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愛すべき不思議な家族&その後の愛すべき不思議な家族  作者: 桐条京介
その後の愛すべき不思議な家族5
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 チャイムが鳴る。掃除を中断した和葉は、インターホンのボタンを押す。

「どちら様でしょうか?」

 返ってきたのはやや太い男性の声だった。

「突然申し訳ありません。私は佐奈原と申します。娘の茉優が大変お世話になっているそうで……」

「茉優ちゃんのお父さんですか? 少々お待ちください」

 仕事をしている春道を呼ぼうとして止める。邪魔をしたくなかったし、仕事中とはいえ同じ階にいるのだ。何か問題が起きればすぐに助けを求められる。

 ドアを開けると、綺麗に髭も剃っている三十代半ばの男性が立っていた。春道よりやや恰幅が良いだろうか。太っているとまではいかないが、それなりに中年の体型だ。ワイシャツにスラックスという格好で、訪問に際して気を遣っているのが一目でわかった。

「そちらの娘さんが、ウチの茉優のために夕食まで作ってくださったみたいで、本当にありがとうございます。それと、ご迷惑をかけて申し訳ありませんでした」

 平身低頭に近いくらいに上半身を折り曲げ、両手に持った紙袋が差し出される。

「この程度のお礼しかできませんが、今後ともどうぞ娘と仲良くしてあげてください」

「ありがとうございます。ですがうちの子であれば、お礼を頂かなくとも茉優ちゃんとは仲良くすると思います」

「それを聞いて安心しました」顔を上げた茉優の父親は安堵の笑みを浮かべていた。「お気持ちだけとは言わず、どうかお受け取りください。返されても私と茉優では余ってしまいます」

 普通ならこのままお互いに締めの挨拶をして終わるのだが、菜月から事情を聞いていたのもあり、玄関先で立ち話も何ですからとリビングに茉優の父親を招いた。

「主人は部屋で仕事中ですので、失礼ながら私だけの応対となってしまいますが」

 遠回しにではあるが夫が在宅なので変な意図はなく、邪な感情も持たないようにと念押しをしておく。三十代後半のおばさんになったとはいえ、年齢に関係なく男性の相手をするのは多少なりとも女性なら恐怖を覚えるだろう。これが女だけの家庭であったならば、いかなる理由があろうとも絶対に家には上げていない。

「お飲み物を用意しますので、椅子にかけてお待ちください」

「ああ、お構いなく。すぐにおいとまさせていただきますので」

 腰が低く、言葉遣いや態度にも丁寧な印象を受ける。和葉も以前に接客業をしていたが、夜の帰宅時間が遅いというのもあり、茉優の父親も同職種なのではないかと推測する。

「珈琲と紅茶、あとは緑茶もありますが、どれがよろしいですか」

 二度目も辞退するそぶりを見せたが、和葉が遠慮なさらずにと加えると、申し訳なさそうに茉優の父親は珈琲を選択した。砂糖とクリープを用意してからカップを置く。

 お礼を言ってから茉優の父親は砂糖類は使わずに、カップを口元へ運ぶ。和葉も自分の分で喉を潤してから、正面に座る男性と向き合う。

「私は菜月の母親で高木和葉と申します。娘が佐奈原さんの家の食材を勝手に使ってしまったようで、ご迷惑ではなかったでしょうか」

 和葉から切り出すと、茉優の父親は左手で後頭部を掻きつつ、軽く前に出した右手を振る。

「いえいえ、私まで美味しいご飯をご馳走になって。茉優にも改めてお礼をと言っておきましたが、お母さんの方からもよろしくお伝えください」

「喜んでもらえたと知ればあの子も喜ぶでしょう。茉優ちゃんのお父さんはお料理などをなさらないのですか?」

「お恥ずかしい話ですが、ろくに何もできない父親でして……あっ、申し遅れました。私は佐奈原修平と申します」

 ご丁寧にありがとうございますと返してから、相手にとっては辛辣に取られかねない指摘を和葉はする。

「差し出がましい意見かもしれませんが、茉優ちゃんは成長期で大切な年齢です。少しは気を配ってあげてください」

「そう……ですね。十分な夕食代を渡しているから大丈夫というのは、親の勝手なエゴでしかありませんでした。今回はそれを痛感しております」

 菜月が料理をしたその日の夜に、起きて帰りを待っていた茉優に夕食代を洋服代として使ってしまったのだと告白されたらしかった。驚きはしたが、自身の管理の甘さもあり、今後はそういう使い方はしないように注意するだけで終わった。修平はそうも加えた。

「その際に菜月ちゃんの話も聞き、良くしてくださってるみたいなので一度お礼をと思い、娘から大体の住所を聞いて、今回お伺いさせていただきました」

「そうでしたか。込み入ったことをお聞きしますが、お仕事はやはり接客業なのですか?」

「はい。市外のスーパーで勤務しています。いわゆる中間管理職な立場でして、なかなか定時通りには帰宅できず、娘にはいつも不自由で不憫な思いをさせています」

 決して現状をよしとしておらず、改善できるならなんとかしたいという気持ちが伝わってくる。不愉快に感じかねない指摘をされても声を荒げないどころか、表情にも出さない。素直に受け止めて反省するあたり、悪い人ではないのだろう。

「家も今のでは手狭だろうし、頑張ってよりよい生活をと思っていたのですが……」

「もしかしたら茉優ちゃんは贅沢よりも、お父さんとなるべく一緒にいたいと願っているかもしれませんね」

「そう……なのでしょうか。他人様に言われて初めて娘の気持ちに気づくなんて、私は駄目な父親ですね」

 自嘲する修平に、和葉は大丈夫ですと微笑む。

「親だって完璧な存在ではありません。子供と一緒に成長すればいいのです」

「いや、高木さんのおっしゃる通りです」

 癖なのか頭を掻きつつも、照れた感じの笑みを浮かべる修平。和葉の顔を見るたびに、少しずつ顔の赤みも増しているような気がする。

「……私の顔に何かついてますでしょうか?」

 明確に尋ねた和葉に、修平は恥ずかしそうに鼻頭を人差し指で掻いた。

「いや、すみません。あの……その、お綺麗だなと思いまして……」

「ありがとうございます」

 漂ってくる好意にも動揺を示さず、和葉は顔を小さく傾けてにこりとする。あまりにも自然な動作に見えたのか、逆に相手の方が狼狽するほどだった。

「あ、はは……自信があるのですね。一目惚れされたりする機会とかが多いんですか?」

「自信はありませんが、ただ……」そこで一旦息を吸い、改めて作り直した笑顔とともに和葉は答える。「私が褒められて照れる相手は主人だけです。一目惚れされる機会については、自分では何とも申し上げられません」

 リビングが一層シンとする。両手を添えているカップに視線を落とした修平が、自虐的に笑う。

「……ご主人が羨ましいですね。私も貴女みたいに一途な人と結婚できていれば……」

「それは残念でしたね。ですが、主人はいつでも私をドキドキさせてくれます。佐奈原さんに何があったのかは知りませんが、やはりお互いを想い合ってこその夫婦だと思います」

 再来する沈黙。結構なキツい言葉となったがそれでも修平は激昂せず、自分の中で和葉の言葉を噛み締めているみたいだった。

「きっとそうなのでしょうね。私は仕事に没頭するあまり、家庭を見ていなかった。だから妻も他の男性に目移りしてしまったのでしょう。そして、私は同じことを娘にもしていたのですね。はは……夫として失格の烙印を押されたばかりじゃ飽き足らず、父親まで自ら失格になろうとしていました……」

 涙を堪えるようにしばらく肩を落とした修平が顔を上げるまで、下手に言葉をかけずに和葉はずっと待ち続けた。

 ややしてから、どこかスッキリしたような表情を修平が見せた。それは完全に父親のものだった。

「これからはもう少し娘との時間を作れるように頑張ってみます。……私はまた、娘の父親に戻れるでしょうか」

「何を言っているのです。今も佐奈原さんは茉優ちゃんの父親ですよ」

「はい……精一杯努めます。数年前もそう誓ったはずなのですが……今度こそ……」

 丁寧にお礼を述べて修平が帰宅した少し後、ようやく仕事が一段落したらしい春道が眠そうな顔でリビングへと出てきた。

「……おや、誰か来てたのか?」

 リビングのテーブルに置かれた二つのカップを見て、春道が和葉に聞いた。

「ええ。佐奈原さん……茉優ちゃんのお父さんが娘がお世話になっていますと、わざわざお礼を言いに来てくださったのよ」

「おいおい、俺も一緒に応対した方がよかっただろ。教えてくれればよかったのに」

「そうするつもりだったけど、確か納期がギリギリなのでしょう? 仕事は手伝えないけれど、妻として来客の応対はできるもの」

「……そうか。和葉には世話になりっぱなしだな。いつもありがとう」

「どういたしまして。フフッ」

 食卓に座った夫の頬を何気なく指でつついてみる。何するんだよ、と妙に照れる横顔がなんだかとても愛らしかった。


 夕食後にリビングで家族三人がゆっくりしていると、思い出したように菜月が口を開いた。

「そういえば今日、道端で偶然茉優ちゃんのパパに会ったわ。初めて見たけれど、なかなか恰好良かったわよ」

 意味ありげに笑う菜月が、横目で父親の春道を見る。

「話を聞いてみたら、パパ抜きでママとお話してたみたい。もしかして愛想尽かされてしまったのかしら?」

 いつもからかわれているお返しとばかりに辛辣な口撃を加えるも、生憎というべきか春道はビクともしなかった。

「二人で話していたのは知っているが、それはないな」

 自信満々の父親に、菜月が「どうして?」と食い下がる。そんなに母親を不貞妻にしたいのだろうかとも思ったが、春道がどう応えるのか気になったので、あえて和葉は黙って見守る。

「俺が誰より愛しているのが和葉で、和葉が誰より愛しているのが俺だからだ」

 照れも躊躇もなく言い切った春道の言葉に、危うく和葉は口に含んでいた珈琲を吹き出しそうになった。おかげてこちらを見てニヤリとする夫にろくな反応を示せなかった。

「こういう場合はご馳走様っていうべきなのよね。仲が悪いよりは歓迎だけど」

「そうむくれるな。菜月に対しても同じことを思っているんだぞ」

 春道が言葉を続けようとしたところで、先に菜月が照れてソファから逃げようとする。だが逆側に座っていた和葉はわざと体を寄せて、愛しい娘に頬ずりをする。

「あら、それならママも負けていないわよ。菜月を誰よりも愛しているもの」

「わ、わかったってば! も、もう!」

 顔どころか耳朶まで朱に染めた少女を両側から夫婦で抱き締めつつ、食後の時間をゆったりと楽しんだ。


 夜、布団派の春道に合わせて二つ繋げた布団の片方で眠る和葉は、愛する夫の背中にそっと手を伸ばした。

「娘の前で、妻にほとんど告白をするなんて悪い春道さんね」

「……仕方ないだろ。信じてはいても、少しばかりは嫉妬してしまうしな」

「フフ。それは私も一緒。少し前までは祐子さんのせいで散々やきもちを焼かされたんだから、春道さんにも共有してもらわないと。何でも一緒に背負うのが夫婦だしね」

「和葉も言うようになったな」

 苦笑する春道が体の向きを和葉の方へと直した。

「けど、照れてる顔の方が好きだから、近くでたくさん見せてもらおうかな」

「まったく……子供みたいな旦那様だこと」

 それきり言葉はなく、ゆっくりと二人の顔の間にあった隙間が消えていった。

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