第8話 懐が深い頼れる猫
ノアとの出会いから三日が経った。スキルツリーの回復効果はなかなかのもので、ノアの傷はすっかり癒えたようだ。
で――俺は今、危機に立たされている。
「本当に行かなきゃダメか?」
「にゃー!」
渋る俺に、ノアが「いい加減覚悟を決めろ」と言うように鋭い鳴き声で応える。あいかわらず血気盛んなご様子。
今日はついに大猪狩りに出かけることになったのだ。これまではノアの傷が癒えてからと言って先延ばしにしてきた。しかし、完全回復してしまったのでその言い訳は通用しない。
いまいち乗り気になれないのは、初日のトラウマのせいだ。たまたま飛竜が大猪を襲ってくれたので助かったが、そうでなければ俺の命は失われていた。
一方で、いつかは挑まなくてはという思いもある。そうでなければ、これからずっとツリーのある拠点周辺で縮こまって生きることになるだろう。そんなのはごめんだ。なら、ノアの協力が得られるこの機会を生かしたほうがいい。
「はぁ、わかったよ。行くよ」
ため息と一緒に肯定の言葉を吐き出すと、ノアは満足そうに頷いて歩き出した。その背中に向けて釘を刺す。
「ただし、わざわざ大猪を探したりはしないぞ。もし見つけたら挑む。それでいいか?」
「にゃ!」
異存はないらしく、ノアが頷く。
というわけで、二度目の探索のスタートだ。今度の相棒はノア。棒切れを相棒にしていた前回に比べると、かなり心強い。
とはいえ、やはり不安だ。もし茂みから突然襲いかかられたら。ノアが対応する間もなく、俺はやられてしまうだろう。
「戦闘用スキルでも手に入っていればなぁ」
スキルの実は食べ続けているがこれといった成果はなし。ノアが強スキルを得た反動か、むしろゴミみたいなスキルばかりだった。なので俺の戦闘力はあのときから変わっていない。ノアも幾つか食べているが目に見える変化はなし。もっとも、ノアの場合はシステム音声が聞こえないようなので、確認はできていないけど。
「にゃー」
鋭い爪を見せながらノアが振り返った。たぶん、「そんなものがなくても、この爪で十分だ」とでも言ってるんだろう。やっぱり好戦的なんだよなぁ。
「そうだな。頼りにしてるぞ」
「にゃ!」
俺の返事に満足したのか、ノアがトコトコ歩き出す。遅れないように後を追った。
目的地があるのか、ノアは迷いなく進んでいく。小さな体のわりにその移動速度は速い。デスクワークばかりで鈍った体には辛い速度だけど、それでも意外についていけている。ひょっとしたら、【肉体強化(微)】のおかげだろうか。“微”でも、それなりに効果があるみたいだな。
風に揺れる枝葉がざわめく音に混じって、ときおり鳥や獣の鳴き声のような音が聞こえる。そのたびにビクリとしていたんだが、足を止めるとノアに置いていかれてしまう。そんなことを繰り返しているうちに、獣の声も気にならなくなった。慣れてしまえばBGMのようなものだ。
「ノア。どこまで行くんだ」
「にゃ」
「ん……なんだ?」
ノアが振り返って、招き猫のポーズをとる。可愛いアピールかと思ったけれど、ノアに限ってそれはないか。何かを招いている……いや、耳を示しているのかな。耳を澄ませろってことだと解釈して、周囲の音を拾うべく集中する。すると、微かに水が流れるような音が聞こえてきた。
「もしかして川でも流れているのか?」
「にゃ!」
正解だったようで、ノアが満足げに頷いている。
なるほど、川を目指していたのか。それは助かるな。
飲み水は魔法で何とかなるが、水量が心許ないのでそれ以外の用途でとなると厳しい。何度も使って体を洗うくらいならできるけど、正直少し面倒なんだよな。川が利用できるなら、その辺りのことが改善できそうだ。
さらに歩くと、水音が大きくなっていく。かなりはっきり聞こえるようになった頃、不意に視界が開けた。どうやら川べりのようだ。
「おお、川だ!」
「にゃ!」
鋭い鳴き声ともに、ノアが猫パンチを繰り出してくる。静かにしろと言っているみたいだ。
「悪かったよ。でも、なんでだ?」
声を潜めて尋ねると、ノアが無言のまま前足で川の方向を示す。見れば、そこには小動物が集まっていた。どうやら、彼らにとってもここは貴重な水場らしい。
ははぁ、なるほど。ようやく理解した。ここは貴重な水場であるとともに、狩場でもあるわけだ。つまり、あの小動物がノアの獲物なんだな。
大猪の話をしたあとにやる気になったので、てっきり標的は大猪なんだとばかり思っていた。けど、そうではなかったようだ。そうなると話は変わってくるぞ。うまくやれば肉にありつけるわけで……俄然やる気が出てきた!
いやなぁ、やっぱり同じものばかり食べているとたまには別のものが食べたくなるんだよ。スキルの実も悪くないが、そろそろ肉が食べたい。調理とか味付けとか問題は色々ありそうだが、まずは肉の確保からだ。
しかし、焦りは禁物。俺に狩りの段取りはわからない。確実を期すため、ここはノアに任せるべきだろう。森で生きてきたなら、多少の心得はあるはずだからな。
そのノアは姿勢を低くして、飛びかかるタイミングを計っているようだ。その隣で俺も息を潜める。そのまま数秒が経つ。今か今かと飛び出すタイミングを待っていたが、そのときは一向にやってこない。
「おい、いつまで待つんだよ」
たまらず声をかけると、冷ややかな視線を向けられた。やれやれ仕方がない奴だと視線が雄弁に語っている。
そのノアが素早い動きで川べりへと視線を戻した。さっきまでとは雰囲気が違う。ピリッとして緊張感が伝わってきて、状況がわからないなりに俺も口をつぐむ。
異変が起きたのはその直後だった。黒い影が茂みから飛び出してきたのだ。黒い影は水を飲む獲物たちに襲いかかる。小動物たちの悲鳴が響く。
「にゃ!」
それを見たノアが弾丸のように飛び出した。まるで待ち構えていたかのような動き……いや、事実その通りなのだろう。初めから、ノアは大物狙いだったわけだ。
黒い影の正体はトカゲだった。ただし、その大きさは普通じゃない。ノアの数倍、ワニくらいはある巨大トカゲだ。
「にゃ!」
「ギィ!?」
体格差をものともせずノアが巨大トカゲに爪を繰り出す。不意を突かれた巨大トカゲは咥えていた獲物を取り逃がしてしまうが、ノアの攻撃を避けた。少し距離をとった両者は、そのまま睨み合いになる。
ノアには例の衝撃波がある。あれなら巨大トカゲでも一撃だろう。しかし、どういうわけかノアはなかなか攻撃に移らない。
「にゃ!」
固唾を飲んで見守っていると、苛立ったようにノアが鳴いた。それでようやく自分の役割を思い出す。
そうだった。痛風魔法を使うように言われていたんだった。この状況で使わないとなると、あの衝撃波を使うにはタメが必要なのかもしれない。その隙を俺が補わないといけないのか。
慌てて呪文を詠唱する。痛風魔法はまだ二度しか使っていないので、まだ暗記できていない。気は急くが慎重に読み上げた。
「ギィィィ!?」
魔法は無事発動したようだ。呪文の読み上げが完了した直後、巨大トカゲが甲高い悲鳴を上げた。やはり初回は効果が強烈なのか、痛みに耐えきれずのたうっている。
その隙を逃すノアではない。
「にっ!」
重心を低くしたノアが鋭い鳴き声とともに爪を振るう。ブンと音を立て青白い刃が迸った。威力を絞ったのか、後方の木々を切り裂くには至らない。しかし、トカゲを真っ二つにするには十分な威力だった。
「ノア、やったな! ぶへっ!?」
駆け寄って抱き上げると、ノアから顔面パンチを食らってしまった。何故!?
「にゃ、にゃ!」
どうやら魔法が遅いと叱られているようだ。まぁ、確かにあれは俺のミスだな。衝撃波にタメが必要とは知らなかったが、敵を見たら使うという取り決めはあったわけだから。
「いや、ごめん。すっかり忘れてた」
「にゃ!」
「そうだな。当事者意識が欠けていたかもしれない。反省している」
真摯に謝罪すると、ノアはそれ以上責めることはなかった。
流石はノアさん。懐が深い頼れる猫だぜ。
目的の大猪ではなかったが、十分な成果だ。ノアも満足したらしくて、今日の探索はこれで切り上げることにした。
その日の食事はトカゲ肉となった。馴染みのない食材だったが、ほとんど抵抗なく食べられたのは、やはりスキルの実以外の食材に飢えていたんだろうな。尻尾の肉を炙って食べたんだが、あっさりとして意外にうまかった。残念だったのは、調味料が皆無だったことだな。せめて塩でもあれば、さらに美味しくいただけただろうになぁ。




