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愛すべき不思議な家族&その後の愛すべき不思議な家族  作者: 桐条京介
その後の愛すべき不思議な家族5
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25

 毎日毎日クタクタになりながらも、姉や実希子からのアドバイスを胸にソフトボール部の練習に励み続けて早一箇月程が経過した。

 六年生が抜けるまでは基礎練習ばかりかと思っていたが、日曜日の今日、顧問の女教師に言われて菜月たちは練習試合に参加することになった。

 まだまだ初心者も同然で動きもぎこちない。しかしながら菜月たちの所属するソフトボール部は悲しいかな、人数が不足気味だった。そこで顧問は先方と話し合い、可能な限り四年生同同士の試合を決めたらしかった。

「一応試合だけど、目的は他校との親睦を深め、ソフトボールに慣れてもらうことよ。勝ち負けは問わないので、張り切り過ぎて無理だけはしないようにね」

 返事をした菜月たちの学校で試合が行われるので、必然的にこちらが後攻になる。さらに四年生だけではお互いに一チームは組めないため、五年生数人が主力として組み込まれていた。初心者だけでプレイして泥仕合になるのを避ける配慮もあるだろう。

 菜月のついた守備位置は右翼。打順は九番だ。そして一塁手には茉優。打順は八番。仲良しコンビは揃って主力とは思えないポジションを任されていた。

 とはいえ菜月は屈辱に塗れるような性格ではなく、初心者が主要なポジションを任されるわけがないのも理解していた。それでも悔しさはあるので、いつか姉と同じ景色を試合でも見たいとは思ってしまう。

「しまっていこーっ!」

 投手を務める五年生が大きな声で菜月たちを鼓舞する。葉月が小学生時代に愛用していたグローブを上げ、試合前の独特の緊張感に包まれながらも応じた。

 プレイボールの声がかかり、初球が投じられる。自分がピッチャーではないのに、閉じるのを忘れた口から心臓が飛び出してきそうなくらい菜月は緊張していた。

 相手打者が初球から打ち、ボテボテとしたゴロが三塁方面に転がる。三塁は同じ四年生で運動神経も良い女性だった。軽やかな動きで捕球しようとするも、それでもボールを弾いてしまう。衝撃的な瞬間を目撃し、ますます菜月の不安は大きくなる。

 ――自分のところにボールが飛んできたら、落ち着いて対処すれば大丈夫。大切な場面でこそ必要となるのが平常心よ。

 様々な言葉が心の中に渦巻いている段階で平静さは失われているのだが、その事実にも気がつけない。ただライトのポジションに立っているだけなのに、観客席で見ているのとは大違いの臨場感とプレッシャーがあった。

「ドンマイ、ドンマイ。落ち着いていこう」

 エラーした三塁手に先輩が声をかけ、次の打者と対峙する。

 上がったフライをショートの五年生が捕球してワンナウト。試合が落ち着くかと思われた矢先、三番打者が鋭くバットを一閃した。

 一二塁間を抜け、勢いのある打球が菜月の前まで転がってくる。基礎練習で教えられていた通りに腰を落とし、最悪でも後ろへ逸らさないように配慮してグローブを出す。

 上からグラウンドへ突き刺すようになってしまったのはご愛敬だろうか。とにもかくにも、打球の処理には成功し、急いで両手を上げている二塁手の先輩へボールを戻す。

「オッケー。それでいいよ、ライト!」

 ヒットは打たれたが、ミスをしなかった菜月の守備が先輩に褒められる。さすがに親睦を目的とした練習試合だけに、敵味方ともに和気あいあいとした雰囲気が漂っていた。

 真剣勝負をしたい人間には物足りないだろうが、これが最初の試合となる菜月たちにはミスをしても怒られないで済むというのは素直にありがたかった。一生懸命頑張るという一点だけに集中できるからだ。

 ボテボテのゴロを二塁手が処理し、部から借りたファーストミットを構えた茉優に送球される。ムラっ気はあるが意外と運動神経は良く、身長も同年代と比べて高い。多少ボールが浮いたくらいでは、後ろに逸らさないので顧問から一塁手に任命された。

 難なく捕球してツーアウト。嬉しそうな笑顔を茉優は右翼手の菜月に披露する。軽くグラブを上げて応じ、次の打者の守備に備える。

 無事にスリーアウトを取れれば、今度は菜月たちの攻撃となる。それを繰り返し、七回終了時で得点の多い学校が勝利する。同点の場合は公式戦なら延長戦で決着などになるが、今回は練習試合なので引き分けとなる。

 三回の裏。先頭打者として茉優が初めての打席を迎える。金属バットを持って構え、相手が投げるのを待つ。

「茉優、頑張れっ!」

 ネクストバッターズサークルから菜月は声援を送る。少しだけ微笑んだように見えた友人は、投じられたボールへ的確にバットをぶつける。独特の衝突音が鳴り、打球が三遊間を破る。見事なヒットに、味方ベンチが盛り上がる。

「次はなっちーの番だよ!」

 一塁ベース上から声をかけられ、ヘルメットを被ったまま菜月は頷く。この日のためにというわけではないが、時間があれば帰省中だった姉や実希子、それに好美などに遊んでもらってきた。

 体育の授業とはいえ、男子のボールも打てた。何より前の打者の茉優が道筋を作ってくれた。自分も続こうと斜めに構えたバットを少しだけ後ろに引き、ピッチャーの投球に備える。

 回転する腕が加速し、下手から勢いよくボールが放たれる。球種は狙い通りに真っ直ぐ。一、二、三でタイミングを合わせてバットを振る。スイングの感触は悪くない。

 けれど次の瞬間に菜月の頭に宿ったのは困惑だった。確かに当たったと思ったのに、バットには何の手応えもない。聞こえたのはキャッチャーミットにボールが収まる音と、審判役のストライクというコール。

「次こそは……」

 空振りしたと知り、強すぎるくらいに奥歯を噛む。睨むように相手投手の動作に注目し、モーションに合わせてタイミングを整える。

 ――当たらない? どうして……。

 ツーストライクとなり、菜月はさらに呆然とする。観客席から見ていた葉月や実希子は難なく打ち返せていたのに、いざ自分がバッターボックスでバットを振ると掠りもしないのである。

 ボールはきちんと見えている。奇妙な変化もかけられてはいない。コースの見極めも大丈夫だ。なのに当たらない。首を傾げたくなるような状況下は菜月から自信を奪い、気持ちの準備が出来ないうちに投じられた三球目も、無慈悲にキャッチャーミットに吸い込まれ、公式戦ではなくとも菜月の試合での初めての打席は三球三振に終わった。

「……すみません」

「高木さん、下を向かない。初めての打席でも、あれだけバットを振れたのなら大丈夫よ。次に気持ちを切り替えましょう」

 顧問のみならず、四年生同士の試合に助っ人参戦中の五年生も口々に菜月を慰め、励ましてくれる。心遣いに感謝を示すと同時に、ベンチに座った菜月は俯く。

 小さくないため息が勝手に漏れる。土の上にある葉が揺れ、カサリと足元に近寄る。友人は初球を引っ張って安打にできたのに、菜月はこの体たらくである。しかも初心者とはいえ、姉のおかげで興味を持ち、幼い頃から馴染んできたソフトボールという競技でだ。情けなさすぎて涙が零れ落ちそうだった。

「なっちー。守備の時間だよ」

 いつの間にベンチに戻って来ていたのか、茉優に肩を叩かれて菜月は我に返る。スコアボードの三回裏にはゼロという数字。どうやらせっかくのノーアウトのランナーを還せずに終わってしまったらしい。

「わかった。ありがとう」

 グラブを手にライトへ向かう。守備位置でため息をつき、不意に空を見上げる。

 直後に響いたのは「ライト!」という大きな声。慌てて周囲を確認すると、ボールが左後方の奥に落ちていた。

「集中してなかったから……私のせいだ……!」

 唇を噛んでボールを追いかけるも、先に中堅手の五年生が拾って内野へ返す。

「あ、あの……すみませんでした」

「気にしない、気にしない」

 近寄って謝る菜月に、上級生は笑顔でそう返してくれた。

「雲に混ざると見失いやすいからね。慣れるまでは時間が必要なの。試合というより練習だと思って、ミスを恐れないでガンガンいけばいいよ」

「はい。ありがとうございます」

 お礼を言ってライトに戻ると、菜月は軽く自分の額を叩いた。打球を見失ったのではなく、打席での後悔を引き摺るあまり、守備に集中できていなかっただけだ。

「今度は……失敗しない……!」

 泣きたい気持ちもあるが、ここで落ち込んでしまったら同じ結果を繰り返すだけだ。きっと姉らも似たような失敗を繰り返して上手くなったんだと言い聞かせ、一時的に屈辱を棚上げして菜月は腰を落としてピッチャーとバッターの対決を外野から見守る。

 打者が金属バットを水平にスイングし、放たれた打球が真っ直ぐに菜月を目指して飛んでくる。一度でも目を離せば見失ってしまうので、打球に集中しながら足を動かす。落下地点を瞬時に予測して動ければ恰好いいかもしれないが、生憎とまだそこまでの捕球技術は菜月にはなかった。

 それでも懸命に両足を動かし、向かってくる打球との距離を合わせる。手を伸ばせば近づいてくる緊張の瞬間。開いたミットに落下の衝撃も加わり、重い感触が伝わる。それでも葉月が愛用していたミットはしっかりと吸収してくれた。

 審判が右手を上げる。チームメイトが手を叩いて喜ぶ。一塁にいる友人が飛び上がって祝福してくれる。たった一つのアウト。けれども本格的にソフトボールを始めた菜月にとっては、生涯忘れられないシーンとなった。


「それで打撃結果はどうなったの?」

 日曜日も終わりに差し掛かった夜、練習試合があると事前に伝えていた姉に菜月は結果を電話で報告した。試合は四対三。菜月たちのチームが負けた。守備でアウトを取った興奮をそのまま言葉にして伝えていたが、とうとう避けては通れない話題が来てしまった。

「……二打席連続の三球三振」

「そっか。ちゃんとバットは振れた?」

「六回振って一回もかすらなかったわ。やっぱり遊びとは違うのね」

「そんなに落ち込まなくても大丈夫だよ。ボールを見てスイングできたなら、あとは当たるように誤差を調整するだけだもの。菜月ならそういう計算は得意でしょ」

 今日はあくまでも試合の練習。雰囲気と守備での達成感を得ただけでも良しとする。葉月に言われ、菜月もようやくないなりの成果というものを見つけられたような気がした。

「よう、なっちー。散々だったみたいだけど、気にすんな。葉月だって最初の頃は散々で、そのたびにピーピー泣いてたんだぞ。なのに気がつけば高校で全国大会にも出場したエースになれたんだ。その葉月の妹なんだから、なっちーだって大丈夫さ」

 実希子に強引にスマホを取り上げられたらしい葉月が、すぐそばで苦笑している光景が見えるみたいだった。

「ありがとう。ちなみに実希子ちゃんの初試合はどうだったの?」

「さあなあ。おい、好美。アタシの初打席がどうだったか覚えてるか」

 葉月と同部屋の好美に尋ねると、すぐに答えが返ってきた。

「練習試合ではホームラン。公式戦でも上級生に混じって戦力で試合に出たでしょ」

「……人間の私が比較できる相手ではないわね」

「おい! 人を化け物みたいに言うな!」

「言ってないわよ。実希子ちゃんはゴリラじゃない」

「それならいいんだ……ってよくないぞ! あとでお仕置きだ! アタシが今度帰省したら、みっちりバット振らせるからな。覚悟しとけ!」

 照れ臭そうな怒声に対し、菜月が返すのも照れ臭そうな声だった。

「心から嫌だけど、甘んじてお仕置きを受けてあげるわ」

 心の中の感謝が伝わったのか、伝わらなかったのか。どちらにしても実希子は力強く「おう!」と言ってくれた。

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