第17話 蒼の虚空
――光が、止んでいた。
音も、風も、熱もなかった。
ただ、蒼い。
全てが淡い光に溶けた、どこまでも広がる蒼の空間。
桐谷昴は、仰向けに倒れていた。
焦げた衣服。焼けた手のひら。だが痛みはない。
まるで世界ごと麻痺したような感覚だった。
「……ここは……」
声が響いた。
まるで水の底で喋るように、音が遅れて耳に届く。
起き上がり、あたりを見渡す。
塔の残骸も、仲間の姿もない。
あるのは、蒼の光が揺らめく無の世界。
「――夢か?」
そう呟いた時、背後で足音がした。
静かな、しかし確かな気配。
「夢じゃない。ここは“エーテル領域”だ」
振り返る。
そこに立っていたのは――大神悠介。
炎の気配はない。
彼の外套は焼け落ち、瞳はかつての赤ではなく、深い灰色に沈んでいた。
「……悠介」
二人の視線が交わる。
だが、今は剣も魔法も構えなかった。
どちらも、ただこの異界の静けさに縫い付けられたように、立ち尽くす。
「ここは何だ?」昴が問う。
「エーテル・コアの暴走で、空間そのものが裂けた。
魔力の位相が歪み、俺たちはその“裏側”に落ちたんだ」
悠介は淡々と答える。
「帰れるのか?」
「わからない。……だが、少なくとも、俺たちはまだ生きている」
沈黙。
どちらも互いの目を見ようとしない。
ただ、遠くで光の波が揺れる。
昴は小さく息を吐いた。
「……あのとき、止めたかったんだ」
悠介が視線を向ける。
「妹を……助けられなかったこと、俺は――」
「やめろ」悠介が低く遮る。
「お前が謝ることじゃない」
「でも、俺がもっと早く行ってたら、守れたかもしれない」
「違う。守れなかったのは俺だ。あの日、俺が彼女を止められなかった」
悠介の拳が震える。
灰色の空間に、小さく赤い火花が弾けた。
「俺は、あの時、何もできなかった。
妹は“非魔法師に襲われた”んじゃない。……俺の炎が、巻き込んだんだ」
昴が息を呑む。
悠介の声は震えていた。
「暴徒を止めるために、俺が放った火球。
あいつは、それを庇って……」
悠介の肩が崩れ落ちる。
「それでも俺は、非魔法師を憎んだ。
憎まなければ、耐えられなかった。
自分の罪を、誰かのせいにして――そうやって、生き延びた」
昴は拳を握りしめた。
悠介の憎しみの裏にあったもの。
それが、ようやく見えた気がした。
「悠介……それでも、まだ間に合う」
「間に合う? 何が?」
「自分を赦すことだ」
悠介は、かすかに笑った。
その笑みは痛ましいほど弱く、どこか幼かった。
「赦す? そんなこと、できると思うか」
「できるさ。お前は人を憎むためじゃなく、守るために炎を選んだだろ」
悠介の目が見開かれる。
昴は、まっすぐに言葉を重ねた。
「妹の願いだって、きっとそうだ。
あの子は、誰も傷つけたくなかった。
だからお前を庇ったんだ」
蒼の光が、二人の間を照らす。
悠介の頬に、光が滑り、涙が零れた。
「……昴、もしやり直せるなら」
「やり直せるさ。俺たちはまだ、ここにいる」
その瞬間、空間が揺れた。
蒼の光が波打ち、眩い裂け目が走る。
「何だ!?」
「……向こうの世界が、俺たちを呼んでる」
悠介の目が、再び炎を宿す。だがそれは、怒りの炎ではなかった。
「戻ろう。お前と、もう一度話がしたい」
昴が手を差し出す。
悠介は一瞬だけ迷い、そしてその手を取った。
――蒼の世界が、崩れ始める。
光の奔流が二人を包み込み、空間が音を取り戻していく。
その最後の瞬間、昴は聞こえた気がした。
どこか遠くで、美玲の声が。
「……昴……生きて……」
光が弾け、二人の姿が消えた。
残されたのは、ただ一瞬の雷鳴のような余韻だけだった。




