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愛すべき不思議な家族&その後の愛すべき不思議な家族  作者: 桐条京介
その後の愛すべき不思議な家族
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25

 戸高泰宏の深刻な表情と言動で、葉月にとっても辛い出来事になるのは容易に想像がついた。

 和葉がしっかり頷いたのを確認してから、戸高泰宏が「こちらです」と柳田信一郎を案内し始める。

 そこは春道たちが戻ってきたばかりの道であり、先にあるのは例の墓地しかなかった。

 嫌な予感を覚えつつ、春道も和葉や葉月と一緒に、戸高泰宏の背中を追いかける。

 重苦しい雰囲気の中、ひとりだけ軽やかな足取りで道を歩く者がいた。

 言わずと知れた柳田信一郎だ。口を開いたりはしなかったが、明らかに浮いている存在になっていた。

 そんな柳田信一郎も、徐々に怪訝そうな顔をし始める。

 前方にお墓を見つけたからだ。どういうことか戸高泰宏に尋ねる柳田信一郎の近くには、愛娘の手をぎゅっと握り締めている和葉がいた。

 ここまでくれば、春道にも柳田信一郎の話にあった男女の結末は理解できた。

 どういう経緯でそうなったのかは、和葉や戸高泰宏が知ってると考えて間違いなかった。

 やがて辿りついたのは、和葉の父親のお墓参りのあと、戸高家へ戻ろうとした際に見つけた墓石の前だった。

「な、何の……冗談……ですか……」

 柳田信一郎の声が震えている。事ここに至って、ようやく現実が自分の想像と違うことに気づいたみたいだった。

「……冗談ではありません。貴方が会いたがっていた女性は、この下にいます。恐らくは……男性も」

 戸高泰宏の説明を受けても、男性は何も喋らない。むしろ、口を開けなくなったといった方が正しかった。

 声だけでなく全身を震わせ、認めたくない現実から唐突に目を逸らした。

「……私がその女性……葉月の本当のママと出会ったのは……激しく雨が降っている日でした……」

 ポツポツと、和葉が当時の状況を話し始めた。

 柳田信一郎だけでなく、手を繋がれている葉月も和葉を見上げてじっと話を聞いている。

 凄まじいと形容するのが相応しいくらいの天候で、近くの川も相当に増水していた。

 これはマズいと早く帰宅しようとしていた和葉の足が、いきなり誰かに掴まれた。それが葉月の本当の母親だった。

 豪雨に襲われる中、必死で守っていた赤子を和葉に託すと、安心したように気を失ったらしかった。

 突然の出来事で気を動転させた和葉は、無意識に実兄の戸高泰宏へ電話をかけて助けを求めた。

 電話で事情を聞いて、慌ててやってきた戸高泰宏が状況を確認し、救急車などの手配をした。

 和葉が病院へ付き添い、戸高泰宏も父親へ事情を説明したあとでかけつけた。

 川の近くで生活していたと思われるホームレスの男女二名は助からなかったものの、奇跡的に赤ちゃんだけは命を取り留めた。

 そして和葉は父親の反対を押し切り、勘当されてまで赤子の母親になることを決めた。

 葉月と名付け、慣れない子育てを懸命に頑張りながら、愛娘を小学生にまで成長させた。

 そんな時に出会ったのが春道であり、その後の展開は改めて聞くまでもなかった。

 柳田信一郎にとっても、春道と和葉の馴れ初めに興味があるはずもない。望んでいたのは、あくまでも自らが騙した男女への贖罪だった。

 けれどその機会は永遠に奪われた。どんなに声を大にして謝罪の言葉を叫んでも、当人たちには決して届かない。柳田信一郎も充分にわかっている。

 和葉の説明が終わったところで、今度は戸高泰宏が口を開いて捕捉をしてきた。

「和葉には内緒にしていたが、あまりにも不憫すぎるからと、親父が戸高家の敷地内の隅ではあるが、二人の墓石を立てたんだ。いつか……必要になるかもしれないと言ってな」

 和葉が葉月をきちんと育て上げれば、いずれ血縁関係がない事実にも気づく。そうなれば、本当の両親にひと目会いたいと願うのが人情だった。

 そのような場合、きちんとしたお墓があるのとないのでは、心証が大きく違ってくる。

 和葉の父親は自ら勘当をしたみたいだったが、心ではきちんと娘のことも案じていたのだ。そうでなければ、見ず知らずのホームレスのお墓を、自分の家の敷地に建てようなどと考えるはずもなかった。


「お……おお……おおお……!」

 長い沈黙のあとに声を発した柳田信一郎が、その場にガックリと膝をついた。

 顔面は見事なまでに色を失っており、どこぞの病人みたいだった。

 大の男でありながら盛大に泣き叫び、地面に顔を突っ伏した。

 土下座してでも許しを請いたいというのだろうか。だが、そうした光景を見ているほどに、春道の中には怒りがこみあげてくる。

 正直な話、これまではどこか他人事みたいに聞いていた。しかし、被害女性が葉月の実の母親だと知った現在では話が別だった。

 女性が生存してれば、春道は和葉や葉月と出会うことはなかったかもしれない。それはそれで寂しい気分になる。

 実の両親がいても、不幸になってる子供もいる。ゆえに、葉月にとってどちらがよかったなどとは、一概に言い切れないところがあった。

 けれどただひとつ言えるのは、柳田信一郎が我が身可愛さに他人を騙すような男でなかったら、葉月は本当の両親と対面できていた。

 和葉という厳しいながらも情の厚い女性と会えたのは不幸中の幸いだったが、偶然に通りかかったのがろくでもない人間だったら、葉月も両親と一緒に旅立っていた可能性がある。

 考えれば考えるほどに、どうしようもないぐらいドス黒い感情が春道の心の中でとぐろを巻く。やがて抑えきれなくなった激情が爆発し、頭を地面に擦りつけている柳田信一郎に掴みかかる。

「今頃になって、何を泣いてやがる! 全部、テメエのせいだろうが!!」

 引っ張り起こした男の胸倉を掴み、そのまま全力で相手の首を締め上げる。

 苦しそうに呻きながらも、柳田信一郎は一切抵抗する素振りを見せなかった。

 あえて苦しみを受けるのが、葉月の本当の両親への贖罪になると思っているのだろうか。だとしたら、勘違いもいいところである。

 怒りで我を忘れている春道は、上等だとばかりに容赦せず、両腕へさらに力を込める。

 それを慌てて止めさせたのが、この場にいる三人目の男性となる戸高泰宏だった。

「春道君! 止めるんだ!」

「止めないでくださいよ! この野郎には、これぐらいやっても罰は当たらないっ!」

 激怒のあまり感情が昂りすぎていた春道も、途中で退けなくなっていた。

 仕舞いの果てには和葉も実兄へ助力して、春道と柳田信一郎を引き離した。

「春道さんの気持ちもわかりますが、少しは冷静になってください。この場で、一番辛いのは誰ですかっ!」

 涙ながらに、核心を突く言葉で怒鳴られては、春道も頭の中を一度整理せざるをえなかった。

 遊びに来たも同然の母親の実家で、望む望まないにかかわらず、衝撃の事実を教えられた。

 しかも本当の両親は、非業の最期を遂げていた。加えて、元凶の男も目の前にいる。

 厳しすぎる現実のど真ん中に放り込まれた少女の気持ちを考えれば、春道ひとりが騒いでる場合でないのは明らかだった。

「……すまなかった」

「本当ですよ……もう……」

 ようやく多少の冷静さを取り戻した春道の上衣を掴み、愛妻がひたすらに泣きじゃくる。

 その様子を見て、ふうと軽く息を吐いた戸高泰宏が、春道から手を離した。

 もう無茶な行動には出ないと確信し、制止するのを中止したのである。戸高泰宏にも迷惑をかけてしまったと、春道は心の底から反省する。


「ぐ……ううう……! 私……私は……なんて……ことを……あああ――っ!」

 これまでの喜びがすべて悲しみへ変換されたかのごとく、柳田信一郎が墓石の前で泣きじゃくる。

 再び足から崩れ落ちたのち、地面へ額を幾度もぶつける。

 次第に血が滲み、苦しみと悲しみが交錯する男性の額で赤い液体が流れだす。それでも柳田信一郎は、己の所業を悔いるように地面への頭突きを止めようとしなかった。

「私は……私はァ!! ぐおお……うおお――っ!!」

 大の男が人前で、ここまで号泣する姿を、春道も未だかつて目の当たりにした経験はなかった。

 和葉や戸高泰宏も同様なのだろう。怒りと不憫さを携えた瞳を、ただただ蹲っている男へ向けていた。

「……すべて、貴方の言うとおりです……」

 ひとしきり泣きじゃくったあと、柳田信一郎は小さな声で春道へ告げてきた。

 目に力はなく、初めて見て覚えた自信に満ちた印象は、憐れなぐらい見る影もなくなっていた。

 泣き腫らした目の男性は、正座したまま、今度は葉月の方を向いた。

「……申し訳……ない……私のせいで……君の……君の……!」

 地面についた両手が土を掴み、勢い余って爪先が手のひらへ食い込む。あまりの絶望で痛覚すら麻痺しているのか、男性は痛そうな素振りひとつ見せたりしなかった。

 葉月に何かを喋ろうとしては、途中で言葉を詰まらせる。なんとか形成した台詞も、混じっている涙のせいで正確に聞き取れなかった。

「はあ……うぐっ……うう……うああ……!」

 先ほどようやく止まったはずの涙が、男の両目から再度溢れだし、嗚咽を漏らしてはすっかり小さくなった肩を震わせる。

 謝るべき葉月の顔を正面から見られず、悔恨の念が焦点の定まらない視線となって地面へ落ちる。

「すみま……せん……! 申し訳……ありま……せん……! ごめんなさい……!」

 必死の思いで搾り出した言葉は、すべて謝罪の言葉だった。

 柳田信一郎にも譲れないものがあり、守りたいものがあったのだろう。その点は同情するが、だからといって、親切にしてくれた人を裏切っていい理由にはならない。あえて春道が口にしなくとも、誰もが知ってることだった。

 にもかかわらず、遵守できない場合が存在する。今回のケースも同様だが、はたして悲しいのひと言で片づけていいものなのだろうか。春道には自信がなかった。

「私の罪は……許されるものではありません……! 慰謝料なら、いくらでも支払います。それこそ、私の生命保険を使ってでも……!」

 誰かが「なら、そうしてください」と言えば、相手は本当に実行しそうなぐらいの勢いだった。

 自らの命をもって、最大限の謝罪をするといえば言葉はいいが、要は逃げてるだけにすぎない。嫌なものを見たくないから、目をつぶるという行為と何が違うのか。再び春道の中で、沸々と怒りがこみあげてきた。

「自分の命で金を買うのか。けれど、その逆はどうする? アンタから貰った金で、葉月は本当の両親の命を買えるのか?」

 感情を剥き出しにした春道の台詞に、相手男性は何も反論できなかった。

「そうやって、手前勝手な意見ばかり言ってるから、肝心な部分を見失っちまうんだろ! 金を見る前に、もっと人を見てみろよ!」

 お金がなければ、この世は生きていけない。それは道理だった。

 人情だけで腹が膨れるのであれば、好きこのんで悪事に手を染める人間は激減する。けれどそうはいかないのも、重々承知している。

 春道が柳田信一郎と立場を逆転させた時、果たしてようやく復活させた会社の未来を考えずに、すんなりとお金を返しただろうか。他人事だからこそ、簡単に答えを出せる。

 しかし当事者となった場合、事はそう簡単にいかなくなる。人間とはそういうものだ。頭では理解できていても、感情が納得できていなかった。

 再び春道が柳田信一郎の胸倉を掴もうとした時、それまで口をつぐんでいたひとりの少女が声を上げた。

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