27 穂月の卒業式と合格発表、涙よりも笑いが多い原因はあの人です!?
踏みしめるように穂月は歩く。周りには付き合いも長くなってきた気が置けない友人たち。風はまだ冷たいが、春を思わせる日差しに心までポカポカする。
けれど満面の笑みとはならない。誰もが会話に花を咲かせながら、時折寂しげに目を伏せたりする。穂月も今日ばかりは学校に着かなければいいのにと思ったりする。
「……大丈夫、きっと皆、受かってる」
いつの間にか下がっていた穂月の頭に、希の顎先が乗せられた。背負っているバッグもないので、今日はいつもよりもたれかかり度が高い親友である。
「あはは……さすがのぞちゃん。穂月の考え事がすぐわかっちゃうんだね」
「……伊達に幼稚園の頃から友達してない」
「それを言うならゆーちゃんもなの! ずっとほっちゃん一筋なの!」
「うん、ありがとう」
お礼を言うと、少しだけ心が軽くなった。前を見ると、通い慣れた校舎が少しずつ大きくなってくる。普段と違う彩りで、校門前には大きな立て看板がある。そこには力強い文字で卒業式と書かれていた。
「もうすぐ着いちゃうね」
「最後の登校と思うと感慨深いです」
普段は全員で待ち合わせしての自転車通学だが、今日に限ってはそれなりの距離がある通学路を歩いてきた。そのおかげで沙耶が付け加えた通り、色々な思いが去来していた。
「あーちゃん先輩たちも言っておりましたが、中学までの卒業式とはなんだか違いますわね」
校門前で校舎を見上げる凛も、いつになくセンチメンタルぶりを発揮する。
「皆でたくさん遊んだね。穂月としては演劇部に青春を捧げてもよかったんだけど」
「それをしてしまうと主にわたくしが泣いてしまいますので、ほっちゃんさんの決断には今でも感謝しておりますわ」
演劇部での活動も悪くはなかったが、穂月にとって仲の良い友人たちと一緒に遊ぶことこそが重要だった。以前に聞いた希の母親が、ソフトボールの実業団を辞めた理由が穂月だけは多少なりとも理解できた。
*
朝に教室に入った際はまだ明るい雰囲気だったが、卒業式が始まると厳かな雰囲気と相まって空気が重苦しくなる。無言の時間は否応なしに3年間の思い出を脳裏に過らせ、どこからか鼻を啜るような音が聞こえてくる。
校長先生の話や、在校生による送辞に卒業生の答辞。見慣れた体育館ともこれでお別れだと思うと、穂月も自然と泣きそうになってしまう。
すぐ前に座る悠里の頭が少し揺れている。肩も震えているので、きっと穂月同様に泣くのを堪えているのだろう。考えてみれば彼女は卒業式でよく号泣する陽向をからかいまくっていた。自分が同様の真似はできないと考えているに違いない。
穂月はそう思っていたのだが――。
「……プッ、もうだめなの」
「ゆーちゃん?」
体を傾けて悠里の様子を斜め後ろから確認すると、涙ではなく笑いを耐えている真っ最中だった。
卒業式の何が面白いのかと彼女の視線を追いかけていけば、そこには椅子の上で眠っていたらしい希が、手足を伸ばしたいと考えたのかステージ下まで転がっていこうとしていた。
これに大慌てなのが真っ先に異変に気付いた担任の美由紀である。部活の顧問としても3年間付き合ってきた彼女は、こうした場面でこそ希がもっとも危険であることをよく理解していた。
せっかく綺麗に着飾っているワンピース姿で、先頭に座っている沙耶に身振り手振りで必死にサインを送っている。女教師の様子に気付いたのか、保護者席――とりわけ穂月の両親がいるあたり――が途端に騒がしくなる。
「……ええっ!?」
自身の真横を這うように通り過ぎた希に、沙耶がたまらず大きな声を上げ、慌てて両手で口を塞いで周囲の様子を確認する。事ここに至って、ようやく担任の女教師が何を言いたいのか理解したようだった。
一部を除いて余計に体育館内がシンとなり、ついに堪えきれなくなった悠里が笑い声を響かせた。
「アハハ! 行き遅れBBAの顔が真っ赤なの!」
途端に噴き出すクラスメート。顔を顰める校長。どう反応したものやらと苦笑する保護者。そしてブチッと切れた女担任。
頬を引き攣らせながら駆け寄ると希を抱え、席に座らせる。さらにどこかから調達してきたらしい紐で、保護者から見えないように希の足首と椅子をグルグル巻きにしてしまう。
「帰りは凛が教室まで担いで持って帰ってきてちょうだい」
「そ、それはさすがに目立ちすぎるといいますか……」
「貴族なんでしょ? こういう時こそノブレスオブリージュの精神を発揮しなさい!」
「何か違うような気もいたしますが……そう言われると頷くしかありませんわ……」
「結構よ、あと悠里……覚悟しておきなさいよ」
こうして湿っぽい雰囲気は遥か彼方まで吹き飛び、歴代でもっとも泣いた生徒の少ない卒業式は終わりゆくのだった。
*
「なんだかあんまり受かっててほしくない気もするの……」
電車に乗り、全員でやってきた県大学。穂月の周りにはいつもの面々だけでなく、すでに在籍中の朱華と陽向の姿もあった。
「卒業式でやらかして、美由紀先生に大学で男捕まえて紹介しろって言われたんだっけ?」
朱華と陽向も穂月たちの卒業式を見に来てくれていたので、現場で何が起きたのかは知っている。式後に中庭へなかなか現れない穂月たちにヤキモキして、昨年みたいに告白責めにあっているのではと予想したみたいだが、実際は悠里が美由紀に説教され終わるのを待っていただけだった。
その間に各自の告白イベントも発生していたのだが、その話になると途端に凛が捨てられた子犬みたいにシュンとしてしまうので、悠里以外はなるべく口にしないようにしていた。
「やらかしたのはのぞちゃんなの。ゆーちゃんはそれを見て笑っただけなの」
「そのおかげで次々に笑いが起きて、しばらく収拾がつかなくなってたじゃねえか。しかも美由紀先生を大勢の前でBBA呼ばわりするし」
さすがの陽向も呆れ顔だが、朱華はどこか楽しげだ。
「でもああいう卒業式もいいじゃない。私は少し羨ましかったわ」
「それはあーちゃんが傍から見ていただけだからです。のぞちゃんが隣を転がっていった時は心臓が止まりそうでした」
沙耶も当時を思い出したのか、疲れ果てたように肩を落とす。
「わたくしなんて退場の時は見世物同然でしたわ。保護者席からはのぞちゃんさんママのすまん、すまんという嗚咽交じりの謝罪が聞こえてきておりましたし」
「あはは……でものぞちゃんらしかったよね」
「……アタシを理解してくれるのはほっちゃんだけ」
懸命にフォローする穂月に、背後から希が抱き着いてきた。
「その割には子供時代は泣きながらほっちゃんから逃げてたけどね。よくあの状況からここまでの親友になったものだわ」
幼稚園に入る前の光景を、2つ上の朱華はそれなりに覚えているみたいだった。
「……逃げると追いかけてくるけど、構うと止まるから相手するようになった。突飛な行動が多いからそのうち目が離せなくなって、いつも気になりだした。あと他の人と違って、ほっちゃんだけはアタシを気遣ったりするような目で見てくることはなくて、それが心地よかった」
肩から回っている腕に力が入った。穂月は親友の温もりをより強く感じ、えへへと頬を緩める。
「仲良くなる理由は人それぞれか……。
あっ、合格発表が張り出されるみたいだよ」
朱華が指差した方向を、穂月たちは揃って緊張気味に見つめた。
*
「全員受かっててよかったねー」
先に推薦で合格を決めてはいても、後になってやっぱり取り止めね、などと言われないが危惧していた穂月である。実際に自分の番号を見つけると、心の底から安堵した。
「推薦合格は先に公表してもいいと思うの」
悠里も同様の気持ちを抱えていたらしく、唇を尖らせて不満を露わにする。
県大学では受験を控えている学生に配慮するためという理由で、推薦合格した生徒の番号も一緒に発表することになっていた。これも母親の代から変わっていないらしい。
ちなみに大学から是非ともと誘われたのが穂月と希、ソフトボール部に入ってくれるならと入学条件の緩和を提示されたのが悠里と凛、実力で受かったのが沙耶である。
今度、3年生となる朱華と2年生の陽向も入学条件を緩和されての合格組だ。何がなんでも入ってくれと頭を下げられたのは歴代の南高校ソフトボール部において実希子、穂月、希の3人だけだとは、以前に顧問の美由紀から教えられた話である。
「でもこれでまた皆で学校に通えるね。勉強は嫌だけど……」
「ほっちゃんのお世話は私がするから大丈夫です」
勉強面では誰より頼りになる沙耶が得意げに胸を叩いた。ぽよんと弾んだふくよかさを、いつものように悠里が羨ましそうに眺めている。
全員が無事に合格を果たしたことと、春の陽気の爽やかさに皆の口も軽くなる。
「それにしても県大学の近くには、こんなに素敵な公園があるのですね」
凛が穏やかな口調で感想を述べつつ、朱華が案内してくれた緑豊かな公園を見回す。
「カップルの姿もちらほら……あっ、りんりん……ごめんなさい、なの……」
「わざとらしく謝るのはやめていただけます!? 大体、常日頃からそうした話題でわたくしを煽るのはゆーちゃんさんだけではありませんか!」
ひとしきり笑ったあと、思い切って穂月は草むらで仰向けになる。
「いい天気だねー……広々ともしてるし……お芝居がしたくなるね」
「あら、いいんじゃない? せっかくだからこれまでの私たちを劇にしてみる?」
朱華の提案に、意外にも乗り気なのが希だった。
「……アタシがほっちゃん役、こればかりは誰にも譲らない。そしてアタシの役がほっちゃん」
「異議を申し立てるの! それならゆーちゃんがほっちゃん役になるの! そしてのぞちゃんを演じるほっちゃんからイチャイチャしてもらうの!」
「アハハ! 楽しそうだけど、それだとお芝居っていうより物真似大会になりそうだね」
そう言いながらも穂月は立ち上がり、皆の手を取って配役についてあれこれ考え始めた。




