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愛すべき不思議な家族&その後の愛すべき不思議な家族  作者: 桐条京介
その後の愛すべき不思議な家族6 菜月の中学・高校編
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37 春の全国大会

 雪解けが進み、待ちに待った温かな日差しを祝うように、地面から花の芽がそろりそろりと顔を出した始めた頃、菜月たちも待ちに待った全国大会の舞台に立っていた。

「き、緊張しますね……よりによって、初日に試合があるなんて……」

 蒼褪めている愛花の声は、誰が聞いてもわかるほど震えている。

「な、何をビビってるんだよ。愛花らしくないぞ!」

「そういう涼子ちゃんも、膝がカクカクしてるじゃない」

「こ、これは武者震いだよ!」

 指摘された明美に言い返しつつも、涼子の状態は愛花とあまり大差なかった。

「ふわぁ。皆、大変だねぇ」

 他人事みたいに感想を言った茉優が、菜月で視線を止める。

「なっちー?」

「話なら少しだけ待っていてくれるかしら。人を飲まないといけないから」

 ぶつぶつと言いながら、掌に人という文字を書く菜月を、背後から愛花が覗き込んでくる。

「さ、さすがの菜月も全国大会に怖気づいてしまっていますね。どちらが堂々としてられるかという勝負はわたしの勝ちです」

 いつもみたいに振舞おうと、あえて勝負なんて口にしてきた愛花だが、菜月が何の反応も示さないので怪訝そうにする。

「菜月……? あら、さっきも飲んでましたよね。お代わりですか? それにしても……」

 書いては飲んで。

 飲んでは書いて。

 感情のない機械のごとく、ひたすらそればかりを繰り返す菜月の異変に、ようやく周囲も気がついたみたいだった。

「おいおい! 一体、何人飲むつもりだよ!」

「……多分、今ので千人目くらいではないかしら」

 涼子が悲鳴じみた声を上げて、菜月の手を捕まえる。

「飲みすぎだよ! 腹壊すぞ!」

「やめて! 離して! もっと飲ませなさいよおおお」



「主将らしからぬ取り乱した姿を見せてしまったわね」

 なんとか試合前の練習も終え、後攻の菜月たちはベンチに座って相手校の投球練習を眺める。

「逆にアレで皆の緊張が和らいだみたいだし、結果オーライじゃないか。な、あい……」

 涼子の口が緊急停止する。

 呼びかけようとした相手が、すでにノックアウトされたみたいにベンチで肩を落としていたからだ。

「ど、どうしたんだよ、愛花。これから試合が始まるってのに!」

「フフ……わたしなんて所詮は井の中の蛙。滅多打ちにあって見世物にされるのがオチなんです」

 幽鬼のような青白い顔で呟く愛花に、昔からの付き合いの明美がお手上げとばかりに両手を上げる。

「こんなにネガティブな愛花ちゃん、初めて見た……」

「ボクもだけど、エースがこんな調子じゃマズいだろ。キャプテン、気合を――」

「――こっちも駄目みたいね」

 涼子と明美が同時にため息をつく。

「フッ。私を誰だと思っているのかしら。とっくに立ち直っているわよ」

「なっちー? 茉優たち後攻だよ?」

「え?」

 完全防備でグラウンドに出ようとしていた菜月は、硬直して足を止めた。

「それにね? なっちーが持ってるの、茉優のファーストミットだよ?」

「…………」

 部員たちの白い目が突き刺さる。

 主将としての威厳は地に落ちて、地球の裏側にまで行ってしまったようだ。

「主将と副主将がこれじゃ、どうしようもないわね」

 監督の美由紀が、全員の注目を集めるために手を叩く。

「先発投手は茉優に変更。捕手は明美よ」

「あ、あたしですか?」

「前からもしもの場合はお願いと頼んでたでしょ。菜月同様に全体を見回せて、茉優や愛花といった投手をコントロールできそうなのは明美しかいないのよ」

「わ、わかりました」

 明美はチラリと菜月と愛花を見たが、最終的には監督命令を承諾した。

「み、美由紀先生……」

「愛花も菜月も座ってなさい。今の状態で試合に出たって、皆の足を引っ張るだけよ」

 そう言われると何も返せず、菜月も愛花も黙って俯くしかなかった。



 春の空に小気味良いミットの音が響く。

 ただしそれは菜月たちのではなく、相手校の捕手がミットで奏でたものだった。

 少し遅れて球審が三振のコールをする。

 スコアボードに刻まれる0の数が増え、普段の半分の元気もなく南高校の部員たちが守備位置につく。

「皆、頑張って! まだ試合はこれからよ!」

「そうです! 焦ってはいけません!」

 菜月が大きな声を出すと、すぐに愛花も呼応した。

 ベンチにいる下級生の応援も元気さを回復し始め、スタンドも活気を取り戻す。

 だが懸命に腕を振る茉優の直球が弾き返され、ワンナウトで一三塁のピンチを迎えてしまう。

「お二人さん。ここで追加点を取られるとどうなるの?」

 腕組みをしてベンチの最前列に立つ美由紀が聞いてきた。

「3-0から4-0。残り4イニングで4点差になってしまうので、ワンチャンスでは返せない可能性が高くなります」

「残っている力を振り絞ってでも、ここは次の点を死守しなければなりません!」

 菜月と愛花が相次いで答えると、美由紀は満足そうに頷いた。

「闘争心が出てきたおかげで、緊張も解けたみたいね。それだけ冷静に状況を分析できれば、もう大丈夫でしょ」

「美由紀先生……」

「まったく。久しぶりの全国大会で、エースと主将を温存して試合開始だなんて冗談が過ぎるわよ。責任を取って、二人でこの窮地を抑えてきなさい」

「「はいっ!」」

 南高校の選手交代が告げられると、応援スタンドが盛り上がった。

 観客席には春道と和葉がいて、仕事で来られなかった葉月たちにスマホのテレビ電話機能で試合を中継もしていた。

「うちのパパとママも来てるんです」

 観客席を見る菜月に気付いた愛花が、そんなことを言った。

「すっかり菜月の両親とも仲良くなって……今日も楽しみにしていたんですよ」

「ならお互いに恰好いいところを見せないとね」

 言ってから、菜月は笑顔で「ただし……」と繋げる。

「初試合の時みたいに、緊張のしすぎでコントロールを乱すのはやめてね」

「あら、わたしと一緒に緊張のしすぎで先発を外された相棒とは思えない台詞です」

 笑う菜月と愛花の肩に、チームメイトたちの手が次々と置かれる。

「ようやくお目覚めかよ。重役出勤にも程があるぞ」

 涼子がからかい、明美はわざとらしく腰を押さえる。

「もう少し遅かったから、キャッチャーのやりすぎで腰痛になってたわよ」

 そして最後に、茉優が笑顔で愛花にボールを手渡した。

「これでやっと皆で遊べるねぇ」

「ええ……皆で遊びましょう」

 菜月は一人一人とハグし、自らの指定席へと戻る。

 緊張は……まだ消えてはいない。

 当然だ。念願の全国大会の舞台なのだから。

 ――でも、最初から怖がる必要なんてなかった。

 菜月には頼もしい仲間がいるのだから。



 振り抜いたバットに伝わる確かな感触に、菜月の気分は昂揚する。

 グラウンドに激突し、内野手の間を駆け抜けていく白球が砂埃を上げる。

 左翼手がボールの処理をもたつく間に、菜月は一気に二塁を陥れた。

「なっちー! ナイスバッティング!」

 ベンチから届いてきた茉優の声に、小さく右手を上げて応える。

「よっしゃー! 次はボクの番だ!」

 金属バットを肩に乗せ、威風堂々と涼子が打席に向かう。

 愛花の頑張りで窮地を乗り切ったあとの終盤戦。七回表で南高校はまだ無得点。ここで一点でも返しておきたかった。

「無死二塁。絶好のチャンスよ! 四番の意地を見せなさい」

 監督の美由紀から檄を飛ばされ、涼子が気合十分に吼える。

 伝説のOGほどではないが、部内で随一の打力を誇る涼子がベンチの期待通りに打球を中堅前まで運ぶ。

 これにより一三塁にまでチャンスが広がり、打席には五番の茉優。

「茉優! ここで一本、頼むわよ!」

「うん! なっちーは茉優が返すよぉ」

 小学校時代は闘争心に欠けていた茉優が、ずいぶんと頼もしくなった。

 菜月が目を細めている間にも、彼女はインコースの直球を見事にライト前に弾き返す。

「さすが茉優! 最高よ!」

 手を叩きながら、菜月は南高校で最初にホームベースを踏む。これで3-1だ。

 次は六番の愛花である。菜月同様にバッティングが苦手だったが、美由紀も実希子も守備だけこなせればいいと言わず、覚えが悪い二人に熱心に指導してくれた。

 おかげで菜月は三番を任せられるまでになり、愛花もここまで打順が上がった。ちなみにミートするのが上手い明美は二番である。

「ここでいっちょヒーローになっておこうよ!」

「わたしは女です! それを言うならヒロインです!」

 三塁にまで達していた涼子に文句を言いつつ、愛花は一二塁間に打球を転がす。上手く勢いが死んでいたため、バックホームはできず、一塁だけがアウトになる。

「これで1点差!」

「まだ二塁には茉優がいるし、一気に同点に追いつこう!」

 ベンチに戻って来た涼子とハイタッチし、続いてヒットを打てなかったのを悔やむ愛花を慰める。

 誰もが自分にできることをやり、菜月も主将らしく頑張った。

 そこに当初のような重苦しい緊張はなく、どこにも負けないと思える一体感があった。



「残念だったね」

 客がいないのをいいことに、ムーンリーフのカウンターに突っ伏していたアルバイト中の菜月に、調理場から顔を出した葉月が苦笑いを浮かべつつも慰めの声をかけてくれた。

 念願だった全国大会の舞台は、僅か一試合で終わってしまった。

 結局、南高校は序盤の3点を返しきれなかったのである。

「私が最初から試合に出られていれば……」

 一昨日に地元へ帰って来てからというもの、菜月は愛花ともどもずっとこの調子だった。

 監督の美由紀やチームメイトは誰一人として、菜月と愛花を責めなかった。逆に全国大会まで行けたのは二人のおかげだとお礼を言われた。

 例外として、話を聞くなり大爆笑したのは実希子である。

 その際に一緒にいた好美から鳩尾へ肘を喰らい、涙目で呻くはめになっていたが。

「あと1点だったのに……」

「負けると悔しいからね。特に原因が自分の力不足だったりすると」

「はづ姉にもそういう経験があるの?」

「あるよー。それはもうたくさん。でもそのたびに今のなっちーみたいに周りの皆に励まされて、立ち直って強くなったんだよ」

 出来立てのパンを夕方の店に並び終えた葉月が、笑顔で菜月の頭を撫でた。

「……そっか。はづ姉もこんな気持ちを味わったんだ」

「きっと部活をしてれば、誰でもそうじゃないかな。だからこそ、また次に向かって頑張れたんだ」

「……うん。私たちにはまだ夏があるのだし、落ち込んでばかりもいられないわね」

「その意気だよ! 頑張れ、キャプテン!」

 姉の声援に微笑みつつも、上半身を起こした菜月はこれが最後と決めてため息をついた。

「でも悔しいものは悔しいのよね。この暗い気分を吹き飛ばす良いニュースが何かないかしら」

「あるよー」

 明るく言った葉月に、菜月は視線を向ける。

「どんなニュース?」

「私ね、結婚するんだー」

「ああ、そう――ええっ!?」

 目を丸くした菜月の大きな声に、店に入ってきたばかりのお客さんが驚いて動きを止めていた。

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