第8話 紅蓮の檻
アークライン中央区。
かつては行政と魔法師評議会が並ぶ高層街だった場所が、今は静寂に包まれていた。
だが、その静けさは、まるで“息を潜めた獣”のように不気味だった。
街を覆う結界は赤く染まり、空気の中には微かな焦げの匂いが混じっている。
昴は瓦礫の陰から、その異様な光景を見上げていた。
「……中央区全域が“紅蓮結界”に覆われてる。火の魔法陣がこの範囲を支配してるな」
隣で、美玲が結界を探知する水晶をかざした。
「中心に、人の反応がある……多い。非魔法師の避難民をまとめて閉じ込めてるみたい」
「人質か」
颯真が短く息を吐く。
「悠介のやり方らしい。恐怖を“形”にして支配する」
亜里沙が腕を組む。
「どうするの? 正面から突っ込んだら、結界が反応して全員焼かれるわ」
昴は目を閉じて考え込んだ。
「結界の魔力構成……炎の柱を中心に、六芒陣で展開してる。
つまり、六つの“核”を壊せば、結界は崩せる」
「その六つがどこにあるか、分かる?」
「三つはわかる。残りは……中に入るしかない」
美玲が一歩前に出る。
「私が結界の魔力流を“水”で感知する。あなたたちは核を破壊して」
「危険だ、美玲。中に入ったら炎に包まれる」
「だからこそ、私が行くの。……水は、炎の中でも道を探せるから」
昴はしばらく沈黙したあと、頷いた。
「……わかった。だが、一人にはしない。俺も行く」
「ほんと、止めても聞かないんだから」
美玲の口元が、少しだけ緩む。
颯真が風を纏いながら立ち上がった。
「じゃあ俺たちは上空から支援する。風で炎の流れを読んで、ルートを作る」
「私は外周の結界を固定するわ。炎が暴走したら、地で押さえ込む」
亜里沙が拳を握りしめる。
昴は三人を見渡して、静かに言った。
「……ありがとう。行くぞ」
* * *
赤い結界の内側は、まるで別世界だった。
空気が熱に歪み、地面から立ち上る炎が通路を覆っている。
非魔法師たちは古い地下避難施設に閉じ込められ、外から鍵をかけられていた。
昴は雷の刃で扉の封印を切り裂く。
「こっちだ! 急げ!」
人々が走り出す。
その中で、怯えた少年が昴を見上げた。
「……魔法師、なの?」
昴は小さく頷いた。
「そうだ。けど、お前たちの敵じゃない」
少年の目が揺れた。
やがて、小さく「ありがとう」と呟いて駆けていった。
その瞬間――
地面が震えた。
炎の柱が立ち上がり、結界が脈動する。
「昴くん、まずい! 結界の魔力が暴走してる!」
美玲の声が響く。
彼女の足元の水が沸騰し始めていた。
「誰かが意図的に、核を“強化”してる……!」
「悠介か……!」
昴が顔を上げると、炎の向こうに影が立っていた。
「ようやく来たな、昴」
炎を纏った男――大神悠介。
その姿は、まるで紅蓮の鬼神だった。
「人質を取るなんて、お前らしくないやり方だ!」
「勘違いするな。俺は救っているんだよ」
悠介の声は静かだった。
「この街の“恐怖”を一度、形にして焼き尽くす。
恐怖の根が消えなければ、どんな共存も幻想だ」
「焼き尽くす? それで何が残る!」
「灰だ。だが、灰の上なら、新しい秩序を築ける」
昴は雷を纏い、叫んだ。
「そんな未来、誰も望んでない!」
「俺は、妹の笑顔を見た。……あれが、最後の“理想”だった」
悠介の炎が激しく燃え上がる。
「お前には分からない、昴。希望を信じた末に、それが裏切られた痛みを」
「分かるさ。俺だって、お前を信じてた!」
轟音。
雷と炎がぶつかり合い、結界が軋む。
美玲が両手を広げ、水流を壁のように展開する。
「昴くん、時間がない! 核を壊さなきゃ!」
「分かってる!」
昴は雷を集中させ、地面に拳を叩きつけた。
雷光が走り、炎の柱のひとつを貫く。
結界が一部崩れ、空気が冷える。
その隙を突いて、颯真の風が上空から降り注いだ。
「行け! もうひとつ落とす!」
彼の風が炎を裂き、亜里沙の大地がその下から隆起する。
「三つ目、破壊完了!」
「残り三つ……!」
だがその時、悠介の炎が異様な速度で膨張した。
「甘いな、昴。お前は人を救おうとしすぎる」
「それの何が悪い!」
「だから、弱いんだ!」
悠介が右手を掲げた瞬間、炎の翼が広がった。
空が真紅に染まり、風が焼ける。
「紅蓮の檻――発動」
結界が反転した。
炎の柱が一斉に昴たちを囲み、逃げ道を塞ぐ。
美玲が悲鳴を上げる。
「昴くん、出られない!」
「落ち着け……雷で突破口を――」
だが、悠介の炎が雷を呑み込む。
炎の魔力に“吸収”の術式が混じっていた。
「お前の雷は、俺の炎の糧になる」
悠介の目が赤く光る。
「これが、力の差だ」
昴は歯を食いしばりながら、地面に膝をついた。
炎の熱で皮膚が焼け、視界が滲む。
それでも、彼の瞳は折れなかった。
「……まだだ」
「何?」
昴が顔を上げ、右手を高く掲げた。
「雷は、炎より速い」
次の瞬間、空を裂くような閃光が走った。
地上ではなく、上空――
颯真の風が、昴の雷を“導線”として結界の外へと導いていた。
「行け、昴!」
亜里沙の声が響く。
雷が炎を突き破り、結界の一点を貫通した。
轟音と共に、紅蓮の檻が一部崩壊する。
悠介が舌打ちをする。
「……やるな」
炎が一瞬、鎮まる。
昴は倒れかけた身体を支え、美玲の手を取った。
「退くぞ!」
「でも――」
「今はまだ、勝てない!」
二人は瓦礫の隙間から外へ飛び出し、結界の外に転がり出た。
背後で、炎が再び燃え上がる。
悠介の姿は、その中心に立ったまま微動だにしない。
――紅蓮の檻は破れたが、戦いはまだ終わらない。
昴は焦げた空を見上げた。
「……必ず、もう一度お前と向き合う。逃げない」
風が吹き抜け、美玲の髪を揺らした。
その風の中に、微かに雷の音が残っていた。




