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二歳を過ぎて、高木家の次女である菜月は色々な言葉を喋るようになった。同時に歩く距離も増え、ゆっくりであれば一緒に散歩もできる。それが楽しくて仕方ないのか、夏休み中の高木家長女の葉月は、暇さえあれば妹と一緒に遊んだ。菜月の相手をしてもらえて助かると妻の和葉は言っていたので、春道も温かい目で二人を見守った。
そんなある日の昼下がり。葉月が菜月を連れて買物へ行ってくると言い出した。単純に歩くだけでは菜月が飽きてしまうため、途中で買物を挟めば、いい散歩になると考えたらしかった。
菜月の運動にもなるので、春道は気楽に考えて反対しなかった。むしろ笑顔で送り出した。
洗濯物を干し終えた和葉が戻ってくる。葉月と菜月がいないのを不思議そうにしたので、事情を説明する。直後に春道が驚くほど、妻は狼狽した。
「あんな可愛らしい娘二人だけで買物へ行かせるなんて、春道さんは何を考えているのですか」
「何を……って、別に珍しくもないだろ。それに葉月はもう小学六年生だぞ。来年には中学生なんだ。そこまで過保護になる必要もないだろ」
「甘い。春道さんは甘すぎます」和葉がピシャリと言った。「いいですか、外に出れば周りは敵だらけなのです」
一体いつの時代の人間だと頭を抱えそうになる。確かに最近では児童が危害にあう報道が多い。だからといって、家の中へ閉じ込めておけばいいというものでもない。危険を伝えるのは大事だが、煽るような感じにするのもよくないと個人的に思う。それに大々的にニュースで取り上げるほど、模倣犯が増えてしまいそうな気もする。春道の考えが絶対に正しいわけではなく、断言したりはできない。人によって色々な思考を持つからこそ、何かの物事に対する方針をひとつにまとめるのは大変なのだ。
柄にもなく社会常識についてあれこれ考えている間に、いつの間にか妻は自室に戻ってしまった。今もまだ、菜月が赤ちゃんだった頃と同様に兼用だ。いずれ大きくなったら、和葉の部屋は菜月のものになるだろう。譲る形になる妻が、春道の私室へ移動する。夫婦なのだから不満はなく、少しだけ楽しみにもしていた。
「何をしているのですか。春道さんも早く準備をしてください」
部屋からリビングへ戻ってくるなり、和葉が怒鳴るように言ってきた。デザイン性のあるTシャツにジーンズという格好だ。
「どこか行くのか?」春道は尋ねた。
「今頃、何を言っているのです。葉月たちを追いかけるに決まっているでしょう」
当たり前のように言われた。先ほども言ったとおり、葉月はもう小学六年生だ。多少子供っぽいところは残っているが、簡単に見知らぬ誰かについていくような年齢ではない。そう説明するのだが、妻は納得してくれなかった。
「あれだけ魅力的な娘たちなのですよ。何かあってからでは遅いのです。春道さんが一緒に来てくれないのなら、私ひとりで追いかけますっ!」
妻の目を見れば、本気なのは明らかだ。ここ最近はあまり発動してなかったのですっかり落ち着いたと思っていたが、和葉の過保護ぶりはまだまだ健在だった。このモードに突入されたら、止めるのは困難を極める。下手をしたら、暴走しかねないほどだ。そうなっても困るので、春道も適当に着替えて同行することに決めた。
家を出ると、焦る妻に手を引っ張られた。いつも利用する大手スーパーを目指し、足早に歩く。自宅とさほど距離は離れてなく、買物をする際にも見る商品がたくさんある。二歳の菜月にとっては宝の山も同然だ。間違いなく喜ぶと簡単に想像できるからこそ、お姉ちゃんの葉月もその店を選択するはずだ。
春道たちの予想は正しかった。自宅を出発してから、数分も経過しないうちに葉月たちへ追いついた。買物へ同行するものとばかり思っていたが、どうやら違うみたいだった。妻の和葉は、いつか葉月にひとりで買物をさせた時みたいに、隠れて尾行するつもりのようだ。
やれやれと肩を竦める。妻の機嫌を損ねたくないので同じようにするが、本音は家に帰ってゆっくりしたかった。確かに二人だけでの買物は心配だ。とはいえ、いつまでも親が一緒に行動できるわけではないのだから、いつかはこういう機会も必要になる。和葉もその点は理解しているからこそ、尾行して見守ることにしたのだろう。
周囲の人からすれば不審者にしか見えないだろうが、そんなのはお構いなしに和葉は葉月たちの行動にだけ注目する。普段はきちんと世間体も気にする女性なのだが、愛娘が絡むと時折こうなってしまう。満足するまでどうにもならないので、今は好きにさせておくしかなかった。
春道も店へ向かう娘たちを見る。お姉ちゃんらしく、葉月は菜月と手を繋いで歩いていた。
「お買い物♪ お買い物♪」
いつかどこかで聞いた覚えのある歌を歌いながら、大型スーパーへの道中を歩む。隣にいる菜月もなんだか楽しそうだ。
「おあいーもの♪ おかあーもも♪」
言葉の意味をまだきちんと理解しきれてない菜月は、ひたすら葉月の真似をする。その様子がとても可愛らしい。和葉でなくとも、溺愛しそうになる。
「平和な光景だな。この分なら、心配しなくてもいいんじゃないか」
「春道さんは楽観的すぎます。いついかなる時も油断は禁物なのです」
普段は娘に、常識がどうのと教えてる母親とはとても思えなかった。これが冗談ではなく、本気なのだからなおさらだった。
二人仲良く歌いながら、ゆったりとした足取りで大型のスーパーへ到着する。少し疲れたような様子を見せていた菜月が、顔を輝かせる。和葉と一緒に来店した際に、お菓子を買ってもらえた経験が楽しい気分にさせるのだろう。
店内に入った葉月が、カートをひとつ手にする。上に買物かごを乗せ、下に小さな子供が座れるようになってるタイプのものだ。それを使えば、まだ腕力の足りない葉月でも妹に楽をさせられる。ここでもお姉ちゃんらしさを発揮してくれた。
「出会った頃に比べると、葉月も立派になったよな。ますます、娘たちだけで大丈夫そうな感じだぞ」
「安心するのはまだ早いです。普段は行儀良くても、ここぞで暴走する癖が葉月にはありますので」
「なるほど。そういうところは和葉にそっくりだな。ハハハ」
心の底から笑ってると、足の甲に強い痛みが発生した。たまらず悲鳴を上げそうになった口を、すかさず和葉が両手で押さえてくる。
「葉月たちにバレたらどうするのですか。静かになさってください」
人の足を自分でおもいきり踏んでおきながら、あんまりな言い分だった。普通なら文句を言うところなのだが、そんな真似をすれば余計に春道が虐められる。へたれと呼ばれようとも、自分を守るためにはおとなしくするしかなかった。
夫婦で変なやりとりをしてる間にも、葉月たちは歩き続ける。菜月が乗ったカートを押し、真っ直ぐに食品売り場を目指す。近い入口から店に入ったので、さほど歩かなくとも簡単に到着できる。主婦ではないので惣菜などには目もくれず、興味のあるお菓子売り場を探す。今井好美らとも来ている葉月は、慣れた感じで店内を進む。
アニメのキャラクターなどが印刷されたお菓子の表紙を見ては、菜月がキャッキャッと喜ぶ。カートから手を離した葉月がその場にしゃがむ。目線を合わせた菜月と何事かを会話する。
少し離れた場所でこっそり様子を窺ってるだけに、春道たちが葉月と菜月の会話内容を把握するのは難しい。春道よりも、和葉の方が何を話してるのか知りたがった。徐々にいらいらし始めてるのがわかる。当り散らされないうちに、すっと距離を取る。
適当に商品棚を見れば、美味しそうな料理の素なんかも売ってたりする。麻婆豆腐やチンジャオロースなどは大好物だ。調理は簡単と箱に書かれているが、それでも作れないくらい春道は料理が苦手だった。こっそり買っておいて、最近料理が上手になった葉月にでもあとで作ってもらおうか。そんなことを考えていると、急に服を引っ張られた。
「春道さんは……可愛い娘たちが心配ではないのですか」
確認するまでもなく、妻は明らかに怒っている。これ以上刺激すると爆発しかねない。春道は手に取っていた商品を慌てて棚に戻した。
「心配に決まってるじゃないか。俺の気持ちは和葉と一緒さ」
「でしたら、きちんと見守ってあげてくださいね」とても怖い笑顔で和葉が言った。
とても逆らえる雰囲気ではなかった。おとなしく和葉の背後につく。視線をお菓子売り場に向けると、葉月たちはまだ何を買うか吟味してるみたいだった。
「菜月はどれが欲しい? やっぱり、これだよね」
葉月が手に取ったのは、以前に春道と一緒に見た映画のアニメが描かれたお菓子の箱だ。その場でこけそうになったが、尋ねた相手は同じ子供の菜月。可愛らしいアニメのキャラに大喜びする。カートの中で両手を上げる妹の姿に、葉月が目を細める。
「菜月も、このアニメ好きだよね。葉月と一緒によく見るもんね」
「菜月が自分の意思で見てるというよりは、葉月が見せてるだけのような気もするが……」
春道の呟きは、当然のごとく愛娘たちのところまで届かない。代わりに聞いていた和葉が苦笑いでもしてくれるかと思いきや、そんな余裕はないとばかりに葉月たちを隠れながらガン見し続ける。
小学六年生の葉月は菜月と違ってお小遣いを貰っているので、高額でなければそれなりのお菓子を買える。無駄遣いで浪費するタイプでもなかった。一緒に暮らすようになって以降、お小遣いをねだる姿をほとんど見た覚えがないのが証拠だった。
「じゃあ、これを二人分買おうね。あとは……せっかく来たから、パパとママにもお土産を買って行こう」
嬉しい発言をしてくれた葉月が、再びカートを押してお菓子売り場から離れる。次に向かったのは、大好物のプリンなどがあるデザートコーナーだった。
成長するにつれて、菜月にも段々と果物などを食べさせるようになった。妻の和葉は、何が何でもお菓子類を遠ざけるタイプではなかった。きちんと適量を守り、食事を優先させるのであれば文句を言わない。菜月にもそうした方針なので、たまに葉月がプリンを分け与えたりしても怒らなかった。
好き嫌いのない菜月は、果物もプリンなども美味しく食べる。お菓子売り場にいる時よりも、果物やプリンなどが見えるコーナーへいる方が嬉しそうだった。そんな中で、葉月は春道たちへのお土産を選ぶ。
「あ、なんか凄いのがあった。激辛シュークリームだって。生クリームがすっごい赤いー」
葉月の発言に、春道たちの時間が一瞬だけ停止する。
「お、おい……激辛シュークリームなんて売ってるのか?」
「わ、私は見たことがありません。間違っても、葉月が購入しないのを祈りましょう」
だが祈りは届かない。満面の笑みを浮かべた葉月は、当たり前のように激辛シュークリームとやらをかごの中へ入れた。
「ママは辛口が好きだって言ってたから、激辛は大好物だよねー」
「ち、違います。辛口が好きなのはカレーの話で、シュークリームでは……」
狼狽える和葉の肩に、春道が右手をポンと置いた。
「確実に食べさせられるな、あれ」
顔を青ざめさせたかと思ったら、和葉がいきなり駆け出した。春道が驚いていると、妻は真っ直ぐに愛娘たちのもとへ向かった。
「奇遇ね、葉月。何を買ってるのかしら」
ぎこちない笑顔で挨拶をしながら、さりげなくかごの中にあった激辛シュークリームを棚へ戻す。その行動だけで、よほど嫌だったのがわかる。
「あれ、ママ? どうしてここにいるのー?」
「そ、それは……パパに誘われたからよ。そうですよね、春道さん?」
「え!? あ、ああ……そうだな」
ここで違うなんて言ったら、あとでどんなお仕置きをされるかわからない。素直に和葉の言葉を肯定したあと、春道も葉月の側へ行く。
「パパもいるんだ。変なのー」
「ハハ。まあ、いいじゃないか。せっかくだから、家族揃って買い物をしようぜ」
「そうだねー。えへへ」
嬉しそうにする葉月の髪を撫でる。姉妹だけの買物を最後までさせてやれなかったが、また機会もあるはずだ。その時には是非、和葉へのお土産として激辛シュークリームを忘れるなよと言ってやるつもりだった。




