これぞまさに集大成、春也も立派に成長しました……と思いきや、意外とそうでもないようです
「いよっしゃあああ!」
こみ上げる感情のままに、春也はマウンドで拳を突き上げた。春の大会の結果が良かったので自分でも期待していたが、久しぶりの地区大会突破だった。
整列する際も全員が笑顔で――1名だけ観客席を見ていたが――喜びを爆発させた。主戦は春也だったが、晋悟も2番手投手として役目を果たした。
去年までの重苦しい雰囲気は綺麗さっぱり消えていて、軽く感じるほどに体が動いてくれたのが好結果に繋がった。
「次は県予選だ。ガンガン勝ち進んでやるぜ!」
*
県予選は地区大会に比べて参加校が一気に増える。東北大会は各県の上位チームしか出場できないため、1番チーム数が多くなるのである。
整列中から武者震いしっぱなしだった春也は早く試合がしたくてたまらず、投球練習を終えるなりベンチにも座らずに笑顔全開で叫んだ。
「だーはっはっ! 今日も絶好調だぜい!」
「その言い方、なんだか智希君のお母さんっぽいね」
「……ちょっと控えることにするわ」
「あれ!? モチベーションが下がっちゃった!?」
ぶんぶん腕を回していた最中に晋悟にツッコまれ、思わず肩を落としてしまう。
運動神経は素晴らしいし、性格も悪くはない。しかし、なんというか真似したいタイプの大人ではない。それが春也の実希子評だった。
そのまま伝えると、何故か晋悟は微妙そうな顔をした。
「陽向お姉さんも似たタイプのような……本人は気付いてないのかな……」
「何をブツブツ言ってんだ?」
「な、何でもないよ! 気にしないでほしいかな!」
逃げるように目線を逸らし、そして晋悟がギョッとする。
つい先ほどまでそこにいたはずの智希が、プロテクターだけを残してどこかに消えていた。
「離せっ! 姉さんのいないグラウンドに何の意味がある!」
「県大会に参加する意味だよ! お前はいい加減にしろ!」
「……どうやら脱走しようとして監督に捕まったみたいだな」
「ア、アハハ……これ、また僕がしっかり見張ってろって注意されるのかな」
奥の通路から聞こえてきた声を基に春也が見解を述べると、困り顔の晋悟が頬を引き攣らせた。
連れ戻された智希はいつもの通路近くではなく、もっとも遠くかつ監督の前に強制的に座らされた。
「く……こんなことをしている場合ではないというのに……!」
「ん? のぞねーちゃん、今日、何かあったか?」
あまりに必死な様子に、春也はもう1人の友人に確認する。
「僕は特に聞いてないね」
「じゃあ、どうして智希はそんなに帰りたがってるんだよ」
「姉さんの傍にいたいからだ!」
「要するにいつもの発作だな。よし、放っておこう」
ぶーぶー文句を言い、本気で脱走しようとするが、グラウンドに出れば一応は真面目にプレーしてくれるのだ。
「観客席で他の先生が撮影してるから、頑張ってくれれば小山田にやるぞ。お姉さんに見せて会話のきっかけにするといい」
「……なるほど。自分のアピールできるし一石二鳥か。仮に姉さんが興味を示さなくても、穂月さんを巻き込めば……」
「おい、そこでうちの姉ちゃんを陰謀に組み入れようとすんな」
「仕方なかろう。姉さんにとって穂月さんは親友なのだからな。よし、そうと決まれば気合を入れろ! 勝利を姉さんに捧げるのだ!」
急にやる気を見せた智希に4年生でベンチ入りした部員だけが戸惑う。他はいつものことなので大して気にしない。
ただし春也たちは目配せで確認し合う。負けたら早く帰れて希と会えるようになるとは決して言うなと。
*
「うらあああっ!」
帽子が落ちるほどのダイナミックなフォームから、今年のエース陣の中では1番かもしれないと言われた速球を投げ込む。
実力ある児童ではすでに硬式野球に取り組んでいる者もいるが、春也は父親の勧めで軟式野球をやり続けた。
当初は地元の仲間を通してチームワークだけでなく友情も学べと言われても意味不明だったが、今ではなんとなくわかるようになっていた。
勝利だけを求めるチームでもそれらを育むのは可能だろうが、どちらかといえば変わる前の姿の方が歓迎されたような気がする。
姉狂いの親友ほどではないにしろ、春也も自分の性格を面倒臭いと自覚しているだけに、昔から付き合いのある連中と一緒で良かったと心から思う。
「ナイスピッチング!」
この回も0に抑え、悠々とベンチに戻っていると背中を軽く叩かれた。野球部生活の中で何かと不足分を補ってくれた晋悟だ。
「まだまだこれからだ。せっかく2年ぶりに全国大会に来られたんだ。1つでも多く勝ってやらないとな。姉ちゃんたちには負けないぜ!」
「お姉さんたちも全国大会に出るからね。地元ではかなりのお祭り騒ぎみたいだよ」
「俺らの周りだけがだろ?」
「そんなことないよ。商店街の人たちも横断幕を作ってくれたりしてたしね」
「ならやっぱ勝利を届けてやらねえとな。智希もそう思うだろ」
ベンチに腰を下ろし、タオルで汗を拭きながら、やはり通路近くに陣取る友人に声をかけた。
「当たり前だ!」
くわっと目を見開いた智希はやる気に満ち溢れていた。これにはもちろん理由がある。
チームの全国大会に同行せず、姉の全国大会の応援に行くと駄々をこねた智希をなんとかするために、当人を除く部員総出で穂月に土下座する勢いで頼み込んだのだ。
そのかいあって穂月からさらに頼まれた希が弟に「アタシに勝利をプレゼントして」とお願いした。そこからの智希の情熱は凄まじく、過去の衝突は何だったのかと呆れるほどの猛練習をチームに課そうとしたほどである。
「待っててください、姉さん。俺が完璧かつ美しい勝利をプレゼントします!」
物語の主人公みたいに燃え上がる智希の周りは、巻き添えを恐れて微妙な空白地帯になっていたりするが。
「僕のお姉さんから聞いた話によると、激励の言葉には何の感情も籠ってなかったらしいんだけど」
耳打ちしてきた晋悟に、春也は伸びをしながら頷きを返す。
「真顔というか寝言みたいな感じだったらしいな。だが本人には言葉を貰えただけで満足なんだろ。俺も出発前にまーねえちゃんに応援してもらって嬉しかったしな」
「そうだね。さすがに全国大会では親御さんも全試合応援に来るのは難しいし、そうした人たちに勝利の報告をするために頑張るのは悪くないよね」
「うちのじいちゃんとばあちゃんは全試合帯同するらしいけどな」
祖父はノートパソコンさえあればどこでも仕事できるからと笑い、当たり前のように祖母もそれに同行中だ。ちなみにこの2人は姉の試合にも皆勤賞である。
「だったらなおさらいいとこ見せないとね」
「智希じゃないけど当たり前だ。腕が千切れるまで投げてやるぜ!」
「それだけはやめてほしいな!? また僕が監督不行届きで注意されるような気がするから!」
幼稚園の頃から変わらず、春也と智希の保護者的立ち位置の友人は全力で叫んでいた。
*
普段ならはしゃぎまくる夏休みだが、今ばかりはあまり楽しむ気にはなれなかった。昨年みたいにイライラしているとかではなく、単純にやりきった感が全身に満ちていてエネルギーというか新たなやる気が湧いてこないのだ。
今日も今日でいつもの2人と自室で遊んでいたが、何をするでもなく春也はボーっと天井を見上げていた。
「……終わっちまったな」
「部活? 穂月お姉さんたちは、次は演劇だと張り切ってるけど」
「そこだ!」
床に胡坐をかいていた智希が、自分の膝をぺしんと叩いた。
「我々も演劇をするべきではないか。姉さんたちを手伝うために!」
「身内だけで遊ぶならともかく、穂月お姉さんも希お姉さんも部活としてやっているんだし、そうでなくても中学校の文化祭での発表なんだから他校の、それも小学生の僕たちは加われないよ」
「何故ゆえにだ!」
「説明したばっかりなんだけど……聞いてくれてなかったのかな……」
「演劇か……前に姉ちゃんに付き合わされたけど、やっぱり俺はスポーツとかしてる方がいいな」
「なるほど、俺と一緒に姉さんを追いかけたいのか」
「違う」
変な納得をされたままでは困るので、即座に否定しておくのを忘れない。いつでもどこでも姉本位な姿勢には、ほんの少しだけ感心もするが。
「大体のぞねーちゃんは追いかけなくても家で転がってるだろ。そうじゃなくて野球だよ、野球。全国大会では準決勝で負けちまったけど、今でも悔しくてたまらないけど、それでも皆と勝ち進めた今年の夏は楽しかった。うん、凄え面白かった」
上半身を起こした春也に、晋悟が「僕もだよ」と言った。
「春也君は中学校に行っても野球部に入るんだよね?」
「もちろんだ。こっちは田舎だから硬式のクラブチームはないし、パパだって中学までは軟式で鍛えたらしいからな」
小さい頃からの硬式経験者は確かに有利になるだろうが、だからといって高校から始めた人間が絶対に敵わないということもない。
「野球は上手くなりたいし、試合でも勝ちたいけど、それはやっぱ智希や晋悟、それに他の連中と一緒にやれてこそなんだよな」
「解せんな」
感動的な台詞を言ったつもりが、友人の1人に即座に否定された。どうしてかは長年の付き合いでわかっているので、別に腹は立たないが。
「続きは言わなくてもいいぞ、俺は姉さんだけいればいい、だろ」
「ほう。貴様もようやくわかってきたみたいだな」
「そりゃ、こんだけつるんでればな」
春也に続いて晋悟も笑う。最後に智希も口端を少しだけ吊り上げた。
「やれやれ、中学でも貴様に付き合わされるわけだな」
「いいじゃねえか、俺らが入学する頃にはのぞねーちゃんも卒業してんだ。付き合えよ」
「よかろう。ただし条件がある。俺に飛び級で高校へ進学できる方法を教えろ」
「無理だっての。もしあってもんなことしたら、一緒に野球できなくなんじゃねえか」
「愚か者め。貴様も一緒に高校へ通えばいいではないか」
「お前、天才だな!」
「納得するの!? 駄目だからね!? 冗談だよね!? お願いだからそう言ってよおおお!」
春也と智希は夜遅くまで、涙目の晋悟に説得され続けたのだった。




