第3章|噂と影
季節は、初夏。
日差しが強くなり始めたある日のことだった。
いつものように放課後、図書室の整理を終えて廊下を歩いていると、
背後から微かな視線と、ひそひそ声が耳に触れた。
「……ねえ、あれ、香月さんじゃない?」
「この前、高瀬くんと一緒にいたって……」
空気が変わる。
視線が刺さる。
聞こえないふりをして歩く足が、少しだけ早くなる。
次の日からだった。
誰かの意図的な“無視”。
机の中から消えた筆箱。
図書室に置いたはずの借用ノートが破られていた。
明確な加害ではない。
でも、確かに「嫌われている」とわかる、静かないじめ。
教室の隅。
私は小さくなって席に座ることしかできなかった。
高瀬くんに知られたくなかった。
あの人の周りはいつも明るくて、眩しくて、私みたいな存在がいてはいけない気がして。
迷惑をかけたくなかった。
でも──
ある日、帰り道。
図書室での片付けを終えて、人気のない校舎裏の通路に出た私は、
耐えていた涙を、こぼしてしまった。
そのとき──
「……泣くなよ」
振り返ると、影から現れたのは、高瀬くんだった。
「……見てたの?」
「見てた。ずっと、気づいてた」
彼はそう言って、私の隣に立ち、同じ方向を見ながら呟いた。
「なんかあったら言えよ。言わないと、何も守れねぇだろ」
言葉の意味はわからなかった。
でも、彼の声はあたたかかった。
帰り道の夕焼けの中、並んで歩く影がひとつ、ふたつ。
距離はまだ曖昧だったけれど、
その影の重なりに、私は少しだけ救われていた。