笹の男、無名の勇士(戦国)
戦場は混沌としていた。
開戦直前から立ち込めていた霧は、はれつつあったが、視界は明瞭としない。逆に足軽たちの喚声や鉄砲の筒音、指図する太鼓の轟き、そして刃がしのぎを削る音が辺りを満たしていった。
まさに最前線。軍の先鋒同士がぶつかり、紅い雨降る修羅場に『笹の男』がいた。
百戦錬磨の十文字槍が、いま襲いかかろうとした雑兵の下腹を貫く。別の敵兵が背後に迫ったが、従武者がそれを阻んだ。従武者が一撃しようとした瞬間、槍の石突きが敵兵の顔面を抉る。男の槍であった。
「横取りですぞっ」
「鈍い貴様が悪いぞ」
兜の下、返り血を塗り重ねた顔の口端を吊り上げて互いにニヤリとしたが、視線は合わせない。一瞬の気の緩みがここでは命取りとなる。
大股を開いて二歩前に出る。甲冑背中に挿してある笹の葉がガサリと揺らめく。多くの将兵が槍の穂先を突きつけていたが、男が前進するたびに、一歩、二歩と引いた。男と従武者を中心に武士たちの輪が形作られる。
「どうした。これで終わりではあるまい」
石突きを地面に突き刺し、べっとりと血のりが付いた十文字槍を頭上に立ち上げて挑発する。名もない雑兵を蹴散らしたとて意味はない。男が狙っているものは無論、首級。
名のある敵将の首を落としてこそ、もののふとしての価値も上がれば報酬も上がる。
敵兵の輪を押し退けて屈強そうな武者が現れた。足軽に比べれば少々頑丈そうな男ではある。が、黒染めの黒威しと地味であまり高価な甲冑ではない。
――足軽大将か。
雑魚をあげた釣り人のように肩透かしを被った気分ではあったが、大将首であることに変わりはない。
「いざ、ひと槍」
大将は槍を水平に構えて男に突きつけた。それを受けて小さく頷くと両手を横に伸ばし、声を張り上げる。
「良かろう。手出し無用ぉ」
その瞬間、無慈悲で理不尽に満ち、殺伐とした戦場に特別な空間が生まれる。
一騎打ち――。軍略や戦略関係なしに発生するこの戦闘は、この国の戦士たちの花形である。こうなれば敵であれ味方であれ手出しは許されない。
笹の男は低く構えた。槍が敵の足元を狙うように切っ先を静かに下げる。敵の大将の槍の穂先が少し浮きあがり、男の顔を捉えた。
男の目が鋭く光った。槍を高く構える者は大した腕の持ち主ではない。今までに積み重ねてきた屍の数がと経験がそれを教えてくれる。
――弱い、俺の勝ちだ。
勝利を確信し、鋭く愛槍を下段から突き上げた。
瞬間、敵の槍がまるでうねる蛇のように見えた。
十文字槍に衝撃が走りる。予想外の激震に耐えられず絡めとられるように男の槍が空を舞った。
敵味方からどよめきが起こる。狐に摘まれたような顔をしていると、いま蛇のように見えた槍が顔面に突きつけられる。
「御覚悟めされよっ」
討ち取られる。従武者は後ろから男に叫び、走り寄ろうとしたが凍りついたように静止し、そして悟った。
――違う。
そう、違った。
笹の男は、歯を剥き出しにして笑っていた。
眼前の槍が突き出された瞬間、鎧兜を身につけているとは思えないくらい俊敏な動きでそれを避け、戦太刀の鯉口を切って白刃を放った。
敵の懐にもぐり込み、差し出されている槍の柄に太刀を持った右腕を絡める。
相手は驚いて槍を引いたがもう遅い。
「覚悟っ」
「――っんぐ……」
引かれた槍と共に踏み込み、太刀の切っ先は見事に敵の喉笛を貫いた。血と泡が口からあふれ出し、がっくりを跪く。
味方だけではなく敵からも歓声が上がる。素人の目では何が起こったかもわからぬ早業だった。太刀を引き抜いて敵将を押し倒す。その首に刃を押し付けるがすぐには首を取らなかった。
「はやく、とどめを……」
殆ど聞こえない声で相手は呻いた。
背中の笹を手早く千切り、親指で血まみれの口の中に押し込む。
「良い敵だった。冥土の土産におしえてやる」
満足げにどこか慈しむような笑みで語りかける。
「俺は才蔵。人呼んで『笹の男』」
鮮血がまた合戦場に舞った。討ち取った首の髷を解き、帯に結びつける。
「こやつは俺が直々に持っていく」
「珍しいですな」
血を更に上塗りした顔で従武者を伴ってまた進みだした。周囲では戦闘が再開され、戦場はまた混沌とした空気に戻った。
戦国もの書いてみたかった。習作です。