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愛すべき不思議な家族&その後の愛すべき不思議な家族  作者: 桐条京介
その後の愛すべき不思議な家族4
191/527

15

 土のグラウンドに大きな膝が崩れ落ちる。巨体が丸まり、ベンチ前に嗚咽が木霊す。

 晴れた夏の一日。とても熱い一日。

 グラウンド奥のスコアボードに刻まれた十対六の数字。合計が六で終わった左隅には南高校の文字があった。

「うあ、あああ……! 一回だけでもいい。勝ちたかった……! 公式戦で勝ってみたかった……!」

 明るく朗らかで、岩さんと誰からも慕われる女性。ソフトボール部の主将である岩田真奈美も泣いていた。決して取り戻せない時間と結果を嘆いて。

 葉月は心許せる友人でありチームメイトの実希子たちと、黙ってその光景を見続けることしかできなかった。

 夏の県大会の初戦。今年こそは一回戦突破と気合を入れ、厳しい練習を経てきた結果が今の状況だった。

 誰も手は抜いていない。勝利を求めて貪欲に、全力を尽くした。それでも何年ぶりかの初戦突破はならなかった。


 試合終了後、保護者を交えたお疲れ会をする前に、部員は南高校の部室に集まった。

「次のキャプテンは美由紀に頼みたい。監督とも話したけど、適任だと思う」

 主将として最後の務めを果たすべく、泣きはらした目の真奈美が気丈にも言葉を繋げていく。

「私たちの代では勝てなかった悔しさを、勝手だけど美由紀たちの代で晴らしてほしい。秋の新人戦は見に行くから、そこで私にも勝利の味を教えてくれ」

 座っていた一同の中、一人立ち上がった美由紀が正面から真奈美を視線を合わせて「はい」と返事をした。

「いい気合だ。あとは任せたよ。じゃあ、新キャプテンに抱負を語ってもらうとするかね」

「はい。皆、秋こそは勝てるように全員一丸となって頑張りましょう!」

 今度は部員たちが返事をする番だった。葉月も頷く。夏の県予選での出番はなかったが、二年生が主力となる新人戦では部の力になりたいと強く思った。


 佐々木実希子が恒例の赤点を咲き乱れさせた以外は平和に終わった期末テストを乗り越え、新生南高校ソフトボール部は夏休みに入るなり合宿を行った。

 文武両道がモットーなだけに、赤点常習犯の実希子を危惧して夜には勉強時間も設けられた。嫌がる実希子には、高山美由紀がつきっきりで指導するらしかった。

 なるべく保護者に迷惑をかけないようにと、昼食も夕食も部員たちが用意する。将来一人暮らしをする際の予行練習みたいなものでもあるらしい。

 高校生になって初めてソフトボール部に所属した柚も尚も、朝から汗だくになって練習に励んだ。柚の運動神経の良さは知っていたが、意外だったのは尚もかなりの身体能力を持っていた点だった。

 体力強化メニューが一段落し、球拾いや素振りもこなすようになって判明した。特に脚力が素晴らしく、足の速さは実希子以上である。中堅を任せれば、抜群の守備範囲を誇る。

 一方の柚のプレイはとても堅実だ。一か八かで打球に飛び込みたがる尚とは大違いで、冒険的な守備はしない。積極さに欠けるともとられがちだが、エラーをしないという意味では圧倒的に信頼できる。そのため彼女のメインの守備位置は二塁となっていた。

 中学からの経験者でもある葉月たちのポジションは変わらない。春から主砲を務めていた実希子はそのまま三塁手のレギュラー。好美は捕手で、葉月は投手である。

 正捕手だった岩田真奈美が抜けたのもあり、監督の田沢良太は好美を捕手の一番手に考えているみたいだった。投手に関しては葉月である。

 新主将の高山美由紀は遊撃手で、ポジションの大多数は二年生がレギュラーとなる。柚と尚の守る二塁と中堅に関しても同様だった。

 意外と熱血な良太がノックの雨を降らせ、応えるように部員たちがグラブを伸ばす。

 昼食は自分たちが用意するつもりだったが、下準備は良太の妻でもある田沢桂子がやってくれた。文学部を預かる彼女は夏休みのこの時期、部活関連の仕事はさほど忙しくないらしい。

 昼食後の打撃練習では、実希子が大はりきりとなる。ピッチングマシーンから放り出されるソフトボールを金属バットで打ち返し、実に気持ちよさそうな顔をする。

「佐々木の場合は、バッティング練習をしなくても問題なさそうだな」

 良太の呟きが聞こえたのか、打席から出て実希子は身振り手振りで必要性をアピールする。

「そりゃないぜ、良太監督。アタシはこのために生きてんだ。教師が生徒の生きがいを奪っていいと思ってんのか!」

「じゃあ打撃練習ができれば飯抜きでもいいか」

「それとこれとは話が別だろ! 飯はアタシの人生そのものだ!」

 何故か得意げに胸を張る実希子に、さすがの良太も呆れ顔になる。

「わかった、わかった。だがほどほどにしとけよ。他の選手にも練習させたいからな」

 各部活には学校から活動のための予算が割り振られるが、実績がないも同然のソフトボール部にはあまり配分されない。そのため練習を補佐するための機器は少ないのだ。実希子一人で占領していると、いつまで経っても他の部員の打撃技術が向上しないことになる。

「あいよ。じゃあ次は柚が打つか?」

「いいの?」

 夏の大会までは三年生が優先されるため、マシーンを使った打撃練習が出来るのは下級生だとレギュラーはベンチ入りをする控え選手に多くの時間が与えられた。加えて柚は初心者に近かったので、基礎練習がほとんどだったのである。

 柚が打席に入るのを誰も反対せず、監督の良太もやってみろと声をかける。それならと打席に入った柚が持ったのは、実希子が使うのよりも短めの金属バットだった。規定の長さギリギリのを使っている実希子と比べて腕力が劣る柚だけに、スイングしやすいのを選んだ。夏までひたすら素振りをしていたおかげで、自分に合うバットを見つけられていた。

 ベンチ前で投球練習をしていた葉月も、一時中断して柚の本格的なバッティング練習を見学する。素振りとは違い、飛んでくる標的があるのでやりがいも出てくる。

 ソフトボールの真っ直ぐは野球と違って独特の軌道を描く。ライズボールという浮き上がるような球種まであるほどだ。

「ふっ!」

 お腹に力を入れた勢いで声を出した柚が、打席内でバットを水平に振る。上手く当てられずに空振りするも、最初は皆そんな感じなので誰も笑わない。

「柚、最後までボールを目を離すな。スイング中もしっかりとボールを見て、バットの軌道を合わせるんだ。正面衝突させるような感じだな」

「わかったわ」

 実希子のアドバイスを受けて二球目に挑む。しかし結果は空振り。結局、指定の十五分が終わる間に、まともに芯で捉えられた打球は数えるほどしかなかった。

 次いで打席に入った尚も、結果は柚とほとんど変わらなかった。よほど悔しかったのか、終わるなりすぐに素振りをしだすくらいだった。

「葉月ちゃん。私達もバッティング練習しよう」

「うんっ」

 好美に誘われて葉月も打席に入る。投手であろうとも打撃は大事だ。それに好きでもあった。

 打った際の独特の金属音を響かせ、次から次にグラウンドのあちこちへ打球を飛ばす。球拾いとして各ポジションについているチームメイトが捕る。午前中も守備練習はしたが、より実践的なものになる。ついでに打球を追いかけて走るので、体力強化にも繋がる。部員数が少ないので、実情はレギュラーも球拾いに参加しなければいけないだけだったりもするが。


「よし。今日はここまでだ」

 朝からの練習が終わり、皆が笑顔になる。疲れてはいるが、とても充実していた。

「汗もかいたろうし、特別にプールの使用を許可するぞ。自由に泳いでこい。足腰の鍛錬にもなるしな」

「本当かよ! 水着持参ってのはこういうことだったのか。良太監督、話がわかるじゃねえか!」

「まあな。監視は桂子先生がしてくれる。迷惑をかけるんじゃないぞ」

「良太監督は泳がないのか?」実希子が尋ねる。

「女の集団の中に、教師とはいえ男が一人というのもマズイだろ。この間、新車を買ったばかりでローンも残ってるしな。面倒事は避けたいので桂子先生にお願いしたんだ。嫌なら練習を続けるぞ」

 主将の高山美由紀でさえも、先頭に立ってプールへ行こうと言い出した。合宿をすると決めたのはいいが、やはり通常と比べて練習はずっとキツい。骨休めも必要だと判断したのだろう。

 体育館にあるロッカーで水着になり、夏休み中で誰もいないプールへダイブする。今日だけは特別に、良太がソフトボール部で使用する許可を学校から貰っていたみたいだった。

「うっは、冷てえ! 夏はプールに限るよなァ」

 全員が学校指定のスクール水着だが、ファッションショーを開催するわけではなく、練習の一環という名目になっているので当たり前だった。可愛い水着が着たかったと不満げなのは、すっかり仲良くなりつつある柚と尚の二人くらいのものだった。それもプールに入ってしばらくすると聞かれなくなる。

「疲れた体にプールってのは合うわね」

「だろ? どうだ、尚。アタシと勝負してみねえか?」

「嫌よ。実希子ちゃんみたいな変態に勝てるわけないもの。私はのんびりさせてもらうわ」

「何だよ。皆、断るのかよ」

「じゃあ、葉月が挑戦するよ」

「よっしゃ! さすが葉月だぜ!」

 皆ではしゃいでるうちに夕方となり、ジャージを着てプールサイドで監視をしていた桂子がそろそろ終わりにするように告げた。

 素直に返事をした葉月たちもジャージに着替えて部室に戻る。汚れたユニフォームは桂子がコインランドリーで洗濯と乾燥をしてくれるみたいだった。

「腹が減ったな。早く晩飯を作ろうぜ」

「そうね。小学校時代と違って、どーんの恐怖がないから落ち着いて作れるわ」

「あ、あはは……その節はご迷惑を。でも、成長してもちょっとはやってみたかったりするよね」

 何気なく願望を口にした葉月に、笑顔で好美が「やめて」と言った。例えようのない迫力に抗う気は起きず、素直に了承する。


 外も暗くなった頃、美味しそうなにおいに引き寄せられたのか、ドヤドヤと男子生徒が調理器具のある家庭科室にやってきた。どうやら野球部員のようである。

「佐々木や今井がいるってことは、ソフト部か。そっちもカレーなんだな」

 ひょっこりを顔を見せたのは仲町和也だった。柳井晋太もおり、そちらは尚を見つけるなり、いつもの壊れっぷりを披露し始める。

 毎度の事なのでソフトボール部員のみならず、野球部のチームメイトも二人を当たり前のように放置する。

「俺達にも食わせてくれよ」

「何でだよ。野球部は野球部で作ればいいだろ」

 面識のない男子、しかも年上が相手でも実希子は一切臆さない。そういうところを嫌う人間もいるが、幸いにも好ましく思われる場合が多いのは彼女の人徳なのかもしれない。

「食事係のマネージャーが風邪ひいて休んだんだよ。材料はあるから急遽部員で作ったんだが……」

 そこまで話して和也が顔をしかめた。

 事情を察した柚が「失敗したの?」と聞くと、和也は重々しい感じで肯定した。

「見事な液体カレーの出来上がりでな。マズイ上に食っても食ってもなくならないんだよ。食事が練習よりキツイとは思わなかった」

「そうなんだ。だったら私の分を食べる?」

 葉月の提案に嬉しそうな顔をしながらも、大慌てで和也は大丈夫だと遠慮した。

「ソフト部だって合宿中だろ。しっかり食っておかないと、明日が辛くなるぞ」

 まるで夫婦みたいなやりとりだと思ったのか、他の野球部員から野次が飛ぶ。

「羨ましいぞ仲町。せっかくだからその子に彼女になってもらえよ。野球部とソフト部で二組目のカップル誕生だ」

 冷やかされた和也が取り乱す中、考えた末に葉月は口を開く。

「うーん……やっぱりそういうのはまだ考えられないよ。それに私はパパが大好きだし!」

 小学校から苦楽を共にしている実希子や好美には当たり前でも、高校から知り合った周囲には衝撃的な発言となったみたいだった。

「ファザコンか。仲町も大変だな」

 冷やかしが一転、同情の眼差しが多く和也に降り注ぐ。

「俺は諦めない。野球は九回ツーアウトからが本番だ」

「そりゃそうかもしれないが、仲町の場合はとっくにゲームセットになってるだろ」

 どこまでも他人事な実希子のツッコミに、和也が肩を落とす。こちらも小学校時代から、十分に見慣れた光景になりつつあった。

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