19 ムーンリーフの新入社員は案の定なあの人!? 春也も進路について考えてみました
「ムーンリーフのパンはいかがですかー?」
「やっぱりな」
昼休みの南高校、昇降口に長机を並べて学生に商品を売るパン屋。その一角をムーンリーフが占めているのだが、今日は担当者が変わっていた。
「つれない反応ね」
唇を尖らせたのは晋悟の姉だった。真新しい制服がキラキラと輝いて見える。
「就職先を秘密にしてた時点で、驚かせようって魂胆が見え見えだったじゃねえか」
先日までは智希の母親がOGとして担当していた。親しみやすいおばちゃんということで男女問わず人気だったが、今日は男子生徒が長蛇の列を築いている。
「そういや、あーねえちゃんを知ってるのって部活の奴くらいか」
OGとはいえ、朱華は春也たちが入学する前に卒業済みだ。現在の在校生には綺麗なお姉さんが来たという印象しかないだろう。
「自分も買ってたところで、こうして売るのってなかなか新鮮よ? 晋悟たちも経験しておくべきね」
「お姉さん、さらっと無償アルバイトを確保しようとしないでください」
疲れたように晋悟が首を左右に振る。相手が肉親だから油断があったのか、友人は大きな間違いを犯してしまった。
「「「お姉さん!?」」」
突如現れた謎の美女店員の情報を得ようと躍起になっていたハイエナ共が、一斉に目を血走らせて晋悟を取り囲んだ。先輩も後輩も関係なしに、紹介してくれの言葉が矢のように降り注ぐ。
「相変わらずモテモテだな」
学生時代から文武両道で性格も良く、各学校で生徒会長も務めていた朱華だ。身内にも、怒らなければ優しいお姉さんでしかない。ソフトボールが好きすぎて、暇さえあればやりたがる一面を除けばだが。
「まあね、おかげでのぞちゃんママの時より売れてるんじゃないかしら」
「一時的なもんだろ」
「言ってくれるわね、私の野望はムーンリーフを一部上場企業にすることなのよ。好美さんにも後継者ができたって喜ばれてるくらいなんだから」
「そりゃ頼もしいけど、良かったのか?」
「何が?」
春也の問いかけに、朱華は本気でわからないといった様子で目を瞬かせた。
「あーねえちゃん、ソフトボールが好きだったろ。だからてっきり実業団で続けるかと思ったんだ」
「んー……確かに入ろうと思えば入れたけど……」
顎に人差し指を当て、上を見て考える素振りをしたあと、朱華は春也と視線を合わせて微笑んだ。とっくに吹っ切れていると言わんばかりだった。
「今より上のレベルでやれるのは、一握りの才能を持った選手だけなのよ。確かに私はインターハイ制覇もできたし、大学でもレギュラーになれた。だけどショートとしては全国屈指じゃなかったし、学生時代の好成績も大半はほっちゃんたちのおかげ。実際に私と似たようなレベルだった涼子さんは、上の舞台に進んでもほとんど何もできずに終えてしまったわ」
「そこまで追いかけられる選手だって限られてんだろ。あーねえちゃんはせっかくその中にいたんだぜ? やれるだけやってみても良かったんじゃねえの?」
「そうかもしれないわね。でも、私は知ってるもの」
そこで朱華はまた笑った。春也が見たことないくらい寂しそうに。
「とても敵いそうにない才能を。上の世界で戦えるレベルを」
だから総合的に判断して、次のステージを諦めた。晋悟の姉は暗にそう言っていた。
「才能か……なんか俺もガキの頃に言われた記憶があるな。確か……逆恨み先輩にだっけか」
「春也も才能の塊だものね。でも慢心しちゃだめよ。才能は磨き続けないと腐ってしまうんだから」
「あーねえちゃんはそれがわかってたから、姉ちゃんが進学するたび熱心に誘ってたのか?」
「どうかしらね。少しはあるかもしれないけど、きっとほっちゃんたちと楽しくソフトボールを遊びたかっただけじゃないかしら」
「その結果、インターハイまで制覇してるんだから上々だな」
「春也だって甲子園で優勝投手になってるじゃない」
お互いに笑う。開け放たれている昇降口のドアから、春の涼やかな風が微かな未練を吹き飛ばすように入ってきた。
*
翌日からも朱華は南高校へパンを売りにやってきた。午前中は春也の母親のパン作りを手伝いつつ、こうして現地販売をしながらどれが売れ筋なのか、客の反応はどうなのかを見る勉強をしていると教えてくれた。
これまで各学校の販売を担当していた朱華の母親などは、そろそろ年だから丁度良かったと笑っているらしい。弟の晋悟は微妙にやりにくそうにしているが。
「進路か……」
家から持ってきた弁当に加え、朱華から買ったパンも頬張りつつ、高校最後に所属する教室で、3年間一緒だった友人2人に目を向ける。
「智希と晋悟は何か考えてるのか?」
新社会人となって仕事に励む朱華を見て、普段は野球一筋の春也も多少は将来について考えるようになった。
「卒業と同時にムーンリーフに就職するつもりだ。もしくは姉さんが食いっぱぐれないように、どこかの店で修行してくるかだが……そもそも遠征時に有名なパン屋から買ってもみたが、葉月さんの腕はそういうところとまともに勝負できそうなレベルだったからな」
「お前、そんなこともしてたのかって……それよりママのパンがそんなに美味いって本当なのかよ」
「身近すぎるがゆえに実感が湧かないのも当然だな。だが俺の舌がおかしくない限りは事実だ。葉月さんが修行したというパン屋のも食べてみたが、追い越すどころか、かなり後方に置き去りにしてるぞ」
「確かにムーンリーフの味で慣れちゃうと、他のパン屋さんのだと物足りなく感じちゃうよね」
晋悟まで同調したことにより、春也も自分がからかわれているわけでないのを理解する。
「考えてみればずっと営業してるし、古くなれば当たり前にリフォームしてるし、2号店ともども赤字になったって話は聞かねえしな」
「スーパーどころか最近ではコンビニにも置き始めて、ほぼ全県で販売しているではないか。生き残るには生き残るだけの理由があるということだ」
商売のことには疎いので経営状況を聞いたこともなかったが、同業者が羨むぐらいの販売経路と売り上げを確保できているみたいだった。
「葉月さんや好美さんの販売戦略も上手くハマってるよね。売り上げ好調だと支店を増やしたくなるものだけど、迂闊に実行しないでせいぜい店の規模を大きくするだけに留めてるもんね」
「2号店は閉店した隣を買い取って、飲食スペースも増やしてカフェみたいにしたんだっけな。ついでに和菓子メニューも増やして大当たりだって、前に菜月ちゃんが話してた気がする」
感心する晋悟の言葉で、以前にリビングで耳にした会話を思い出す。
「和菓子の作り方も、宏和さんの伝手で知り合った職人から教わったらしいな。ママも覚えようと頑張ったみたいだけど、茉優さんほど上手くは作れなかったみたいだな」
「結果、2号店ではさらに規模を拡大し、工場も併設しようという話が出ているわけか」
親が揃ってムーンリーフ関係者なので、こうした会話で改めて情報を共有する必要がないのは楽だった。
「で、智希は姉ちゃんと結婚して、次の社長の座を狙ってると」
「それもありかもしれんな。そうすれば穂月さんが芝居の道に進んでも店は安泰だしな」
「俺も継ぐかわかんねえしな。智希なら安心できそうだけど……婿入りなんてことになったら、のぞねーちゃんは結婚しそうにねえし、小山田家は断絶になるんじゃねえのか?」
「父ちゃんが本家じゃないから大丈夫だろう。母ちゃんはそうした形式にこだわらんから、好きにしろと言うだろうしな」
「むしろ、しれっと自分も高木姓を名乗りだしそうだな。のぞねーちゃんと一緒に」
「それはさすがに智希君のお父さんが泣いちゃうんじゃないかな……」
その心を慮ったのか、晋悟はすかさず智希が暴走を煽らないように釘を刺した。
*
「……という話を今日、学校でしたんだよ」
素振りともども夜の日課となりつつある恋人との電話。最近の話題はムーンリーフに入社した朱華のことばかりだったので、そのうちこうした内容に繋がると予想していたのか、さして考えもせずに陽向から応答があった。
「春也たちは大学って選択肢もあるけど、俺は学生としての先はねえからな」
「大学院とかは?」
「これ以上勉強したくねえし、あーちゃんじゃねえけど実業団とかでやれる手応えもねえからな」
陽向も大学でレギュラーの座を掴んではいるが、高校時代とは違って6番あたりを打つことが多かった。色々な選手が集まってくるのに加え、大学で極端に伸びる選手もいたからだという。
「その中で1年から普通に主力の姉ちゃんって凄いんだな」
「お前がそれを言うかよ」
確かに春也も1年から甲子園で投げている。当時はエースナンバーこそ矢島に譲ったが、今でも実力で負けたとは思っていない。
「じゃあ、まーねえちゃんもムーンリーフに就職希望か?」
「そうなるだろうな。来て欲しいって誘われてるし、迷惑じゃなさそうならガキの頃から世話になった恩返しもしてえし」
「また近くに住むようになるのは嬉しいけど、他の就職先もあるぞ」
「は? どこにだよ」
「俺の嫁として永久就職」
「ぶっ!?」
飲み物を口に含んでいたらしく、盛大に噴き出す音が聞こえた。
「俺は別に冗談で言ったわけじゃないぞ」
「わかってるよ! わかってるけど……つーか、待て。今のがプロポーズだったわけじゃねえよな?」
心は意外と乙女な恋人だ。声が不機嫌さを帯びたのを俊敏に察し、春也は平静を装って否定する。
「まさか。ただ考えといてほしいってだけさ。俺も将来について確定してないから、あんま強気なことは言えないけど」
「……春也はプロに進むのか?」
「どうだろうな……よくわかんねえや」
「まだ夏も残ってるし、考えるのはそれからでも遅くねえだろ」
「だな……夏もまーねえちゃんからご褒美を貰いたいし」
「おまっ……! また噴き出させようとすんじゃねえよ!」
「あれ、バレた?」
「当たり前だ」
大きな声で笑えば、お腹の奥に燻っていた不安も綺麗さっぱり消えてなくなる。先がどうなろうとも、せめて彼女の隣にはいたいと春也は強く願った。




