第百七十四の話 龍虎の絆
過去最長だと思います。心してかかってください。
~ライター視点~
龍二は歩いていた。そこは、龍二自身が逃げ込んでいた暗い世界と同じ、辺り一面闇の世界。風もなければ、大地もない。歩いているが、大地を踏みしめている感触がないという、妙な感覚だった。
「…うまく、いったのか?」
『…恐らくは、な』
訝しげな顔をする龍二に、左手に握られたエルが曖昧な答えを返す。こうして歩いて、どれだけ経ったかわからない。先ほどと同じ、時間の感覚がズレてきている。
「んだよ適当だな」
『確立は高くはないのだ。100%成功するとは限らん』
「おぉっとぉ、問題発言。何事も100%成功すると思ってねぇと成功するもんも成功しねぇぞ?」
『…貴様にそれ言われたら腹立つな何か』
お互いそう言い合いながら、歩き続ける。
『………だが、方法はもうこれしかない。確かに貴様の言う通り、信じるしかないのだろうな』
「…そうだな」
龍二とエルの策は、『虎次の心に同調し、内部に侵入する』という、つまりは内側から攻撃しようという、有効なようで無謀でもある物だった。
先ほど、アルス達による拘束によって、虎次に致命傷を与えるチャンスを得た…が、あれはトドメのための一撃ではない。エルを突き刺すことで、虎次の心に入り込む入り口を作り出す為の布石の為だった。
マスターである龍二の心には入り込むことが可能ではあるエルだが、相手の心に入るというのは膨大な力、そして心の強さがなければ不可能である。元々高い力を有している上、どんな危険な事があっても諦めない意思を持つエルだからこそ可能な技法である。勿論、一度進入したら、次の力を蓄えるま再び進入することはできない。
もう一つ、欠点がある。それはマスター以外の心には入り込むことができないということ。自らの波長と同調できるマスター以外と同調するのは、さすがに無理である。が、そのマスターの思い入れのある人物であれば、マスターの力とエルの力を組み合わせることで、初めてその人物の心に入り込むことができる。
ただし、可能性は50%と五分五分。一歩間違えれば、相手の心は勿論、自分の心が消滅しかねないという、大きなリスクが伴う。そうなれば廃人確定だ。
「…まぁこうやって会話してるから、一応成功してるっつーことか?」
『………わからん。私も実践したのは初めてだからな』
「………………」
『………………』
会話はそれっきり。二人は、しばらく無言で歩き続けた。
ここが虎次の心の中であるのなら、心を強く持たなければならない。相手の心に負けたら最後、飲み込まれてしまう。
龍二は、暗闇を怖れてはいない。それ以上に怖れているものがある。それでも、龍二は逃げようとしない。逃げてはならなかった。
「………お」
やがて、龍二は暗闇の中で変化を見つける。小さな点が、龍二達の前方に見えたためだ。
感覚からして、目の前に点があるように見えるが、恐らく遠い場所にあるために点に見えるのだろう。
「ビンゴ、かね?」
『………急ぐぞ、リュウジ』
「わぁってる」
徒歩から一転、龍二は駆け出す。思った通り、走るたびに点がどんどん大きくなっていく。
しばらく走り、点の正体が掴めてきた。それは点ではなく、エルが龍二にアルス達の戦いを見せ付ける為に作り出したモヤと同じだった。
唯一違うのは、だんだんと見えてくるその風景。その風景に見覚えのある龍二は、一瞬は知り続けるのを躊躇った。
「………くっ」
首を振り、躊躇いを消す。やがてモヤが龍二の背丈を越える程大きいと認識できる距離まで来たところで、龍二は足元を蹴った。
そして、モヤに飛び込んでいった。
「っと」
【ストッ】
軽く膝を曲げ、着地の衝撃を殺す。龍二が飛び出すと同時に、背後でモヤが小さくなっていき、そして消えた。
龍二は立ち上がり、周囲を見回す。
足元のアスファルト、立ち並ぶ店舗、聳え立つ信号機、少し錆びたガードレール、色とりどりの草花が植えられた花壇が並ぶ歩行者用道路。
現代日本ではありふれた光景。見慣れた物体。だが龍二にとって、目の前に広がるそれらは特別な意味を持っていた。
「…ここか…」
一歩、足を踏み出す。先ほどの空間と違い、コツ、と硬い物同士が触れ合う音がする上、今度は感触がある。一歩一歩、前へと進んでいく。
目の前には、何本も地面に描かれた白い線がある。横断歩道だ。その横断歩道の中央の前で、龍二は立ち止まった
白い線が並ぶ横断歩道。だがその中央の部分だけ、赤かった。
「…ここから、全て変わってったんだな」
真っ赤に染まる、横断歩道の線。その赤は今しがた広がったかのように、鮮明な色をしていた。
龍二は思い出す。ここに来るまでのやり取りを。ここで起こる出来事の前のやり取りを。ここで起こった出来事を。
龍二の、後悔の始まりの場所。それが、ここだった。
「…今ここ、どうなってんだろうな」
顔を上げ、空を見上げる。雲が点々と浮かぶ、真っ青な空。この辺りはまだ都会化が進んでいなかったため、スモッグによる白がかった空がなかった。
真夏日…太陽光が眩しかった、あの日。アスファルトの照り返しが暑かった、あの日………他愛なく、いつも通りの日常を、二人で謳歌していた。
その日常が、ここで消えた。全ては、自分の過剰な自信から来る油断。その油断が、龍二にとってかけがいのない存在を消し去った。
「………懐かしい、よな」
感慨深げに、龍二は呟く。人っ子一人いない、人の気配すら感じられない道路。立ち並ぶ店からも、人が出てくることはない。
ここは虎次の心の中。虎次が作り出した、思い出が詰まった幻影なのだから。
『…リュウジ』
「………ああ」
エルに声をかけられ、龍二は短く返答する。そして、右手で龍刃の柄を握り、引き抜いた。
全てが始まったこの場所を見るためだけに、ここまで来たのではない。龍二の目的は、もっと別にあった。
「…虎次、どこにいる」
大声ではなく、目の前にいるかのように呼びかける。けれど、反応はない。
「来てやったんだ、少しは反応しろ…出て来い」
同じ声量で、呼びかけを続ける。相変わらず同じ風景が広がっているが、動く気配はない。返答する声もない。龍二は、いつ出てきても構わないように、辺りを見回した。
「う…ぁぁ…」
「!」
視線を血溜まりから外した瞬間、前方から呻きにも似た声が聞こえ、向き直った。
先ほどまでいなかったはずなのに、血溜まりの中で蹲るように座っている白髪の青年。顔を両手で覆い、呻き声を上げ続けていた。
龍二は、その姿に見覚えがある。先ほどまでずっと見ていた人物が、そこにいる。だがその感情は、ずっと昔から会っていないかのような、それこそ先ほどまで会話していた人物とは思えない程の親近感を、目の前の青年から感じた。
「…虎、次か?」
「ぁ…ぐ、ぁぁ…」
龍二が声をかける。だが、青年、虎次は応えない。呻き続けるのみ。
「おい、どうしたんだ? …苦しいのか?」
「ぅぅ…ぁぁぁ…」
呼びかけを続けるが、虎次から反応はない。ずっと苦しげに蹲り、呻く。
それでも、龍二は呼ぶ。
「………苦しいん、だな…やっぱ」
「ぐぁぁぁ………」
俯き、唇を噛み締める。ツゥ、と口から血が流れ出て、雫がアスファルトに落ちた。
「…全部…そう、こうなったのは…全部、俺のせいだ。お前が苦しんでるのも、きっと俺のせいだ………」
「………………」
途端、虎次の呻き声が止む。龍二は、ポツポツと自分の気持ちを吐露していく。
自分を戒めるように。自分に罰を与えているかのように。
「あの日、俺が信号を無視してなけりゃ…俺が自分の力を過信してなけりゃ…俺が周りを見てりゃ、こうはならなかった…」
「………」
「後悔してるさ。今も。苦しくて苦しくて仕方ねぇよ。けど、後悔してもしたりねぇんだよ………後悔したって、意味ねぇってこともわかってる」
「………」
「わかってるけどよ………謝ったって、意味ねぇけどよ………俺、これでも結構バカだから、どうすりゃいいかわかんねぇんだ…」
「………」
「………でも………言わせてくれ」
黙りこくった虎次に、龍二は体を震わせる。恐いからか、悲しいからか………震えそうな声で、言う。
「俺は………俺は、お前に」
「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!」
「っ!?」
龍二の言葉を遮るかのように、虎次が絶叫する。その絶叫は長く続き、虎次の声がかすれ始め、甲高くなっていく。空間が震え、地震となる。震動と連動するかのように、空が徐々に赤く染まり始めた。
「虎次!?」
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
叫び続ける虎次の足元の血。その血が、虎次の周囲全てを覆うように広がっていく。やがて血が半径5m程広がった時、それは起こった。
虎次の背後から、黒い何かが勢いよく飛び出し、そして、
【グシャッ】
虎次の頭部に、齧りついた。
「虎次ぃぃぃぃ!!!」
龍二は叫ぶ。その声が届かなくとも、無意識のうちに叫んだ。
虎次の頭部を齧ったソレは、人の頭ではなかった。
青白い肌。左目を包帯のようなボロボロの布で巻いて焦眼となっているソレの丸い小さな目は、黒く濁っている。鼻がある場所には穴のみが空いており、人間のようなとがった鼻は存在していない。虎次を咥えたその口から覗き見えるのは、無数に並んだ小さな牙。耳はないが、人間でいう耳の辺りまで裂けた口の端からは、虎次の物と思われる血液が唾液のように垂れてきている。
さながら、頭蓋骨が皮を被ったかのような、常人がみたらまず間違いなく気分を害する容姿であると言える。
ソレは、力なく手足を下げた虎次を咥えたまま顔を動かす。さながら、小さな穴から抜け出てこようとする鼠のように。
まず出てきたのは、長くやせ細った腕だった。肌はやはり青白く、両手首に巻かれた左目を覆う物と同じ布をはためかせ、黒い爪が付いた、骨のように細くて長い指に力を入れて抜け出ようとする。
続いて出てきたのは、胴体。アバラが見える、まるで長期間断食を行ってきたかのようなガリガリの体。首には人間の髑髏を幾つも連ねた不気味なネックレスを下げ、禍々しい氣を発している。
出てきたのは腰から上の上半身のみ。だが、その大きさはゆうに5mを超えており、首を傾げて龍二を見下ろすその姿は、巨人と呼ぶに相応しい。
【OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!】
ソレは、雄叫びを上げた。野太い、太古において戦の時に用いられた角笛のようで、地面を這うかのような腹の底に響く音。禍々しく、聞くだけで気分が悪くなる、そんな声。
その声に反応するかのように、血のように真っ赤に染まっていった空に浮かぶ雲が一つに集まっていき、渦を巻き始める。乱気流のように、白い稲妻が空を駆け巡り、怒号が轟く。
龍二はその赤い空に見覚えがあった。アルスの弟、アランが起こした怪現象。血の如く真っ赤な空から、人の命を蝕んでいく禍々しい雨を降らす、災厄そのもの。それすなわち…。
「…禁術…」
『…これほど強大な物とは…アランの時と、比べ物にならんぞ』
自然と冷や汗が流れ落ちる龍二と、焦りを含んだエルの声。尋常ではない最悪の展開に、龍二は苦々しげに顔を歪めた。
(虎次のあの力は、こいつの力の片鱗に過ぎなかったってことか…)
虎次のあの異常な力は、目の前にいるソレ、禁術が発していた力を少し出した程度に過ぎなかったということが、龍二は理解できた。本当の力を目の当たりにし、いかにその力がヤバイかが本能的に察知する。
そして見上げる。視線の先には、禁術の顔………否、禁術の口から下がっている、虎次の体。動くこともせず、ただ宙ぶらりんの状態で成すがままとなっている。
それを見て、龍二は体の奥底から湧き出てくる物を感じた。
『………恐いか?』
「………」
エルが問いかける。そこに含まれているのは、龍二に対する心配だけではない
『目の前に存在しているこいつが。禍々しいまでの氣で満ち溢れているこいつが、貴様は恐いか?』
それは、向き合えるか否か、最終確認。エルは、龍二の心に問いかけた。
「…正直な、恐ぇさ…でもな」
龍刃を、エルを握る手に、自然と力が宿る。
体に震えはない。震えているのは、龍二の心。抱えている全てを、今ここで吐き出したくてたまらない。
「恐ぇのは、こんなうどの大木みてぇなデカブツじゃねぇ」
見据えるは、目の前の巨人ではない。その目に映るのは、かつての親友。
「本当に恐ぇのは、ここで後悔重ねたくねぇってことだ」
龍二の目は、怯えてなどいない。挫けない、諦めない、不屈の魂そのものを燃やす。
首にかけたヘッドフォンに手をかけ、耳へと当てる。ポケットに入れてあるプレーヤーのスイッチを入れ、音楽を鳴らし始めた。
ヘッドフォンから流れるのは、お気に入りのロック。激しく、熱く、そして何事も恐れない強さが込められた、渾身の歌。
気合を入れるとき等にのみかける、いわば龍二の力の源でもある物だった。
『そうだ、それでいい! 怯えるな! 立ち向かえ! 貴様が抱えたその後悔、全て奴にぶつけろ! そして聞け!! 奴の本当の声を!!!
それが貴様と奴との戦いだ!!!!』
【GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!】
禁術が雄叫びを上げる。空が怒る。大地が揺れる。目に映る全てが、禁術から放たれる力によって怯えて震える。
対し、恐れなど微塵も感じない龍二は、頭の中を流れるロックによって、体が熱を帯び、高揚していくのがはっきりわかる。
「行くぞデカブツ。その口に咥えた奴、離してもらうからよ………そんでもって」
腰を落とし、足を下げ、右手の龍刃を、左手のエルを手に、龍二は構えた。
本当に恐いのは、後悔すること。何もせず、ただ指を咥えて立っていること。
だから振るう。自分が持つ力を。
「俺ん中で最高のショウタイム!! 見せつけたらああああああ!!!!」
紅く輝く日本刀、蒼く輝く剣を手に、自らの思いをぶつけるため…龍二は飛び掛っていった。
場所は変わる。もうじき、あと数分もすれば、完全に日が沈むという時刻。すでに更地も同然という程、ビルが完全倒壊してしまった荒れ果てた渋谷。109も、かろうじて原型は留めてはいるものの、すでに建物として機能していない程崩壊してしまっている。
そんな渋谷のスクランブル交差点の中央で、エルを突き出した状態のままでいる龍二と、そのエルの刃によって腹部を貫かれている虎次が、互いに微動だにせずに立っていた。それはさながら、彫刻のよう。
だが二人とも死んではいない。龍二の意識は、エルを伝って虎次の中にある。現在進行形で、虎次の意識の中で龍二は戦っている。
そして、二人の周辺でも戦いは始まっていた。
「りゃああああああああっ!!」
『ガァッ…!』
アルスは手前にいた蛙の化け物一匹を両断、切り捨てる。瞬時に死体は水へと変わり、バケツで撒かれるかのようにアスファルトに飛び散り、吸収される。
「発射ぁっ!」
クルルは突き出した右手から黒弾を飛ばし、化け物の腹部に命中させる。化け物は僅かに後ろへ下がった程度の衝撃を受けただけに見えたが、行動に移る前に黒弾の魔力が爆発、化け物の体は四散した。
そうして、アルス達を取り囲むかのように数え切れない程の化け物、アクアゲロッグを着実に倒していくものの、一向に数が減ることがない。
「もう! どうしてこんなに集まってきちゃったの!?」
「今そんなこと気にしてる暇なんて、ない!!」
叫ぶクルルの横で、アルスがまた一匹アクアゲロッグの首を刎ね飛ばす。
何故突然、アクアゲロッグが周囲に大発生したのか、アルス達にはわからない。龍二が虎次にエルを突き刺して動きを止めてからしばらくし、虎次にしていた拘束を解いてから、連中が地面から生えてくるかのように現れてきて、残された力のみで応戦しているが、数が今までの比ではなかった。
「『風よ、刃となりて全てを切り裂け』!」
「カルマ、パス!」
「はぁっ!」
「んっ…!」
アルスとクルルの後ろで、スティルが風の刃を飛ばし、カルマとケルマがレイピアのような剣を振るいながら息に合ったコンビネーションで敵を切り刻み、リリアンは戦斧をぶん回して吹き飛ばしていく。
全員、本当は倒れそうなほど体力を消耗してしまっている。スティルとロウ兄弟は魔力がギリギリで初歩的な魔法しか使えず、リリアンも体の到る箇所から血が流れ落ちている。しかし、それでも尚倒れる気配を見せない。
理由は、虎次を止めんとしている龍二に、連中を近づけまいとしている為。邪魔をする者は、いかなる存在であろうと退けんとする、共通の意思によって、無い力を振り絞って戦っていた。
「こぉんのぉ!!」
クルルの飛びながらのドロップキックがアクアゲロッグの顔面に炸裂し、食らった敵は数回バウンドしながら吹き飛ぶ。攻撃によってできた隙をつき、横から別の敵がクルルの頭に食らいつかんと、鋭い牙が生え揃った両生類の口を開けて飛び掛る。
「はぁぁっ!!」
クルルに牙が突きたてられる直前、飛び上がってから真下に剣を突き立てるかのようにして落下してきたアルスが、重力と全体重を乗せてそのアクアゲロッグの背中を貫く。串刺し状態でアスファルトに固定されたアクアゲロッグは、ビクンと手足を痙攣させてから水へと戻っていった。
「ハァ…ハァ…油断、しすぎですよ、魔王」
「ア、アルスこそ…ふぅ…疲れ、切ってるんじゃ、ないの?」
互いに息を絶え絶えの状態になりながら、背中合わせにして構える。すでにクルルの魔力は底をつきかけ、これ以上使用してしまえば魔族であるクルルは命が危うい状態。アルスも手に力が入らなくなってきているのか、聖剣の切っ先がブレ始めてきた。
「クソッ、魔法をうまく操れない…!」
「うぇぇ…正直、もうキッツイ…」
「諦めるなそこで…!」
「………」
スティルは向かってくる敵を杖で殴り飛ばしながら悪態をつき、膝を着きかけるケルマにカルマが息を切らしながら叱咤し、リリアンはすでに何も言えない程疲れ切っていた。
例えどれだけ強い意志があろうとも、限界を超えた全員の体は悲鳴を上げ始めている。すでにどれだけの数を屠ってきたかもわからない程戦っているが、それでもアクアゲロッグ達は減る気配を見せず、奇声を発しながらアルス達を狙い続ける。
(諦めたくなんて、ない…けど)
(正直………キツイよぉ…)
アルスがふらつく足に鞭を入れ、しっかりと地を踏む。クルルも負けじと、構えを取り続ける。
だが、集中力が鈍り始めている。現に、視界がかすみ始めているのがはっきりとわかった。
「う…あ…」
体が痛い。剣が重い。頭が痛い。立つことが難しい。疲弊する彼らを、アクアゲロッグは容赦なく牙を向いた。
『ガアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!』
「しまった、アルス!!」
「「魔王様ぁっ!!」」
アルスとクルルの耳に、スティルとロウ兄弟の声が届く。だが、脳の判断能力が鈍り、声に反応することが遅れた二人が気付いた時には、三匹のアクアゲロッグが頭上から飛び掛っていた。
迫り来る牙と爪と鉈。迎え撃つにも、もはや間に合わない。アルスとクルルは、ただ立ち尽くすことしかできず…
【グシャ!】
【ボゴンッ!】
【バギャァッ!】
二人の体が八つ裂きにされようとした寸前、飛び掛ってきていたアクアゲロッグ三匹がほぼ同時につんめるような形で宙返りし、アルス達の目の前に落下し、水へと消えた。
「「………へ?」」
疲れた体でも、いきなりの謎現象に疑問符を浮かべる二人。スティル達も同様だった。
そんなアルス達を他所に、高らかに声が響き渡った。
「ホーッホッホッホ!! フィフィちゃんただいま参上―――――!!!」
芝居がかった上に、妙にハイテンションな声。突然の声に、アクアゲロッグ全員が声のする方へと顔を向けた。
瞬間、数匹が鈍い音をたててまた吹き飛ぶ。見れば、その顔面は見事なまでに陥没していた。
「さぁ、ガンガン行くわよ――――!!!」
「「「よっしゃぁぁぁぁぁっっ!!!」」」
すでにボロボロになった背の低いビルの屋上で、声の主、フィフィが赤く光ったまま号令をかけると、その横に並ぶ形で立つ花鈴、恭田、久美が鉄パイプを手に気合の入った声で叫んだ。
「フィ、フィフィ!?」
「それに皆も!? 何で!?」
いきなりの登場に、アルスとクルルはわけもわからず唖然とする。アクアゲロッグ達も、突然の乱入者達に驚いていた様子だったが、そこにいるのがたかが小さな妖精と何の力も持たない非力な人間であることを本能的に理解すると、躊躇わずに氷の矢を発射した。
「おっと、『光の壁』!!」
飛んでくる何本もの氷の矢が、フィフィの魔法によって全て弾かれる。そして、念力のような力を使い、傍らに落ちていた石を浮かせた。
「行くわよ、カリン!」
「まっかせなさい!」
「恭田、頼んだぞ」
「おうよ! 影薄と呼ばれ続けた俺の力、とくと見さらせ!」
「久美ちゃん、しっかり狙ってね!」
「大丈夫、二人に負けるわけにはいかないからな!」
フィフィの横には花鈴が、恭田のすぐ後ろには雅が、同じく久美の後ろで香苗が膝をついて座り、二人ともフィフィと同じ拳大の石を握っていた。
「「「せーの!!」」」
フィフィと雅と香苗が声を合わせ、石をそれぞれ側に立つ花鈴達の前に放り投げる。
「「「おりゃぁ!!!」」」
【カキーンッ!】
その石目掛け、花鈴、恭田、久美が鉄パイプを振るい、野球の要領で石を飛ばした。石は同時にアクアゲロッグの群れへと飛んでいき、先ほど同様弾丸のようになってアクアゲロッグを吹き飛ばす。
「命中! 次行くわよ!!」
「「せーの!!」」
「「「そいやぁ!!!」」」
もう一度石を飛ばし、アクアゲロッグを次々と撃破していく久美達。普通の人間にはできない芸当だが、スポーツを得意としている久美と恭田、花鈴の腕と、それにフィフィの筋力強化の魔法が加わったことで、アクアゲロッグを倒す程の力を持つ砲へと変わっている。
「どうだこのボケ蛙ども!! 伊達に中学時代に野球界の『鉄壁の佐久間』というあだ名で呼ばれてねぇ、ぜ!!」
「そんなあだ名初めて聞いたが、な!!」
「正直嘘くせえしな」
「やっぱ信じてくれませんよ、ねー!!」
「喋ってないで打ちなさい、よ!! そんな余裕、あたしらには無いんだから!」
話をしながらも、各々作業の手を休めることはなく、アルス達の周辺にいるアクアゲロッグ達を次々撃破していく。アクアゲロッグ達も攻撃しようにも、フィフィが張った防壁によって攻撃が無効化されてしまい、手出しできないでいた。
「コラァアンタ達ぃ!!」
「「っ!?」」
思わぬ戦力の増強と、斬新な援護に度肝を抜かれていたアルス達であったが、フィフィが体を赤く光らせながら大声で呼びかけてきたおかげで現実世界に復帰できた。
「何でリュウジが動かないのかは知らないけど、何か理由があるんでしょう!? だったらこんなとこでヘバってないでちゃんと戦いなさい!!」
「久美ちゃん、リュウちゃんの側に敵!」
「っしゃらぁぁぁぁっ!!」
叱咤するフィフィの横で、龍二に目標を定めている敵を香苗が発見して投石、久美がそれを打って敵を吹き飛ばした。
「援護は任せろ! 影薄の底力ってのを見せちゃるけんのぉ!!」
「なんのキャラに変わってんだよ」
恭田も負けじと、雅が投げる石を打ち続けていく。正確なコントロールによって飛ばされるそれらの石は、寸分違わずアクアゲロッグの顔面または胸部に命中していく。
「フィフィ、石ちょうだい!」
「あいよー!」
フィフィが浮かせた石を、花鈴は思い切り振って小気味のいい音をたてて飛ばす。石は一匹のアクアゲロッグの顎に命中、さらに跳ね返った石はすぐ側にいたもう一匹の喉にめり込み、同時に倒した。
「あ、やった! 一度に二匹!」
「これがホントの一石二鳥って奴ね!」
「あれ蛙だけどな」
「「空気読めツッコミ」」
「すんません…」
茶番を繰り広げながらも、着実に一匹ずつ打ち倒していくフィフィ達。気付けば、アルス達の周りにいたアクアゲロッグの数が、着実に減ってきていた。
「フィフィ…みんな…」
何故突然、アクアゲロッグが大量に発生したのかわからない。龍二が動かなくなった理由はスティルから聞いてはいるが、龍二が今虎次の中でどうなっているのかさえも知る術がない。
だからといって、ここで倒れるわけにはいかない。体力の限界? それどうしたというのか。非戦闘員であるはずの花鈴達が、自分達でできることをやって加勢してくれているのに、戦闘慣れしている自分達が倒れるとは何事か。
「………立たなきゃ、ダメだよね」
「うん」
アルスは聖剣を、クルルは拳を構える。すでに魔力がないアルスは純粋な剣術のみで。魔力の枯渇は死に繋がる魔族であるクルルは龍二から見よう見真似で覚えた拳法で。
スティル、リリアン、ロウ兄弟も、着いていた膝に鞭打って立ち上がる。各々の得物を手に、再び敵の群れと対峙する。
全員、連戦によって戦える力なんてほとんどない。だが、この勝負はかならず勝つということを、全員わかっていた。
自分達が倒れる時。それは、“あの”龍二が負けた時。それが意味するものはすなわち、
「いくよ、魔王!」
「言われなくたって!」
“100%負けることなんてありえない”ということだ。
「『ライトニングアロー』!!」
突き出したエルから飛び出す、雷の矢。矢は真っ直ぐ飛び、目の前に立つ禁術の眉間を捉え、突き刺さる。
小さく破裂した矢の衝撃に、禁術は僅かに怯む。その一瞬を、禁術の懐に飛び込んだ龍二は逃さない。
「はっ!!」
鋭い蹴り上げが、禁術の鳩尾に鈍い音をたてながら突き刺さる。さらにそのまま、もう片方の足を振り上げ、宙返りしつつさらに蹴り飛ばす。力が込められた龍二の蹴りの威力は尋常ではなく、つんのめる形で禁術は体を傾けた。
『止まるな! たたみかけろ!!』
「言われんでも!!」
エルで薙ぎ払い、同じ軌道で龍刃を振るう。二重の斬撃は禁術の腹に裂き、赤黒い血が龍二に降りかかるが、龍二は止まらない。
エルで突き、龍刃を振り上げ、最後は両方の剣を大上段から振り下ろす。一撃一撃が重く、禁術の体はすでにズタズタとなり、さらに出血する。
「飛んでろっ!!!」
締めに交差させた剣を左右に薙ぎ払い、×の字のような軌道で禁術を斬り飛ばした。
【AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!】
体から夥しい血を撒き散らしながら、禁術は大きく仰け反って叫ぶ。痛みにもがけ、腕をめちゃくちゃに振り回し、周りの建物を次々と破壊していく。
『リュウジ、あまり時間をかけすぎるとまずいぞ…!』
「…どうもそうらしいな…」
大暴れする禁術の無差別な破壊を避けつつ、エルの焦りを孕んだ声に龍二は同意する。
ここは、虎次の心の中。龍二と虎次、二人の思い入れのある場所が形を保っているということは、まだ虎次の心は完全には破壊されていないということになる。が、宿り主の命を吸収してそれを力に変える禁術が形を成したことによって、空が淀み、今こうして建造物も破壊されていっている。この場所の形が維持できなくなった時が最後、虎次の心は禁術に呑まれ、壊れる。
そうなると、いかに龍二といえども、この場にいる限り危険である。
「んじゃあ、虎次が壊されないうちに…」
龍刃とエルを手首で半回転させ、それぞれを逆手に持ち替えて姿勢を低くする。
「消し飛ばす!!」
【ゴォッ!】
足をバネに、龍二は体を弾丸が如く飛ばす。禁術の巨大な手による攻撃をジグザグに動くことで避け、禁術に剣が届くその一歩手前で飛び上がり、禁術の目の前に滞空する。
「しゅっ!」
【ガッ!】
左手のエルを、逆手のまま禁術の頭部に叩き付ける。禁術の頭部は予想以上に堅く、鈍い音をたてて刃が完全に埋まらずに止まる。
だが、そこで龍二は攻撃を止めない。体を回転させて続けざまに龍刃で切りつけ、再びエルで同じ箇所を切る。落下しそうになった体は、禁術の額を蹴り飛ばすことで帯空時間を延ばしてまた同じ攻撃を繰り返した。
傷は浅くとも、ダメージはある。頭部による痛みの元を取り払おうと、禁術は左右の腕を龍二に伸ばした。
「ほ、と、よっと!」
伸びてくる手を蹴り、または指を足場にしたりして、飛び跳ねるかのように手の攻撃を避けていき、その合間に頭に攻撃を加えていく龍二。執拗に龍二を捕まえようとする禁術と、執拗に禁術の頭部を切り続ける龍二。
龍二の攻撃は、一見すると無意味にも見える。だが、度重なる攻撃によって、禁術の頭部もまた、体同様血みどろへと変化していく。左目を覆う包帯も血で滲み、どす黒く変色していった。
「目ん玉ぁぁぁっ!!」
禁術が両手で思い切り握りつぶそうと龍二がいた場所を掴むが、龍二が直前に指の上を足場にして飛び上がったことでその攻撃は空を切る。そしてさらに高く飛び上がった龍二は、右足を曲げ、重力に従い落下を始めた。
「潰れろぉっっ!!!」
【グチャッ!】
曲げた右足を伸ばし、飛び蹴りの如くフォームで落下の力を伴った蹴りを、包帯が巻かれていない右目に叩き込む。掴み攻撃によって両手が動けない状態だった禁術は、その攻撃を成すがまま受け入れるしかなく、嫌な音をたてた。
【―――――――――――――!!!!!!】
両手で右目を抑え、声にならない絶叫を上げる禁術。その間も、虎次を咥えるその口は離そうとしない。
地上に降り立った龍二は、二刀を半回転させて順手に戻し、舌打ちした。
「攻撃してけば虎次離すかと思ったが…甘かったか」
『随分とタフな上に器用な奴だ。咥えながら叫ぶとはな』
攻撃による痛みに耐えかね、口に咥えた虎次を離す。または痛みによる絶叫によって、口を開けることによって虎次を落とす…といった、虎次を禁術から引き離す作戦をたてていたが、それらの目論見は外れ、今も尚虎次は禁術の口元でプラプラ揺らしている。そしてその間にも、禁術による心の侵攻が進んできているのが、龍二の足元にまで広がってきた血溜まりを見てわかった。
「しゃぁない、大技飛ばして無理矢理引き剥がすぞ」
『御意』
二刀を交差させ、禁術の巨体を吹き飛ばせれるような技を繰り出さんと構える龍二。虎次に攻撃が当たらないよう、意識を禁術の体に向ける。
だが、それより前に禁術が行動を起こす方が早かった。
【GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!】
一際大きな雄叫びを上げる禁術。突如、禁術の体から発生していた禍々しい氣の力が増幅され、血溜まりが津波のように龍二達に押し寄せてくる。
「おぉっとい!」
龍二は咄嗟に飛び上がり、血の津波を回避する。そして先ほど立っていた場所に再び降り立ち、禁術を見る。
氣によって左目、両手首に巻かれていた包帯が消し飛ばされ、包帯が巻いてあった箇所が白く発光し始める。そして、発光が止むと、地面から植物が生えるかのようにその箇所から無数の大小様々な水晶体が飛び出し、覆っていく。やがて禁術は、左目と両手首に水晶体の鎧を纏っているかのような外見へと変化した。
【UOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!】
「………第二形態とか、お前どんだけラスボス意識してんだ」
両手を地面につき、虎次を咥えた口の隙間からくぐもった声を上げる禁術に、龍二はげんなりと言う。龍二が先ほど潰した右目からは、今も尚血が流れ落ちていっているが、そんなこと大したことではないと言わんばかりに、見えないはずの龍二に顔を向ける禁術。
やがて禁術の左目の水晶が振動し始め、悪寒が走った龍二はさらに後ろへ飛び退いた。
【ドドドドドドドドドドドドドドッ!!】
それは、言うなれば水晶のマシンガン。龍二が立っていた場所、その周辺を、無数の水晶が殺到し、突き刺さっていく。その攻撃範囲は広く、後ろへ下がって回避行動をしたはずの龍二にも、水晶の嵐が襲い掛かる。
「やろっ!」
回避は不可能、止む終えず二刀を振るい、迫ってくる全てを叩き落していく。いくつかは龍二の体を掠めていくが、そのどれもが致命傷にはなりえなかった。
だが、掠った瞬間に龍二はその水晶の正体を見抜き、忌々しげに顔を歪ませた。
「クソ、こりゃぁ氷だ!」
超低温、それこそ液体窒素をも上回る程の冷気によって形作られた結晶は、龍二の体を掠めた瞬間に傷口から凍り付いていく。
これ以上攻撃を許すわけにはいかないと、龍二は龍鉄風をさらに強化し、掠めただけでも傷つかないくらい体を硬化させ、水晶による嵐を凌いだ。
結果として致命傷に到らなかったものの、水晶によってできた掠り傷から、ジワジワと焼け付くかのような痛みが龍二の体を蝕んでいく。
『リュウジ、大丈夫か?』
「…誰に言ってやがる」
『…聞くまでもなかったか』
だが、龍二は何事も無かったかのように立つ。頭から血が流れ落ちて目に入りかけるが、直前に血を拭うことで視界を守った。
左目から発射されたはずの水晶は一瞬で生えてきたことで復元され、妖しい光を放つ。先ほどの水晶による攻撃のせいで、虎次の心の侵食がさらに進み、龍二の膝にまで血が届き始めていた。周囲の建物も見る影もなく、空の渦からは稲妻がさらに迸る。
もはや一刻の猶予も許さない状態へと変わりつつあった。
(…こりゃぁ、次で決めるっきゃねぇな)
龍二は時間がないことを悟ると、次でこの戦いを終わらせることを決める。
本当なら手早く、そして虎次の心に被害をなるだけ出さないように戦おうとしていたが、もうそうは言っていられなかった。これ以上の侵食を防ぐべく、それでいて虎次の心に最小限のダメージを与える程度で決める。
エルと龍二を重ね合わせるかのようにして構え、禁術を見据えた。
「エル、ちょいといいか」
『なんだ』
エルのコアにまで口を近づけ、小声で語りかける。
「次で決める。お前の力と俺の力、合わせんぞ」
『………覚悟はできているのだな』
「んなもんここに来る前からできとるわい」
『愚問だったな…すまない』
「………気ニシナーイ、だ」
久々に言えたお決まりの台詞を言ってから、再び意識を禁術へと向ける。相変わらず口に虎次を咥えたまま、龍二が起こす行動を警戒するかのように唸る。
【………愚カダナ】
「………あ?」
が、突然龍二の耳に声が届く。老若男女、全ての声が一つに合わさったかのような、なんとも形容しがたい気持ちの悪い声だった。
その声の主が、目の前で龍二達を見下ろしている禁術の物であるということを理解するのに時間はかからなかった。
『…喋れたのか、こいつ』
【実ニ、愚カナ存在ダ】
エルの意外そうな言葉に反応せず、禁術は語る。
その中に、嘲りを込めて。
【私ハ知ッテイルゾ? 貴様トコの男トノカンケイヲ。貴様ガコノ男ニシタコトモ、スベテ知ッテイルゾ?】
龍二の心を責めるように、禁術は言葉を紡ぐ。それに龍二は反応せず、俯いて黙りこんだ。
【コノ男ガ何故死に到ッタカ、貴様ハワカッテイルノダロウ。ワカッテイタカラ、先ホド
マデ自ラノ心ノ中ニ隠レテイタノダロウ?】
黙る龍二に、反論の余地もないと思っているのか、禁術は半ばおもしろがるかのように龍二を責めていった。
【愚カ者ガ。臆病者ガ。貴様ノセイデコノ男ハ死ンダノダ。貴様ノ不注意ノセイデコノ男ハ人生ヲ終エタノダ。全テハ貴様ガ死ネバヨカッタノダ。貴様ガ死ネバコウナルコトハナカッタノダ】
『き、貴様…!』
禁術の言葉に、エルが自らの刃を放電させ、怒りを示す。だが、それすらも龍二は何も返そうともしなかった。
【ドウシタ? 恐イノカ? 恐イノダロウ? 恐イニ決マッテイル。貴様ガ殺シタ人間ニ、今度ハ貴様ガ殺サレルノダカラナ。ダガソレハ貴様ガ受ケルベキ報イデアッテ】
「おいデカブツ」
禁術の言葉を遮って、ようやく龍二が言葉を放つ。そして俯いていた顔を上げた。
その顔は、笑顔だった。
ニッコリと。傍から見れば無邪気な子どものような笑顔。だが、いつも共にいるエルはその笑顔の意味を知っている。ここまでわざとらしい笑顔を見せつけた後の行動が、エルには何となく予想できた。
龍二の心は、震えている。だがそれは怒りでも、恐れでも、悲しみでも、何でもない。禁術の言葉に打ちのめされたわけでも、返す言葉が見つからなかったわけでもない。
ただ、純粋に、
「声気持ちわりぃんだよクズ野朗」
不協和音の如き複雑な声に、龍二はただただ気分が悪かっただけだった。
「というか何だ? それ虎次の気持ち代弁してんの? お前が? 悪ぃんだけど正直お前喋んなくていいぞ? というかマジやめろお前の声気持ち悪いだけだし、なんか便所で○○してるような音みたいな感じだし」
ズラズラと、禁術の気持ち悪さを伝える龍二。予想外の言葉に、今度は禁術が言葉を返せず、顔は変わっていないものの、動きが完全に止まっていた。
「大体誰が誰にビビってんだよ。お前か? お前に俺がビビってるとでも思ってんのか? 自惚れんじゃねぇべ俺がビビってんのはテメェ如きデカブツなわけねぇだろうが。アホか。いっぺんトイレに流されて来い。そんで声帯変えてこい」
笑顔のまま、禁術を攻撃ならぬ口撃で抑えつけていくが、ここで笑顔を消す。
笑顔から一転したその表情は、憤怒。純粋な怒りそのものを、禁術に向けた。
「俺が聞きてぇのは、テメェの声じゃねぇ。テメェが咥え続けている、そこの白髪の能天気バカだ。そのバカの気持ちを、バカ本人の口から聞きてぇんだ………だからよ」
龍刃とエルを重ね合わせたまま、二刀を天に向かった掲げ上げた。
「返してもらうぞ…ここはテメェ如きクソ野朗がいる場所じゃねぇ」
二刀から、光が漏れ出す。エルからは青。龍刃からは赤。それぞれ色違いの光が、龍二の体左右に伝わっていく。
「ここは! 虎次の場所だ!!!!」
光が、爆ぜる。分かれていた赤と青の光が、徐々に一つへと重なり合っていき、銀色へと変わった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」
『はああああああああああああああああああああっ!!!!』
龍二の声とエルの声が、轟音のように空間を震わせる。空間だけではなく、禁術の氣さえも揺らぎ、そして龍二の周辺だけ血が円形状に吹き飛ばされる。
恐ろしいまでの力の波動を感じ取った禁術は、焦る。先ほどの余裕は消えうせ、今は目の前にいる龍二を殺すことに全力を注ぐことにし、右腕を振り上げた。
水晶によって覆われた手首を、龍二にぶち当てるように狙いをつけ、渾身の力で振り下ろす。
が、命中する直前に水晶ごと腕が破裂するかのように弾け、散っていった。
砕けた禁術の水晶の破片が、煌きながら舞い落ちていく。その中で、龍二は得物を突き上げた状態で立つ。
その得物は、龍刃とエルではない。形状こそエルそのもの。だがその大きさは全くの別物になっており、龍二の身の丈と寸分変わらない物へとなっていた。
刃も変化している。刃は龍刃のような緩やかな曲線を描いた淡い蒼の刃。幅15センチ程もあるその巨大な刃は神々しく輝き、もはや芸術すらも凌駕がしている。
「…全てをぶった切る刃…」
一振り。それだけで周辺の水晶の破片が吹き飛ばされる。
「『龍王の太刀』…!!」
龍二とエルが、その大太刀の名を告げる。凄まじい力によって、龍二の周辺だけ禁術の力を跳ね除けられ、破壊されていた虎次の心が修復されていく。同時に、龍二の体を蝕んでいた傷も消えていった。
今龍二が立っているのは、虎次の心。実体ではなく、いわば精神集合体のような物。龍二の体から流れ出ている血は、龍二の心が傷ついているということであって、本当に肉体が傷ついているというわけではない。ここで必要なのは心の強さであり、脆い心は強い心に飲み込まれ、消滅する。つまり、心を強く持つことで、いくら傷ついても修復される。
今この場で圧倒的有利なのは禁術ではなく、恐れすらも乗り越えた龍二である。
【GUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!】
禁術は恐れる。目の前の存在を。腕を破壊した存在を。恐れなど知らぬ存在を。圧倒的なまでの力を有する存在を。
右腕が消え、足掻きとばかりに、右から左へと左腕で薙ぎ払う。水晶をハンマーのように振るい、龍二を狙った。
「…ウゼェ」
【バガァンッ!】
だがその攻撃も、龍二にとっては蚊に等しい。右になんとなく突き出すような形で、大太刀の切っ先を向けた。そして、その刃に触れただけで、禁術の手は千切れ飛んだ。
両手を無くしたことで、禁術の攻撃手段は一気に減った。最後の要である左目の水晶を飛ばさんと、龍二に狙いを定める。
『まずい、防げリュウジ!!』
回避は間に合わない。切羽詰ったかのように叫んだエルに応える間もなく、龍二は大太刀で防御姿勢を取った。
【っ!!??】
だが、攻撃する直前、禁術は動きを止めた。禁術すらも動きを止めた原因を理解しておらず、突然のことに驚愕する。
【グ、ガァ…何、ガ…ッ!】
(…龍二)
「っ! 虎次!」
龍二の頭の中から聞こえてくるかのような声。それは紛れもなく、虎次の声だった。
(…今や…やってまえ…こいつを、消せ…!)
「…!」
龍二は禁術を見る。体を動かそうと、必死にもがいている。禁術が行動を移せないのは、虎次による意思が働いているのだろう。
【オノレ貴様ァッ!! 蘇ラセタ恩ヲ忘レタカァァァァッ!!!】
禁術が激昂するも、動けない。虎次の意思の力は予想以上に強く、禁術といえど完全に押し返すことができないでいた。
(た、頼む…早う…!)
『………リュウジ』
「………」
悲痛な虎次の声に、龍二は一瞬迷う。
禁術を倒す…それすなわち、虎次の意思をも消し去るということ。虎次の魂は、禁術によって現世に繋ぎとめられている仕組みになっている。禁術を倒せばその戒めは解け、虎次は消滅する。
それは、覚悟していた。アランの時と同じ、禁術を倒したら、その宿り主は消える。虎次の心の中へ侵入すると決めた時から、そうなることはわかっていた。それが直前になって、躊躇いとなって現れる。
「………行くぞ虎次。歯ぁ食いしばれ」
迷いは一瞬。決断も一瞬。虎次の願いを無視することなどできるはずもない。
(…ああ、一発で決めてくれや)
【ヤ、ヤメロッ! ソンナコトヲスレバ、コノ男ハ!!!】
龍二は大太刀を大上段に振り上げる。刃が白く輝きだし、それはやがて目も眩むばかりの力となって周囲を照らす。溜まってきていた血も蒸発していき、崩れていた建物も巻き戻されていくかのように修繕されていく。
狙うは、目の前に立つこの戦いの元凶。ぶつけるは、戦う元となった胸の奥を燻っていた後悔の思い。
後悔を断つため、そして虎次の心を破壊せずに安らかな眠りに就かせるため………放つ。
【ヤメロオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!!】
「『一刀龍断』」
白く輝く大太刀が、禁術の頭から腹にかけて真っ直ぐに振り下ろされた。
(………龍二、こうして話すんも、もう二度とできへんなぁ)
(…そう、だな…)
(何や、暗いなぁ。いつもの龍二らしくないで?)
(………虎次)
(ん?)
(俺は、お前に謝らないといけねぇ)
(謝る?)
(…あん時、俺の不注意が原因でお前を死なせてしまった…殺してしまった)
(………)
(本当は謝ったってどうにもならねぇことわかってる。けど…もう、これくらいしか俺にはできねぇ)
(………)
(虎次………すま)
(龍二)
(…?)
(………俺はな、お前に出会ってよかったって思うてる)
(え…)
(お前は、孤独やった俺を救ってくれた。こんな俺やけど、お前は俺のダチになってくれた。お前やったからこそ、俺は本当に嬉しかったんや)
(…!)
(…せやからな…お前は、苦しんで欲しくないんや。お前が苦しんだら、俺もあの世でおちおち眠ってられへんねん。それだけやない。お前の周りの連中見てみぃ。みぃんなお前のために動いてるやんけ………そんな奴らを、お前が苦しませるのはやめたってくれ)
(…虎次…)
(俺は、大丈夫や。お前が思ってる程、俺はヤワな人間とちゃう…後悔することなんて、何もあらへんねん…)
(………お前は)
(…?)
(やさぐれてた俺に、唯一接するのをやめなかったな………あん時は、鬱陶しい存在でしかなかったし、何よりうるさいのは嫌いだった)
(…へぇへぇ、そん時ゃ悪ぅございました)
(そうだな…お前のせいで、ダチってのが大切だって思えるようになったからな…うるさいのが、たまらなく大事なことであるとか、そんな風に考えるようになっちまったからな)
(………)
(………これからはもうお前と話すことはできない。一緒にバカな話したり、小突きあったりすることすらできなくなっちまう………)
(…せやな)
(………けれど、最後に………お前に言いてぇことがある)
(ほぉ、奇遇やな。俺もやねん)
(…何言うつもりだ?)
(多分、お前と同じなんちゃう?)
(………だろうな)
(な?)
(………虎次)
(………龍二)
(―――――な)
【GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!!!】
禁術の体が、縦にズレていく。凄まじい絶叫の後、禁術の切り口から溢れ出た光が、空を、建物を、大地を、大太刀を持っている龍二も、全て覆いつくしていく。
光は止むことなく、そこにあった全ての存在を白く塗りつぶしていった。
『ギィィィィィィィッ!!』
「な、何っ!?」
夕暮れが完全に沈もうとしている中、突然苦しげに奇声を上げたアクアゲロッグに、アルスは飛び退く。アルスの目の前にいる奴だけではない。その場にいるアクアゲロッグ全てが奇声を上げ、全員が悶え苦しみ、のた打ち回る。今までと様子が違う、と思った矢先、一匹が突然水へと変化し、アクアゲロッグの形を失った。
そこからは、さがなら将棋倒しのようだった。一匹が崩れると、もう一匹。さらに一匹と、次々と水になって消えていく。
「これは…」
「ど、どうなってんだ、こりゃぁ…!?」
ビルの上から石を飛ばし続けていた恭田達も、突然のことに驚き、動きを止める。その間にも、アクアゲロッグ達は水になっていき、遂には最後の一匹ももがき苦しんだ後、伸ばした手が地面に落ちてから水になって命を散らした。
「………全滅、した?」
「え………ということは…!?」
リリアンの呟きに、クルルが龍二の方へ振り返る。他の皆も同様、龍二を見やった。
【ピシッ】
ヒビ割れの音が聞こえる。その音は、金色に光る亀裂が胸から首にかけて入っていく虎次の体から発生した物だった。
「あの亀裂は…」
アルスは、あの亀裂を見て思い出す。朝日の光が差し込むと同時に訪れた、アランとの別れの時………その光景が、アルスの脳裏にフィードバックされる。
虎次の体に入っていくヒビ割れは、小さな物から変化して大きくなっていき、壊れたガラス細工のように体全体を覆っていく。やがて亀裂は虎次の顔をも消し、そこで止まる。
そこからは、静かに…音もなく、虎次の体が砂へと変わり、風に運ばれて宙へと舞っていった。
先ほどの激戦が嘘のように、静寂が辺りを包む。傷だらけになったアルス達は、あまりにも唐突な幕切れに、思考が追いつかなかった。
「お…終わった、の…?」
「………恐らく」
小さなアルスの声に、リリアンが斧を下ろしながら応える。全員の視線は、全てただ一点、エルを突き出したまま硬直している龍二へと向けられている。
「………………ぅ」
「リュウジさん!」
「リュウくん!」
ピクリと、エルを持つ手が揺れたのを見逃さなかったアルスとクルルは、嬉々として龍二の名を呼ぶ。それを合図に、龍二の止まっていた時間は動き出し、倒れかけるもののエルを地面に突き刺して支えとして堪えた。
「はぁ………はぁ………」
荒い息を吐き、汗ばんだ額を拭おうとしない龍二。自分と違う人間の心の中に進入したことによる反動も相まって、龍二の体もまた疲弊していた。
「…リュウジさん…」
アルス達は、今すぐにでも龍二の傍に行きたかった。行こうとした。だが、それはできなかった。
あの虎次という人間は、龍二にとって大事な人間であるということが、アルス達にはわかっていた。虎次は消え去り、後に残ったのは戦いによる傷だけ。ゆえに、かける言葉が思いつかず、ただ見守ることしかできなかった。
「………フフ、ハハハ…」
皆の予想を裏切り、龍二の口から漏れ出たのは、笑い。
「ハハ、ハハハ、ハハハハハハハハハッ!!」
初めは堪える程度の笑い声しか出なかったが、次第にそれは大きくなっていく。それは一見すると、狂っているかのような笑い声のようだった。だが、そこから伝わってくるのは、悲しみ、寂しさ…そして、何かを吹っ切れたかのようなものだった。
「バカだよなぁ…ホント、マジで…!」
笑いが収まり、龍二は一人ごちた。
「ホントに………バカだ………!」
声色が、変わっていく。アルスもクルルも、他の皆も、龍二のその声は聞いたことがなかったが、誰も驚かず、ただ静かに龍二を見つめていた。
振り上げるように上げた龍二の顔から、汗だけでない雫が飛んだ。
「俺も、お前も! 正真正銘の、大バカだ………!!!」
目から流れ落ちる、龍二の涙。様々な感情がごちゃ混ぜとなったその叫びは、ゆっくりと姿を消していく夕日と共に消えていった。
夕日の名残が残る、西の空。その対極に位置する東の空では、幾つかの星が瞬き始めていた。




