第37話 紅蓮の信徒
旧議事堂の地下二層目。
湿った空気に混じって、血と鉄の匂いが漂っていた。
壁面を伝う赤い紋様は炎の脈動と同調し、ゆっくりと明滅している。
まるで建物自体が生きているようだった。
昴と美玲は慎重に進みながらも、互いに無言だった。
雷の光が足元を照らし、水の流れが音を吸い取る。
静寂の中、遠くで何かが崩れる音が響く。
「……この先が、悠介のいる最下層への通路だ」
昴が低く呟いたその時、
前方の空間に淡い赤光が揺れた。
「――ようやく来たのね、昴くん」
声は優しかった。
だが、その優しさの裏には氷のような冷たさがあった。
現れたのは、一人の女性。
かつて共に戦った仲間――藤堂理香。
長い髪を結い、紅蓮の紋章を刻んだ杖を携えている。
その姿は、どこか神々しくも、悲しい光を纏っていた。
「理香……どうして、紅蓮会なんかに……」
美玲が一歩進み出る。
理香は首を振り、微笑んだ。
「“なんか”じゃないの、美玲。私たちは選ばれたのよ。
この世界を“正しい姿”に戻すために」
昴は拳を握る。
「正しい? 非魔法師を焼き尽くすことが?」
「そう。だって、彼らはもう限界を越えている。
争いを止められず、魔法を恐れ、差別し、嘲り――」
理香の声が震えた。
「……私の弟を、殺した」
その言葉に、美玲が息を呑む。
「……弟さんを……?」
理香は俯き、杖を強く握りしめた。
「二年前。弟は非魔法師との共学地区で暮らしてた。
“共存”を信じて、非魔法師の子たちと仲良くしてたの。
でも、ある日――魔法師であることがバレた瞬間、袋叩きにされた」
静かな声だった。
けれど、その静けさが昴の胸を締め付ける。
「……そんなことが……」
「私は、信じたの。昴くんが、共存の道を見つけてくれるって。
でも、現実は変わらなかった。弟は死に、私は祈った。
“炎よ、すべてを焼き尽くして。穢れた世界をやり直して”――」
理香の瞳に、紅の光が宿る。
「その祈りに応えたのが、悠介だったのよ」
昴は息を呑む。
「悠介が……?」
「ええ。あの子は言ったの。『君の痛みを救うのは、この炎だけだ』って」
沈黙。
重く、苦い空気が満ちていく。
「……理香。俺は、悠介を止める」
「止められると思ってるの? あの人はもう人じゃない。
紅蓮の主として、“神”になろうとしてる」
「神だろうが何だろうが、あいつは俺の――友だ!」
昴の雷が弾ける。
理香の炎が応じるように揺らめいた。
「……なら、証明してみせて」
理香の声が低く響く。
「この世界にまだ希望があるって、私に信じさせて」
杖が振り上げられる。
瞬間、赤い炎が廊下を覆い尽くした。
炎の竜が形を取り、咆哮を上げて襲いかかる。
「《紅焔竜》!」
「《雷閃・裂光陣》!」
雷と炎が衝突し、轟音が響く。
熱風が走り、壁が砕け、空気が焼ける。
その中を、美玲の水の結界が走った。
「《水霊陣・蒼盾》!」
波のような膜が二人の間を隔て、爆発の熱を和らげる。
炎が消え、雷が沈む。
煙の中で、理香が膝をついた。
「……やっぱり、強いね。昴くん」
「お前だって、本気じゃなかったろ」
理香は苦笑した。
「本気で殺す気なら、最初にあの雷を打たせなかった。……優しいね、変わらず」
彼女はゆっくりと立ち上がり、炎の杖を掲げる。
その紅い光が天井へ伸び、扉の奥へと続く。
「行きなさい。……悠介のところへ」
「理香……」
「私はもう、彼にすがるしか生きられない。
でも、あなたたちが“理想”を取り戻せるなら――それも、いい」
炎が理香の体を包み、ゆっくりと形を失っていく。
消えゆく光の中、彼女の声だけが響いた。
「ねえ、昴くん。……もし、あの時に戻れたら、
私も“共存”を信じたままで、いられたかな……?」
昴は答えられなかった。
ただ、拳を握りしめたまま、彼女の消えていく姿を見つめていた。
やがて光が消え、静寂が戻る。
美玲が小さく呟く。
「……彼女も、救われたかったんだね」
昴は頷いた。
「だからこそ、俺たちは進む。――悠介を、止めるために」
扉の奥から、低く響く炎の鼓動が聞こえた。
それはまるで、世界の心臓の音のようだった。
「行こう、美玲」
「うん。これ以上、誰も失わないために」
二人は赤光の通路を進んだ。
その先に待つのは、炎の神となった男――大神悠介。




