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雷鳴の残響 -Requiem of Arcline-  作者: 海鳴雫


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第1話 雷鳴、街を裂く

これは前作の長編小説版です。大きく話を変えてありますので既にみていただいた方にも楽しく読んでもらえると思います。

夜のアークライン市は、いつもよりも静かだった。

 空は曇り、街灯の明かりが霧のような薄靄に滲んでいる。

 雨の匂いがまだ遠くにあることを、桐谷昴は肌で感じ取った。

 それは嵐の前触れに似ていた。

 そして、この街では「嵐」はいつも、人と人とがぶつかる音と共にやってくる。


 アークライン――魔法師と非魔法師が共に暮らす都市。

 建前では共存の街。だが、実際は見えない境界線で分けられている。

 魔法師区域〈ルミナ区〉と、非魔法師区域〈グレイ区〉。

 線路を挟んで並ぶその二つの区画は、まるで別世界だった。

 昴はその境界を、毎晩のように歩いていた。


 「……またか」


 遠くから怒鳴り声が響いた。

 魔法師の制服を着た少年たちと、作業服姿の非魔法師の若者たち。

 言葉の応酬はやがて、拳と魔法の火花へと変わる。

 昴は息を吸い込み、駆け出した。


 「やめろ!」


 その声と同時に、青白い稲妻が地を走った。

 乾いた破裂音が夜を裂き、暴徒たちの足元に雷の壁が立ちはだかる。

 強烈な閃光に目を細めた非魔法師たちは、一歩、二歩と後ずさった。

 昴は両手を下ろし、静かに告げた。


 「これ以上、誰も傷つけさせない。魔法師でも、非魔法師でもだ」


 誰も言葉を返さない。

 雷の残光だけが、彼の青い瞳を照らしていた。


 しばらくして、群衆は散り始めた。

 昴はため息を吐き、消えかけた電光の筋を手で払うようにして空気を鎮めた。

 胸の奥にわずかに残る焦げた匂い――それが、彼の罪悪感のように思えた。


 「……あなたが止めたのね」


 背後から聞こえた女性の声に、昴は振り返った。

 そこに立っていたのは、一人の少女。

 黒髪を肩で切り、白いシャツに青いストールを巻いた姿。

 彼女の瞳は、水のように澄んでいた。

 昴はその声を、すぐに思い出した。


 「菅峰、美玲……?」

 「久しぶりね、桐谷昴。評議会の雷の魔法師さん」


 柔らかな笑みとともに、彼女は歩み寄った。

 けれど、その足取りの奥には、確かな警戒があった。

 彼女もまた、この街の現実を見てきたのだ。


 「まだ、こんなことをしてるの?」

 「争いを止めてるだけだ」

 「そう。あなたはいつもそう言うわね」


 その言葉には、静かな皮肉が混じっていた。

 昴は何も言い返せず、ただ彼女を見つめた。

 十年前、同じ夢を見た少女――

 魔法師と非魔法師が笑って手を取り合う未来を信じていた、あの頃の彼女が。

 今はもう、その瞳に夢を映していないように見えた。


 「……美玲、君はまだ、信じてるのか? 共存を」

 「信じてるわ。でも、それを実現するための方法は、あなたとは違う」


 美玲の周囲に水の粒が浮かび上がる。

 それは魔法の構えではなく、彼女の呼吸のように自然な流れだった。

 水魔法――癒しと防御を司る穏やかな魔法。

 それは彼女自身の在り方そのものでもあった。


 「ねぇ昴。非魔法師の人たち、みんな怯えてるの。

  魔法師がいつ力を振るうかわからないって。

  あなたがどんなに優しくしても、雷は恐ろしい力なのよ」

 「力を使わなければ、誰も守れない」

 「……そうね。でも、それは同時に、誰かを傷つける力でもあるわ」


 美玲の声が、風に流れていく。

 昴はその言葉を胸に沈めた。

 だが、次の瞬間――地鳴りのような爆音が街を震わせた。


 「ッ!? 爆発音……東の倉庫街だ!」

 昴が顔を上げた瞬間、赤い光柱が空を貫いた。

 炎が巻き上がり、夜空を焦がす。

 美玲の顔が険しくなる。


 「まさか……紅蓮団?」

 「奴ら、また動いたのか」


 紅蓮団――魔法至上主義を掲げる過激派。

 非魔法師を「不要な存在」と断じ、暴力で支配を広げている。

 昴はその中心にいる男の名を知っていた。

 大神悠介。

 かつて、肩を並べて理想を語り合った友だった。


 「行く」

 「待って、昴! 一人じゃ危険よ!」

 「君は下がってろ。俺が止める」

 「止めるって……また力で?」


 美玲の声が届く前に、昴は駆け出していた。

 胸の奥が熱い。だがそれは怒りではなかった。

 ――彼を救いたい。

 それだけが、昴を動かしていた。


 * * *


 倉庫街はすでに炎の海だった。

 金属の屋根が溶け、崩れ落ちる音が響く。

 燃え盛る炎の中に、一人の青年が立っていた。

 赤いコートに、灰に染まった髪。

 その瞳は、まるで溶岩のように燃えている。


 「久しいな、昴」

 炎の中で微笑むその男――大神悠介。

 昴は歩みを止めた。

 「悠介……やっぱりお前が」

 「“お前が”か。懐かしいな。十年前、お前はいつもそう言ってた。

  “俺たちが変える”って、な」


 悠介の周囲に炎の渦が巻く。

 それは怒りの形ではなく、信念の炎だった。

 「だがな、俺は気づいたんだ。

  人間は、魔法を恐れる。恐怖はやがて憎悪に変わる。

  共存なんて幻想だ」

 「だから非魔法師を排除するって言うのか?」

 「そうだ。消えればいいんだよ、昴。あいつらは俺たちの世界を奪う。

  妹を殺した奴らみたいにな」


 その言葉に、昴の胸が締めつけられた。

 悠介の妹――沙耶。

 非魔法師地区で起きた暴動に巻き込まれ、命を落とした少女。

 その事件の夜、悠介は涙を流して言った。

 「もう、誰も憎みたくない」

 その言葉を、昴は今も覚えている。


 「悠介。あの時、俺たちは誓ったはずだ。

  同じ悲しみを、誰にも繰り返させないって!」

 「誓いは破られるためにあるんだよ、昴。

  理想を信じて、誰を救えた?」

 炎が爆ぜた。熱風が肌を刺す。

 昴は雷を呼び、拳を握る。


 「それでも、俺は信じる。お前の妹が見た未来を」

 「……なら見せてみろよ。お前の“雷の正義”を!」


 ふたりの魔法陣が、夜空に重なった。

 雷鳴が轟き、炎が吠える。

 雷光と紅蓮がぶつかり合い、地面が割れる。

 だが、その一撃の間に――青と赤の光の狭間に、ひとつの声が飛び込んだ。


 「やめて、二人ともッ!!」


 水の壁が、炎と雷の間に広がる。

 美玲が両腕を広げて立っていた。

 水の膜が熱と電撃を吸収し、夜の空気を冷やす。

 「これ以上やったら、誰かが死ぬわ!」

 悠介の炎が揺れ、昴の雷が消える。


 「……菅峰、美玲か」悠介がつぶやく。「あいかわらず、綺麗ごとばかりだな」

 「綺麗ごとでいい。誰かを守るための言葉なら、それでいいのよ」

 悠介は一瞬だけ目を細め、背を向けた。

 「昴。次に会う時、お前がどちらの側に立つか楽しみにしてる」


 炎が風に流れ、彼の姿は夜の闇に消えた。

 残されたのは、焦げた鉄の匂いと、沈黙だけ。


 昴は膝をつき、拳を地につけた。

 「……また、守れなかった」

 美玲が静かに近づき、その肩に手を置いた。

 「違うわ。まだ終わってない。あなたなら、止められる」

 昴は顔を上げ、彼女の瞳を見つめた。

 そこには、かつて信じた“未来”の光がまだあった。


 雷鳴が遠くで鳴り、雨がぽつりと落ちてくる。

 アークラインの空が、静かに泣き始めていた。

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