5 甲子園出場の副産物!? 予期せぬ人気はともかく可愛い嫉妬にニマニマが止まりません!?
欠伸をしながら、夏休み明けの高校に登校した春也を出迎えたのは、鼓膜が破れそうになるくらいの黄色い声だった。
「有名芸能人でも来てるのか?」
さすがに驚いた春也が周囲を見渡すも、それらしき人物は見当たらない。校門前に立っているのは、待ち合わせて一緒に登校中のいつもの友人2人くらいだ。
「多分だけど、お目当ては春也君じゃないかな」
「は? 俺?」
小学生の頃から智希ほどでなくとも、女子からキャーキャー言われてきた春也だが、うねる波のごとき量を浴びたのは初めてだった。
「智希と間違えてるんじゃないのか」
「少なからず入ってそうだけど、メインは春也君だと思うよ。1年生ながら甲子園にレギュラーで出場して、ヒットを打って、8回からは矢島先輩の後を引き継いで見事に敵の攻撃を抑えたし」
「そんなの練習試合とかでもあったろ」
晋悟の説明に、春也は片眉を上げて怪訝さを強くする。熱心な野球ファンかどうかは知らないが、一部の女子生徒は休日の練習試合に顔を出していた。この時ばかりは普段立ち入り禁止の外野スタンドの芝生スペースが一般開放されるのだ。
「甲子園は特別だからね、全国放送してるし。あと戻ってきたあとで、練習試合をしてないのも大きいんじゃないかな」
部員の疲労を少し抜いた後は、秋の大会を目指して合宿などキツめの練習メニューに取り組んでいた。おかげでまた少し体が大きくなった春也である。
「確かに見慣れない制服があるな」
細い道路を抜ければ大通りに面しているが、近くにある建物の陰からも視線を感じる。智希の指摘通り、他校の女子生徒までいるみたいだった。
「智希君も代打で活躍したし、一目みたいと思う女子が多かったんじゃないかな」
「そうは言っても一回戦負けだし、そもそも活躍度合いでいったら最後に力尽きたとはいっても、頑張って投げてた逆恨み先輩の方が凄いだろ」
「いやいやいや、そんなことはないとも」
やたらと気取った声が聞こえたと思ったら、伸ばし始めた髪を指で掻き上げる振りをしながら、噂の本人が歩いてきた。まだまだボーズ頭なのでまったく似合っていないのだが、何故か周囲の女子が手を取り合って甲高い声を発する。
「野球は1人じゃできないからな。俺があそこまで投げられたのも、高木というチームメイトが後ろにいてくれたからさ!」
「……なんか悪いもんでも食ったんスか、つーか食ってるスよね、吐き出した方がいいっスよ」
「手遅れだ。すでに慢心という毒薬は、奴の胃の中で消化されてしまった」
「おお、智希、詩人みたいだな」
「この場合は中二病っぽいのが正解だと思うけど」
普段ならここらでツッコミが入りそうなものだが、悦に浸っている感じの矢島は苛々した様子を見せず朗らかに笑っている。
「はっきり言ってキモいな」
「元からこの程度だったと記憶してるが」
「はっはっは、2人とも手厳しいな、はっはっは」
もはや処置なしと春也が智希と同時に肩を竦めていると、遠巻きに見ていた女子生徒が作りつつあった輪を、1人の女性が突き破るように歩いてきた。
「マネージャーじゃん、おっす」
「春也君、おはよう。智希君と晋悟君も。3人とも普段から人気だから、こんな時でも平常心なのは凄いよね、憧れちゃうな、恰好いいな」
頬に手を当て、軽く首を傾げる要。記憶にある彼女にはあまり似つかわしくない仕草は、とてもわざとらしく感じた。
だからこそ春也もどもり気味に返事をしたのだが、それ以上に露骨な反応を示す人間がいた。急な人気に浮かれまくっていた矢島だ。
「おい、ちょっと待て、今のはどういう意味だよ」
「他の女に目移りしまくってる先輩には関係ないでしょ!」
一息で吐き捨てた要は、目を吊り上げるなりしなやかな健脚で矢島にローキックを見舞った。
「うお、いい音鳴ったな」
「御子柴さんも部活中は練習を補佐するために走り回ってるからね。昔から継続してるし、筋肉がついてても不思議じゃないよ」
晋悟が春也の感想に頷いている間に、焦り顔の矢島が要の肩に手を伸ばしては荒々しく振り払われる光景が展開される。
「それに今のってもしかして……」
「多分、春也君の推測通りなんじゃないかな」
春也一筋だと公言していた女マネージャーも、いつの間にか吹っ切っていい人を見つけていたようである。
「こんなことなら春也君にずっと片想いしてる方がマシだったわ!」
「悪かったって、おい、要!」
その恋が数秒後には終わっていないように、春也としては祈るばかりだった。そして痛感する。男が天狗になると、大体碌な目にあわないと。
*
夜に来客が訪れたので食事を終えていた春也が応対すると、ドアホンにはいつになくおめかしした陽向が映っていた。
春也は驚きながらもすぐに自室へ案内する。冷蔵庫にあったスポーツドリンクをグラスに入れて出し、母親が店から持ってきた売れ残りのパンもテーブルに並べておく。
「なんか……まーねえちゃんがそんな恰好してると新鮮だな」
どちらかといえばパンツルックを好むのが陽向だ。スカートはほとんど学校の制服でしか見たことがなかった。それなのに今夜は薄いブルーのワンピースに、カーディガンを羽織ったお嬢様っぽい服装をしている。
「俺に会うため……とか? ヤバい、可愛すぎて惚れ直した」
「そ、そんなことねえけど……ま、褒めたいなら褒められてやってもいいぞ」
プイと横を向いた陽向は鼻梁まで真っ赤にしていた。褒め言葉一つでこんなにも照れてくれるのだから、春也にすれば無尽蔵に送りたくなってしまう。
「けど、どうしたんだ? わざわざこっちに戻ってくるなんて」
寮生活中とはいえ大学生なので、そこまでガチガチの規則で縛られているわけではないみたいだが、ソフトボール部にも所属しているので同級生ほど自由に身動きできないのである。
「別に? 俺が来たらなんかマズいことでもあるのかよ」
何の脈絡もなく機嫌を急降下させた陽向に、春也はあれ、と首を捻る。
「俺は全然嬉しいぞ、毎日まーねえちゃんの顔が見たいからな」
「そ、そうか、そうだよな、そうだと思ってたんだよ」
今度は急に上機嫌になる。春也が何かあったのかと訝るのも当然だった。
「さてはまたゆーねえちゃんあたりにあれこれ吹き込まれたんだろ」
「そんなわけねえし!? 俺は年上らしく常にドンと構えてるし!? 春也が学校でチヤホヤされてるからって気にしてねえからな!」
「おう、まーねえちゃんと真っ先に交際できたのが俺で良かったわ。放っておいたら悪い男に騙されまくってたわ、これ」
「人をチョロい女扱いすんな!」
「だってまーねえちゃん、さすがにわかりやすすぎるだろ。ま、そういう嫉妬の方が可愛いのは確かだし、抱き締めてやりたくなったけどな」
ニッとしつつ言うと、噴火したように恋人が耳まで真っ赤にした。
「またあっさりそういうことを……」
「なんか祖父ちゃんの血らしいぞ。前に祖母ちゃんが言ってた」
「ろくなもんじゃねえな」
「嬉しくなかったのか?」
「そ、そんなことを女に言わせるなよ!」
赤面したまま声を荒げると、今度は俯いてもじもじし始める。なんという可愛い生物かと、春也はにまにまが止まらない。
「いやー、まーねえちゃんが嫉妬して、俺の気を引こうとわざわざおめかししてまで夜に会いに来てくれるなんてな。彼氏冥利に尽きるよな。もっと素直に甘えてもいいんだぜ」
「……帰る」
無表情になって立ち上がった陽向に、からかいすぎたかと大慌てする春也。
「待ってくれって。せっかく会えたんだからもうちょっと話もしたいし……って帰りどうすんだ? こっちから中央の終電なんてとっくになくなってるだろ。もしかして車で来たとか? あ、わかった! 俺の部屋に泊って――」
「――いくわけねえだろうが! 自分の家に帰るんだよ!」
「だったら、余計にもうちょっと話そうって。もうからかったりしないから!」
「嘘だったら、二度と慰めてやらねえからな」
「うっ……」
甲子園で負けたあとの一幕を思い出し、春也は顔面を蒼白にして言葉に詰まる。これに勝機を見出したのが、防戦一方だった陽向である。
「子供みたいに泣いてな、あの時の春也は可愛かったよな」
「……帰る」
「おいおい、どこにだよ。お前の家はここだろ。優しいお姉さんが、お望み通りもっとお話してやるから座ってろって。なんならいい子いい子してやろうか?」
「それはちょっと興味が……じゃなくて! ちくしょう、高校生になった俺があっさり負けると思うなよ」
などと言ってはいたが、子供の頃から陽向にお世話になりまくっている春也である。昔の思い出を持ち出されれば、敵うはずがないのだった。
*
「そんなわけで昨夜は散々な目にあったぜ……」
「その割には今朝もまだニヤニヤしてるけどね」
教室で自分の椅子に座るなり、溜息混じりに説明した春也を、晋悟がどこか微笑ましそうに見てくる。
「昨日の御子柴さんもそうだけど、春也君も高校生っぽい青春を送ってるよね」
そう言って晋悟が視線を向けたのは、春也のスマホだった。他の女性に気を持たせないために、待ち受け画像を昨夜撮影したばかりのツーショットに変更していた。
「これだけじゃスマホを見せないとわからないから、バッグにはお揃いのキーホルダーとかもつけてある」
「でも陽向お姉さんの好みは男性っぽいのも多いから、パッと見は彼女とお揃いだとは思えないよな」
「だとすると、まーねえちゃんが前に南高校で使ってたジャージでも借りてくるか。それならさすがにわかるだろ」
「サイズが合えばの話だけどね」
女性にしては体格が良い方の陽向も、成長期真っ盛りの春也と比べると小柄に見えてしまう。
「貴様は阿呆か」
黙って話を聞いていた智希が、ここでお決まりのフレーズとともに参戦してきた。
「自作のプロマイドなどを所有物すべてに貼ればいいだろうが」
「それだ! やっぱりお前、天才だな」
「どうして春也君は乗り気になるのかな!? 確実に陽向お姉さんは嫌がると思うから止めた方がいいと思うな!」
晋悟だけでなく、途中から会話に加わったマネージャーからも強く制止され、さすがに諦めた春也だったが、この時の様子が徐々にファンらしき女子生徒たちに伝わって、騒動は収束の兆しを見せ始めた。




