11 春也だってお兄ちゃん、可愛い従妹のために色々と頑張ります!
「準備できたか? よし、行くぞ」
ポカポカと暖かい春の日差しに横顔を照らされながら、春也は自宅の中に声をかけた。玄関では小さな靴を手際よく履いている従妹の姿があった。
「よろしくお願いします」
相変わらず小学生になりたてとは思えない流暢な言葉遣いで、立ち上がった従妹が丁寧に頭を下げた。叔母の趣味か、はたまた個人の好みか、少女が着るのは丈の長いワンピースが多い。しかもシックというか地味目の色ばかりなので、ますます児童らしい快活さというものは感じられなかった。
「もう学校には慣れたか?」
並んで歩きながら、小さな頭を見下ろして尋ねる。
「はい」
返事をした従妹が春也を見上げた拍子に、祖母に買ってもらった真新しい赤いランドセルが、日の光を反射してキラリと輝いた。
「勉強はどんな感じだ?」
「問題ありません。油断するつもりはありませんが、あの程度であればさして警戒する必要もないでしょう」
「……おお、やっぱり凄いな、真菜は」
普通に褒めたつもりだったのだが、真菜は肩まで伸ばした黒髪を揺らして歩きながら微かに俯いた。
「やっぱり私は普通ではないのでしょうか?」
「世間一般的な例で言うと、間違いなく平均的ではないな」
小学生にする言葉の選択ではないのだが、問題なく相手が理解できる時点で、春也の正しさは証明されたようなものである。
「誰に何を言われたかは知らねえけど、だからといって気にする必要はねえぞ」
「そうなんですか?」
「真菜は真菜だ。それを否定したら、自分がどんどん嫌いになっちまうぞ」
「ですが……」
従妹の表情は冴えないままだ。先ほどの質問の内容からして、クラスで1人突き抜けた存在にでもなって、周囲と壁でもできてしまっているのだろう。
「担任は柚先生だったよな。あの人も過保護っつーか、なんつーか。まあ、受け持ってくれるこっちからするとありがたいんだけど」
出世の道などとっくに投げ捨てて、地元で教師生活を終えようとしている。それは現在、春也の担任をしている美由紀も同様であるし、また中学校で教鞭を振るっている恩師の芽衣もだった。
「柚先生も春也さんと同じで気にするなと言ってくださるのですが……」
「まあ、矯正するより個性として伸ばそうとするからな。おかげで俺も自由にさせてもらったし」
姉と衝突した厳しい女教師はすでに転勤しており、現在ではあれほどの堅物は在校していないらしい。
「ただ、無理をするなよ。学校なんて自分を犠牲にしてまで通うもんじゃない。そのところは柚先生がフォローしてくれるだろうけどさ」
「はい、ありがとうございます」
*
従妹を小学校まで送り届けたあと、春也は走って友人との待ち合わせ場所に向かう。そこに自転車に跨った智希と晋悟が、春也の分も用意してくれている。
「悪い、少し遅れたか」
「妹を送るという仕事があるのだ。多少の遅延は仕方あるまい」
「おお、今日はやたらと寛大だな」
「姉弟というのは偉大なものだからな。尊重するのは当然だ」
「なるほど、要するに自分が特別扱いしてもらうための布石か」
ポンと手を打つと、智希は春也の自転車のハンドルを差し出しながら不敵に笑った。
「貴様もなかなか理解できるようになってきたな」
「のぞねーちゃんのとこにはまーねえちゃんがいるからな。で最後は……」
「「晋悟に責任を押しつける」」
「本人の前で綺麗に声をハモらせないでくれるかな!? っていうか、もしかして今までも確信犯だったのかな!?」
晋悟のツッコミを笑って流しつつ、春也は自分の自転車に跨ってサドルを漕ぐ。本来なら朝練中の時間だが、妹を送るという名目で今日は免除されていた。
「それで真菜ちゃんは元気だった?」
晋悟が春也の隣に並ぶ。普段は時間が合わないので、正月とか特別なイベントがない限りは、なかなか顔を合わせる機会がないのだ。
「うーん……体調は問題なさそうだが、学校には……というよりクラスメイトにはあまり馴染めてなかったな」
送っている途中で従妹の同級生と会ったのだが、軽い挨拶程度で会話らしいものはなかった。
「虐められてるのか?」
智希も横に来て、剣呑な目つきをする。
「そうであるならすぐに解決すべきだ。用意するのは木刀でいいか?」
「小学校に討ち入りする気かよ、明日の一面は決まりだな」
「冗談だよね!? 本気でそんな真似したら智希君ママが働いてるムーンリーフにも迷惑がかかっちゃうからね!?」
「当たり前だろう。晋悟は何故に本気で焦っているのだ」
「智希君が言うと冗談に聞こえないからかな……」
ぐったりした晋悟を放置し、智希は真菜を心配しているらしく、改めて春也にどうするのか確認してきた。
「見た感じ虐めってわけじゃなさそうなんだよな。ただなんつーかぎこちない関係に終始してるんだよな」
「虐めの予兆ではないのか?」
前方に気をつけつつも、春也はまた「うーん」と唸る。どうにもしっくりくる例えが見つからない。
「春也君の感想から察するに、1人だけ突出して大人びている真菜ちゃんに、他の子たちはどう接すればいいかわからないんじゃないかな」
「それだ! さすが晋悟、伊達に子供の頃から他人の顔色を窺ってばかりいねえな!」
「褒められてる感じがまったくしないんだけど!?」
「悪い悪い、でも晋悟のおかげでなんか道が見えた気がするよ」
背中を軽く叩くと、痛いなんてお道化ながらも友人は満更でもなさそうに微笑んだ。
*
南高校野球部では、休日に他校を招いて練習試合をする際に、普段は一般生徒の立ち入りを禁止している外野の芝生応援席が解放される。昨夏に甲子園へ出場し、春も東北大会で好成績を残したことで、近年ではほとんど見受けられなかった偵察も多く見受けられるようになったが。
他にも春也に真っ先に名刺をくれたプロのスカウトなども稀に来たりするが、今日に限ればそのどれよりも小さなギャラリーが多かった。
「あれが高木の従妹か」
「手を出さないでくださいよ、逆恨み激振られロリ先輩3号になるっスよ」
「とんでもない名誉棄損だな、おい!」
あからさまな誘い文句で練習に付き合わされながらも、高梨はまだ朱華との進展を夢見てメールやLINEを交換しているらしい。というより、他の部員ともども脈がないのを知りつつも、女子大生との交流を楽しんでいる節があった。
その高梨や監督、他の部員にも、春也の従妹がクラスメイトを連れて観戦に来ることを伝えていた。
「この間、従妹を送ってる最中に声をかけてみたんスよ」
「おいおい、大丈夫かよ、調子乗りロリ後輩」
事情も説明してあるので、高梨のは本気の警告というよりただの冗談だ。
「まあ、今日は良いところを見せられるように頑張るっスよ」
従妹とその同級生のぎこちなさの原因が晋悟の指摘通りなら、それを取っ払うために付き合い方を教える必要がある。その前段階として共通の話題を作ってやろうと練習試合に招待したのである。
「さて、行くか。智希も今日は頼むな」
「貴様が無駄に張り切らなければ何の問題もない」
*
試合前に親友がかけてくれた言葉通り、県中央の有力校との試合だったが、春也の活躍で問題なく勝利した。
その帰り道、ユニフォーム姿のままで春也は従妹とその同級生をムーンリーフに招待していた。もちろん母親にも事前に事情を通達済みだ。
「まなちゃんのおにいちゃん、すごいねー」
「うん、すごいすごい」
子供らしい感想を口にしてはキャッキャッとはしゃぐ同級生たち。真菜は照れ臭そうにしつつも、ワンピースの裾をキュッと摘まんだまま俯き気味だが。
同年代の児童を下に見てバカにしているのではなく、単純に彼女も自分と違う人間とどう付き合えばいいのかわからずに混乱しているみたいだった。
「パンもどんどん食べていいぞ。でも、夕ご飯のためのお腹は残しておこうな」
「「「はーい」」」
二桁に届こうかという女児が揃って元気に返事をする。最初はやはりぎこちないままなので、春也から話題を振ってやる。
「まなちゃんのおにいちゃんの、あれってほーむらんっていうんだよー」
「そうなの?」
「まえにパパからおしえてもらったのー」
「良く知ってるな、真菜もわかってたか?」
「もちろんです。打球がフェンスを越えるのを条件に点が加算されます」
「はっはっは、相変わらず大人みたいな言い方をする奴だな」
「キャッ、ちょっと」
頭をグリグリしてやると、それまでの凛とした表情が崩れて少女らしいものに変わる。それを見ていた女児の1人が、笑顔で真菜を「すごい」と褒める。
「まなちゃんってなんでもしってるよねー」
「うん、すごいよねー」
「こんど、いっしょにしゅくだいやろー」
「わたしもー」
まだ虐めなんて概念もあまり知らない年齢だけに、些細なきっかけがあればすぐに打ち解けモードに入る。逆に言えばこの時点で上手く溶け込んでおかないと、徐々に人間関係が難しくなる。
とはいえ、春也の地元では大体クラスの中にお節介焼というか面倒見たがりの児童がいるので、率先して声をかけてくれたりするのだが。
恐らく真菜は最初の波に乗り切れず、ここまで来ているのだろうが、春也が間に入ったことで改めてそうした女児が話しかけやすくなったのだろう。
*
真菜たちは実希子が車で送ってくれることになり、1人ずつ乗り込んでいく最中、春也は自分に合わせて従妹に声をかけてくれた女児に軽く頭を下げた。
「真菜をよろしく頼むな」
変に難しいことを言っても伝わらないだろうから、すべての想いをその一言に集約した。上手く理解してくれたのかどうかは不明だが、それでもその女児は笑顔で頷いてくれた。
*
それから少しして、春也はまた用事があるらしい祖母に変わって真菜を学校まで送ってほしいと頼まれた。
並んで歩く通学路。いつかと同じように春也は、従妹の小さな頭に問いかける。
「もう学校には慣れたか?」
「うん!
……ありがとう、お兄ちゃん」
僅かに頬を赤らめた真菜が、小さな手で春也の手を握った。
「おう、どういたしまして」
途中で出会った同級生に真菜は自分から挨拶し、そして笑顔で昨日の出来事などを話し始めた。
すっかり放置されながらも、春也は楽しそうな少女の姿に、心から安堵して目を細めた。




