第6話 青白い衝撃波
見た目は完全に黒猫だ。しかし、ここは異世界。見た目通りの存在とは限りない。緩みかけた気を再び引き締めて、茂みから現れた生き物を注視する。
「って、お前、怪我してるのか?」
猫のような生き物――いや、猫でいいか。黒猫は手負いだった。黒い毛並みにベッタリとついたのは大量の血だ。しかもまだ流血が続いている。このままでは最悪死んでしまうかもしれない。
「にゃ……」
黒猫が弱々しい鳴き声を上げると、観念したとばかりにその場で丸くなった。相当弱っているようだ。
手を差し伸べかけて――躊躇する。もし、あれが擬態だったなら。そんな想像が頭を過った。ここは大猪や飛竜が生息するような魔境だ。うかうか近寄ってきた獲物をしとめる魔物だっているかもしれない。
「――いや」
頭を振って、不安を振り払う。
弱々しくうずくまる姿も滴る血も本物にしか見えない。もし、ここで手を差し伸べなければ、あの猫は死んでしまうだろう。
それに――やはり孤独はつらい。
あの猫ははじめて友好的に接することができそうな生き物なんだ。話すことはできなくても森で共に生きるパートナーになってくれるかもしれない。その誘惑に抗うことはできなかった。
意を決して猫に近づく。一歩、二歩。手の届く距離まで近づいても、猫は動かない。どうやら擬態した魔物ではないようだと、ほっと息を吐く。
「大人しくしてろよ」
「にゃ……」
抱き上げた猫は微かに鳴くだけで、身じろぎもしない。相当に弱っているらしい。
さて、手を差し伸べると決めたのはいいが、ここからが問題だ。傷の治療をしようにも薬はない。治癒魔法でもあれば良かったんだが、あいにくと未習得だ。なので、できることは多くない。
「頼むぞ、スキルツリー」
俺はスキルツリーの根本に手負いの黒猫を下ろした。たぶんだが、スキルツリーには治癒能力を高める効果がある。というのも、スキルツリーの近くで休むとマナの回復が明らかに早いんだ。
こちらに来てから、俺はただひたすら着火魔法の訓練に励んでいた。とにかく、飛竜や大猪から身を守る手段が欲しい。熟達すれば着火以外の魔法が使えるようにならないかと期待したのだ。結局、いくら訓練しても効果は変わらなかったが、その過程でマナの回復効率の違いに気がついたわけだ。
マナの回復と怪我の治癒とはまた別かもしれないが、何もしないよりはいいだろう。あと、他にできることは――
「そうだ、スキルの実!」
食べればスキルが習得できる不思議な実。黒猫に食べさせれば自己治癒能力を高めるスキルが獲得できるかもしれない。俺が得た【再生能力(微)】とか、それっぽいしな。問題は俺以外が食べてもスキル獲得効果があるかどうかだが、それは試してみなければわからない。
「もらえるスキルがわかればいいんだけどなぁ」
回復能力が得られる実を……と観察してみてもやはり違いはわからない。鑑定みたいなスキルがあればわかるんだろうか。まぁ、できるとしても今なければ意味がないんだが。仕方なく、適当な実をひとつ選んでもいだ。
「ほら、これを食べな」
採った実を目の前に置くと、黒猫はじっと俺を見た。しかし、なかなか口をつけようとはしない。
「食べてくれよ。これはお前を元気にするためのものだ。ほら、食べても問題ない」
別の実をもいで、かじってみせる。
それで多少は警戒がとれたのか、ゆっくりと黒猫もスキルの実を食べはじめた。
「にゃ……」
「ちょっと多いか? だけど、全部食べないと効果がないんだ。頑張ってくれ」
小さな体には、実ひとつでもかなりの量だ。途中で食べるのをやめてしまったが、それでも俺が励ますと黒猫は少しずつでも口に含んでいく。まるで言葉がわかるみたいだな。流石にたまたまだとは思うけど。
「あと少しだぞ。頑張れ!」
「にゃ」
そしてついに、黒猫が最後の一欠片を口に入れた。これで完食だ。俺ならこのくらいのタイミングでシステム音声による通知があるんだが。
「どうだ? 何か聞こえたか?」
「にゃ?」
尋ねると、黒猫は不思議そうな顔で俺を見上げてくる。この反応のなさ。どうやら、システムは聞こえてなさそうだ。流石に、知らない声が聞こえてきたら驚くだろうからな。
これは、どっちだ? 俺以外はスキルが得られないのか。それともシステム通知が聞こえるのが俺……もしくは“プレイヤー”に限定されているのか。確認する手段がないのがもどかしい。
俺は祈るような気持ちで黒猫の回復を待った。これほどの大怪我だ。治癒するにしても時間がかかる。しばらくは面倒を見てやらなくてはと、思っていたのだが――
「にゃ」
なんと小一時間ほどで黒猫はすっくと立ち上がった。挨拶のつもりか、律儀に声をかけてくる。
先ほどの衰弱した姿と比べると雲泥の差だ。鳴き声にも力強さがある。この短時間でとなると、やはりスキルツリーには回復能力があると思って良さそうだ。
正直、何故そんな力があるのかよくわからない。が、そもそも俺が想定していた“スキルツリー”とは全くの別物なので考えるだけ無駄な気がする。過酷なサバイバルにおいて数少ないプラス材料なので、便利に利用させてもらうことにしよう。
「もういいのか? あ、いや、まだ全然じゃないか」
鳴き声の調子で騙されたが、黒猫はまだ傷だらけだ。血こそ止まったが、傷跡はまだ痛々しい。流石に一時間で完全回復とはいかないようだ。
「いいからまだ寝ておけって」
「にゃ!」
「いてっ! あ、おい叩くなよ」
「にゃー」
抱き上げようとすると、伸ばした手を叩かれてしまった。元気になった途端にこれだ。つれない態度だけど、それもまた猫らしいと言えば猫らしいかもしれない。飼ったことは一度もないけど、猫は気まぐれだとよく聞くしな。
ただ自分が本調子ではないという自覚はあるのか、俺の言葉通り、さっきまで寝ていた木の根本に戻っていく。渋々といった態度が滲んでいて少し笑ってしまった。
「ああ、そうだ。お前、名前は……たぶん、ないよな。俺が名前をつけてもいいか?」
「にゃー?」
黒猫では他人行儀だ。名前で呼ぶことで親密度アップを図りたい。肝心の黒猫はよくわかっていないようだけど、まぁとりあえず名付けてみればいいか。
うーん、そうだな。黒猫のクロでもいいけど、もう少し捻るか。フランス語の黒からとってノワ……だとちょっと呼びにくいからノアにしよう。
「ノア。今度から、お前をノアと呼ぶことにするよ。あ、ちなみに俺はケントだ。よろしくな」
「にゃー」
興味なさげだな。まぁ、賢い猫のようだし、きっと理解はしてるだろう。
「じゃあ、ゆっくり休めよ」
さて、名前も決まったことだし、俺は俺のやるべきことをやるか。ノアはまだ本調子じゃないから、しっかり休ませないと。それに猫は構いすぎると嫌われるというからな。少しずつ距離をつめなくては。
ここのところは、ひたすら着火魔法の訓練をしていた。しかし、成長の見込みがなさそうなので断念しよう。今日は別にやりたいことがあるのだ。
何かと言えば、木工である。【石鹸魔法】を覚えたので、洗濯ができるようになったが、飲み水魔法でちょろちょろ洗い流すのは現実的じゃない。やはり、水を貯めるための桶が欲しいんだ。欲しいなら作るしかない。
材料はある。転移初日に整地魔法で倒した木だ。木材として使用するなら長期間乾燥させたほうがいいんだろうけど、そんなに待っていられないのでそのまま使う。品質なんて二の次だ。ここにはクレームとつけるお客様はいないので問題はない。
「うーん。しかし、どうすべきか」
倒木に手をおいて考える。当たり前だが、木はそこそこ固い。特に表面の樹皮はかちかちだ。斧でかち割って輪切りにしてから、中を削り出すのがいいだろうか。まぁ、肝心の斧がないんだが。
「石斧くらいなら、作れるか……?」
正直言って、まったく自信はないが、作るしかない。さて、何から始めればいいのかと考えていると、ノアがとことこ歩いてきた。
「にゃー」
「あ、悪い。うるさかったか」
昼寝を邪魔したかと思って反射的に謝ったが、ノアはちらりとこちらを一瞥するばかり。そのまま俺を通り過ぎて、倒木の前に座り込んだ。
「にゃ?」
「え、ああ。その木を切りたいんだよ。だからまずは道具を――」
これを切りたいのかと聞かれた気がしたので、頷いて肯定する。続けて説明しようとしたが、それには興味がなかったようだ。
「にゃ!」
説明の途中でノアが右前足で木をひっかくような仕草をみせた。
その瞬間――――ブンと恐ろしい音とともにノアの前足から何か出た。まるでゲームの必殺技のような青白い衝撃波だった。
ノ、ノアさん?
あなた、何したんですか!?




