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愛すべき不思議な家族&その後の愛すべき不思議な家族  作者: 桐条京介
その後の愛すべき不思議な家族6 菜月の中学・高校編
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18 突然の出会いと報告とお願い

「いよーっす」

 道端で偶然出くわした珍獣に挨拶され、菜月は目を丸くする。

「……逃げてきたの?」

「なっちーはいつまでアタシをゴリラ扱いする気だよ!」

 記憶にある顔と声で、恒例のツッコミを入れたのは佐々木実希子だった。

 学生時代からの姉の親友で、現在は実業団でソフトボールをしているはずである。

「それは冗談だけれど……里帰りはお正月に済ませたのではないの?」

「おう! また一緒にパフェ食いに行こうな。なっちーのおごりで!」

「……アルバイトもできない中学生にたかる大人なんて、実希子ちゃんくらいよ」

 ため息をつく菜月の肩を、豪快に笑う実希子が叩く。

「しょうがないだろ。今のアタシは無職なんだから」

「へえ……無職?」

「おう。実業団を辞めて帰ってきたんだ」

「え? 本当に動物園に就職するつもりなの? それはさすがに止めるわよ?」

「ハハ。なっちーは変わってないな。家が大変だって葉月から聞いてたけど、元気そうじゃないか」

 言いながら実希子はジーンズをたくし上げる。

 見せてくれた左膝は、痛々しいくらいガチガチにテーピングで固定されていた。

「厄介な怪我をしちまってな。手術はしたんだが、元のようにはもう動けないらしい」

 慈しむように、実希子は左膝をそっと撫でる。

「で、それならっつーことでチームを辞めて、地元でリハビリすることしたんだ。幸い、給料なんてほとんど使ってる暇なかったから、それなりに貯金もあるしな」

「で、でも、せっかく手術までしたのに」

 実希子は雑誌に載ったり、全日本候補に選ばれたりするくらいの選手だ。その気になれば回復するまでチームも待ってくれたはずだ。

 菜月がそう言うと、彼女は少しだけ寂しそうに笑った。

「監督にもチームメイトにも言われたけど、やっぱさ、何か違うんだ」

 ジーンズを戻し、実希子は膝の感触を確かめるように軽く屈伸をする。

「プレイしてても、あんま、こうガーっとこねえっていうのかな。周りは素質があるって言ってくれるけど、アタシにとってソフトボールってのは、葉月たちとの遊びっていうか絆みたいなもんだったんだよ」

 葉月や好美、柚や尚がいたから頑張れて、凄い選手になれた。謙遜するのではなく、当たり前の事実として実希子はそう述べた。

「才能は確かにあったのかもしんないけど、それはきっと葉月たちに作ってもらったもんなんだ。だから皆の夢も背負って、やれるだけはやってやろうって頑張ってきたけど……」

 いつもポジティブな実希子が見せる暗い表情に、菜月は何も言えなかった。

「もう疲れちまった。ソフトボールは相変わらず楽しいし、チームメイトも優しかったよ。でもさ、好きなことでも仕事になっちまうと、プレッシャーが違う……って、なっちーも愚痴られても困るよな。悪い」

「そんなことないわ。実希子ちゃんが決めたのなら、それでいいと思う。まだ子供の私には事情を想像できないし、気の利いたことも言えないけれど……」

「いや、十分だ。落ち着いたら改めて挨拶に行くよ」

 歩き出した実希子は通り過ぎ様、菜月を振り返り、右手を上げた。記憶にあるのとまったく同じ笑顔で。



 高木家の事情を知っていただけに気遣って連絡をしていなかった実希子の現状に、数日前の菜月同様に姉の葉月は驚愕していた。

「大事な話があるから時間取れるかってメールが来たから、何かと思ってたらそんなことになってたんだね」

 三人だけのリビングで、全員分の紅茶を淹れた葉月は、着席するなり唇を噛んだ。

「実希子ちゃんが大変な時だったのに、私は何の相談にも乗れないで、自分のことばかり話して……友達失格だね……」

 相変わらずの大きな胸を揺らし、実希子は気にするなと笑う。

「相談しても、どうなることでもないしな。実際に好美にも、辞めるっていう連絡しかしなかったし」

 それに……と実希子は言葉を繋げる。

「葉月の方がずっと大変だろ。アタシはソフトボールを辞めただけで、生き死にに関わったりしないしな」

「そんなことないよ……けど、そっか。うん、実希子ちゃんが決めたことだもんね」

 実希子が寂しげに笑う。「悪いな」

「後悔……しない?」

 菜月が問うと、実希子は目をパチクリさせてから、お腹を抱えて笑った。

「辞めてから言われてもな」

「……それもそうね」

「けど、後悔はないな。膝が壊れるまで全力でぶつかれたんだ。むしろ、やりきった感が強いくらいさ。ただ……」

 そこで実希子は一瞬だけ表情を曇らせた。

「地元の皆には申し訳ないな。アタシに期待してくれてたみたいだからさ」

「ソフトボールがまた五輪の正式種目になれば、この町から初めての金メダリストが誕生していた可能性もあったわけだものね」

 菜月の言葉に、今気づいたと言わんばかりに大きな声を出す葉月。

「実希子ちゃんって、実は凄い人だったんだね」

「違うわ、はづ姉」

 ちっちと菜月は人差し指を左右に振る。

「もともとゴリラは人間よりも強いの。つまり活躍は当然。逆に簡単に怪我をした時点で、ゴリラの自覚が足りないのよ」

「待て、なっちー! 黙って聞いてればあんまりだろ! 大体、ゴリラの自覚って何だ!」

 三人で笑う。

 多少のショックはあるみたいだが、実希子が吹っ切れていることに葉月のみならず菜月もホッとする。

「話は変わるけれど、地元に戻ってきてどうするの? 向こうにいればいい病院もあっただろうし、好美ちゃんもいるし、何より就職も何とかなったでしょうに」

「まあ、なっちーの言うことも、もっともなんだけどな」

 実希子は照れを隠すように、頬をポリポリと掻く。

「やっぱ地元が好きなんだよ。空気感っていえばいいのか……とにかく、そういうことだ」

「私はわかるな」

 葉月が同意すると、実希子は「だろー?」と満面の笑みを浮かべた。

「とりあえず向こうで免許は取ってるんだが、こっちでは大型を取ろうかと思ってな」

「大型? ダンプにでも乗るの?」

 腕まくりをした実希子が、引き締まった筋肉を質問した菜月に見せる。

「この通りの生き方をしてきたもんで、頭を使った仕事とかは苦手でな。ドライバー系なら働き口もあるっていうし、そっちを目指そうと思うんだ。配送業者とか引っ越し業者とか」

「実希子ちゃんには似合っているかもしれないわね」

「なっちーならそう言うと思ったぜ。だからしばらくは免許を取りながら、膝のリハビリだな」

「……そうなのね」

「どうした、そんなに考え込んで。悩み事があるなら、アタシに話してみ?」

「そうね……」

 素直に菜月が頷くと、何故か実希子が狼狽する。

「お、おい、葉月。妹が変だぞ! 本気でアタシに相談しようとしてやがる!」

「実希子ちゃん……なんだか私、聞いてて悲しくなってきた……」

 涙を拭うような仕草をする葉月を後目に、菜月は顎に手を当てて押し黙る。

 頭の中にある言葉を吐き出すのは簡単だが、それによって実希子が傷つく可能性を考えれば、容易には相談できなかった。

「おいおい、本当にどうしたんだよ。毒舌のなっちーらしくないぞ」

「いいえ……やっぱり……でも……」

「いいから話してみろって。なんかアタシに頼み事でもあるんだろ? 気を遣うなんて水臭いじゃないか」

 実希子に肩を叩かれ、菜月は意を決する。

「その……ソフトボール部のコーチをお願いできないかと思って……」

「コーチ? それなら葉月がしてるって前に聞いたことがあるぞ?」

「そうなのだけど、はづ姉は仕事もあるし、休みのたびにお願いするわけにもいかないでしょ? 最後の大会に勝つためにも、誰かにコーチを頼めればとずっと思っていたの。怪我で実業団を辞めて帰ってきた実希子ちゃんに頼むのは心苦しいのだけれど……」

「そんなこと気にすんなって。でも、そうだな。うーん」

 腕組みをして実希子が考え込む。

「アタシは別に構わないんだが、顧問の先生はいい気がしないんじゃないか?」

「それなら大丈夫だよ」

 菜月に代わって葉月が言った。

「ソフトボール部の出身じゃないから、効率的な指導ができないっていつも悩んでるの。だから私がコーチに行くと、本当に喜んでくれるんだ。それくらい生徒想いの先生だから、きっと実希子ちゃんならもっと喜んでくれると思う」

「伝説のOGだしね」

 菜月が悪戯っぽく言うと、実希子は苦笑いを顔に張りつけた。

「葉月から教えてもらったけど、変な風に伝わってたよな」

「いいじゃない。実希子ちゃんのおかげでシード校にまでなれたのは事実なんだから。中学時代の最後の夏の大会は、どこかのエースが打ち込まれて足を引っ張っちゃったけど……」

 最初は明るかった葉月の顔がずんずん暗くなっていく。

 その時のことは菜月も覚えているだけに、どう慰めればいいのか対応に苦慮してしまう。

「その分、高校や大学じゃいい思いもできたろ? あそこで順調に勝ってたら天狗になって、高校時代はろくに練習しなかったかもしれない。そう考えれば丁度良い試練だったんだよ」

 スラスラと慰めと励ましをこなした実希子に、菜月は目を丸くする。

「驚いたわ。もしかしたら実希子ちゃんって、意外にコーチとか教師の才能があるのかもしれない」

「私もそう思った。でも考えてみれば、昔から面倒見は良かったもんね」

「葉月まで何だよ。まあ、褒められると悪い気はしないけどな」

 ひとしきり笑ってから、実希子は以前よりもさらに豊かになったのではないかと思える胸を叩いた。

「問題はないみたいだし、コーチの件は引き受けた。そこでなっちーには部の現状を詳しく聞きたいんだが……」



 広いグラウンドにノックの音が響き、一人また一人とソフトボール部員が土に塗れていく。

「ほら、さっさと立つ。夏まで時間ないんだろ? また一回戦で負けてもいいのか?」

 顧問の教師から借りた練習用のユニフォームを身に纏った実希子が、バットを肩に乗せて叫ぶ。苦しいと愚痴っていた胸部分が特にパツパツで、グラウンドを横目に通り過ぎる思春期の男子生徒の視線を半ば強制的に吸い寄せている。

 グラウンド隅のベンチでは、顧問の教師が頼もしそうに練習風景を眺めている。

 元々OGだったのもあり、実希子のコーチは菜月が考えていたよりもあっさりと認められた。

「次は打撃練習だ。愛花はランニング後にブルペンに入れ」

 日本代表候補でもあった実希子のソフトボールに関する知識や経験は凄まじく、伝説のOGという肩書もあって、指導を受ける部員たちの目もいつもよりずっとギラついていた。

「菜月さん、受けてくれますか?」

「もちろん」

 構えたミットに吸い込まれるように、三年間で大きく成長した愛花の直球が音を鳴らした。

「いい感じじゃないか。二番手の茉優も悪くないし、一年生の三番手もいる。アタシからしたら、これでどうして一回戦負けなのか不思議なんだけどな」

 菜月の背後に立ち、首を傾げる実希子。

「部員数は少ないけど、なっちーに聞いてた通り動きもいい。これなら鍛えがいがある」

「張り切ってくれるのは有難いけど、膝の怪我もあるのだから、無理だけはしないでね」

 マスクの隙間から声を出すと、実希子は大きく頷いた。

「わかってるって。けど、やっぱいいもんだな。実業団とは違う部活の空気ってのは。どっちも真剣に勝利を目指してるのは同じなんだけど、こう……まいったな。上手く説明できそうにない」

「打撃技術の指導なら、あんなに上手なのにね」

「コーチをからかった罰で、高木は練習後のグラウンド十周な」

「お、横暴だわ。愛花ちゃん、ただちにこのゴリラコーチの解任決議案を出すわよ!」

「落ち着いてください、菜月さん。せっかくのコーチなんですから。それにどこへ出すつもりなんですか!」

 きゃいきゃいと騒ぎながらも日が暮れるまで練習する。

 菜月たち三年生にとって、中学最後の夏はもうすぐそこまで迫っている。

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