おやすみのそのあとで
※本作品は生成AIを使用して作成しています。苦手な方はご注意ください
玄関の鍵を開けると、家の中は妙に静まり返っていた。
「ただいま。……なんだ、二人とも寝てるのか?」
健一がリビングを覗くと、薄暗い部屋の隅で、五歳の息子・陽太が床に這いつくばって静かにミニカーを走らせていた。陽太は父親の姿を見つけると、慌てて口元に小さな指を立てた。
「しーっ。パパ、静かにして」
健一は苦笑して上着を脱ごうとした。だが、その足が止まる。
妻の夏美が大切にしていたワンピースが、床一面に広げられていた。さらにキッチンの食器棚は半開きになり、その足元には粉々に割れた皿が散乱している。そこから薬品のような、鼻を突くツンとした匂いが漂っていた。
(……なんだ、これ。泥棒か?)
几帳面な夏美がこんな状態で部屋を放置するはずがない。胸騒ぎ覚え駆け込んだ寝室で、毛布を首元までかぶって横になっている夏美の姿を見つけ健一は深く息を吐いた。
「夏美、具合でも悪いのか?」
だが、声かけとともに揺すった肩は石のように重く、引き上げた毛布から覗く指先は不自然なほど冷たかった。
そして何より。こちらをみた夏美の顔には苦悶の表情が浮かんでいた。
「うわあああっ!」
健一は尻餅をつき、パニックの中で通報した。
駆けつけた刑事たちの視線は、鋭く健一を射抜いていた。
「奥さんの死因は、強アルカリ性の洗剤による毒殺だ。かなりの量を飲み物に混ぜられたんだろう」
刑事の声が冷たく響く。
「健一、あんた会社を五時に出てから通報まで三時間の空白がある。この荒らされた室内……あんたが自分で家を荒らし、物取りに見せかける工作をしていたんじゃないのか」
健一は言葉に詰まった。すぐそばでパパを見上げている陽太の視線を感じ、健一の顔が歪む。
その様子を見た若い警察官が、健一に寄り添うように声を潜めた。
「……健一さん。お子さんには、聞かせたくない話ですか?」
健一は何度も頷き、震える手で財布から一枚の「トイザらスの予約票」を取り出した。
「あの子の誕生日のおもちゃを予約しに行っていたんです。サプライズにしたかったから
…俺がプレゼントにこだわらず帰宅していたら、こんなことにはならなかったんでしょうか」
店舗のカメラ映像が確認され、健一の容疑は速やかに外された。
「家族の犯行の線は薄いな。外部犯による強盗致死として進める」
刑事の指示は簡潔だった。夏美の遺体は搬送され、室内では鑑識が作業を続けていた。
そこへ、隣に住む三宅が銭湯から戻ってきた。少し腰を曲げて歩く、老齢の男だ。
「三宅さん……っ」
健一は三宅の姿を見るなり、深々と頭を下げた。
「いつも、あの子の面倒まで見ていただいて、本当にありがとうございます。なのに、僕は……」
健一はその場に泣き崩れた。警察官が三宅に状況を伝えると、三宅は言葉を失い、深く刻まれた顔の皺をさらに歪ませて立ち尽くしていた。
そこへ陽太がひょっこりと顔を出した。
「あ、おじいちゃんだ! おじいちゃん、見て見て、この前買ってもらった新しい車!」
陽太は三宅に駆け寄り、その節くれ立った大きな手を嬉しそうに握りしめた。
「ねえ、一緒に遊ぼう。おうちに入って」
陽太は三宅の腕をギュッと引き、自宅へ招き入れようとする。三宅は吸い込まれるように、警察官と共に踏み荒らされた室内へと足を踏み入れた。
三宅の視線が、部屋の光景を捉えた。床一面のワンピース。全開にされた窓。半開きになった食器棚。
三宅はみるみるうちに血の気を失い、ガタガタと震えながらその場に膝をついた。
「……三宅、何か知っているのか。この部屋を見て、どうしてそんな顔をする」
刑事が問いかけた。三宅は虚空を見つめたまま、壊れた玩具のように掠れた声で呟き始めた。
「……私の、私のせいだ……。私が、私が悪かったんだ……」
三宅はうわ言のようにその言葉を繰り返した。警察官らは顔を見合わせ、その自責を自白とみなした。三宅は促されるまま警察官と共にパトカーへと向かっていった。
数日後。ようやく自宅に戻った健一は、陽太のためにカレーを温めた。
カレー皿を取ろうと食器棚の奥へ手を伸ばした。重なった皿のさらに奥、ふと、指先に冷たく硬い感触が触れた。
手に取ると、それは中身が半分ほど減った、二本目の業務用洗剤だった。
「あ、パパ。それ見つけたの? お母さんの『おくすり』」
背後から響いた陽太の弾んだ声に、健一は指先から全身が凍りついていくのを感じた。
「……『おくすり』?」
「うん。お母さんがね、きれいになるっていってたから。きれいになったらうれしいかなって思って」
健一の頭の中で、バラバラだったあの日の情景が、別の意味を持って繋がり始めた。
床一面に散乱する、夏美のお気に入りの洋服たち。あれは母親のために陽太が用意した「明日の準備」だったのではないか。
犯人の逃走経路と思われた、全開にされていた窓。掃除のためにの空気の入れ替えを真似したものではなかった。
粉々に割れた皿は、小さな手で一生懸命に片付けようとした失敗の跡だったのではないか。
そして、今自分の指が触れている、この重いボトル。
お母さんをきれいにしてあげようとした、あまりに純粋なこどもごころ。
脳裏に、あの日三宅が陽太の頭を撫でていた姿がフラッシュバックする。
『ちゃんと、ママのお手伝いをするんだよ』
健一も傍らで聞いていた、微笑ましく何気ないやり取り。
あの日、三宅が繰り返していた「私のせいだ」という言葉の、本当の意味。
三宅はあの日、あの部屋に踏み込んだ瞬間に悟ったのではないか。自分の何気ない励ましが、この幼い子に何を選択させ、何を引き起こしたのかを。
今すぐ警察へ行くべきだ。だが、なんと説明すればいい。
この幼い子に、何をどう伝えたらいい。お母さんのために尽くしたその手のひらが、何をしてしまったのかを。その優しさが、結果として何を引き寄せてしまったのかを。
もしすべてを明らかにすれば、陽太のこの先の長い人生は、どうなってしまうのか。
だがこのまま何も気づかなかったふりをして、生きていける気なんてしない
温められたカレーの湯気が揺れる。健一の指先は、止まらない震えに支配されていた。
「ねえ、パパ。お母さん、まだ起きてこないねぇ。いつまでおやすみしてるのかなぁ」
陽太の無邪気な声が、静まり返った家のなかで明るく響く。
「……パパ?」
健一は、返事ができなかった。
震える手でボトルを食器棚の最奥へと押し戻し、ただ逃げるように、息子から目を逸らした。




