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愛すべき不思議な家族&その後の愛すべき不思議な家族  作者: 桐条京介
その後の愛すべき不思議な家族
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17

 想い出に残るクリスマスも終わり、家族の絆はさらに深まった。

 ――のを実感する暇もなく、高木春道はひとりで山奥の旅館へやってきていた。

 年内の仕事も終わり、ようやく一段落できると思っていたのに、あろうことか取材の予定が入ったのである。

 フリーで仕事をしてる人間にとって、情報量の多さは役に立つ。しかもクライアントの依頼とくれば、断れるはずもなかった。

 春道が住んでいるところも充分田舎なのだが、ここはさらにその上をいっている。

 緑に包まれた道路の脇からは、いつ猿などの動物が飛び出してきてもおかしくないぐらいだった。

 以前に、これまたかなり田舎になる和葉の実家へ行った経験があった。そこよりも、まだ田舎レベルが高い気がした。

 その代わりといっては何だが、空気はかなり澄みきって美味しい。外で軽く伸びをしただけでも、心が晴れ晴れとする。

 加えて今日は、スカイブルーという絶好の天候だ。普段引きごもりがちな春道であっても、自然と気分が昂る。

 日本海に面した土地の山だけに、この季節ともなれば雪がちらつくことも多い。北国ほどではないが、それなりに積もったりするらしかった。

 この話は、今夜宿泊する予定になっている旅館の女将さんが教えてくれた。

 周辺地域の伝承話とかも知ってる年配の方なので、色々と知ってるのが春道からすればありがたかった。

 取材も順調に進み、温泉を楽しんだあとで、宿泊する部屋で旅館の自慢という料理を堪能する。

 普段より相当早い夕食となったが、色々と疲れていたのでお腹は結構減っていた。

 春道は食に執着するタイプではなかったが、それでも用意された各種のおかずを見れば涎が溢れそうになる。

 箸を手にして、まずは鍋物に狙いを定めた時だった。

 お尻を乗せている座椅子のすぐ隣に置いていた携帯電話が、勢いよく鳴り出した。

 誰からだろうと思ってディスプレイを見ると、そこには自宅という文字が浮かんでいた。

 何事かあったのかと思い、春道は慌てて電話にでる。

「もしもし、どうかしたのか」

 相手の声を聞くより先に、春道は口を開いていた。

「ええ……そちらの様子はどうですか」

 自宅から電話をかけてきたのは、妻の高木和葉だった。

 声もいつもどおりで、別段慌ててる様子もない。普段は冷静沈着な女性でも、娘の事になったりすれば途端に動揺が表へ出る。

 なので相応の窮地の場合は、相手の反応でそれがわかる。電話越しの様子からは、そこまでのピンチとは思えなかった。

 もしかしたら、こちらの状況を知りたいだけなのかもしれない。結婚してからわかったのだが、意外と和葉は嫉妬深いのである。

 迂闊に春道が浮気でもしようものなら、再起不能になってもおかしくない攻撃を問答無用で食らっても不思議はなかった。

 もっとも、春道自身にそのつもりがないので、そういったギスギスした事態にはならないと断言できた。

「こっちか……俺は今、夕飯を食べてるところだ」

 そう言って向けた春道の視線の先には、湯気を上げている美味しそうな料理の数々が並んでいた。

 気を利かせて、メニューを紹介すると、和葉が「今日はこちらもご馳走なんですよ」と言い出した。

 人がいない間に、贅沢をしようなどと考えるタイプの女性ではないけれど、無意味に食費を浪費する性格でもなかった。

 何か理由があるはずなのだが、春道の頭には該当するべきものが浮かんでこない。必死で考え込むが、やっぱりわからないので降参する。

 だが聞くより先に、和葉が解答を教えてくれた。それも衝撃的なものをである。

「何せ一年に一度の記念日ですから」

「一年に一度? クリスマスなら、つい先日終わっただろ」

「クリスマスではありません。今日は葉月の誕生日です」


 頭が真っ白になる。よく使う言葉だが、その状態がどういうものか、この瞬間ほどよく知った時はなかった。

 冗談であることを願ったが、こんな時にそんな発言をするような女性でないのは春道が一番理解していた。

 恐らくは本当のことを言っており、今日は愛娘の誕生日なのである。

「……ど、ど……あ……お……?」

 何を言ったらいいのかわからず、自然と挙動不審になる。

「言い訳は必要ありません。以前に教えていたはずです」

 言われて頭脳をフル回転させれば、確かに葉月の誕生日は十二月だという記憶が発見された。

 けれど詳しい日時までは思い出せなかった。要するに、春道は完璧に忘れてしまっていたのである。

 迂闊だった。よもや、大事な娘の誕生日を忘れるとは夢にも思っていなかった。

「まあ、仕方ありません。クリスマスで忙しかったでしょうし、私が教えたのもずいぶん前の話です」

 一回で覚えられれば問題はなかったのだが、生憎と春道の記憶力はそれほど優秀ではない。加えて妻が言ったとおり、ここ最近の忙しさが忘却を加速させた。

 悪いのは春道に変わりないが、それならそれで教えてくれてもよさそうなものである。

 その点を指摘すると、愛妻はややイラついた様子でため息をついた。

「ですから、教えようとしたのです。出張に出かける前のご自身の様子を、よく思い出してみたらいかがですか」

 相変わらず口調は丁寧そのものだが、声には思わず身震いしてしまいそうなほどの迫力があった。

 言われたとおりに、春道は急な出張へ出発する近辺の記憶を、頭の中にある引き出しから取り出してみる。

 ――あ、パパ。今日ねー。

 ――ああ、出張に出かけるんだ。

 ――いえ、春道さん。そうではなくて、葉月が言いたいのはですね。

 ――わかってる。お土産だろ。じゃ、行ってくる。

 ――……うん。いってらっしゃい。

 出かける直前の玄関で交わした、妻や娘との会話が思い出される。

 ただひたすら慌てていた春道の背中を、葉月はどこか寂しげに、和葉はもどかしそうに見送ってくれた。

「……ぐ……!」

 冷静になって考えてみれば、見送ってくれただけでないのがわかる。

 なんとかして春道に、葉月の誕生日という事実を教えたかったのだ。そうとは知らないだけに、相手の台詞をよく聞きもせずに家を飛び出してしまった。

 その結果が現在の有様である。取材の仕事は順調に消化できているが、代わりに大事なイベントを犠牲にした。

「ご理解できましたか? 私たちが教えようとするのを振り切って、春道さんは出かけてしまわれたのです」

 春道には、何の反論もできなかった。人の話を聞かなかったのにプラスして、取材中は妨げになるからと携帯電話の電源を切っていた。

 お風呂上りになってその事実をようやく思い出し、つい先ほど携帯の電源を再度入れたばかりなのである。

 きっとすでに何度もかけていたに違いなく、留守番電話センターに接続するのが怖くてたまらなかった。

「ずいぶんとお仕事がお忙しいみたいですから、無理を言っても申し訳ありません。なんとかやりくりして、休みをとった私が葉月の誕生日を祝っておきます」

「ぐ、そ、それは……」

「お気になさらないでください。父親ができて初めての誕生日を、とても楽しみにしていた娘の純情を裏切っただけですから」

「ふぐぅ!」

 まさに痛恨の一撃だった。葉月の誕生日だとさえ知っていれば、春道もなんとかやりくりをしていた計算が高い。もしくは冬休みなのだから、旅行として一緒に連れてきてもよかった。

 様々な選択肢があったにも関わらず、春道がチョイスしたのは極めて最悪なものだった。

 心の中で「やってしまった」と叫んでみても、状況が好転するはずもなく、春道の頬に冷たい汗が流れる。

「冗談です。葉月もきちんと理解してますよ」

 その台詞のあとで、和葉の声が遠くなっていく。多分、電話機を葉月の方へ向けているのだろう。すぐに聞こえてきた声で、春道の予測が正しかったと知る。

「……誕生日♪ ……誕生日♪」

 う、歌ってる……小さい声で、確かに歌ってる……! ズズンと強烈な罪悪感が、春道の心にのしかかってくる。

 三度、聞き覚えのあるメロディに乗せられた言葉は、とても悲しげかつ切なげだった。

「一応、お知らせしておいた方がよろしいかと思いまして、こうしてお電話を差し上げました。それでは、旅館で美味しい夕食をとってくださいね」

 深々と心に突き刺さる言葉の槍を投げっぱなしにしたまま、最愛の妻は電話を切ってしまった。

 ……マズい。これは実にマズい。春道だって、家族一緒に愛娘の誕生日を祝いたい。その気持ちに偽りはなかった。

 だがこんな田舎では、電車もバスもそれほど整備されていない。要するに、今日中に家へ戻るのは不可能に近かった。

 夕食に一切手をつけずに悩み悶える春道のもとへ、夕食の追加となるサービスメニューを運んできてくれた仲居さんが現れる。

「車を貸してもらえませんか」

 相手の言葉などろくに耳へ入らず、春道はそれだけ告げたのだった。


 旅館名がドアに書かれた普通車を全開で飛ばし、速度制限も守らずに交通量の少ない疎開道路をフルスピードで駆け抜ける。

 うなるエンジン音はそのまま春道の情熱となり、高速道路などを最大限に活用して、一直線に自宅への道を疾走する。

 寂れた普通車でスポーツカーを追い越し、電車を使った際よりも遥かに移動時間を短縮させる。

 各駅停車もなければ、他の駅へ寄るために迂回して目的地へ向かったりもしない。信号などの問題があっても、春道の運転する車の方がずっと早かった。

 午後11時をまわった頃、ようやく春道が乗っている旅館カーが見慣れた景色の土地に到着する。

 家の前に停車したあとで、助手席に置いていた大きな紙袋を持って飛び降りる。

 連続でインターホンを鳴らし、とりあえず鍵を開けてもらう。両手が荷物で塞がっていて、自力で開けられなかった。

「は、春道さん……!?」

 春道の顔を見た瞬間に、ドアを開けてくれた和葉が驚愕の表情を浮かべた。

 よもや他県の旅館から、今日中に春道が戻ってくるとは、さすがに予想できてなかったのだ。目を大きく見開いて、パチクリさせている。

 それはまだ起きていた娘も同様だったらしく、リビングからパタパタと大急ぎで足音がやってくる。

「パパーっ!」

「よう、葉月。誕生日、おめでとう」

「うんっ! ありがとー!」

 満面の笑みを浮かべた愛娘が、玄関に立っている春道へばふっと抱きついてきた。

 その肩をポンポンと優しく叩きながら、まずは靴を脱ぐ。いつまでも家族全員で、玄関にいても仕方なかった。

「そ、それにしても……よく戻ってこられましたね」

 未だ驚きを隠せずにいる和葉だったが、娘と同じく嬉しそうに目じりを下げている。

 やや強引な方法だったが、戻ってきたよかったと心から思えた。

「ああ。旅館から車を借りた」

「借りたって……ま、まさか……あれ……ですか……」

 和葉の差した人差し指の先にあるのは、デカデカと旅館名が書かれた車のドアだった。

「……で、どうやって返すんですか?」

「……さあ、ちゃんと葉月にプレゼントも買ってきたぞ」

 パタンとドアを閉めて、愛妻の視界から問題の種を消去させながら、未だ抱きついたままの葉月に紙袋を見せてやる。

「ちょ、ちょっと……春道さん……!」

「大丈夫だって、俺がきちんと運転して返しに行くよ。取材もまだ残ってるからな」

 放置したままだと、最終的に妻が怒りそうだったので、とりあえずは納得するべき言葉を与えておく。それで和葉も、ようやく納得してくれたのだった。

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