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愛すべき不思議な家族&その後の愛すべき不思議な家族  作者: 桐条京介
その後の愛すべき不思議な家族6 菜月の中学・高校編
269/527

13 熱くて切なくて仄かに温かい夏

 広大な入道雲を割るように、強い声で菜月は守備練習をする味方に檄を飛ばす。

 野球部の敗戦の傷が、などとは言っていられない。菜月たちには来年があるとしても、一人だけの三年生にとっては最後の大会になるかもしれないのだ。

 サードを守る先輩は誰より気合の入った声で応じつつも、後輩たちに緊張しないように気さくに話しかける。

「菜月さん、応援席に卒業生も来てますね」

「ええ、さっき見たわ。私たちが緊張しないように、こっそり応援するつもりみたいね」

 水臭いと思わないでもなかったが、せっかくの先輩の気遣いなので受け取っておく。

「もう卒業しているとはいえ、なんとか一勝をプレゼントしてあげたいわね」

 姉のソフトボール部時代も、似たような状況になったことがある。

 まだ菜月が小さかった頃だが、卒業生の想いを背負って勝利を得た葉月たちを尊敬し、また誇らしく思ったものだった。

 ――今度は私の番。

 秘めた決意を噛み締めるように唇を引き結ぶ。

 応援席には無理を言って会社を休んだ葉月の姿もある。来なくても大丈夫だと言ったのだが、自分も声援を送りたいと言ってきかなかったのだ。

 ちなみに彼氏は仕事中だ。社会人ともなれば簡単には休めないのだが、姉の職場に関しては地元企業ということもあってか、こういうイベント事にはもの凄く好意的らしかった。

「菜月!」

 涼子に名前を呼ばれて、慌てて顔を上げる。

「気合を入れるのはいいけど、ガチガチになりすぎるなよ。先輩だけじゃなくて、愛花やお前はチームの中心だ。気負いすぎると一年連中にまで影響しちまう」

「……驚いたわ。涼子ちゃんから建設的な意見が出るなんて」

「愛花じゃないけど、菜月とは一度じっくり話をした方がいい気がしてきた」

「そうね。この試合に勝ったあとで、とことん付き合うわ」

 おう、と涼子が肩を叩き、明美が笑顔を浮かべてセカンドのポジションに走る。

 主力となった今年は、昨年とは各自のポジションが異なっていた。

 先発バッテリーは愛花と菜月。ファースト兼控え投手が茉優。ショートには部で随一の運動神経を誇る涼子が入る。

 外野には優秀で頼もしい一年生が緊張の面持ちで立っている。経験不足ではあっても、愛花たちが昨年はほぼ初心者だったことを考えれば、チーム力は雲泥の差だ。

「練習試合では勝てたんです。公式戦でも十分に戦えます!」

「頼んだわよ、愛花ちゃん」

 マスクを被り、目立ちたがり屋から名実ともにエースへ成長した愛花の一球目を受ける。

 緊張の初戦が始まった。



「悔しいです! もう少しでしたのに!」

 叫ぶ愛花を慰める菜月だったが、気持ちは同じだった。

「ごめんねぇ。茉優たちが点を取ってさえいれば……」

 いつになく暗い表情の茉優が懺悔する。

 エースの愛花は頑張った。七回を通して1点しか奪われなかったのだから。

 しかしこちらが点を取れなければ負ける。

 散発の五安打で1-0。ロースコアとなった試合は、中盤に出た相手四番のホームランで勝敗が決した

 こちらの四番の涼子は二安打し、うち一本は二塁打だったが、後続が続かなかった。

 涼子が打てない時に限って、三番の茉優や五番の先輩から安打が出るという悪循環ぶりだった。

「気にしないでください。わたしだって打てませんでしたし、チームで試合に臨んでる以上、それは仕方ありません。ただ、わたしが点を取られてさえいなければ、少なくとも負けてはいませんでした」

「愛花……」

 涼子と明美が一生懸命慰める。

 ――パン。

 いきなりの大きな音は、先輩が手を叩いた音だった。

「いつまでも下を向かない!」

 全員の注目を集めてから、先輩は笑顔を作った。

「一年生は知らないだろうけど、去年はもっと酷い負け方をしたの。それに比べたらさっきは全然戦えた。それは私たちが成長してる証拠でもあるわ」

 一人一人の顔を見渡し、主将はしっかりとした口調で言葉を継ぐ。

「それにまだ試合は終わってないわ。明日も試合はあるもの。一回の負けで終わってしまった野球部が今の私たちを見たら、落ち込むのは後にしろってきっと怒るわよ」

「……そう、ですね」

 菜月は頷いた。先輩の言う通り、戦いは終わっていない。自分たちはまだ夏の大会に参加できるのだ。

「なんとか勝利を重ねれば、まだ望みはあるわ」

 そう言って先輩は茉優を見た。

「勝利数が他の学校と並べば、地区代表決定戦が開催される。それを考えれば愛花ちゃんに無理はさせられない」

「茉優も全力で頑張るよぉ。もっと先輩とソフトボールをやりたいもん」

「ありがとう。皆で頑張りましょう。私たちはまだ負けてないってところを他の学校に見せてやるのよ!」



 翌日の試合は一進一退。

 四番の涼子が意地を見せてタイムリーヒットを放てば、その裏に相手のクリーンナップの連打で同点にされる。

 午前中から始まった試合は、日が高くなっても決着の気配を見せていなかった。

「フォアボール」

 主審の判定に、相手ベンチから歓声が上がる。

 六回まで頑張って投げてきた茉優が、ついに疲労を隠し切れなくなった。

「ツーアウト満塁ね。ランナーをサードまでいかせたくはなかったけれど、こうなっては仕方ないわ。いっそ開き直って打者に向かっていきましょう」

「……うん」

 呼吸を整えた茉優の背中に、この試合はファーストに入っている愛花が手を置いた。

「本当に苦しくなったら、わたしがいつでも代わります。だから後の心配はしないでください」

「ありがとう、愛花ちゃん。茉優が任せてもらったマウンドだもん。最後まで頑張るよぉ」

 途中で逃げ出したりせず、最後まで茉優は投手らしく打者に対峙した。

 けれど現実は物語のように劇的ではなく、放られた力ない直球は先輩がダイブした左横を無情にも抜けていった。

 決定的な2点がスコアボードに刻まれ、茉優が頽れる。

「ごめん……ごめんねぇ……」

「謝らないで。茉優は精一杯投げたわ。それに……まだゲームセットになっていないわ!」

 マウンドを引き継いだ愛花が後続を抑え、その裏に茉優、涼子、先輩の連打で一点を返す。

 しかし反撃はそこまでだった。

 下位打線を担う菜月や愛花は先輩らしい恰好良さを下級生に示せず、あと1点に手を伸ばし続けたまま、試合終了の声を聞くことになった。



 菜月にとって馴染み深い焼き肉店の二階。

 金色に染まった日が窓から差し込む中、借り切った室内でソフトボール部員とその関係者は黙々と肉を焼いていた。

 善戦したと慰めてもらっても敗北は敗北。なかなか前向きにはなれず、普段は悔しいを連呼する愛花も静かだった。

 重苦しく切ない空気。特に一年生が気まずそうにする雰囲気を振り払ったのは、やはり最上級生の一声だった。

「ほらほら、こんな押し黙ってちゃ、せっかくの焼き肉の味が落ちちゃうわよ!」

 たった一人の三年生として、菜月たちに部の中心を委ねながらも陰に日向にと支えてくれた。新入部員獲得の際も誰より走り回った。上級生との間に壁ができないように、常に心を砕いてくれた。優しさとは何か、それを全身で体現しているような先輩だった。

 それなのにと、菜月は唇を噛む。

「最後まで……ごめんなさい、先輩」

「菜月ちゃんまでそんなにしんみりしないで。確かに私のソフトボール生活は終わるけど、とても充実してたんだから!」

 そう言って先輩はとびきりの笑顔を浮かべた。

「三年生がいなくなったらどうしようって考えてた去年に菜月ちゃんたちが入部してくれて、今年もこんなに大勢の一年生が入ってくれて……他の部に助っ人を頼まなくても試合ができるどころか、練習試合では初めて勝てたし、公式戦も勝利まであと一歩のところまでいけた」

 焼肉を食べる箸を止めて、全員が先輩の話に耳を傾ける。これが最後の挨拶になると誰もがわかっていたのに加え、人望の厚さを物語っているようだった。

「全部、皆のおかげよ、ありがとう。私は世界で一番、幸せなキャプテンでした!」

 拍手はない。

 代わりに誰からともなく、すすり泣きが漏れ始めた。

 掠れた声で、聞こえるかどうかもわからない小さな声で、口々にお礼の言葉を紡ぐ。

「もう……皆が泣いちゃうと、私まで泣きそうになるじゃない」

 睫毛を強く合わせたあと、先輩は菜月たち一人一人とハグして回った。

 そうして最後にまた菜月のところへ戻ってくる。

「私は今日で引退になる。だから次の主将を決めたいんだけど……」

「それなら愛花ちゃんが適任だと思います」

 涙を拭いて、菜月は友人の名前を上げた。

 驚いた当人が、目を見開いて菜月を見る。

「勝利に対する執念が誰より強く、面倒見もいいです。目立ちたがり屋なくせに、意外と緊張しいだったりするのが玉に瑕ですけれど」

「菜月さんっ!?」

 褒められて感動しかけていた愛花が、菜月の最後の言葉でひっくり返りそうになる。

 部員たちがどっと笑い、主将が「それでいいのね」と確認してくる。

「はい。それに……私はきっと副主将に任命されるでしょうし……」

 昨年時に打診された時は荷が重いと断ったが、今度はさすがに拒否できない。

 もちろんですと愛花が菜月の肩を叩く。とても素敵な笑顔だった。

「それなら安心ね。愛花ちゃん、菜月ちゃん、これからのソフトボール部をよろしくね」

「「はい」」

 二人で頷いたあと、新キャプテンの愛花が軽く挨拶し、拍手で部員たちに受け入れられる。

 部員の自主性を重んじる監督はよほどの問題が起きない限り、口を出さないのであっさりと新体制が決定した。



 夜風を吹き飛ばすように、爆発しそうな心臓から全身に熱が伝わっていく。

 菜月は額に汗を滲ませながら、正面に立つ少年を見つめた。

 反省会が現地解散となり、自宅までの短い距離を歩いていた菜月は、急に呼び止められた。

 振り返った先にいたのは、今日もわざわざ応援に来てくれた沢恭介だった。

 真剣な顔で、緊張気味に大事な話があると切り出されれば、恋愛事に疎い菜月でも容易に察せられる。

「こんな時に言うのもどうかと思うけど、もう自分の気持ちを抑えられないんだ」

 強く拳を握り、苦しそうに恭介が言う。

「入学式の時からずっと気になってた。そのうちに、高木さんの姿を目で追うようになった」

「…………」

「冷たいようでいて優しいところとか、誰よりも頑張り屋なところとか、俺さ……俺、そんな高木さんが……大好きだ」

 なんとか愛の言葉を絞り出したあとで、恭介は脱力するように息を吐いた。

「緊張……するな。女子に告白したのなんて初めてだよ」

 返事を待つ間にそうした言葉を挟んでくるあたり、菜月への気遣いが窺える。

 恭介は菜月の目から見ても恰好良く、性格も申し分ない。クラスの女子であれば告白された事実に舞い上がり、一も二もなく頷いていただろう。

 ――だけど、私は。

 これからの答えを思えばまともに恭介を見ていられず、反射的に目を逸らしてしまう。

 そこで菜月は見た。

 曲がり角、民家に隠れるようにして、こちらを見ていた真を。

 その彼は菜月の視線に気付かないまま、逃げ出すようにすぐその場を去った。

 恭介から告白する決意を聞いて気になったのか、それとも単純に夜道を一人で帰る菜月を心配したのか。どちらにしても、すぐに声をかけられないのはある意味で真らしかった。

 ――だから気になるのよね。放っておけないし。

 内心でクスリと笑い、頬筋を引き締めてから、想いを伝えてくれた相手に頭を下げる。

「ごめんなさい」

「……真君、かな」

「……そう、だと思う」

 自分の気持ちに確信は持てなかったが、菜月には真以外の男子の隣にいる光景が想像できなかった。それを恋心と呼ぶのであれば、否定はできない。特に真摯に告白してくれた相手には。

 やっぱりと言うように恭介は笑った。

「高木さんと真君の間には確かな絆を感じてたからね。誰も入り込めなくなる前に、卑怯にも勝負をかけたんだけどな」

「卑怯ではないわ。沢君の気持ちは嬉しかったもの」

「ありがとう。初めて本気で好きになった相手が高木さんで良かったよ」

 恭介がくるりと背を向ける。その声も背中も微かに震えていた。

 涙を堪えるように夜空を見上げ、さようならと告げて闇に消えていく。

 菜月はもう一度頭を下げて見送ってから、意を決して家とは違う場所を目指して歩き出した。



 恐縮する少年の前に仁王立ちし、菜月にしては珍しく唇を尖らせる。

「覗き見するのはどうかと思うわよ」

「ご、ごめん……」

 激闘の跡が残るユニフォーム姿のまま、鈴木家のインターホンを鳴らし、呼び出した少年を街灯の下でとっちめていた。

 田舎だけに午後八時を過ぎてしまえば、人の往来もほとんどない。

「冗談よ」

 狩られる目前の野兎みたいな少年に吹き出しそうになるのを堪えつつ、菜月は深呼吸する。

「むしろ見たのなら、逃げずに最後まで見ていなさい」

「え? そ、それって……」

 見る見るうちに真の両目に涙が溜まっていく。

「そ、そうだよね。恭介君は恰好いいし、す、凄く、その……菜月ちゃんとお似合いで……僕……僕、お、応援するよ……」

 鼻を啜りながら泣くのを堪える真に唖然とする。どうやら盛大に勘違いをしているみたいだった。

「あのね」菜月は改めてため息をついた。「どうして交際をお断りした相手との仲を応援されないといけないのよ。まあ、クラスメートだし、友人でもあるのだけれど」

 きょとんとした真が、言葉の意味を理解するにつれて顔を明るくしていく。

 この反応を見れば、相手の気持ちを伝えてもらうまでもない。

 もしかしてというより、多分そうなのだろうなとは菜月自身も思っていた。

 だから告げる。

 真っ赤な顔を見られないように。

 緊張しているのを見破られないように。

 ほんの少しだけ。

 いや、多分、おもいきりそっぽを向いた状態で、

「……それで、真は私に何か言うこと、ないの?」

 とわざとらしく聞いた。

「あ……え、ええと、その……ぼ、僕……」

「まさか……こんな場面でも私に引っ張ってほしいなんて言わないわよね? 最近、少しは男らしくなってきたんだから……勇気、見せなさいよ……ばか……」

 息を呑んだ真がおもむろに菜月の両手を握った。

「あの、ええと、あの、あのあのあの!」

「お、落ち着きなさい。ほら、深呼吸して」

「う、うん」

 スーハーと繰り返し、しっかりと両手を繋いだまま、至近距離から真が菜月を見つめた。

「菜月ちゃんが……大好きです。僕と……付き合ってください」

「……はい」

 菜月が微笑むと、真は真っ赤になって俯いてしまう。

「勇気……出せたじゃない」

 恭介のような堂々とした振る舞いはできそうにないが、真は真。それに菜月は眼前の少年のそんな性格が気に入ってもいた。

「……家族が心配しているだろうから、そろそろ帰らないと」

「そ、そうだね!」

 慌てて手を離そうとする真の足を軽く踏み、菜月は半眼で睨みつける。

「ちょっと……まさか、か弱い恋人に夜道を一人で歩かせるつもりなの?」

「あ! お、送っていくよ!」

「フフ。なんだか催促してしまったみたいね」

「いいんだ。僕もその……少しでも菜月ちゃんと一緒にいたいから……」

 大人と比べればおままごとみたいな恋愛かもしれない。

 けれど繋いだ手から伝わる温もりは、大人と変わらないほどに温かい。

 そこに確かな絆を感じた菜月は月明かりの下、心地良い熱に抱かれた心臓をずっと大きく鳴らし続けた。



 ――帰宅後。

 時折、妙に勘が鋭くなる葉月に、菜月と真の新たな関係は一瞬にしてバレた。

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