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「何しにきた」

 春道たち一向が戸高泰宏の案内で、葉月の祖父――言わば松島和葉を勘当した実の父親の部屋へ入った瞬間に、室内にいたひとりの男性から発せられた言葉がそれだった。

 老齢と呼ぶにはまだ少し若い。中年と形容するのが一番妥当に思えた。恐らくは五十代半ば程度から後半ぐらいだろうか。口元には立派な鬚を生やしており、春道の初見のイメージは田舎の大地主といった感じだった。

「親父。せっかく和葉が戻ってきてくれたのに、そんな言い方はないだろう」

 春道たちと一緒にいた戸高泰宏が、食ってかかるようにベッドで横になっている男性に近づいていく。

「俺は帰ってこいと頼んだ覚えはないぞ」

 自力でベッドから上半身を起こし、戸高泰宏の父親と思われる男性がきっぱりと言い放った。昔ながらの頑固親父の印象で、素直に謝ったりするタイプにはとても見えない。

 この父親と話がこじれたら大変だろうな。春道でさえも、他人事ながらそう思ってしまう。松島和葉の場合はそんな人間と、喧嘩どころか勘当されてしまってるのだ。

 ちらりと横目で様子を窺うと、何の感情も抱いてないようだった。ベタなドラマだったら、ここで孫の葉月が父娘の雪解けのための重要な役目を果たしたりする。

 考えてから、まさかそんな展開はないだろうと頭の中で春道が否定してると、母親の和葉よりも早く娘の葉月が口を開いた。

「アタシのお祖父さんなんですか」

 初対面の相手だろうか。いつもみたいに自分のことを名前で呼ばずに問いかけた。そう言えばと春道も記憶を蘇らせる。

 銭湯で初めて松島葉月と出会った時も、彼女は自分をアタシと呼んでいたはずだ。記憶力はさしてよくないはずなのに、何故こんなことを覚えてるのか不思議だった。

「違う」

 松島葉月の問いかけに対して、見事なまでのぶっきらぼうな答えが返ってきた。表情ひとつ変えてないところを見ると、どうやら強がりなどでわざと口にしたわけではなさそうである。

「余計な世話を焼いてくれたのはお前か、泰宏」

 ギロリと男性に睨まれ、戸高泰宏氏は何も言い返せずに押し黙ってしまう。完全に迫力負けしていた。

 それでもはるばる来てくれた春道たちに悪いと思ったのか、若干弱々しい口調ながらも戸高泰宏は必死に反論する。

「親父が頑固だから、こんな機会でもないと和葉と和解できないだろう。いい加減に意地を張るのは止めてくれ」

「ほう。俺が意地を張ってるだと。何故、お前にそんなことがわかるんだ? 是非とも理由を教えてくれないか」

 威圧感たっぷりにプレッシャーをかけられると、せっかく集めた気力もどこかへ飛び散ってしまう。

 恐らくは父娘を仲直りさせようと、戸高泰宏は妹である松島和葉にあの手、この手で勘当された実家に帰宅させようとしたのだ。

 とりあえずの目論みは成功し、こうして家族揃って実家へ戻ってきたわけだが、父親をどうやって説得するかまでは頭がまわってなかったみたいである。

 戸高泰宏氏に思慮が足りないとは一概に言えない。理由はあの男性の頑固すぎるくらいの性格にある。仮に素直に仲直りをしてくれと頼んでも、まず間違いなく首を縦には振らない。そこで娘である和葉から歩み寄らせる方法を考えついた。

 父親にとっては孫となる葉月も同行してくるし、多少は素直になってくれる。そう考えたくなるのもわからなくはない。だが兄妹ならわかるだろうが、松島和葉もおしとやかそうに見えて芯は頑固だ。改めて実の父娘なのだなと実感する。

「もういいわ、兄さん。どうせこうなるのがわかっていたもの」

 相変わらず感情のこもってない顔と声で、松島姓を名乗ってる娘が他人事のように呟いた。悲しみさえ表面に出なくなるほどの冷め切った親子関係。勘当されたのはだいぶ前だと簡単に想像がつく。

「わかっていたのに、泰宏の口車に踊らされたのか。相変わらず愚かな人間だ。少しも成長していないようだな」

「……他人である貴方に言われる筋合いはないと思いますが?」

 父娘の間で背筋がゾクリとするほどの緊張感が生まれる。何でこんな場所に着いてきてしまったのか、今更ながらに春道は後悔していた。

「ママ、それはめー、でしょ!」

 戸高泰宏氏も口を挟めない状況の中、複雑に絡み合った空気を甲高い声が打ち砕いた。

 声の主は松島葉月だ。子供だからこそ、大人では口出しできない状況下でも発言できたのかもしれない。

 いや、意外と洞察力が鋭い少女だけに、わかっててピリピリとした空気を壊した可能性もある。そうだとしたらたいしたものだ。

「葉月……?」

 きょとんとしてる母親の前に立ち、松島葉月はもう一度「めー、なの」と唇を尖らせて母親を注意する。こうした仕草だけを見てると、小学生というよりまるで幼稚園児だ。

「喧嘩してても、お祖父さんは他人じゃないの。葉月のお祖父さんなの」

 真剣な顔つきで、必死に松島和葉へ抗議をする。親しい人間が母親ひとりしかいなかった少女にとって、祖父の存在は春道たちが思ってるよりも大きいのかもしれない。

 父親を求めた状況からも、葉月が何より家族を欲しがってるのはよくわかる。戸高家へ来るまでは、楽しい話でもしながら皆で夕食をする。そんな光景を何度も頭の中に思い描いていた可能性も否定できない。

 本当は父親とは会いたくなく、勘当された自宅にも帰りたくなかったはずの松島和葉でさえ、娘の熱意に動かされたといっても過言ではないのだ。

「お祖父さんも、喧嘩したら仲直りしないと駄目なのー」

 プンプンと怒る松島葉月が、祖父にも苦言を呈する。これまたベタなドラマだったなら、ここで父娘がお互いに謝罪して一件落着となる。しかし現実は甘くなかった。

「俺に孫はいない。どこの子供かは知らないが、勝手に家に入ってくるとはよほど躾がなってないのだな」

 元気印がトレードマークの松島葉月も、強面の顔にギロリと睨みつけられればさすがに怯む。

 葉月が春道の顔を見て助けを求めてくるが、生憎と何を言ったらいいのかわからない。基本的に結婚の挨拶さえしてないし、そもそもこうした家族間の問題に口を挟める立場ではなかった。

 それは松島和葉も重々承知しているのだろう。春道に被害が及びそうと見るや、娘の髪の毛を撫でながら優しい声で「帰りましょう」と呟く。

「でも……だって……」

 葉月は何度も祖父と母親の顔を見比べる。綺麗に輝く瞳からは、現状をなんとか打破したいという強い意志が伝わってくる。

 松島和葉とその父親に仲直りしたがってる空気があれば話は別だが、春道の目からはどうにも両者の溝は深いように見える。

「さっさと帰れ」

 これまでと何ら変わらないキツい口調。何者も寄せつけない厳しさがそこにあった。松島葉月と、彼女を戸高家に導いた泰宏氏だけが落胆の表情を浮かべている。

 これ以上の会話は無意味だ。第三者である春道でもはっきりとそうわかるのだから、当事者たちはより強く感じてるに違いない。

「帰るわよ」

 もう一度、松島和葉が娘に告げる。戸高泰宏氏は何も言わない。父娘を仲直りさせるのを、すでに諦めているふうだった。

「いやだもんっ! こんなのいやだもんっ! だって、だって……」

 嗚咽を漏らし始めた松島葉月が、両目から溢れてくる涙を洋服の袖で拭う。大人たちとは違い、特殊な事情を知らない子供だからこその反応だった。

 それゆえにとてもストレートで、感情が各人の胸に深く突き刺さる。なんとかしてやりたいとは思うが、直面している問題の根の深さを知らない春道が発言しても焼け石に水どころか、余計に事態を複雑化させる原因になりかねない。

「……帰れ」

 その場を動こうとしない少女ひとりに、松島和葉の父親冷たい台詞をぶつけた。会うのを楽しみにしていた親族からの心無い仕打ちに、葉月は何も言えずに俯いて泣きじゃくる。

 申し訳なさそうな顔をしている戸高泰宏を横目に、和葉は娘の背中を押して、ともに父親の部屋から退出する。

 残っていても仕方ないので、春道もそれに倣う。すぐに戸高泰宏氏も部屋から出てきた。

「……帰ってくるべきではなかったわ」

 実兄の顔を見もせずに言い放ち、和葉は葉月の手を握ったまま歩き出す。春道の記憶が間違ってなければ、向かった先には玄関がある。

 松島和葉からすれば、元々ここは勘当された実家。別姓を名乗ってる以上、自分には関係ないとすでに割り切ってるのだろう。そこへ愛してやまない娘への今回の一件。怒りがマックスレベルに達してると推測するのは、さして難しくもない。

「確かに、和葉の言うとおりだったかな」

 自嘲気味に戸高泰宏氏が笑う。この人はこの人なりに家族を想って、今回の一件を演出したのだ。結果は失敗に終わってしまったが、決して悪い人ではない。

 父親に似て、頑固で芯の強い一面が松島和葉あるのは、兄である戸高氏が一番よく知っている。だからこそ、あえて急いで後を追おうとしないのだ。

 表面では平静を装っていても、内心ではマグマのごとく彼女の怒りは沸騰してるに違いない。そんな状況で無理に会話をしようとするのは、火に油を注ぐようなものである。

 なかなか意見を曲げようとしない女性だけに、戸高氏が引かない限りは喧嘩になるのは必至。それぐらいは兄妹ではない春道でも十二分にわかっていた。

「せっかく来てもらったのに、申し訳なかったね」

 だからというわけではないだろうが、戸高泰宏は春道にペコリと頭を下げていた。相手はどういった経緯で、春道と松島和葉が結婚したのか知らないだけに、自分はただの付き添いなのでと軽く受け流すわけにもいかない。

「まさか親父があそこまで意固地になるとは思わなかった。完全にこちらの読み違いだよ。無駄足を踏ませてしまった」

 丁寧に謝罪してくれる戸高泰宏氏に、春道は「気にしないでください」と返答する。それしか言いようがなかった。

「そう言ってもらえると助かるよ。和葉は容姿は母親に似たんだけど、性格は父親似でね。兄妹だからなんて理由は通じない。母親が生きてれば、まだ少しは違ったのかもしれないけどね」

 どうやら松島和葉の実母はすでに他界しているらしい。お互いの家族構成など報告しあってないので、初めて知った。何て返したらいいかわからず、春道が無言でいると戸高泰宏は構わずに台詞を続ける。

「幼い頃に母親を亡くしてから、親父は男手ひとつで俺たち兄妹を育ててくれた。和葉だってそれぐらいはわかってるはずなんだけどね」

 そう言って、どこか寂しそうに戸高氏がフッと笑った。困った。やはり何を言っていいのかわからない。春道が葉月を連れて、先に車へ向かうべきだった。今更ながらに後悔する。

「あんなことがあったからしばらく連絡はとってなかったけど、たったひとりの妹だからね。ずっと心配はしていたんだ」

 戸高氏の会話内容から、他に兄弟はいない事実も判明する。こうして自分だけ、松島和葉の家族構成を知っていくのは不公平な気もしたが、何も春道から質問したわけじゃない。相手から積極的に話してくるのだ。

「でも無事に結婚もしたみたいだし、安心したよ。妹をよろしくお願いします」

 これまでで一番丁寧なお辞儀だった。兄妹だからこそ遠慮のないやりとりがあるのかもしれないけど、血の繋がりは決して消えない。心配するのは当然だった。

 春道が「わかりました」と返事をすると、満面の笑みで戸高泰宏が頷いた。この場で真相を暴露したところで誰も得はしない。真剣に受け止めて間違いはなかった。

「それにしても、よく和葉との結婚を決意したね」

 松島和葉の頑固な性格を言ってるのだと思ったが、互いの損得だけを考えての結婚だけにキツくあたられたりした経験はない。むしろきちんと食事等の世話を、事前の約束どおりにしてもらってるので感謝したいくらいである。

「いえ、特に問題はなかったですよ」

「そうか。君は器が大きいんだな。奥さんと血が繋がってない子供も、きちんと自分の娘として受け入れたんだからね」

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