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愛すべき不思議な家族&その後の愛すべき不思議な家族  作者: 桐条京介
その後の愛すべき不思議な家族3
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 高木春道と葉月の父娘が家を出たあと、妻であり母親でもある高木和葉は早々に家の中へ戻った。今日から二泊三日の予定で、夫の春道は葉月を連れて実家へ帰省した。夏休みにもかかわらず、どこにも連れて行ってあげられてない愛娘には、またとない遠出の機会になる。本当なら和葉も一緒に行きたかったのだが、簡単にそうはできない理由があった。もうひとりの愛娘の存在だ。

 春道によって菜月と名付けられた高木家の次女は、まだ誕生したばかりだった。無理に長旅をさせて、体調を崩させるわけにはいかない。そうなったら自分が心配するだけでなく、義理の両親にもたくさんの心配をかけてしまう。

「さて。こちらはこちらで、やるべきことをやらないといけないわね」

 小さく息を吐いてから、テキパキと動く。部屋の掃除や洗濯を行い、暇を見つけては自室に赤ちゃんの様子を見に戻る。泣き声が聞こえた場合も同様だ。幸いにして菜月はよく泣く方ではないが、だからといって長時間放置できるわけがなかった。

 母乳を飲ませたり、オムツを替えたりなど、春道たちがいてもいなくてもやることはあまり変わらない。忙しくはあったが、一応子育ての経験があるだけに戸惑ったりはしなかった。違いがあるとすれば、ミルクだけだった葉月と違って、菜月は母乳で育てている点くらいだ。これも母ひとり子ひとりで、忙しかったりするとこうもいかない。どうしてもミルクに頼らざるを得なくなる。専業主婦として生活できて、ゆっくり赤ちゃんと向き合えるからこそ、母乳を飲んでもらえる幸せも味わえる。この点は、夫の春道に感謝してもし足りないくらいだ。本人へ直接お礼が言えればいいのだが、妙に気恥ずかしくて感謝の言葉は和葉の胸の中へ大切にしまったままだった。

 母乳を飲み終えた菜月がひと眠りしても、あまり安堵はできない。赤ちゃんにとって他人とコミュニケーションをとれる方法が泣くことだけなので、してほしいことがあればどうしても大きな泣き声で呼ばれる。そのたびに作業を中断して戻り、原因の対処をする。

 菜月の世話をしているうちに、葉月が小さかった頃の光景を思い出すようになった。まだ和葉は若く、赤ちゃんを育てた経験も当然なかった。なんとか職を見つけて稼げるようになったはいいものの、初めての子育てに悪戦苦闘した。どうして泣いているのかもわからず、ひたすらミルクを飲ませようとしたのも、いいか悪いかは別にして思い出のひとつだ。

 何もかもが初めてで、なおかつ生活費を稼ぐために仕事も頑張らなければ駄目だった時代と比べれば、現在は大きく恵まれている。春道や葉月もこまめに家事を手伝ってくれる。その分だけ自分たちの時間を犠牲にしてないかが心配だった。だからこそ、今回は父娘だけの帰省を提案したのだ。

「お姉ちゃん、楽しんでくるといいわね」

 うとうとしている赤ん坊に話しかけるだけで、勝手に頬が緩む。葉月の時もそうだったが、赤ちゃんのやわらかな表情はそれだけでかなりの癒しになる。菜月のおかげで精神力も回復できた。自分ひとりだけの昼食をとってから、また頑張ろうと思えた。

 短い食休みの間は、買っておいた小説などを読む。時間をかけてじっくりとは読めないが、テレビをあまり見ない和葉にとっては、これも趣味かつ癒しのひとつだった。恋愛ものにも興味を覚えたりするが、どうにも照れくさくて、なかなか購入できない。学生時代はそういったジャンルの漫画や小説を好んでいたはずなのに、だ。

「まさか……これも老化現象のひとつだったりしないわよね」誰にともなく、和葉は呟いた。

 普段なら食休みも一緒にとるようになった春道が言葉を返してくれるのだが、今日は夏休み中の葉月も揃っていない。なんとも言えない寂しさを感じ、読んでいた小説を閉じた。すると、その瞬間を待っていたかのように、リビングに設置してある電話が鳴りだした。


 もしかしたら高木春道か、葉月が電話をかけてきたのかもしれない。和葉は、いそいそと電話機へ歩み寄って受話器を上げた。

「もしもし、高木ですが」

「あ、私よ、私。これから遊びに行ってもいい?」

 電話をかけてきた相手は名乗りすらしてないが、誰なのかは声を聞いた瞬間にわかった。新妻になったばかりの田中和代だ。和葉も友人として、結婚式に出席した。少し前のことなのに、なんだか妙に懐かしく感じられる。携帯電話を持っていても、緊急連絡用にしか使っていない。連絡があっても、すぐに気づかない場合がほとんだ。そのため、身近な知り合いなどは緊急の用件があれば、こうして固定電話に直接かけてくる。

 構わないわよと返す。遊びに来たいと言うからには、今日は休みなのだろう。田中和代は結婚後も、独身時代から勤務中のファミレスでそのまま働いている。本人曰く、接客業が向いているので辞めたくないらしい。

 和葉から承諾の返事を貰うと、和代は嬉しそうに電話を切った。常日頃からきちんと家を掃除してあるので、いつ誰が来ても問題はない。それでもある程度の出迎える準備はしようと、冷蔵庫の中身などを確認する。お茶やコーヒー、果物などを取り出して台所へ置く。果物の皮を剥いてお皿へ綺麗に並べたら、リビングテーブルへ乗せる。そうこうしてるうちに、インターホンが鳴らされた。モニターで確認すると、来訪したのは先ほど約束をした田中和代だった。

「すぐ開けるから、少しだけ待っててね」

 そう言ってから玄関へ向かい、ドアの鍵を開ける。静かにドアを開けば、見慣れた親友の顔があった。明るく活発な女性で、姉御肌な性格をしている。和葉もよく、相談に乗ってもらったりした。

「いらっしゃい。和代の結婚式以来ね。愛しい旦那様は一緒じゃないの?」

「ちょ、ちょっと。いきなり、それなの? 和葉って、意外とお茶目な性格をしてるわよね」和代が苦笑いを浮かべた。

「うふふ。いいじゃない。幸せなんでしょ? さあ、上がってちょうだい」

 頷いた和代が「お邪魔します」と言って、玄関へ入ってきた。脱いだ靴を右側に揃えて置く。廊下へ足を乗せながら、お盆時期に来て迷惑ではなかったのか聞いてくる。

「和葉の方こそ、ラブラブな旦那様との時間を楽しみたかったんじゃないの?」

「あら、さっきの逆襲かしら。春道さんなら、葉月と一緒に実家へ帰省しているわ」

「あ、実家に逃げられたんだ」

「その言い方はやめてよ。まるで私が日頃から、夫を虐めてるみたいじゃない」

 冗談半分で和葉がむくれた仕草を見せると、和代は笑いながら「ごめん、ごめん」と謝ってくれた。

「そうそう。これ、お土産。皆で食べて……って、旦那さんも葉月ちゃんもいないんだっけ。でも日持ちするお菓子だから」

「気を遣わせて悪いわね。今、お茶でも淹れるわ。それとも、コーヒーがいい?」

 リビングへ案内し、ソファへ座るように促す。親友がコーヒーを望んだので、ペットボトル入りのブラックコーヒーをコップに注ぐ。ミルクと砂糖も一緒に差し出すと、笑顔で受け取ってくれた。

「夏は冷たいのがいいわよね。外もまだまだ暑いし」受け取ったアイスコーヒーを早速飲みながら、田中和代が言った。

「そうね。あ、せっかくだから、和代が持ってきたお菓子を頂くわね」

 包み紙を開けて、中から持ってきてもらったお菓子を取り出す。どうやらバタークッキーのようだ。お茶請けにもなるし、何より愛娘の葉月が喜びそうだった。幾らかを皿に乗せて、用意しておいた果物の隣に置いた。

「ここのクッキー、好きなんだよね。よかったら、和葉も食べてみて」

「ええ、もちろん」


 田中和代と談笑をしていると、泣き声が聞こえてきた。赤ちゃんが生まれたのを知ってる和代は、顔が見たいと和葉についてくる。和葉の部屋の中にあるベビーベッドでは、菜月が何かを求めて泣いていた。

「これは、オムツね」さらりと言って、和葉は慣れた手つきで処理をした。

 黙って見守っている田中和代の前で、泣いた原因の対処をしてもらえた菜月はすぐに泣き止んだ。

「やっぱり、母親なのね」田中和代が、感心したように言った。

「当たり前でしょう。何を言ってるのよ」

 和葉が言葉を返すと、和代は意味ありげに笑った。なんとも不気味な感じがして、和葉は眉をしかめる。

「ごめん、ごめん。ちょっと、昔を思い出しちゃってさ」

 笑いながら謝ってきた和代に「昔?」と尋ねる。

「うん。葉月ちゃんの時は、泣いてる原因がわからなくて右往左往してたじゃない」

「ああ……確か、和代もいたのよね。二人でどうしようと慌てたのを私も覚えてるわ」

 葉月のおかげで子育ての経験を積めた現在とは違い、当時は初心者マークをつけた未熟者だった。泣いている理由を簡単に特定できるはずもなく、あれこれ試してはようやく泣き止ませたりした。具合が悪くなるとすぐ心配して、パニくったように病院へ連れて行ったこともある。今にして思えば自宅療養でも大丈夫そうなものばかりだったのだが、その時は様子を見ようだなんてとても思えなかった。そうした事態を乗り越えて、なんとか今日までは無事に葉月を育ててこられた。願わくば、菜月にも元気に育ってほしい。

 和葉も過去の出来事を懐かしんでいると、ふと真剣な顔つきになった田中和代が声をかけてきた。

「赤ちゃんを可愛がるあまり、葉月ちゃんに冷たくしないようにね」

 田中和代は、和葉と葉月に血が繋がってないのを知っている。だからこそ、今みたいな心配をするのだろう。余計なお世話だとは思わない。むしろ、ありがたかった。

「大丈夫よ。万が一にでも、そんな真似をしたら、春道さんに怒られてしまうわ」

 和葉同様に葉月を本物の娘として扱い、可愛がる高木春道だからこそ決して特別扱いはしないし、許さないはずだ。現に和葉が菜月から離れられないうちは、率先して葉月の面倒を見てくれる。仲が良すぎて他ならぬ和葉がやきもちを焼いてしまいそうだった。

「フフ。ひとりで葉月ちゃんを育てるんだって宣言していたのに、和葉ったら、すっかり旦那さんを信じきっているのね」

 以前なら顔を真っ赤にして、ムキになって否定していたかもしれない。けれど偽装結婚みたいな形から始まった生活を経て、すっかり和葉も変わった。友人の言葉を受け止め、照れながらも素直に認める。自分は夫の高木春道を、心の底から信じているのだと。

「信頼できる夫と、可愛い娘が二人。私はとても幸せよ。和代はどうかしら?」和葉が笑顔で尋ねた。

「新婚の女に、何を聞いてるのよ。幸せに決まってるでしょ」

 田中和代が返してくれた笑顔も、和葉のに負けないくらい幸福感に満ち溢れていた。


 田中和代が帰宅したあとは育児と家事に戻り、気がつけば夜になった。外は暗いが、家に帰ってくる人間は誰もいない。部屋の明かりはついていても、なんだか暗く感じられる。いつの間にか、家族と一緒にいるのが当たり前になりすぎていただけに、ひとりでなければ発見できない感情だった。

 次の日も菜月と二人だけで過ごす。やることはたくさんあっても、会話をすべき相手がいない。話しかけても、まだ赤ちゃんの菜月は答えてくれなかった。次第に高木春道や、葉月の帰宅を待ちわびるようになる。孤独に弱くなった自分に驚くも、恥じたりする必要はなかった。それだけ人を愛せることになった証しでもあるからだ。

 リビングのソファでゆっくりしていると、明日には帰ってくるはずの高木春道から電話がきた。

「あ、あのさ。実は俺の母親が、菜月を見たいから、家までついてくると言ってるんだ。迷惑だから、断った方がいいよな?」

 明らかに電話向こうの春道は嫌がっているが、夫の母親は和葉にとっても義理とはいえ母親になる。家族の来訪を喜びこそすれ、邪険に扱うつもりはなかった。

「私は構いませんよ。お義母さんに、是非お待ちしておりますと伝えてください」

 微笑みながら告げると、高木春道はどことなく疲れた感じで「わかった」と言った。まだ帰ってきてないのに、苦笑いを浮かべる夫の顔が見えたような気がした。

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