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愛すべき不思議な家族&その後の愛すべき不思議な家族  作者: 桐条京介
その後の愛すべき不思議な家族2
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10

 奇妙な偶然で、春道が結果的に室戸柚の両親が経営する不動産会社を助けてから数週間後。季節は徐々に春へ別れを告げ、暑すぎる夏へ移行する準備を始める。仕事部屋の衣替えでもしてみようかな、なんて思っていたら、もの凄い足音が突然、まだ午前中の家に響きだした。葉月は小学校へ行ってる最中なので、音の発信源はひとつしかない。妻の高木和葉だ。何事かと思って見た仕事部屋のドアが、次の瞬間には大きく開かれた。

「春道さん。一体……どういうことですかっ」

 張り上げられた怒声が、家を揺らしたような気がした。それほど彼女の剣幕は凄まじい。思い当たるふしがなくとも、思わず謝罪させられそうになる。たまらず後退りをしつつも、春道はなんとか声を絞り出す。

「それは俺の台詞だよ。いきなりどうした」

「どうしたもこうしたもありませんっ」

 いつもは冷静な妻の逆上した姿に、壁際まで後退りさせられる。何か悪いことをしてしまったのかと慌てて考えるが、最近は家にこもりっぱなしで外出すらしていない。では、彼女は一体何に怒っているのか。今にも胸倉を掴みかねない勢いで迫ってくる和葉に、再度「どうしたんだよ」と問いかける。

「つい先ほど、戸高先生から電話がありました」

「戸高先生?」

「春道さんもよく知っている、戸高祐子先生ですっ」

 葉月の担任で、和葉の実兄の奥さんだ。先日の運動会の際にも、余計なちょっかいを出してきた。口では色々と言っているが、結婚してからは夫ひと筋のはずだ。浮気の話も聞かないし、夫婦仲も良好そうだった。その戸高祐子からの電話で、どうして和葉はこれほどまでに怒っているのだろう。春道がきょとんとしていると、ますます妻の顔が怒りの色に染まる。

「どうして黙っているんですか。言い訳をする必要もないということですか」

「……訳がわからないんだから、黙ってるしかないだろう」

 とりあえず事情を説明してほしいと繰り返すが、妻が普段の冷静さを取り戻すのは難しそうだった。こうなれば好きなだけ爆発させておいた方がいいかもしれない。

「訳がわからないのは私の方ですっ。意味ありげに、子供ができたんですと電話で言われて……私……っ」

「へえ、子供ができたのか。それはおめでたいな」

「おめでたい!? まさか……認知するつもりなのですか!? 私と葉月を捨てて、あの人のところへ行こうなんて……絶対に許しませんっ」

 胸を両手でポカポカ叩かれながら、怒声を浴びせられて、ようやく春道はどうして自分が詰め寄られてるのかを理解した。要するに、毎度お馴染みになりつつある和葉の壮絶な勘違いだ。

「ちょっとは落ち着けよ。和葉の兄さんに子供ができたのなら、それはおめでたいことだろう?」

「兄さんに子供……? 今はそんな話をしていませんっ」

 駄目だ。完全に自分を見失ってる。荒療治として平手打ちをするのもひとつの手段かもしれないが、女性に手を上げるのだけは避けたい。となれば、根気強く誤解だというのを教えるしかない。相手が興奮してるからといって、こちらも応じたりしたら終わりだ。平静さを保ち、何も問題はないという態度を示し続ける必要がある。

「そんな話をしているんだよ。いいか、最初から話を整理するぞ? 電話をかけてきたのは、和葉のお兄さんのお嫁さんだ。で、彼女は妊娠したと報告してきた。それはつまり、戸高泰宏さんとの子になる」

「え……? ちょ、ちょっと待ってください。ええと……で、ですが、彼女は確かにこう言ったのです。恥じらった声で、春道さんによろしくお伝えくださいと」

「そりゃあ、義理の妹の旦那だからね。妊娠の話を教えておいてくれとなるんじゃないか?」


 会話を続けてるうちに、あれだけの興奮状態を見せていた妻も徐々に落ち着きを取り戻し始めた。すると今度は怒りではなく、別の感情で顔面を真っ赤にしてしまう。勝手な勘違いをしてしまった恥ずかしさを誤魔化すように、あれこれと違う話題を探す和葉を微笑ましく見つめる。

「こんなに簡単に引っかかってくれるんだから、相手もさぞかし、悪戯のしがいがあるだろうな」

「も、もう言わないでください……。そ、それに、紛らわしい言い方をする方も悪いのです」

 理不尽に春道を責めてしまったショックで今はシュンとしているが、そのうちに戸高祐子への怒りで再び機嫌が悪くなるはずだ。家族に八つ当たりをするようなタイプではないが、明らかに凄みというか威圧的なオーラが全身から放出されるので、妻の機嫌が良いのか悪いのかはすぐに判別できる。

「考えていたら、腹が立ってきました。今度はこちらか電話をして、文句を言うべきでしょうか」

「やめておけよ。それに、俺はそこまで怒ってないからな。たまには嫉妬で荒れ狂う和葉を見るのも悪くない」

「な、何を言ってるのですかっ。祐子さんも、春道さんも性格が悪すぎますっ」

 誤解から壮絶な嫉妬をしたのは事実だけに、その程度の反論しかできないのだ。これでしばらくは妻をからかうネタには困らなくなったが、あまりにやりすぎるとこちらにも被害が及んでしまうので、ほどほどにしておく必要がある。

「あんなに激しいやきもちを焼くなんてな。それだけ俺を好きってことか。モテる男は辛いな」

「く……。あら、春道さんたら、少し自意識過剰が過ぎるのではありませんか」

「ハハハ。そのとおりだ。俺なんかより、和葉の方がずっと異性からモテそうだもんな」

「なっ――!? い、いきなり何を……わ、私なんか別に……も、もう、この話は終わりにしましょう。変な空気になってしまいますっ」

 ここで逃げたな、なんて余計な追撃をすれば藪蛇になりかねない。おとなしく彼女に従い、嫉妬の件はこれで終了にする。

「それにしても、妊娠か。和葉の兄さんも、やることはやってたんだな」

「……そういう言い方はあまり感心しません。特に葉月の前では、慎むようにお願いします」

「わかってるよ。2人きりだから話してるんじゃないか」

 和葉の感情もだいぶ落ち着いているみたいなので、仕事部屋の床で胡坐をかく。すると和葉も腰を下ろし、春道と向き合う形になった。お互いにしばらく黙っていたが、そのうちに妻がぽつりと「欲しいですか」と聞いてきた。

 すぐに意味を理解できなかったので、逆に「何を?」と質問してしまう。すると和葉は、どこか言いにくそうにしながらも「子供です……」と答えてくれた。

「私たちには葉月という大事な娘がいます。ですが、その……弟や妹が、ええと……」

 こういった話題が得意ではないだけに、顔を赤くしながら和葉が言葉に詰まる。その様子を見てるだけで、春道までなんだか照れてしまう。彼女が言いたいことはよくわかった。葉月の他に子供が欲しいかどうかを尋ねているのだ。悪ふざけできるような質問ではないので、春道は真剣に考えた末に「わからない」とだけ口にした。

「わからない……ですか?」和葉が首を傾げる。

「ああ。欲しい気持ちはあるけれど、怖いんだ……」

「怖い? 何が怖いのですか。よろしければ、教えてください」

「……葉月を愛せなくなるかもしれないことが……だよ」


 春道の告白に、妻はかなりの衝撃を受けたみたいだった。戸高祐子にからかわれた際に見せた狼狽ぶりが、可愛く思えるくらい激しく動揺してるのがわかる。言うべきではなかったのかもしれないが、いずれこういう話をする機会は必ずくる。ならば、葉月が学校でいないうちにしておくべきだろう。

「ど、どうして……新しい生命の誕生が、葉月への愛情に繋がるのですか……?」

 妻の声は擦れていた。それだけ彼女にとって、春道の言葉がショックだった証拠だ。申し訳ないと思いながらも、真剣な想いを和葉に伝える。

「正直に言うと、愛情が揺らぐのが怖いということかな。新しい命が誕生すれば、それは俺の血を受け継いでることになる。もちろん、血の繋がりがすべてじゃないのはわかっている。だけど……俺だって完璧な人間じゃない。葉月よりも新しい子を可愛がってしまうんじゃないかと、この問題を考えるたび不安になるんだ」

 和葉は黙って春道の言葉を受け止めてくれた。しばらく何かを考えこむように口を閉じていたが、そのうちにゆっくりと開いて新しい言葉を紡ぎ出す。

「春道さんなら大丈夫です」

 様々な感情が込められた短い言葉は、心の深くにまで染み込んできた。自然と涙が溢れ、嗚咽をあげそうになる。そんな春道を見てもからかったりせず、妻は優しげな表情で見守ってくれた。

「実は私にも似た思いがあります。それでも春道さんが望むのであれば、喜んで応じるつもりでした。もちろん、今も同じ気持ちです。葉月のことを、そこまで真剣に考えてくれるような人が、悪い父親になるはずがありません。私が保証します」

「和葉……」

「ですから春道さんは、自分が思ったとおりに行動してください。私は妻ですから、きちんと貴方の後ろをついていきます」

 言いながら、彼女も涙を流した。悲しいとか嬉しいとかの理由ではなく、気がつけば流れていたという感じだ。春道は反射的に妻を抱きしめる。強い力を腕に込め、彼女の体温を全身で感じようとする。不思議なことに、それだけで抱いていた不安が解消されていく。

 痛いとは言わずに、和葉は黙って春道の背中に手を回してきた。どちらも涙を拭こうとはせず、しばらく黙って抱き合った。言葉はなくとも、肌が触れ合ってるだけでお互いの気持ちがわかった。改めて春道は自分の気持ちを確認する。血の繋がりにこだわる必要はないと思っていたのに、実は誰よりもこだわっていたのかもしれない。己の弱さみたいなのを認めた途端に、スっと気持ちが軽くなった。

「和葉のおかげで楽になったよ。俺が葉月の父親なのには、変わりないもんな」

「そうです。それに春道さんは、とてもよくやってくれています。普段はあまり言えませんが、心から感謝しているんですよ」

 抱きしめ合ったままで、和葉が感謝の言葉を囁いてくれる。そのせいかはわからないが、春道の口が無意識に動いた。

「俺もいつも和葉に感謝してる。それに……愛してるよ」

「――っ!? は、春道さんはいつも急に……ずるいです……」

 今日1番顔を赤くしながら、和葉が口を尖らせる。だからといって怒ってるわけじゃなく、どちらかといえば嬉しそうだった。

「私も……愛してます……」

 春道も和葉も、普段から頻繁に愛の言葉をやりとりするようなタイプの人間ではなかった。だからこそ、たまにはこういう機会が必要なのかもしれない。夫婦としてお互いの子作りに対する認識も確認し合えたし、有意義な時間となった。

「未来へ進むにつれて少しずつ形は変わるかもしれないが、俺たちはいつまでも家族だ」

「フフ。そうですね。ただし……浮気は駄目ですよ? 信用はしていますが、一応は釘を刺させてもらいます」

「わかってるよ。あんなに激しく詰め寄られるのは、もうごめんだ」

「あら? さっきは私がやきもちを焼く姿が好きだみたいにおっしゃっていたではないですか。ご希望を叶えて、1日に2回くらいは嫉妬してあげましょうか?」

「……勘弁してくれ」

 苦笑いを浮かべる春道に、和葉は「もちろん冗談です」と笑った。その後、どちらからともなく顔を近づけ、ゆっくりと唇を重ねた。

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