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愛すべき不思議な家族&その後の愛すべき不思議な家族  作者: 桐条京介
その後の愛すべき不思議な家族9 愛すべき子供たち編
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幸せの形

 見慣れた風景が視界に入ると、理由もわからずに菜月は泣きたくなった。


 景色がとても眩しく見えて、目の奥がジンと熱い。


 濡れる目尻を親指で拭ったあと、涙を誤魔化すように伸びをする。組んだ両手を突き上げた先には澄み切った大空。都会にはない自然と落ち着きに、胸のもやもやが晴れていくような気がした。


「大丈夫? 疲れてない?」


 隣を歩く真が心配そうに菜月の顔を覗き込む。


 苦笑しながら「何でもない」と答えて、前方に見えてきた二階建てのアパートを見上げる。


 六軒長屋みたいに同じ造りのアパートが6つ並ぶ。ステンレスの階段があり、二階も一階と同様の構図になっている。築年数の古さを教えるかのように、元は薄い肌色だったと思われる外壁がところどころ剥げている。


 二階にある左から二番目。表札も何もない部屋のインターホンを鳴らす。


 インターホン越しに応じる前に、住民は忙しない足音を響かせる。危険を感じた菜月が真ともども一歩下がると、その直後に勢いよくドアが開け放たれた。


「なっちー、いらっしゃい!」


「お邪魔します。

 ……はいいけれど、茉優、ドアはもう少し静かに開けた方がいいわ」


 下手をするとドア前で待っていた来客が被害にあうと加えて忠告すると、小学校時代からの親友は「えへへ」と頭を掻いた。


「なっちーを招待できると思ったら嬉しくてぇ」


 学生時代と同じ人懐っこく可愛らしい笑顔。


 ここにも変わらないものがあったと、菜月の頬も自然に緩む。


「ごめん。止める暇もなく玄関に駆け出して行っちゃったから」


 茉優の背後から現れた恭介は、苦笑いとも愛想笑いとも取れる微妙な表情を浮かべていた。


「気にしないで。茉優の性格は良くわかっているから」


「そうだよね。

 ああ、我が家へようこそ。菜月ちゃん、真君」


 両手を広げた恭介も、嬉しさを隠しきれていない。


 ただし彼の場合は菜月たちと過ごすよりも、ようやく結婚という形にまで漕ぎつけた最愛の女性との新居に人を招けたのが嬉しいのだろう。


   *


 茉優の案内で菜月は真と一緒に部屋へ上がらせてもらった。


 間取りは1LDKで、奥には大きな窓が一つある。広々として見えるのは最低限の家具しか置いてないからだろう。


「二人で住むには手狭ではないかしら」


 もしかしなくとも、茉優が実父と住んでいたアパートよりも狭い。


「そうなんだけどぉ、いつまで住むかわかんないしぃ」


「ああ、仮住まいみたいなものなのね」


 夫婦で済む良い物件を探したが見つからず、それまではすぐに引き払えるアパートで我慢する。そんな方針だとばかり菜月は思ったが、親友の回答は微妙に違った。


「そうだよぉ、二号店ができるとそっちに住まなきゃいけないしぃ」


 茉優が二号店と呼ぶ店は一つしかない。菜月の姉が経営しているパン屋のムーンリーフだ。


「新店の話って結構前から出てなかった?」


「うんー。はづ姉ちゃんや好美ちゃんたちは決めるつもりだったらしいんだけどぉ、直前で他の人に取られちゃったんだってぇ」


「……初耳だわ」


「きっと、なっちーを心配させたくなかったんだねぇ」


 ちなみに茉優が二号店の店長となった場合、恭介もついていくらしい。そのために仕事も辞め、現在はムーンリーフでその時のために和也について仕事を教えてもらっているそうだ。


「準備だけは着々と進んでいるのね。店がまだ決まっていないのに」


 呆れ半分に菜月が零すと、屈託なく茉優が「あははぁ」と笑った。


「でも、また県中央に良い物件が見つかって、好美ちゃんが話を詰めてるみたいだよぉ」


「それなら安心ね。けれど一度だけとはいえ、好美ちゃんが競合物件を他に取られるなんて珍しいわね」


「銀行の担当者の手違いらしいよぉ。

 もの凄い高級な菓子折り持って、支店長さんが謝りにきてたのを見たの」


「……取引銀行を変えられてもおかしくないくらいの失態ね。

 うちであればここぞとばかりに反派閥の連中が――」


 すらすらと言葉を並べていく途中で菜月は目を剥いた。


 自分は今、何を口走ろうとしていたのか。


 せっかくの友人との楽しい語らいの場で、当たり前に仕事に例えて考える。酷く友人を裏切っているような気がして、自己嫌悪に陥る。


「なっちー、大丈夫だよぉ。茉優もなっちーのお話に興味あるからぁ」


 少女時代に人の顔色を窺ってばかりいた親友は、すぐに菜月が俯いた理由に気付いた。


「ごめ……いいえ、ありがとう、茉優」


「えへへぇ、どういたしましてぇ」


 それからしばらくとりとめのない話をして、外が薄暗くなってきたのを見計らって菜月は親友宅を後にした。


   *


「あ、あはは……ついになっちーにバレちゃったかあ」


 実家へ真っ直ぐ帰宅せずに、立ち寄ったムーンリーフで姉を捕まえて、菜月は二号店について尋ねた。


 茉優から情報を貰っていたのを知ると、それまで白を切ろうとしていた葉月は観念したように先ほどの台詞を返した。


「事が私に露見すると、何か問題でもあったのかしら」


 仲間外れにされたみたいで、少しだけムッとする。背後で真がなんとかなだめようと試みているが、途中で無駄だと悟ると巻き込まれないように和也の傍へ退避していった。


「問題……というより、なっちーに負担をかけたくなかったんだ」


「負担って……」


「だってこういう話を聞くと、なっちーは自分の力でなんとかできないかあれこれ考えちゃうでしょ。ただでさえ忙しいのに、こっちの勝手な都合で迷惑をかけられないわよ」


「迷惑だなんて!」


 声を荒げかけ、菜月はこのままではマズイと目を閉じて深呼吸をする。


「……はづ姉の考えはわかったわ」


 最後にふうと短く息を吐いて、菜月は姉の前から好美の部屋へとお邪魔させてもらう。相変わらず従業員の休憩室としても使われているみたいで、プライベートなどないに等しい状況なのにも関わらず、部屋の主は嫌そうな顔一つしない。


「あら菜月ちゃん、久しぶりね」


 ちょくちょく帰省しているとはいっても、同じ町に住んでいる人間と比べれば、顔を合わせる頻度は極端に減っている。


 したがって帰省の際は先ほどみたいな挨拶になるのだ。それもまた菜月が疎外感みたいなものを覚える理由かもしれない。


「今日は茉優ちゃんのお家に行ってきたんだったわよね」


「はい、二人とも幸せそうでした」


「高校時代から交際してるとはいっても、夫婦になると気分も違うのでしょうね」


 どことなく羨ましそうなニュアンスだったので、菜月は意外に思った。


 感情が顔に出てしまっていたのか、好美がキーボードから手を離して目を細める。デスクに肘をついて組んだ両手に顎を乗せ、少しだけ菜月の方に身を乗り出す。


「私だって世間一般で言うところの幸せに多少なりとも憧れを抱くわ。ただこれまでは縁がなかったし、これからも積極的に探そうとは思わないけど」


「寂しく……なったりしないですか?」


「しないわよ。独身の代わりに夜は自分ひとりだけの時間を持てて、日中は葉月ちゃんの仕事をお手伝いしながら、穂月ちゃんや春也くんの面倒を見てるもの。むしろ丁度いいバランスだし、私は今がとても幸せだわ」


 断言した好美が破顔する。


 菜月にはとても眩しく見え、何より羨ましかった。


「……浮かない表情ね。さっき葉月ちゃんと何か話してたみたいだけど、それに原因があるの?」


「茉優や姉から二号店の話は聞きましたけれど、そうではなくて……ただ……」


「ただ?」


「私は……胸を張って幸せだと言えないような気がして……」


「……迷っているのね。わかるわ、私だって……ううん、誰だって似たような気持ちに陥ることはあるもの」


「好美さんも……ですか?」


 意外だったので、失礼になる可能性を考慮せずに、条件反射的に菜月は聞いてしまっていた。


 昔から優しく穏やかな姉の友人は「ええ」と眼鏡の奥の微笑みを崩さずに首を上下に動かした。


「一番は葉月ちゃんにお店を紹介する時ね」


「ああ……昔から親しんでいたお母さんのお店ですものね。いくら友人が相手とはいえ手放すのに葛藤があって当然だと思います」


「フフ、そうではないの」


 菜月の推測を否定し、窓の外に視線を向けながら好美は言う。


「お店を預けることで葉月ちゃんの負担にならないかと思ったの。大好きな親友に余計なものを背負わせてしまったらどうしようと眠れなかった夜もあるわ」


「そう……なんですか?」


「ええ、悩んでも悩んでも堂々巡りになってばかりだから、最終的には自分の心に従おうと決めたの」


「自分の……心」


「私がどうしたいかってことね。他はすべて無視してそこだけを突き詰めていったら、葉月ちゃんと一緒にお店をやりたいって気持ちに気付いたの。そこから先は早かったわね。ずいぶんと抱えていた不安にも簡単に答えが出たし」


「どんな答えだったか聞いてもいいですか?」


「もちろんよ。仮に葉月ちゃんがお店をやるせいで余計な荷物を背負ったら、無理やり私も一緒に背負えばいいってわかった――いいえ、決めたの。何もかもなくして葉月ちゃんが一文無しになっても、一緒に破滅してやろうってね。絶対にひとりぼっちにだけはさせない。そうと決めたら、あとは迷う必要もなくなったわ」


 人によっては重いと嫌がるかもしれないが、葉月たちに関してはお互いが当たり前にそれを受け入れているように思えた。


 きっと実希子に同じ質問をしても、似たような答えが返ってくるだろう。彼女であれば自分が他の二人を養うと逆に元気になってもおかしくない。


「……とても……羨ましいです」


「どうして?」


「どうしてって……」


「菜月ちゃんにもいるじゃない、かけがえのない親友が」


「あ……」


 意識するまでもなく、多くの顔が浮かんでくる。きっと菜月がなにもかもをなくしても、傍にいてくれるであろう友人たちの顔が。


「そう……ですね。本当にそうです。言われないと気付けないなんて……」


 身近にあって当たり前だからこそ見えていなかったのだとしたら、菜月はとんだ大馬鹿者である。


「なんだか吹っ切れたような顔をしてるわね」


「……はい。私が進むべき道が……本当に欲しい幸せの形が見えたような気がします」


「それは良かったわ。また何かあったら気軽に言ってね。葉月ちゃんの妹は私の妹も同然だもの」


「……ありがとう、お姉ちゃん」


「え――っ!?」


 せっかくの感動的な場面だったのに、横から飛んできた大声が一瞬で雰囲気をぶち壊してしまった。


「私だってほとんど呼んでもらったことないのに! 好美ちゃんずるい!」


 本気でぷんぷん怒る葉月は好美を指差し、


「もう絶交だよ!」


「……友情って儚いものなんですね」


「うふふ、その儚い友情を守るために、是非とも協力してくれないかしら」


 葉月の怒りが冗談だとわかっていても、それを収めるために菜月はその日だけで呆れるほど「お姉ちゃん」と呼ばされたのだった。

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