第4話 火と雷の影
――雨は、あの日を境に降らなくなった。
アークラインの空は乾いていた。
非魔法師地区〈グレイ区〉の北端に、黒煙が立ち上る。
空気の中に、焦げた鉄と油の臭いが混じっている。
市の警報が鳴り響き、人々が避難を始めたのは午前十一時。
だが、炎はそれより早く広がっていた。
「紅蓮団……本当に動いたのね」
通信機越しに、美玲の声が震える。
昴は胸元のマイクに指を当てた。
「非魔法師を排除するためだって? こんなやり方、誰も救えない」
彼の周囲には、雷の粒が細かく散っていた。
感情を抑えきれないまま、電気が空気に漏れている。
「昴くん、落ち着いて。私たちの目的は止めること。復讐じゃない」
「わかってる。でも……悠介が本気なら、もう――」
言葉を飲み込むように、昴は拳を握った。
かつて共に夢を語った友の顔が脳裏をよぎる。
炎の中で見た、紅蓮の瞳。
信じていた“共存”を裏切るような、あの瞳の色を。
* * *
炎の中心地――グレイ区第七保管所。
そこに、大神悠介の姿があった。
真紅のコートを翻し、炎の魔法を纏って立つ彼の眼差しは静かで冷たい。
周囲に倒れた非魔法師たちは、息をしている者もいたが、ほとんどが気絶している。
殺してはいない。
だが、その表情に迷いはなかった。
「これが抑止だ。恐怖を刻むことでしか、秩序は保てない」
傍らに立つ副官が頷く。
「報告です。非魔法師組織〈灰色同盟〉、完全に壊滅しました」
悠介は短く目を閉じる。
「……そうか。次は中央区だ」
その瞬間、空気が震えた。
――雷の気配。
「悠介!」
屋根の上から響いた声に、悠介が振り向く。
雷光を纏い、昴がそこに立っていた。
その背には、美玲が水の盾を展開している。
雨は降っていないのに、彼女の周囲には静かな波紋のような気流が漂っていた。
「……来たか。桐谷昴」
悠介の声は淡々としていた。
昴は拳を握りしめたまま、一歩前に出る。
「やめろ、悠介! 非魔法師は敵じゃない!」
「敵じゃない?」
悠介の笑みは、炎より冷たかった。
「妹を殺したのは誰だ? 評議会か? それとも、ただの“暴徒”か? ――結局、どちらも同じだ。力のない者は、恐怖を武器に群れる」
「違う! 沙耶はそんな世界を望んでなかった!」
その名が出た瞬間、悠介の目が細められた。
「お前に……彼女の何がわかる」
次の瞬間、炎が爆ぜた。
地面が波打ち、空気が焦げる。
美玲が水の壁を広げて受け止める。
蒸気が立ちこめ、視界が白く染まった。
「……昴くん、抑えて!」
「分かってる!」
雷が走り、炎を裂く。
空に放たれた雷光が、悠介の炎とぶつかる。
轟音。
風が爆発的に広がり、周囲の瓦礫が吹き飛ぶ。
――炎と雷が拮抗する。
悠介は歯を食いしばり、炎を増幅させた。
「俺はこの街を焼き尽くす。新しい秩序を作るためにな!」
「それが、妹の望んだ未来だと思うのか!」
「望んでいたさ。だが、“叶う”とは言ってない!」
悠介の声が裂ける。
「お前はまだ夢を見てる。だが現実は、理想を食い尽くすだけだ!」
昴の胸に、痛みが走った。
彼の言葉が真っ直ぐに刺さる。
それでも――昴は退かなかった。
「夢を見て何が悪い! 俺は、それを信じたから生きてるんだ!」
雷光が強く瞬く。
悠介が炎を放つ。
光と炎が交錯し、爆風が二人を弾き飛ばす。
瓦礫が砕け、地面が割れた。
美玲が駆け寄り、昴の肩を支えた。
「無茶よ!」
「止めなきゃ、もう誰も救えない……!」
昴の目は、まだ燃えていた。
彼の瞳に映るのは、かつて語り合った友の姿。
炎に呑まれたその心を、まだ信じたかった。
蒸気が晴れ、再び二人の視線が交わる。
悠介が静かに言った。
「次に会う時は、遠慮はしない」
その言葉とともに、炎が渦を巻いた。
眩い閃光が走り、悠介の姿が掻き消える。
残されたのは、焦げた地面と、立ち尽くす昴と美玲。
風が吹き抜け、灰が舞った。
沈黙の中で、美玲が呟く。
「……彼は、もう戻れないの?」
昴は空を見上げた。
雲の向こうで、雷が小さく鳴っていた。
「まだだ。俺が、取り戻す」
その声は、静かだが確かな決意を帯びていた。
「雷は、闇を照らすためにある。――彼の炎を、奪い返す」
遠く、アークラインの中心部で再び爆音が鳴った。
戦いは、もう止まらない。
だが昴の心には、あの日交わした“雨上がりの約束”がまだ灯っていた。




