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愛すべき不思議な家族&その後の愛すべき不思議な家族  作者: 桐条京介
その後の愛すべき不思議な家族7 家族の新生活編
324/527

春道と新居

 少し前までの騒々しさが嘘みたいに、シンとした夜の一時。

 嗅ぎ慣れない新築の香りと、見慣れない風景にどうにも落ち着かず、春道は片付けの終わったリビングに電気もつけずに座っていた。


「眠れないなら、子守歌でも歌う?」


 不意に話しかけられた声に目を細める。


「喜びすぎて、余計に眠れなくなりそうだ」


 軽口を返していると、歩み寄ってきた和葉が隣に腰を下ろした。

 舞ったライトブラウンの髪から、仄かに良い匂いがする。


「あら、急に嬉しそうな顔になったわね」

「新しい木材の香りより、慣れ親しんだ和葉の香りの方がずっと落ち着くと思ってね」

「……この場合はお礼を言うべきなのかしら。それとも変態と……」

「できればお礼でお願いするよ」


 揃って天井を見上げる。

 立てば頭がつきそうだと笑ったアパートのよりもずっと高い。

 旧高木家よりも広く、どこもかしこも立派だ。

 耐震構造も十分らしく、震度7でも耐えると施工主が太鼓判を押していた。


「フフ、春道さんは借家みたいに感じてるのね」


 落ち着く云々から春道の眠れない理由を、正確に把握した和葉が微笑む。


「気持ちはわかるわ。私もだもの」


 今にも壊れそうなのに頑張っていた昔の高木家には、皆で暮らした匂いは思い出が染み込んでいた。


「なんか……旅館に住んでるみたいでな。菜月たちは早くも順応し始めてるみたいだが」

「若いもの。春道さんだって、初めて前の家に来た時、あまり苦労もせずに生活していたでしょう」

「言われてみればそうだな」

「新しいものに早く馴染めるのは若者の特権。古いものにしがみつくのは老人の性かしら」


 否定しようとして、そのための言葉が出てこずに春道は苦笑する。

 確かに若い頃に比べて、昔を懐かしむ回数がずっと増えた。


「今だって満たされてるのにな」

「単純にそういうものなんでしょう」


 和葉がコツンと肩に頭をぶつけてきた。

 パジャマ越しに伝わる体温が安らぎに変わり、自然と春道は妻の頭を胸で抱え込む。


「ならお言葉に甘えよう」

「お付き合いしましょう」


 クスクスと二人で笑い、春道は愛妻の髪を撫でていた手を止める。


「あの小さかった葉月が、俺たちに家を買ってくれるまでに成長したんだな」

「……とても感慨深いわ。最初に見た時は嬉しさのあまり、気を失うかと思ったくらいよ」

「特に和葉は頑張って育てたものな」

「そこまで母親らしいことはできてないわ。どちらかといえば育ってくれた、ね。途中からは春道さんのおかげでずいぶん楽になったし」


「そうなると、赤ん坊の頃の葉月の世話ができなかったのは、少しだけ悔しいな」

「もっと早く、春道さんが私と出会ってくれてれば良かったのよ」

「その場合はけんもほろろに振られてたような気もするが」

「かもね」


 胸からずり落ちた和葉が、そのまま春道の太腿に小さな頭を落とす。

 出会った頃の美しい艶色は失われてもなお、綺麗に流れる毛髪の一本一本にさえ愛しさを覚える。


   *


「なるほど。夜はそうして絆を確かめあっているんだね」


 からかうような男性の声。

 一瞬にして、暗闇の中で和葉が唇を尖らせるのがわかった。


「兄さん、無粋ですよ」


 和葉がリモコンでリビングを照らすと、楽しそうに笑う戸高泰宏が立っていた。


「大勢が泊まりに来てるのに、堂々と仲睦まじくできるのは羨ましいけどね」

「兄さんには祐子さんがいるでしょう」


「彼女はああ見えて照れ屋だからね。人前で甘えることはないんだよ。

 その分、二人きりになると今でも――」

「――何かしら」


 ヌッと背後に浮かび上がる影。

 極限まで目を細めた祐子の威圧に、思わず泰宏が飛び跳ねる。

 慌てて謝る実兄に、和葉が悪戯っぽく笑う。


「罰が当たったわね」

「人を呪わば穴二つって? やめてくれよ」


 なんやかんやで夫婦仲は良好そうな泰宏と祐子も、春道たちの向かいに座る。

 大勢で団欒できるように、一つのテーブルを三つのソファが囲んでいる。

 ソファは一度に三人が座れるほどで、葉月がこだわり抜いて選んだ一品だ。

 皮張りではなくシルクのソファは濃いブラウンで、リビングの雰囲気を穏やかに演出する。


 リビングの内装や配置については、葉月の発案に菜月が意見して決まったらしかった。

 もっと意見を出してと愛娘に言われたが、春道の要望はお風呂に、和葉の要望はキッチンに集中していたので不満はない。


「他の皆は?」

「良く眠ってるみたいね」


 兄の問いに、天井を見つめながら和葉が答えた。

 好美や実希子の両親などもお祝いに駆けつけてくれたが、近所の大人たちは自宅に戻って就寝中だ。

 泊まっているのは子供たちの友人関係と、わざわざ出向いてくれた戸高夫妻になる。


「本当に立派な家だね」

「戸高の実家には負けるでしょう」

「ハハ、敷地面積だけは勝ってるけど、あそこもだいぶ古いしね」


 泰宏は謙遜するが、戸高家が毎年のように補修をして維持しているのを、春道は和葉から聞いて知っていた。古いものを残すのは大変で、労力も費用も並大抵ではないだろうが、あの家は戸高の象徴なので簡単には壊せないらしい。

 それこそ家族会議どころか、すべての親族が集まって話し合いをしなければならなくなるそうだ。


「兄さんは別宅を建てる余裕もあるんだから、羨ましくはないでしょう」

「そうでもないさ。確かに安定はしているかもしれないが、発展はしていない。例えるなら熟した果実だ。今はとても甘いが……あとは腐って落ちるだけだ」

「戸高はそんなに危ういの?」


「安定はしてると言ったろ。俺の代、継いでくれるなら宏和の代も大丈夫だと思う。だがどれだけ手を尽くしても地元は廃れていくし、金融に軸足が移り過ぎているから、外から恐慌が起こった場合、どれだけ耐えられるかは懸念があるな」


 それでも、キツイのが一発では大丈夫だと泰宏は笑って付け加えた。


「俺には縁遠い世界ですね。まあ世間の景気に左右される職業ではあるんですけど」

「その点、ムーンリーフは安泰だね」


 景気が売上に影響するのは変わらないが、地元に根付いたのが大きいと泰宏が太鼓判を押してくれる。


「商工会議所や学校と安定した取引ができているし、大崩れする要素は今のところ見当たらないな」

「あくまでも今のところは、ね。兄さんも隠れてこっそり手伝ってくれてるらしいわね、ありがとう」

「俺がしているのは簡単な宣伝くらいだ」


 もっとも、と泰宏の表情が一気に疲労感を増す。


「あんまり大きくなると、戸高の血を引いてるんだから、グループに取り込めという輩が増えてきそうでね」

「それは困るから、兄さんには頑張ってもらわないと」


「わかってるよ。あの店が軌道に乗ったのは葉月ちゃんの実力もあるけど、何より人徳が大きい。よくもまあ、あれだけの人材が集まったものだし、あれだけの支援を受けられるものだよ。天賦の才と言っても過言ではないかもしれないね」

「話だけ聞いてると、ますます戸高の後継者に相応しいわね」


 祐子が笑うと、和葉が盛大にため息をついた。


「母親として、あんな伏魔殿みたいなところに娘を放り込みたくないわ」

「私の息子は、その伏魔殿の主になる可能性が高いんですけど」


 嫌味ではなく、祐子も和葉と同じ心情らしく、同じように肩を落とした。


「古臭いけど、男に生まれた宿命だね。継ぐつもりならできるかぎり手助けするし、継ぎたくないならそのための道を作る。父親としてね」

「父親として、か」


 不意に漏れた春道の呟きに、三人の視線が集まる。


「もしかして、この家のことかな」

「お見通しですか」


 普段はお調子者ぶっているが、さすがに名家を切り盛りするらしく、泰宏の観察眼や行動力は春道と比べ物にならない。

 組んだ足の上で手を遊ばせながら、春道は鼻から息を吐く。


「この家に関してもそうですが、葉月の世話になりっぱなしで、父親らしいことが何もできてないな、と」

「そんなことはないわ!」


 泰宏が何か言うより先に、和葉が春道に抱き着いた。


「春道さんがいなければ、あの子はパン屋になる夢だって持たなかった。ソフトボールもやっていなかった。何より、友達だっていなかったかもしれない。葉月の頑張りもあるけど、きっかけをくれたのは間違いなく春道さんなのよ。お願いだから、そんなこと言わないで……!」

「あ、ああ……ごめん……ごめんな、和葉。だからもう泣かないでくれ」


 和葉を懸命にあやす春道を見る泰宏の目は、どこまでも優しかった。


「葉月ちゃんだけじゃない。和葉にとっても春道君はかけがえのない存在だ。いつまでも共に愛し、愛され、尊敬しあえる関係でいてくれることを兄として望むよ。祐子には酷かもしれないけどね」


 最後にかつて春道に告白した妻に話を振るあたりは、とても泰宏らしかった。

 だが祐子の反応は、泰宏にも春道にも予想外だった。


「構わないわよ、私にはもう素敵な旦那様がいるもの」


 和葉の真似をするように、祐子が泰宏の胸に顔を埋める。

 突然の事態に目を白黒させる夫を見て、彼女はしてやったりとばかりに破顔する。


「たまには和葉さんみたいに、素直に甘えてみたわよ」

「これだけでもパーティーに出席したかいがあったな」


 穏やかな空気が流れる中、春道が紅茶を淹れ、和葉が残っていたクッキーを出す。

 時々、会話をしながら、あとはただゆっくりと、春道たちは夜の静けさに身を任せた。

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