私にっ! 文乃ちゃんを守らせて下さいな」
「……うん」
あーもう、一緒に町を守ろうと言っていた時の心は何処へ行ってしまったのか。
ここまで言わせてしまった自分の弱さが憎いです。
強くなりたい、精神的にも戦闘力的な所でも。
「でで、でわっ! お、お邪魔いたすますねっ!」
ものすごくきょどりながら、柚衣がわたしの布団へと入りました。
「あははっ、柚衣かみすぎだよ」
「は、はは、はじめてなものですから。き、緊張しちゃいましてっ!」
お互いの目が合い、顔を合わせて笑いあいました。
「文乃ちゃん、私があなたの盾となり、私があなたの剣になります。
だから、悲しまないで、怖がらないで。
どんなに遠い所にいても、私は文乃ちゃんと共にいます。
文乃ちゃんが悲しんでる時は、何処にいようと駆けつけて見せますから」
柚衣の温もりに包まれました。
頭を優しく撫でてくれるその手は、お母さんの手を思い出します。
知らぬ間に頬を伝っていた涙が止まり、安らかな気分で眠りについたのでした。
◇
書くことが難しいと改めて感じさせられました。
次話は29日予定。 以下、蛇足。
文乃は不安を感じてましたが、柚衣にとっては最高の一日だったりしました。
起きるまでは心配で堪らなかったのですが、その後秘密を打ち明けてもらったり、今まで話せなかった自分のことを知ってもらったり、その上一緒にお風呂に入って夜は頼られてしまったという。
そのせいで所々興奮なされてますが、文乃に頼られる立派な自分でありたいという理性でなんとか持ちこたえた模様。