ハーフバースデー
愛娘の夜泣きでぐったりさせられようとも、親の矜持にかけてお祝い事の手は抜けない。
下に濃い隈を作っている目をギラつかせ、葉月は今日もお馴染みの面々を招集する。
都合の悪い人は不参加でいいと何度も伝えているのだが、遅れることはあっても大半が律儀に参加してくれる。
「今日は何の集まりだ」
定休日以外はお店があるので、基本的に集まりは日が暮れてからになる。
まだ春とはいえ、これまでに比べると日も随分と長くなった。
それでも午後八時を過ぎれば当たり前に真っ暗である。
穂月も希はまだ何か異変があれば時間関係なしに起き出して泣く年頃なので、高木家のリビングの簡易ベッドで仲良く横にさせていた。
朱華はまだ平気そうで、母親の尚曰く、いつも晋太が帰ってくるまで起きているので夜に強くなってしまったらしい。
彼女からすれば早寝早起きの習慣をつけさせたくて、いつもきちんと寝かしつけようとするのだが、高確率で晋太の帰宅に合わせて起きてくるので若干諦めつつあるらしい。
その晋太は残業中で不在である。
書置きを残してきたので、仕事帰りに見れば駆け付けるだろうとのこと。
晋太も愛する妻と幼い娘だけで留守番するより、人の多い高木家で過ごしてもらう方が安心らしく、こうして集まっていても怒るどころか逆にお礼を言ってくれる。
その高木家には朱華が眠った時のために、彼女用の小さな布団セットが常備されていたりする。もちろん希のもだ。
「葉月ちゃんのことだから、子供たちに関することでしょ。今度は何のお祝いかしら」
ここ最近ですっかりお呼ばれに慣れた柚も密かに楽しそうだ。
家にいても学校から持ち込んだ仕事をしているか、両親に結婚の話を持ち出されるだけなので、こうして皆で集まっている方がずっと好きらしい。
それは好美も同じで、二階に住んでいる両親の仲が良くなったら良くなったで、なんとなく居場所に困ると言っていた。
店を閉めたあとなので茉優もいるが、これは記念日や祝いの写真を撮って、菜月に報告をするためだそうだ。
「またなっちーが羨ましがるよぉ」
穂月を可愛がってくれるのはもちろんだが、それとは別に菜月との会話のネタができるのを喜んでいた。そうした面々の前で、散々勿体つけていた葉月が今夜の目的を発表する。
「今日は希ちゃんと穂月のハーフバースデーです! おめでとう! パチパチパチ」
ノリ良く葉月に合わせて拍手してくれたのは、いつでも楽しそうな朱華だけだった。
聞き慣れない単語だったのもあるだろうが、大勢がきょとんとした一番の理由を、代表するように実希子が口にする。
「もしアタシの考えている通りだとしたら、とっくに過ぎてるだろ」
「それはもう何度も聞いたよ!」
「いつだよ!」
「百花の祝いとかの時でしょうね」
ソファで組んでいた足に肘を乗せて、好美が苦笑する。
「ってことは、また過ぎてから気付いたパターンか。今回の情報の仕入れ先はどこだ」
瞬時に和葉が横を向く。
あからさま過ぎる反応に、全員が秒で情報源を特定した。
「それこそ百花の祝いとかで、知らなかったお祝いがたくさんあるのを知って、葉月にできなかった分も、一緒になって穂月にしてあげたくなったらしい」
春道の説明に、召集された一同が揃って納得する。
元より和葉も血縁者に並々ならぬ愛情を注ぐタイプなのだ。
これまでは娘の陰に隠れてあまり目立たなかったが、今後は悠然と隣に並び立つかもしれない。
「そんで和葉ママに教えられた葉月が、今からでも開催しようってなったわけだ」
「そうなんだよ!」
元気な声と場を盛り上げるためのポーズ。
しかしそれらは友人たちにとって奇異に映るようで、
「葉月の奴、なんかあったのか?」
「夜泣きでまた最近ゆっくり眠れてないんだが、急に楽しくなってきたらしくてな」
若干引きながら実希子が和也に問いただすと、そんな答えが返った。
「徹夜続きでテンションが変になったのね。その感じがよくわかってしまうのが、とても悲しいわね……」
夢にまで見た教師生活でもやはり辛いことはあるらしく、はらりと柚が小粒の涙を薄化粧の頬に光らせた。
*
「要するに生後半年記念だってのはわかったけど、本当の誕生日もそう遠くないうちにやってくるぞ?」
誕生日が極めて近い希と穂月は夏の生まれだ。
そして季節はもう春もど真ん中というより、若干後期に突入しつつある。
「その時はその時でまた祝えばいいんだよ!」
好美や柚が指摘していた通り、徹夜続きでやたらとハイになっている葉月は、日中に娘の世話を春道に任せて作ったケーキを冷蔵庫から持ってくる。
「ハーフバースデーのお祝いに作りました! 準備期間がなかったから、合同になっちゃったけど」
葉月が作ったのはお手製にできるお手製のチーズケーキだった。
ムーンリーフで売っているのよりは劣るが、それでも時間がないなりに一生懸命作った一品である。
「ふわぁ、のっちーとほっちーの似顔絵もあるよぉ」
「のっちー……」
「ほっちー……」
数瞬の沈黙の後に実希子を見ると、力強い頷きが返ってきた。
戦友にケーキの切り分けを任せ、のほほんと喜ぶ茉優を視界に捉えながら、素早くスマホを打つ。
宛先は可愛い妹。
メールは本文のみ。
そしてただ一言。
のっちーとほっちーの定着はまだ待ってほしいと。
*
葉月の手作りチーズケーキに大喜びなのは、この春に三歳になる朱華だった。
尚がムーンリーフでパートをしてくれるようになって、たまに社員割引で残ったパンやケーキを買って帰るらしい。
葉月は残りものは無料で構わないと開店当初は普通に分けていたのだが、いつだったか実希子がさすがに申し訳ないと一つ50円を払い始めた。
それがきっかけとなり、社員販売は売れ残り品に限り一律50円。それ以外は3割引きという形に決まったのである。
「朱華ちゃん、美味しい?」
「うまー」
子供用のフォーク片手に、感想を尋ねられた朱華が口回りにチーズケーキの粒をくっつけたまま、にっこりと笑う。
「もうちゃんと会話になるんだねー」
「たまに無視されちゃうこともあるけどね」
感心する葉月に、尚が嬉しそうに教えてくれる。
その朱華はいつも母親に連れられてくると、自分より小さい二人の赤ちゃんを物珍しそうに見つめることが多い。
「希もそのうち喋り出すのかな」
「当たり前でしょ。うちは一歳を少し過ぎてからだったけど、その前からまーまーとかそれっぽいことを話してたわよ」
「それが予兆みたいなもんか」
「そういえば穂月もだーだーとか言ってる!」
「じゃあ穂月ちゃんは話すのが早いかもね」
尚のお墨付きに葉月は喜ぶが、実希子はそうでもなさそうだった。
どうしたのか聞いてみると、ますます微妙な顔をする。
「うちの娘……ほぼ無言なんだけど……」
「やっぱり希ちゃんって不思議よね」
そう言ったのは、こっそりベビーベッドから希の顔を覗いた好美だった。
*
ハーフが頭についただけで、やることは誰かのバースデーと大差ない。
主役の二名は仲良くおねんね中だが、仕事終わりの晋太や智之も駆け付けたおかげで、少し賑やかになりつつある。
朱華も眠そうだったので、穂月らと一緒に春道たちの寝室で眠らせた。
新築時に防音にも気を遣っているので、リビングにいるよりはうるさくないはずだ。
「まあ、希は隣でアタシがどんなにはしゃいでても、我関せずに寝てるんだけどな」
「穂月はむしろ混ざりたそうに起きてる時あるよ。
そうやって起きてても、夜にはきっちり泣くんだけどね……」
「まだ落ち着かないのか」
「んー……沐浴の時間を変えてみたり、色々と試してはみたんだけどね。どうにも効果がないし……かと思えば回数が減ったりする時もあるし……どうなんだろ。まさか二歳まで持ち越さないとは思うけど」
「葉月の職場復帰の時期は、穂月の夜泣き次第ってとこか」
今回のハーフバースデーの発案者みたいな和葉が、開催までにせっせと作ってくれた照り焼きチキンやグラタン、サラダなどをパクつきながら葉月はまた「うーん」と考える。
「心情的には一日でも早く店に出たいんだけどね」
「もうたまにだけど、出勤する時もあるじゃない」
からあげを口に運びながら、茉優と明日の打ち合わせをしていた好美が横目で見て来た。
「茉優ちゃんのお手伝い程度だけどね。そうじゃなくて本格復帰の話だよ」
つまり朝の仕込みから閉店間際まで。
仕事人間というわけではないが、夢だった自分のパン屋で働くのは大変でも、やっぱり楽しいのだ。
「私としてはあまり無理をしないようにお願いするわ。余裕というには全然足りないけど、尚ちゃんが入ってくれたおかげで、なんとか回るようにはなってるから」
「それはわかってるけど、和也君にばっかり負担かけちゃってるし」
「その分だけ、葉月ちゃんは育児を頑張ってるでしょ。和也君もよく職場で、夫で父親なのに二人を十分に助けてあげられてないってため息ついてるし」
「そうなの?」
夫婦間では決して見せない夫の姿に驚いていると、好美は優しく微笑んだ。
「だからまずは和也君とよく話し合って。葉月ちゃんの希望を伝えて、彼の希望を聞いて、その上で決めたらいいのよ」
「ありがとう。フフッ、好美ちゃんって、なんだかママみたいだよね」
なんとなしに漏らした感想に、実希子が噴き出した。
「ハッハッハ! そりゃ、いいな。確かに小学校時代から、好美がそういう立ち回りだったかもな」
「よく見てないと何をするかわからない、恐ろしく手のかかる友人がいたからね」
「言われてるぞ、葉月」
「実希子ちゃんのことよ」
「ええっ!?」
「……本気で驚くところが実希子ちゃんね」
嘆息しながらも笑う好美。
ショックを受けたふりでおどけて見せる実希子。
すかさず加わって、実希子狙いの辛辣なツッコみを入れる尚。
皆のやりとりを愉快そうに眺める柚。
そして葉月。
子供たちを祝うためでありながら、結局今日も存分に自分たちで楽しんだ夜があっという間に更けていった。




