お姉ちゃんたちへ日頃の感謝を伝えましょう、でも餃子ジュースは止めた方がいいと思います
「姉ちゃんたちも高校に受かったらしいんで、何かお祝いをしてやりたいんだが、お前らはどう思う?」
着替えの途中で、春也は一緒に部室に入った友人2人に問いかながら汗を拭く。野球部恒例の卒業間近な生徒と交流する追い出し会で、下級生を返り討ちにしたばかりなので次から次に溢れてくるのだ。
「見込みってだけで、実際に合格通知が届いたわけじゃないからまだ早いんじゃないかな。この間の夕食会を見ると、不合格の可能性が低いのはわかるけどね」
高校のソフトボール部の顧問だという女性が乱入してきたのは記憶に新しい。晋悟も春也と一緒にいたので、その時のことを言っているのだろう。
「偉大な姉さんに貢物をしたいのであれば、いちいち理由をつけずとも毎日すればいいだろう」
「……智希は毎日何かしらのぞねーちゃんにプレゼントしてんのか?」
「無論だとも! 惜しみなく溢れんばかりの敬愛を――」
「――でもさ、晋悟。準備とかも必要だろうから、合格発表あってすぐとかだと間に合わないかもしれないだろ」
智希との付き合いで会得したスルースキルを活用し、春也は何食わぬ顔で晋悟との会話だけを継続する。
「春也君の言いたいことはわかるけど、卒業とか合格のお祝いはお母さんたちが企画すると思うし、その時にお金を出し合ってプレゼントを贈るとかでもいいんじゃないかな」
「なるほど、確かに良さげだな」
上半身裸になって腕組みをする。汗も大分引いているので、まだ春にはもう少しあるこの季節ではすぐに服を着ないと風邪を引いてしまう。
「晋悟の意見を採用するのはいいとして、全部ママたちと一緒だとサプライズ感が薄れないか?」
「個人的には驚かせるより、最初から予告するなりして穂月お姉さんたちの欲しいものを聞いてから、それを贈った方が喜ばれると思うな」
「ふむふむ。さすが日頃から女子を侍らせている晋悟だな。女心ってやつがよくわかってる」
「侍らせてないからね!? もしかして最近、変な評判が学校に広まってるのは春也君のせいじゃないよね!?」
すでに着替え終えている晋悟が顔を真っ赤にする。そうまで必死になる理由には、春也も覚えがある。物腰が柔らかくて頼りにもなる友人は、特に女子からあれこれ相談されることが多い。その点をからかっただけで本気ではないのだが、当人が言う通り、卒業式が近づくに連れてよからぬ噂が聞こえるようになってきた。
「女をとっかえひっかえってやつなら、俺じゃないぞ。けど安心しろ。犯人だった隣の組の奴はしっかり説得しておいたからな」
「ア、アハハ……嬉しいけど、あまり無理しないでね。でもありがとう」
「気にすんな。晋悟がそんなことする奴じゃないのは、よくわかってるからな」
「その割にはさっき侍らせてるとかなんとか言ってたけどね」
「俺たちがからかうのはいいんだよ、冗談だってわかってるしな。けど晋悟をよく知りもしない連中に好き勝手言われるのは我慢ならねえだろ。しかもその理由が片思い中の女子がお前を好きだからってだけなんだぞ。くだらねえよな」
*
外に出ると、雪がチラついていた。この時期にしては気温はさほど低くないので、すぐに溶けて消えるだろう。
例年は何とも思わなかったが、もうすぐこの校庭で降る雪を見ながら寒いだの何だの言うこともなくなる。それだけで変な寂しさに襲われ、胸が苦しくなりそうだった。
「誰かを好きって気持ちは決してくだらなくないと思うよ。僕にはまだそんな相手はいないけど、春也君はわかるんじゃない? 例えば陽向お姉さんが他の男の子にばかり夢中で、相手をしてくれなかったらどう思う?」
「確かに腹は立つな」
「きっと僕の噂を流したって子も、似たような気持ちだったんじゃないかな」
「だとしても好きな人のさらに好きな人の悪口を言っても駄目だろ。俺だったらそいつよりずっと恰好いいとこ見せて、こっちを振り向いてもらうぞ」
「うん、それが1番だね。さすが春也君だよ」
「――それだ!」
微笑ましい雰囲気で会話が終わったタイミングで、難しい顔をしていた智希が手袋を装着した手をボスっと叩いた。
「あん? 智希も好きな女の子が――って聞くまでもないか」
「うむ、日頃の感謝を形にしたと姉さんたちをもてなすんだ。物を贈るよりも心に残る可能性が高い」
「……何の話してんだ、お前」
「先ほど貴様らが話し合っていたではないか、サプライズがどうのとな」
真面目な顔で語る智希は本気だった。
「これ……途中から考え事に没頭して、僕たちの話を聞いてなかったパターンだね」
「まあ、智希に答えを求めてなかったからな。当たり前っちゃ当たり前か。で、何か思いついたんなら教えてくれよ」
敬愛だのと騒いでいた智希が何をプレゼントするつもりなのか、単純に興味があった。同意できるものであれば、友人の提案でもあるので賛同するつもりだ。
「日頃ということはつまり日常だ。そして春也はサプライズがしたい。となれば贈るべきは1つしかない」
「そ、それは……?」
ごくりと生唾を呑み込んだのは晋悟だ。この場にいる誰よりも緊張しているのは、智希が突拍子もないことを言い出さないか不安だからだろう。その気持ちは春也にもよく理解できた。
「姉さんと一緒に過ごす権だ。具体的にはもうすぐ卒業する中学校で忘れられない思い出を作ってもらうべく、俺たちが一緒に学校生活を送って――」
「――それ、単に智希君が希お姉さんといたいだけだよね!? しかもまた不法侵入パターンだよね!?」
「忘れられない思い出というより、消してもらえない記録になりそうだな」
「上手いこと言ったつもりかもしれないけど、ドヤ顔してる場合じゃないからね!? 止めないと智希君は本当に実行する人だからね!?」
「まったくだ。姉さんとの記憶を消したがるなど愚かにも程があるぞ」
「お願いだから僕の話を聞いてくれるかな!? 実行するにしてもせめて家でにしてくれるかな!? そうすればそこまでの騒ぎにはならないから!」
懸命に晋悟は思い止まらせようとするが、そもそも素直に頷く人間であれば反対する原因となった計画を思いつきさえしない。
「貴様は俺に死ねと言うのか!」
「どうしてそうなるのかな!?」
「考えてもみろ、姉さんが中学校に入学してからというもの、ただの1度も一緒に登下校してないんだぞ! そして俺が入学する前に卒業するんだぞ! こんなことが許されてたまるか!」
「年齢的な問題だからどうしようもないんだってば!」
「なるほど。つまり俺の年齢を偽ればいいんだな」
「やめてくれるかな!? 智希君たちが問題を起こすたびに、どうしてか僕が注意されるんだから!」
「心配には及ばん。昔からよく言うではないか。嘘はつき続ければ真実になると」
「どこの詐欺師の言葉かな!? 春也君も黙って見てないで助けてくれないかな!?」
涙目で哀願された春也は、晋悟の目をしっかりと見据え、
「晋悟って慌てると口調が独特になるよな」
「今、気にすることじゃないよね!?」
結局この日は家に帰るまで晋悟が智希から目を離すことはなかった。
*
そして夜も間近に迫った高木家。他の家と比べて広めのキッチンはやや寒く、祖母愛用の電気ストーブで温めてから3人で入った。
合格祝いにはまだ早いということで、日頃の感謝を表すために手作りの夕食を振舞うことに決めたのである。
「僕たちの誕生日にはケーキや料理を作って貰ってるし、僕は春也君の案はとてもいいと思う。ただ……」
途中までのほのぼのした表情は、台所の隅で独自行動中の智希を捉えるなり盛大に引き攣った。
「どうしてミキサーなんか準備してるのかな」
「決まってるだろう。姉さんは栄養ジュースを好んでいるからな。具材をまとめてジュースにするのだ」
「ならせめて普通の野菜ジュース系にした方がいいんじゃないかな!? にんにくとかニラとかは避けるべきだと思うよ!?」
「……どうやら見守ることに決めて正解だったようね」
晋悟と智希のやり取りに、少し離れた場所で立って見学中の祖母が早くも疲れたようなため息をついた。
「何を作るのか決めてなかったの?」
「餃子だよ。作ったのをそれぞれの姉ちゃんに食べてもらうんだ。俺はまーねえちゃんの分も作るけどね」
「それなら葉月や菜月の分も作ってあげたらどう? 今回の料理のコンセプトは日頃の感謝なのでしょう?」
「言われてみればそうだな。さすがばあちゃんだ」
さすがに餃子だけだとおかずには足りないので、追加で祖母が唐揚げを作ってくれることになった。教わりながらでも自分の作業ができるのは、新築時に広いキッチンを望んだという祖母のおかげでもある。
「よっし、美味しいのを作って、うって言わせてやる!」
「それを言うならあっとじゃないかな。うっ、だとなんだか毒殺してるみたいだし、止めた方がいいと思うよ」
ようやく智希にオリジナルミックスジュース作りを断念させた晋悟が、相当にグッタリしながら春也のところまで戻ってきていた。
*
「おー、普通に餃子だー」
「マジかよ……ちゃんと火が通ってるぞ……」
「その感想で、姉ちゃんとまーねえちゃんの俺への評価がわかったよ」
わざとらしく春也が肩を落とすと、特に陽向が悪い悪いと謝ってくれた。
穂月たちのいつもの仲良しグループを招待して始まった夕食会は、メインを作ったのが春也たちだと判明するなり緊迫した空気に包まれたが、それもついさっき見事に晴れていた。
春也の母親は祖母が面倒見てたんだから食べられないものが出てくるわけないよと、最初から心配なさそうにしていたが。
「でもマジで美味いな」
「へへっ、まーねえちゃんに喜んでもらいたくて、頑張って作ったんだぜ」
「え? 穂月たちへの日頃の感謝じゃなかったの」
悪戯っぽく目を細めた姉にからかわれる。その穂月はポーズを決めようとしてテーブルに肘をついたせいで祖母に注意されたが。
「すみません、姉さん。せっかくならジュースの形にしたかったんですが、春也と晋悟に阻止されてしまいました」
「……これでいい」
「はわわ、のぞちゃんもさすがに餃子ジュースは勘弁してほしいみたいなの」
「聞くだけで胃液がこみ上げてきそうですものね……」
「私も無理です……」
意味不明な智希の懺悔に、普段から無表情の多い希が珍しく蒼褪めていたようで、それを見た悠里や凛や沙耶も普通の餃子が出てきてくれたことに安堵していた。
「晋悟、焼きが甘いわよ。こんなことで立派な餃子職人になれると思ってるの?」
「初めて作ったので……って、お姉さん!? 僕は餃子職人になるつもりはないですよ!? 夢として語ったこともないですよね!?」
朱華と晋悟も姉弟らしい……かどうかはわからないが、普段より会話も増えて楽しく過ごしているみたいだった。
「餃子を作るのは大変だったけど、皆が笑顔で食べてくれるのを見るのはいいもんだな」
きっと母親はこの光景を見たくてパン屋をしているのかもしれない。そんな風に思いながら、春也は自作の餃子をもう1つ口の中へと放り込んだ。




