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愛すべき不思議な家族&その後の愛すべき不思議な家族  作者: 桐条京介
その後の愛すべき不思議な家族
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 その日、高木和葉は久しぶりに、所属する会社へ出勤していた。

 高卒の女性でありながらも、一生懸命な仕事ぶりが評価され、今ではきちんとした肩書きも貰っている。

 それなりに給料は高く、職場での人間関係にも、とりたてて不満を覚えていない。というのも、和葉自身が、あまり他者と関わってこなかったからである。

 総務の業務を引き受けているため、客前に出る機会も少ない。従業員のまとめ役には店長がいる。

 必要以上の会話をしなくとも、今日まではなんとかやってこれた。

 大卒でもない女性が出世するのが気に入らないのか、社内にはやっかみの声が多く存在する。

 ほぼ全員が会社の男性社員だ。パートの女性従業員は、どちらかといえば和葉に好印象を抱いてくれている。

「おはようございます」

 出勤した和葉が自分のデスクにつくと、すぐ汚らわしいと感じる視線がまとわりついてきた。

 数人の社員が自らの売り場にもいかず、こちらを見てニヤニヤしている。

 薄気味悪いと思っている和葉のデスクの上で、内線電話が鳴り出した。

 勤務している大型小売店の各売り場にも設置されており、内線電話にはそれぞれへの番号が書かれた紙が貼り付けられている。

 旧式の電話を使用しているため、どこから発進されてるかを表す小型ディスプレイなどは搭載されていない。かけてきた相手が誰なのかは、出るまでわからなかった。

「はい。事務所の高木です」

 入社時からずっと松島姓だったので、当初は戸惑ったが、今ではだいぶ夫の苗字にも慣れていた。

 高木さんと呼ばれることへの違和感もなくなり、名実ともに高木和葉としての人生を歩んでいる。

「あ、私だけれど……」

 電話の相手は店長だった。

 事務所に店長室などというものはなく、店長も他の従業員と同様のスペースで業務をこなしている。

 その店長から、和葉は応接室へ来るように命じられた。

 応接室は事務所に隣接していて、通常の出入口とは違うドアを開ければ、商談などで使用する部屋へ移動できる。

 そこが応接室であり、従業員との面談及び人員採用の際の面接などでも使用される。

 かくいう和葉も、入社の際には応接室で面接試験を受けている。

 もっとも当時の店長はすでに転勤済みで、現在の責任者は和葉が勤務を開始してから三人目の男性だった。

 何か大事な用事でもあるのだろうか。軽く首を傾げながら、和葉は席を立つ。やはり数人の男性社員が、不愉快極まりない視線を向けてくる。

 気にしてる時間もないので、一瞥もせずに和葉は内心で「一生やってなさい」と侮蔑の言葉を呟いた。

 仕事の能力が下なのであれば、努力して上へいけばいいだけの話。それを怠って、他人を蔑んでいる。

 とんとん拍子に出世した和葉を妬むのは、そんな連中ばかりだった。

「失礼します」

 気に留める必要もない存在の男たちを無視し、和葉は応接室へ繋がるドアの前へ立つ。室内へ声をかけると、すぐに「どうぞ」と返ってきた。

 静かにドアを開けて応接室へ入ると、店長が上座のソファへ腰かけていた。

「呼び出してすまないね。どうぞ、座ってください」

「……いえ。何かご用でしょうか」

 店長側にはひとり用のソファが二つ並べられ、向側には三人がけのソファがある。

 上座にあるのがひとり用のソファであり、店長はもちろんそちらへ座っている。

 普段ならば面接する側として、和葉もその横へ座る。だが今日は、腰を下ろすポジションが違った。

 室内の雰囲気も合わさって、なんとも言いようのない違和感を覚える。

 一体、店長から何を言われるのか。和葉は柄にもなく、緊張した。


「松島……いや、今は高木さんだったね。最近、少し会社を休みがちみたいだけど、どうかしたのかな」

 店長の問いかけには、大いに心当たりがあった。

 夫の高木春道や娘の葉月と、年末にかけて温泉旅行へ行ったり、そのあとは和葉の実家で大晦日とお正月を過ごした。

 基本的にあまり休みをとらない和葉には珍しく、昨年はシフトで定められた休日以外にも会社へ出勤しない日があった。

 実の父親を見舞いに実家へ戻ったり、諸事情により夫の実家を訪ねたりした。その点だけみれば、会社へ迷惑をかけたと言われても否定できず、社会人にあるまじき行為と注意を受けても、甘んじて頷くしかなかった。

 けれど入社以来懸命に勤務してきた和葉には、使用していない有給休暇が、それこそ山の数ほど存在する。

 和葉が勤めている会社では、年度内に利用できなかった有給休暇は、翌年へ繰り越される決まりになっていた。

 総務を預かる立場でありながら最近は詳しく計算していないが、簡単な見積もりでも累計すれば一ヶ月近くへ達するはずだ。

 会社として認めている制度であるのだから、有給休暇を使用しても叱責される覚えはなかった。

 そもそも事前に申請できる余裕があるのであれば、何も有給休暇でなくとも、普通の休日としてシフトへ反映させればいい。急に休みをとりたくなったからこそ、もっとも効果的な制度を利用したのである。

「申し訳ありません。色々とありましたものですから……」

 家庭と会社は別であり、プライベートな出来事を、いちいち報告する義務も理由もない。ソファへ浅く座っている和葉は、背筋を伸ばして真正面にいる店長を見据える。

「確かに、色々あるだろうね。苗字も変わったのだし。だけど、業務に影響がでるのはマズくないかな」

 店長の発言も正論だ。けれど和葉は、あくまで正当な権利を行使しただけにすぎない。そのことで責められるのは、若干納得がいかなかった。

「お言葉ですが、急な事態へ対応するための有給休暇であり、不規則なシフトとなったのを補うのが上役の務めではないでしょうか」

 和葉は現在の店長に、あまり好感を抱いていなかった。

 転勤してくるたびに、どんどんと店長の質が落ちてるような気がする。

 初代の店長はパート社員の話もよく聞き、合理的に物事を決めていた。

 同時に有能であれば、パートやアルバイトであっても重用し、社員にならないかと誘ったりもした。

 二人目の店長は社員の意見の方へ耳を傾けたが、それでもパート従業員などを無視したりはしない。あくまで社員を通して、意見を伝えてほしいというスタイルだった。

 主任より上の役職についての社員には、責任者としての業務を明確に求めた。

 自分で動くよりも、パートやアルバイトを上手く使え。そういうスタンスの店長だった。

 三人目――要するに、現在の店長は完全な贔屓主義者だった。社員の意見は聞くが、パートやアルバイトの話には聞く耳を持たなかった。

 加えて、どこか女性社員を蔑視してるようにも感じられた。大事な仕事は役職を問わずに男性社員へ任せる。

 総務を預かる和葉を通さずに、肩書きが下の男性社員へ重要な業務を任せるような事態も幾つかあった。

 そのたびに自分を通してほしいと懇願するのだが、決まって現在の店長は面倒臭そうな顔をする。

 男性ならサービス残業させてもいいが、女性だとセクハラだ、パワハラだと文句しか言わない。それが現在の店長の持論みたいだった。

 確かに残業は男性社員の役目と言い放ち、反論されると、女性を夜遅く帰らせて何かあったらどう責任をとるのかと逆ギレする女性社員もいる。

 同性ながら、これも一種のパワハラみたいなケースに当たるのではないかと考えたりもする。

 けれど女性が全員、そういうタイプではない。性別を問わずに、色々な思考を持つのが人間なのだ。

 それをいちいち男性がどうだ、女性がどうだ。あるいは、血液型がどうだと口論するのは、ナンセンスにしか思えなかった。


「確かに、基本的には高木さんの言うとおりだと思います」

 和葉の心情を知る由もない店長は、相変わらず鬱陶しそうな様子を表情に見え隠れさせながら、そんな台詞を口にした。

 言葉遣いは丁寧でも、内に秘めている敵意みたいなものが、はっきりと感じられる。

「ですが、それはあくまでいち社員の話です。貴女みたいに、責任のある立場の人間には当てはまらない」

「それは妙ですね。私は役職ある立場の前に、いち社員です。矛盾が生じませんか?」

 至極真っ当な意見のつもりだったが、どうやら相手はお気に召してくれなかったみたいである。

 聞こえないように気を遣ってはいても「これだから、女は」と、差別主義者丸出しの言葉が和葉の耳へ届いてきた。

「……私としては穏便に済ませたかったのですが、仕方ありません」

 店長は一度咳払いをすると、意味ありげな台詞を発した。

 相手の冷徹すぎる瞳に、思わず和葉の背筋が寒気を覚える。

「おっしゃるとおり、高木さんはいち社員です。けれど、重要な役職を頂いている立場でもある。そうした人間が、無断欠勤をした挙句、後日になって有給休暇を申請するのは、いささか非常識に思いませんか?」

「――!? ……発言の意味がわかりません。私は確かに、前日に有給休暇を使用する旨を告げ、申請もしています」

 この会社では社員証が、タイムカードの役割も果たしている。専用の機械で社員証をスキャンすれば、出勤時の時間がコンピューターに記録される。

 同時に社員証には専用の個人IDがあり、それを使えば会社内のPCで個人の勤務記録を調べることもできる。

 部下から欠勤や遅刻の申し出があった場合には、上司がPCで事前に定められていたシフトと相違した理由をつけて、店長へ報告する。

 店長が報告を受け取り、承諾するとシフトの変更が認められる。それ以外は、無断変更として扱われ、下手をすれば始末書の提出へ繋がる。

 総務にいる和葉は、恐らく会社内の誰よりもその仕組みをわかっていた。ゆえに、わざわざ事前にシフトの変更をお願いしたのである。

 電話で依頼した当時の状況を思い出す。真っ先に浮かんできたのが、事務所でニヤニヤしていた二人組みのうちのひとりだ。

「だが、私には何の報告もされていない。わかりますか? 貴女はトータル二週間も、無断欠勤をしたことになる」

 正面にいる店長が口角を吊り上げる。相手の態度で、ようやく和葉は自分の身に起きた出来事の全貌を理解する。

 もともと快く思ってなかった男性社員が、この機会を利用して、和葉の失脚を試みたのである。

 通常なら店長が目論見を阻止してしかるべきだが、和葉を幹部へ抜擢した有能なトップたちはもうこの会社にはいない。

 三人目の店長は男性社員たちの企みに乗り、普段から存在を疎ましく思っていた和葉の排除へゴーサインを出した。

「……貴方はそれでも、会社の長ですか?」

「だからこそさ。私は店長として、無断欠勤を続けた社員の責任を問う必要がある。そう思わないか?」

 自分で処理をせず、人頼みにしたのが最大のミスだったのか。考えたところで、すぐに和葉は否定した。

 恐らく和葉が処理をしていても、店長は承諾しなかった。知らぬ存ぜぬを通せば、いくらでも歪んだ事実を作成できる。

 これまでは愛娘にある程度の我慢をさせてでも、仕事を優先させてきた。けれど、ここ最近の和葉は変わった。

 従来使わなかった有給休暇を利用して、家族のために時間を使った。決して後悔はしていないが、そのせいで苦境に立たされている。

「店長として、高木和葉さんを解雇をさせていただきます。ですがこれまで会社へ貢献してくれたことを考慮し、懲戒ではなく、一ヶ月分の給料を支払いの上、普通解雇とします」

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