第6話 紅蓮団、再始動
炎は、音を立てずに燃えていた。
炉の中で溶ける鉄の匂いが、夜の空気に重く漂う。
アークライン郊外――旧軍施設〈第零格納庫〉。
かつて戦時中に魔導兵器の実験場として使われたその場所が、今は《紅蓮団》の拠点となっている。
大神悠介は、窓もない部屋で立ち尽くしていた。
壁一面に魔法式の陣が描かれており、淡い赤光が脈動している。
その中心で、妹の写真が小さな額縁に収められていた。
――大神沙耶。
笑っている。
その笑顔を、悠介は何度見ても直視できなかった。
「……あと一歩、だな」
呟いた声が空気に吸い込まれる。
扉の向こうから、重い足音が近づいた。
副官の男、刹那が無表情のまま報告を始める。
「悠介様。アークライン中央評議会が、紅蓮団を正式に“過激派指定”としました」
「ようやく、か」
「こちらの損害は?」
「二十七名が負傷。うち五名は重傷。……ですが、“抑止”は成功しました。非魔法師たちの一部が南区を放棄し、避難を開始しています」
悠介は目を閉じた。
「恐怖は、秩序の最初の段階だ。いい。計画を進めろ」
「はっ。……ただ、一部の構成員から不満が出ています。殺さずに脅すだけでは、根本は変わらないと」
「愚か者どもだ」
悠介の声が低く響く。
「殺せば“敵”が生まれる。恐怖は消え、憎悪だけが残る。それでは意味がない」
「では、我々は――」
「恐れを形にする。それが紅蓮団の役目だ」
悠介は、窓のない空間を見渡した。
炎の揺らぎの向こうに、妹の影が見える気がした。
――『お兄ちゃん、人は怖いけど、全部が悪いわけじゃないよ』
あの日の声が、微かに耳に蘇る。
非魔法師による暴動。
魔法師学校の寮に投げ込まれた爆薬。
炎に包まれた部屋で、沙耶は笑っていた。
“ごめんね”と、微笑んで。
悠介はその時、決めた。
――世界は赦さない。
赦せば、また同じ痛みが繰り返される。
ならば、自分が炎になってすべてを焼き尽くせばいい。
「……悠介様」
刹那が慎重に口を開く。
「次の標的は、中央評議会でよろしいですか?」
「いや」
悠介は小さく首を振った。
「まずは、“彼”だ」
「桐谷昴、ですか」
「ああ。彼を放っておけば、炎は鈍る。……あいつの“理想”は、火を弱める毒になる」
悠介の瞳が紅く光る。
「だが、殺すわけではない。彼には“絶望”を見せる」
「……了解しました。捕縛部隊を準備します」
「いい。やるなら徹底的にやれ。中途半端は命取りだ」
刹那が去ると、再び静寂が落ちた。
悠介は机に置かれた古びた魔導書を開いた。
表紙には「統合術式:紅蓮の柱」と記されている。
――高位の炎魔法と精神干渉を組み合わせた、禁術。
生きた心を燃料にし、都市一帯を焼き払う力。
「……まだ、完成には遠いか」
ページをめくるたび、魔法陣の図形が揺らぎ、赤光が漏れる。
悠介はその光を指先でなぞった。
「沙耶。お前が信じた“共存”は、俺が焼き尽くすことでしか完成しない」
微笑のような苦笑のような表情が浮かんだ。
「矛盾してるよな。でも、それでいい。……この世界は、最初から矛盾の上にある」
悠介は立ち上がり、外に出た。
格納庫の外は風が強く、灰が舞っている。
遠くの空に、青白い光――昴の雷――が一瞬、瞬いた。
悠介はそれを見つめ、唇を結んだ。
「昴。お前はまだ光を信じてるのか」
風が、炎の匂いを運ぶ。
「なら、俺がその光を呑み込んでやる。お前の“理想”ごと、焼き尽くす」
そして彼は、夜空に向かって指を鳴らした。
炎が渦を巻き、空を赤く染める。
その炎の中に、妹の笑顔が一瞬浮かび、消えた。
悠介は小さく呟いた。
「……ごめんな、沙耶」
次の瞬間、炎の波が地平線を越えた。
――紅蓮団、再始動。




