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愛すべき不思議な家族&その後の愛すべき不思議な家族  作者: 桐条京介
その後の愛すべき不思議な家族
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「ママとお料理ー♪」

 愛娘の葉月が、母親である和葉の前で楽しそうに小躍りしている。

 場所は戸高家――つまり和葉の実家のキッチンである。

 和葉たちはつい先ほどまで、柳田信一郎という男性と話をしていた。

 写真を持ち、人捜しに戸高家を訪れた柳田信一郎のせいで、ずいぶんとハードな展開になった。

 葉月の出生の秘密を話さざるを得なくなり、同時に愛娘は本当の両親が、もうこの世に存在しない残酷な事実を知った。

 それでも当人は「嬉しい」という感想を口にした。パパとママの他に、お父さんとお母さんがいたので喜んでいるのだと。屈託なく笑う愛娘がどんな気持ちでいるのか、わからないのが和葉には悔しかった。

 葉月の心の中がわかれば、すべての悲しみを取り除いてあげるのに。そう考えては、危うく泣きそうになる。

 けれど和葉が涙を流せば、自分のことを棚に上げてでも葉月が心配をする。溺愛をしている娘は、そういう子供だった。

 和葉の夫である春道は、家族全員が宿泊する予定の客間で休んでいる。

 普段住んでいる家から結構離れたここ戸高家までひとりで運転させ、着いたら着いたで心労の溜まる展開である。

 さすがに疲れてるだろうと、和葉が休むようにお願いした。

 これから行うのが料理となれば、手伝えることは何もなく、仕方なしに夫も了承してくれた。

 こうして、せめて元気を出す手伝いをするべく、葉月は愛娘と一緒に、事前に約束していた料理をしようと考えたのである。

「じゅあ、何を切ればいいのー」

「……まだ、何も切る必要はないのよ」

 食材を用意する前から包丁を片手に持ち、まな板と面白そうに格闘させている葉月を優しくたしなめる。

 微笑ましい光景――とは、とても思えなかった。愛娘の将来が加速度的に心配になり、今のうちに料理を教えておく必要性を思い知らされる。

「そうなのー? でも、安心して。葉月ねー、パパから免許皆伝にしてもらってるんだよー」

 にこやかに話す愛娘に笑顔で応じつつ、心の中で夫の顔を思い浮かべては舌打ちをする。

 葉月から包丁を手放させるための苦し紛れの理由付けなのは重々承知しているが、他に言いようがなかったのだろうか。ともかく、そんなことを悔やんでいても、先へは勧めなかった。

「そうね。でも、ママから免許皆伝にしてもらってないでしょう。ママはパパより凄いのよ」

 和葉がそう言うと、葉月は人差し指で下唇を軽く押し上げつつ「んー……」と何かを考え込みだした。

 程なく出された結論は和葉の望むべきものだったらしく、元気に「そうだね」と頷いてくれた。

「ママの方が強いもんねー。パパ、いっつも泣きそうになってるしー」

「……待って、葉月。何か、急いで解かなければならない誤解を抱えてるみたいだわ」

 人聞きの悪いことこの上ない。何も知らない人間が葉月の話を聞いていれば、ほぼ間違いなく高木家の夫は恐妻家になる。

 近所の人間に吹聴してまわられる前に、なんとしてでも正しい情報を教えておく必要があった。

「……そうなのか。春道君もかわいそうに……」

 和葉が愛娘の歪みきった知識を訂正しようとした矢先、キッチンへ乱入してきた何者かが余計な邪魔をしてくれた。

 声を聞けば、簡単に性別を男性だと断定できる。加えて夫は現在、客間でひとり休憩中である。

 となれば、大晦日で来訪も少ない戸高家にいる男性は、残りひとりしかいなかった。

「何をしにきたの、兄さん」

「……実兄に対して、冷たすぎる視線を向けないでくれ。陣中見舞いに来たんだろ」

「そうなの。私はてっきり、色々と邪魔をしにきてくれたのかと思ったわ」

 大体がこんな感じの応対をしているものの、和葉は決して実兄の戸高泰宏を嫌ってるわけではない。これが兄妹の一種のコミュニケーションみたいなものだった。


 これ以上虐められた敵わない――。そう言って、戸高泰宏は台所から退散していった。

 和葉と戸高泰宏のやりとりを楽しげに眺めつつも、愛娘は決して包丁を手放そうとはしなかった。

 仕方ないので、調理に使う人参を洗ってから「これを切ってみる?」と問いかけた。

「うんっ」

 嬉しそうに返事をした葉月を、小さな台の上に乗せて、台所にあるまな板まで手が届くようにする。

 そのすぐ後ろに和葉が立ち、愛娘の両腕を持って、最初に切り方を教える。

「ママから、免許皆伝を貰うのは大変よ」

「大丈夫ー。葉月、頑張るもんっ」

 まずは包丁の正しい持ち方から教え、不必要な力は抜くように忠告する。

 最初から全力ではなく、切り始めてから必要に応じて力を入れる。

 母親である和葉の教えに忠実に従い、葉月は「むーっ」と難しそうにしながらも実践する。

 ゴトンと音を立てて、人参が半分になると、嬉しそうな笑顔を愛娘が浮かべた。

 やはり女の子だけあって、料理が好きなのかもしれない。だとしたら、危険という理由で制限させてきたのは失敗だった。

 もっと早くに、こうして丁寧に料理の仕方を教えるべきだったのである。

 言い訳ではないが、仕事が忙しすぎた。これからはもっと、母娘の時間がとれるように努力しよう。和葉は決意を新たにする。

 そうこうしてるうちに、葉月の包丁さばきもある程度はマシになってきた。

 まだまだ危なっかしい一面はあるが、当初と比べたら雲泥の差である。

 目の前の光景を夫の高木春道が見たら、さぞ驚くだろう。その様子を思い浮かべた和葉は、思わずクスリとした。

「ママ、どうしたのー」

「ごめんなさい。何でもないわ。料理を続けましょうか」

 冷蔵庫に材料もあったので、作る料理は肉じゃがに決めていた。

 事前に戸高泰宏が注文していた大晦日用のご馳走が届いても、肉じゃがならばたいして邪魔にもならない。豪華な料理の箸休めになる可能性もある。

 だからといって手抜きをするつもりはなく、一生懸命に調理工程をひとつずつ完了させていく。これは葉月のためでもある。

 いつもは一緒に料理することがあっても、葉月の役目はほとんど素材を洗ったり、完成した料理を盛り付ける程度のものだった。

 安全性を考慮してのものだったが、これでは自身で料理する楽しさなど味わえないどころか、レシピを覚えられるとも思えなかった。

 そこで今回は和葉が手をとってではあるものの、大半の作業を葉月にやらせている。

 大変そうにしているものの、愛娘は充実の表情を浮かべていた。

「パパや伯父さんに、美味しいと言ってもらえるといいわね」

「葉月とママの料理なんだから、大丈夫だよー。えへへ」

 楽しそうに笑いながら作業を続行する葉月を見てるだけで、何故か和葉の瞳には涙が滲んできた。

 柳田信一郎の話によって、葉月の産みの両親の人生を知ったせいだろうか。詳細はわからないものの、堪えるのは不可能そうだった。

 そこで和葉は葉月に「もう、大丈夫よ」と告げた。

 作業はほぼ終了しており、あとは完成する時間を待つだけである。

 その旨を告げて、残りはやっておくので、パパと遊んできてもいいと言った。

 最後までやりたがるかと思ったが、予想に反して葉月は「うんー」と頷いて、和葉の言葉に従った。

 葉月がいなくなるまではかろうじて耐えていたが、ひとりになるともう限界だった。

 台所に両手をついて、ひとり泣いてると、これまた絶妙のタイミングで戸高泰宏がやってきた。

 人の気配に気づき、素早く手の甲で涙を拭ったため、決定的な瞬間は見られてないはずである。

「あれ? 葉月ちゃんはどうしたんだ」

「途中で遊びに行かせたわ……今日は……色々あったしね」

「……そうか」

 和葉の目を見れば、先ほどまで泣いていたのは明らかなのに、戸高泰宏はあえて何も言わなかった。

 兄の優しさに触れてるうちに、自然と和葉の口から「ありがとう」という言葉がこぼれていた。

「気にするな」

 軽く微笑んでそう告げると、戸高泰宏は和葉をひとりにするべく、足早に台所から立ち去ってくれた。


 調理が一段落したところで、和葉がふと窓から外を見ると、愛娘の葉月が傘も差さずにとことこ歩いてる姿が見えた。

 雨に濡れるのが楽しい年頃でもないだろうに、何をしてるのかと心配になる。

 こんな季節にずぶ濡れになっていたら、風邪を引いてもおかしくなかった。

「――まさかっ!」

 不吉なシーンが脳裏をよぎり、不安でいても立ってもいられなくなった和葉は自分も外へ出る。

 だが先ほどまで歩いていた場所に、もう葉月の姿はなかった。

 家の中に戻ってきた様子もないので、ますます和葉は嫌な予感を覚える。

「葉月? どこにいるの!?」

 ザーザーと降り注ぐ雨の中、和葉もまた傘も差さずに大事な娘の名前を呼ぶ。けれど、いつもの調子で「ママー」と応じる声はどこからも聞こえなかった。

 一段と焦りが募り、思考回路が混乱でショートしそうになる。

 夫の高木春道や、実兄の戸高泰宏にも知らせようかと考えたが、直後に和葉は葉月が行きそうな場所を思い出していた。

 駆け足で向かったのは、葉月の産みの両親が眠る例の墓地だった。

 息を切らしながら走る和葉にとって、降りしきる豪雨など何の障害にもならない。むしろ天候不良なのを、忘れてるぐらいだった。

 ようやく到着した墓地。やはり両親のお墓の前に、可愛らしい背中がちょこんと佇んでいた。

 ゆっくり近づくと、愛娘の声が和葉のところまで風に乗って届いてくる。

 誰かが力を貸してくれているのか、漂う言葉は天から降り注ぐ雨粒を受けても、決して地面へ叩きつけられたりはしなかった。

「おじちゃん……ううん、お父さんが教えてくれたとおり……葉月、ちゃんと、あの男の人を信じたよ」

 お墓の前でしゃがみこんでいる愛娘からは、時折鼻を啜る音が聞こえてくる。

 泣いてるのは間違いなく、わずかに声をかけるのが躊躇われた。

「あれでよかったんだよね……葉月、間違ってなかったよね……」

 衝動的に、和葉の身体が動いていた。背後から娘を両手できつく抱きしめる。

「……よく、頑張ったわね。偉かったわよ」

 一瞬だけ驚いた表情を見せた葉月は、和葉の顔を確認すると、自らも抱きついてきながら声を上げて泣き始めた。

「ママーっ! うう……あああ――っ!!!」

 幼い頃から、和葉が本当の母親でないのは、他ならぬ葉月自身が重々承知している。

 本人は捨てられたと思い込んでいたみたいだが、それでも本当の両親がどんな人か、考えたことは一度や二度ではないはずだった。

 思い描いた本当の両親はこの世におらず、その人生も壮絶な最後を遂げている。

 それを知って誰より悲しくなったのは、間違いなく実の娘の葉月なのである。

 にもかかわらず、本当の両親を破滅させた現況の柳田信一郎を笑顔で許した。

 強い子だからとか、そういう理由で片づけられるものではなかった。当時の愛娘の心境を思うと、和葉の両目からも涙が止まらなくなる。

 母娘二人でワンワン泣き続けていると、そのうちに全身を濡らす雨の量が急に激減した。

 異変に気づいた和葉が周囲を見渡すと、立っている誰かの足を見つける。

「春道さん……」

「パパ……」

 足の主の顔を見た和葉と葉月が、ほぼ同時に言葉を発していた。

 いつの間にか側までやってきていた高木春道は、この場にいる理由も、泣いてる理由も聞こうとしなかった。

 ただ優しく微笑みを浮かべて、ひと言だけ「帰るぞ」と言ってくれたのだった。

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