お客様は
お客様は神様です――
このセミナーで何より強調されるのはそれだった。
俺は会場を埋め尽くす入場者の姿と、壇上に掲げられたその標語を交互に見やる。
いわゆるどんな時でもひいきにしてくれる神様のような慈悲深いお客。
ではなく、福をもたらし、時にたたりをもたらす神様。それ故に祭り上げ大事に扱う方の神様。そっちの方の『お客様は神様です』だ。
「そこまで持ち上げないといけないもんですか?」
俺は標語を見上げていた舞台袖で、会社の先輩に首を捻りながら訊いた。そう、このセミナーは俺が務める会社が開いているものだ。先輩はこのセミナーの責任者。若いがかなりやり手の女性上司だ。
そしてこの先輩はセミナーのお客に日頃からかなり卑屈に接する。いくら何でもそこまでと思うこともある。
「何言ってるの?」
美人の先輩は有無を言わせない視線で俺を叱りつける。美人のきつい視線。この目がいいんだよね。今関係ないけど。
「お客様は神様よ」
「それはあれでしょ? 必要以上に持ち上げる意味で言う方でしょ?」
「そうよ」
「苦しい時も応援してくれる。力をくれる。お客様は神様のように慈悲深い。そんな意味が本来最初だって聞きますよ。神様にまでなぞらえて、過剰に持ち上げる意味で使うのはどうかと思いますけどね」
「もう。うちはまさに客商売なのよ。商品はセミナーの内容。ものや形じゃないの。お客様の心に届いて初めて商品価値がでるのよ。お客様の気分を持ち上げて何が悪いのよ」
「欺瞞ですよ」
「いいのよ。それにこの会場のお客様だって、ここを一歩出れば自分がお客様は神様ですって顔でいないといけないのよ。何よりそれを教えるセミナーなの、これは。その主催者が疑問を持ってちゃ、信用にかかわるわよ」
「そうですけどね」
俺は実は言うとお客様が神様かどうかはどうでもいい。美人の先輩に意見することで、このきりりとした視線を独占できるのだ。お話もできる。心象にも残せるだろう。役得だ。この退屈な仕事のちょっとした楽しみだ。絡まずにはいられない。
「お客様は神様よ。機嫌を損ねちゃだめ」
「どう考えても向こうがおかしい場合も、先輩は相手に合わせるでしょ? それで相手はまた調子に乗る。いくら何でもそこまでお前ら金払ってんのかよ? って思う時もあるんですよ」
「もう。お前らとか言っちゃダメよ。それにこの仕事を続けたいのなら、そんな考え早く捨てなさい。少しでも軽く扱われると、それだけで一気にそれこそたたり神みたいになっちゃうお客様だっているだからね」
「はいはい」
「『はい』は一回。社会人でしょ?」
「はい」
俺は一際きつい視線を堪能し、セミナーを開始する為の仕事に戻ることにした。
俺は音響機器の前に立った。軽く咳払いしマイクのスイッチを入れた。
「皆様。大変長らくお待たせしました」
勿論一旦仕事となれば気持ちを切り替える。先輩の指示と期待に応え、『お客様は神様です』と思いながらセミナーの開始を告げた。
具体的な内容を説明するのは責任者である先輩の仕事だ。
会場を埋め尽くす神様にまで持ち上げられているお客様達。その視線を一身に浴びて壇上に現れる先輩。
俺にはこっちの方が余程神様――いや、女神様に見えるけどね。
おっと、いけない。仕事中。集中集中。何より先輩は声もいいんだよね。特に仕事の時の声が。
俺はそんな先輩の一言一句を聞き逃すまいと仕事に集中した。
先輩は口をおもむろに開いた。
「本日は弊社主催のセミナーにご来場いただき、誠にありがとうございます。先ず皆様にお伝えしたいことは、『お客様は神様です』という言葉です。そして何より最後まで心にとどめていただきたいのも、『お客様は神様です』という意識です。何故なら皆様がこれから始めようとしている市場は、その参入の容易さから希望者が絶えません。需要は多くとも互いの顧客を食い合うこの世界で、まさにお客様の取り合いがあるでしょう。その際大事になってくるのが『お客様は神様です』の考え方です。気分よくお金を払っていただくのが何より大事なのです。その為には『お客様は神様です』と自然と思えなくてはなりません。では、早速具体的なお話にまりましょう――」
先輩の話術はいつもお客様の興味をぐっと引き寄せる。今も皆が身を乗り出すように真剣に聞き入っている。
「皆様がこれから挑戦なさいます、教祖という職業は――」
そして俺達は今日もまた、お客様という神様相手に一儲けした。