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愛すべき不思議な家族&その後の愛すべき不思議な家族  作者: 桐条京介
その後の愛すべき不思議な家族3
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 今年で四歳になる菜月が、四月から幼稚園へ通い始めた。家での教育も可能だが、早いうちから集団生活にある程度慣れさせたいという高木和葉の意向で決定した。春道に異論はなく、菜月自身も嫌がらなかった。

 幼稚園や保育所の数はさほど多くないが、田舎町だけに待機児童が発生するケースはほとんどなかった。おかげで菜月の入園もすんなり決まった。

 バスでの送迎をしてくれるが、幼稚園は自宅から徒歩で行ける距離にある。健康のためにも歩こうという高木和葉の提案で、菜月は毎日とことこと通園する。

 まだ四歳の菜月をひとりで出かけさせるのは危険なので、朝は葉月が幼稚園まで送ってくれる。姉妹で手を繋いで歩く姿はとても微笑ましい。二人を見かけたことのある近所の住人からは、よく仲が良い姉妹ですねと言われる。帰りは和葉の番だった。幼稚園へ迎えに行き、菜月と一緒に家へ戻ってくる。こちらも仲が良さそうな雰囲気に溢れており、やはり周囲に羨まれるほどだ。

 元から菜月の評判は良かった。丁寧で礼儀正しく、佇まいも可愛らしい。誰にでも笑顔で接する姿も好印象だ。不平不満も言わない。これほどできた子供はそうそういない。何度、そうした類の感想を聞かされたかわからない。

 幼稚園でも、評価は変わらなかった。三歳にして模範的な行動をとり、お遊戯などにも積極的に参加する。保母さんたちを困らせたりせず、手もかからない。相も変わらず褒められまくりだ。

 菜月もにこにこしているが、以前から覚えている違和感はそのままだ。絵に描いたような優等生的な態度を見るたび、余計に強くなった。当人に確認したわけではないが、演技をしてる可能性が高いと思うようになった。

 本来の菜月はどことなく、葉月に近い天真爛漫さと腹黒いくらいの計算高さを兼ね備えてるタイプなのではないか。だからこそ、皆に褒められようとする。無理をしてるわけではないだろうが、素の自分を出してるかといえば、間違いなくノーになる。春道と出会った当初の葉月よりも、さらに周囲の顔色を窺ってるような感じだ。このままでいいのかどうか、春道は悩み続けていた。

 そんなある日の午後。仕事が一段落した春道が一階へ移動すると、リビングから妻の声が聞こえてきた。どうやら一緒に幼稚園から帰宅した菜月に、話しかけているみたいだった。

「貴女はまだ子供なんだから、自然に振舞っていいのよ」

 何を話すつもりなのか気になった春道は、すぐにリビングへ入った。邪魔になる可能性もあるが、廊下で盗み聞きするよりずっといいと思ったからだ。

「あ、春道さん。仕事は大丈夫なの?」

「ああ、一段落したところだ。廊下にいたら、リビングから声がしてきたもんでね」

 そう言って春道は、食卓の椅子に座った。視線の先には、近くで立ったままの菜月と、その側にしゃがみこんでいる妻の姿がある。和葉は、愛娘と視線の高さを合わせた状態で話しかけていた。

「俺に気を遣わずに、会話を続けてくれ。菜月に、いい子ぶる必要はないと言ってたんだろ」

 春道の言葉に、和葉が意外そうな顔をした。「春道さんも、気づいていたのね」

「まあな。最初は漠然とした違和感みたいなものだったけどな」

 春道も察していたのなら話は早いとばかりに、和葉は愛娘へ引き続き話しかける。

「パパやママのためと思ってるのなら、気を遣わなくていいのよ。菜月が菜月らしくしてくれるのが、一番うれしいんだから」

 愛娘に余計なプレッシャーを与えないように、和葉は笑顔を心がけてるみたいだった。決して怒ってるわけじゃないと伝える意図もあったのかもしれない。

「え……菜月は、これが普通だよ」菜月は戸惑い気味に首を傾げた。

 子供らしい可愛げな仕草といえなくもないが、どことなく計算されてるようにも見える。この年齢で、まさかとは思う。実際に春道が三歳の頃は、何も考えずに外の空き地を意味もなく走り回ってた記憶がある。


 頑なに自分は無理してないと言い張る菜月に、母親の和葉はなおも言葉を続ける。

「ママもね、小さい頃は厳しくされたから、よくいい子でいなければと考えたわ。けれど、そんなふうに思う必要はないの」

 子供のうちは最低必要減の礼儀だけを覚えれば十分。あとは大人になってからでも十分に間に合う。和葉は、そういった意味の台詞をわかりやすく伝えた。

「菜月、別にいい子してないよ。だから、心配しないで」

 あくまでも菜月はそれまでの態度を崩そうとしない。説得を試みた和葉の方が、先に諦めかけてしまうほどだ。意図した行動や反応であるのなら、三歳児としては異例だった。

 もしかしたら、自分の考えすぎかもしれない。口を閉じた和葉が、そんなふうに思ってるのは表情を見ればすぐにわかった。そしてもうひとり、愛娘の高木菜月の思考も、春道にはわかっていた。

「もうそろそろ、お話が終わらないかな。疲れた」

 和葉と菜月が、ほぼ同時に食卓へいる春道を見てきた。先ほどの台詞を発したのが、他ならぬ春道だったからだ。

「あ……何か、軽食をとりたかったの? それなら、先にそう言ってもらえれば――」

「違う」春道はピシャリと妻の言葉を遮った。「今のは、菜月の心の声を言葉にしてやっただけだ」

 どんなに演技する能力に優れていようと、まだ三歳の子供。春道の言葉を聞いた瞬間に、菜月はギクリとした様子を見せた。

「別に、俺たちに気を遣っていい子にしてるわけじゃない。世間の評価が高いほど、自分に利益があると理解してるんだ。例えば、普段の行いの良さを理由に、従来よりも多くのお小遣いを貰えたりとかな」

 大人になれば複雑な理由も存在するのだろうが、先ほども頭の中にあったとおり、どんなに背伸びをしても菜月は三歳児なのだ。考えつく理由など、その程度のはずだった。

「さすがにそこまで考えてるとは思えないわ。深読みしすぎじゃない?」

 和葉がそう言うと、菜月は待ってましたとばかりに同調した。

「そうだよ。菜月、いつも一生懸命にやってるだけだもん」泣きそうな顔をしながら、拗ねたように唇を尖らせる。

 小さい頃に葉月もよく見せていた仕草だが、それくらいで騙されるほど春道は甘くない。何故わかるのかといえば、よく似てるからだ。小さな頃から損得勘定を考えていた春道に。そういう意味では、菜月の説得は和葉よりも適任だった。

「そのわりにはお前、ひとりだと自分を菜月と名前で呼んでないじゃないか」

 春道の指摘に、妻の和葉が「え?」と表情を変える。側では窮地に追い込まれた菜月が、舌打ちでもしそうな勢いで顔を真っ赤にしていた。

 どう返すべきか悩んでるのかもしれないが、幼い我が子が親を言い負かせられるわけがなかった。自分の不利を察した菜月は、言い訳に終始する。

「そ、それは、幼稚園に入ったから、私って言った方がいいと思っただけだもん」

「そうなのか? 俺は冗談を言ったつもりだったんだがな。本当にひとりの時は、名前で呼んでなかったのか」

 挑発するような笑みを見せると、いい子としての余裕を保とうとしていた菜月の唇が震えだした。

 もうすぐ四歳になるとはいえ、幼稚園に入ったばかりで外面や世間体を気にする必要はない。子供のうちは、失敗も成長のためのいい経験になる。せめて家にいる時だけでも、素の自分を出せるようにさせておいても損はない。

「本当は言葉遣いも違うんだろ? いい加減に観念しろよ」

 意味ありげに、春道はニヤニヤし続ける。そのうち、いい子の仮面をかぶっていられなくなった菜月が、食卓の椅子に座っている春道へ突進してきた。


「パパのバカーっ。どうして、意地悪すんのっ!?」

 叫ぶように言葉を発しながら、春道の膝の上に乗る。小さな両手で胸辺りを叩く。赤ちゃんの頃と違い、三歳にもなると、それなりに力もある。

「痛い、痛い。助けてくれ、和葉。菜月が俺を虐める」

「あら……それは大変ね」

 まさか和葉まで同調するような反応を見せると思ってなかったらしく、さすがの菜月も強いショックを受けたみたいだった。

「皆、いい子だって褒めてくれるのに、パパとママは変だよっ!」

「変じゃないさ。菜月に自分らしくいさせたいだけだからな。昔はよく、意味もなく俺の膝に上ったり下りたりしてたじゃないか」

 歩き出した頃は、なかなかに活動的な子だったのだ。それが成長するにつれて、急激に大人びてくるなんてあまりに不自然すぎる。他人から良い評価を貰おうとするのは大事だ。けれど、そればかりになってもマズいというのを、親として教える必要があった。

「菜月は菜月らしく。それが一番だ」

「わかんない。パパ、嫌いっ!」

 春道の膝から下りると、菜月はふいっと横を向いてしまった。明らかにご機嫌斜めだ。無理に修正させようとはせず、これまどおりに笑ってみる。

「そんなこといってるけど、本当は大好きなんだよな。俺はよく知ってるぞ」

「パパ、ウザいっ!」

 吐き捨てるように言うと、幼稚園の制服を着替えるために和葉の部屋へ向かった。近い将来、菜月の部屋になるのは間違いない。

 リビングで二人になると、和葉が「良い兆候ですね」と話しかけてきた。

「溜め込むのは、貯金だけで十分だ。ある程度は吐き出させないとな。幼稚園では、色々な児童と知り合うだろうし」

「ええ。早速、ウザいなんて言葉も覚えてたわね。あの子のことだから、外では使わないと思うけど」

 春道は黙って頷いた。汚い言葉を覚えさせないようにしたところで、必ずどこかで聞いてくる。それならばいっそ自由に覚えさせた上で、人前で簡単に使えるかどうかを判別する能力を養わせる方が大事だと考えた。その点は、和葉も同じだった。ここまで、葉月や菜月の教育方針でぶつかったことは一度もない。

 着替え終えた菜月がリビングへ戻ってくる。むすっとした様子で、ソファに座り、リモコンを手に持ってテレビをつける。普段なら春道たちとの会話を優先させた。途中で和葉なりが、見たい番組があるのではないかと話しかけてから、ようやく許可を貰ってテレビの電源を入れるような感じだった。行動として正しいのかどうかは抜きに、どことなく遠慮してる感じが寂しかった。度が過ぎるのは困りものだが、多少は我儘でも許される。それが子供の特権だ。

「菜月、帰ってきてから、きちんと手は洗ったのか?」春道が、ソファに座っている菜月に声をかけた。

「洗ったよ。お姉ちゃんと違って、忘れたりしないもん」

 ところどころ発音しきれてない部分があるのは相変わらずだが、日に日に会話内容のレベルも上がっていた。当時の葉月と比べても、これは凄いらしい。

「さりげなく葉月がけなされてるが、あいつは手を洗うのをよく忘れるのか?」

 事実確認のために問いかけられた和葉は、苦笑しながら頷いた。

「たまにだけど、あるみたい。そういう場合は、菜月に怒られてるわね」

「……どちらがお姉さんか、わからないな」

 春道の呟きが聞こえたらしく、ソファに座ったままの菜月が、テレビを見ながらドヤ顔をした。生意気に感じられるこんな態度は、今朝までなら決して見せてくれなかった。腹立たしさよりも、父親として嬉しさを覚えた。だが、ここらでひとつ、からかってやろうと春道は口を開いた。

「菜月って、意外といじめっこだよな」

 すぐに意味を理解できたらしい三歳児は、こちらを向いてニヤリとした。

「そうだよ。だって、パパの娘だもん」

 これには、さすがの春道も苦笑するしかなかった。

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