水の記憶(Aqua Memoriam)
春の雨が、静かに街を濡らしていた。
リュース学院の中庭。
桜の花が、雨粒を纏いながら淡く揺れている。
その木の下で、私は傘を閉じて立っていた。
冷たいはずの雨なのに、不思議と心は穏やかだった。
――“水”は、すべてを包み込む。
そう教えてくれたのは、あの人たちだった。
炎に生き、雷に託し、
そして最後に私の中へ“流れ”を残していった。
悠介さん、そして沙耶ちゃん。
二人がいなくなってから、もう三年が経つ。
けれど、時折感じるのだ。
風に混じる微かな熱、そして空の奥から響く雷鳴。
――あの二人は、まだこの世界のどこかにいる。
「……ねぇ、昴」
隣で傘をさしている彼に、私は声をかけた。
昴は書類の束を抱えながら、少し笑う。
「また雨の中で考えごとか?」
「うん。こういう日って、あの人たちのことを思い出すの」
「……あいつら、たぶんこの雨に混ざって笑ってるよ」
その言葉に、思わず笑ってしまった。
ほんの一瞬、雷の音が遠くで鳴る。
まるで、悠介さんの返事みたいに。
* * *
学院の廊下を歩きながら、私は窓の外を見た。
生徒たちの声が響く。
魔法師も非魔法師も関係なく、同じ教室で笑っている。
――“違い”を恐れない場所。
それは、かつて私たちが夢見た光景。
戦いの果てにようやく辿り着いた、優しい未来。
「昴、見て」
窓の向こうで、ひとりの少年が失敗して爆発を起こした。
雷と水が混ざったような青い火花が弾け、笑い声が響く。
「……あれ、あんたみたいね」
「どっちだよ、雷か水か」
「どっちも」
二人で笑った。
その瞬間、窓ガラスに小さな水滴が滑り落ちる。
それがまるで涙のようで――でも、不思議と温かかった。
* * *
夜。
帰り道、学院の灯りが遠くに瞬いていた。
私は傘を閉じて、空を見上げる。
雲の切れ間に、一筋の光。
雷鳴が鳴った。
優しく、包み込むように。
その音に合わせるように、胸の奥で小さく水が揺れた。
まるで、誰かの笑い声が重なっているようだった。
「……おやすみなさい、悠介さん。沙耶ちゃん」
私は静かに目を閉じた。
雨が頬を伝い、唇に触れる。
それは、涙ではなく――懐かしい人たちの“記憶”の味。
* * *
翌朝。
雨上がりの校庭に、虹がかかった。
昴が隣で微笑む。
「なぁ、美玲。今日の授業、何から始める?」
「“流れ”の講義。
――水も雷も、止まらないってことを教えるの」
昴は頷き、空を見上げた。
その目にはもう、迷いはなかった。
虹の向こう、かすかに聞こえる雷鳴。
それは、永遠に響く“約束の残響”。
私たちは、それを胸に歩き出す。




