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アニュラスデッキ、エデンへ~野崎理沙、映画を観る~

作者: 森田金太郎

◆待ち合わせ

2044年4月のある日。この年、71歳になる理沙は、とある映画館の前にいた。

「早く来すぎちゃったかしら。」

そう呟く。周囲を何度かきょろきょろ見回すと、中高生や若い世代の男女がたくさんいた。少々場違いだな、と思っていると、とある人影を見る。

「あ。」

理沙は、右手を上げながらゆったりと振るように動かした。その人影は、理沙の方向へ少々急いだ様子で向かってくる。そして、こう言った。

「ごめん、ごめん、待たせちゃったね、野崎さん。」

そんな言葉に理沙はこう返す。

「私が早く来すぎたんです。大丈夫ですよ、小橋さん。こちらこそ、走らせてごめんなさい。」

そう、理沙はこの年73歳となる寿人と待ち合わせをしていたのだ。

「いいんだよ。大丈夫。」

寿人はそう言うと、周囲を見回しながらこう続けた。

「さすがに、若い子ばっかりだね。」

「私も、さっきそう思ってました。」

「完全に俺たち、『浮く』ね?」

「来る前からなんとなく覚悟はしてましたけど、これ程までとは思いませんでした。」

「そうだね。まぁ、ここまで来たんだ、『頑張って』映画、観よう。何を『頑張ればいいか』わからないけども。」

そう寿人が言うと、2人で笑った。


◆入館

寿人と理沙は、お目当ての映画が放映される劇場内で着席する。放映前の時間、2人は引き続き話を続けた。寿人が切り出す。

「いやー、ここで中山さんが作った曲が聴けるんだねー。」

「なんだか、聴く前から感慨深くて泣きそうです。」

「わかるよ、野崎さん。」

「そうそう、中山さんが『発掘』したお二人の歌声も気になりますね?」

「確かに!楽しみだなぁ。」

にこやかな顔で寿人と理沙が話し込んでいると、覚悟した通りに、周りは自らたちの「孫」と言って差し支えない世代の男女で満員になった。そして、映画が始まる事を知らせるブザーが鳴った。


◆アニメ映画のはじまり

暗くなる劇場内。一転静かになる寿人と理沙。いくつかの映画の宣伝がスクリーンに流れる。そして、お目当てのアニメ映画が始まった。

映画は、冒頭からオープニング映像が流れる。キャラクターが顔を隠した形で次々に登場するのに合わせて、オープニングテーマが添えられる。

包み込むような歌声の若い男性歌手が、走るような曲を歌い上げていた。この曲は、「前へ進んだ先に / 辻大和」という曲だと字幕で知らされた。

寿人と理沙は、その「良質な音楽」に何度も頷いた。そうしているとやがて、本編が始まった。


◆残る感覚

E.E.240年1月16日。「リアルトランプゲーム」は、開幕した。

「観客席の皆様、そして、生中継をご覧になっている方、新たに生まれ変わってから5年目となるこの『リアルトランプゲーム』をお引き立ていただきまして、ありがとうございます。アニュラス機構総裁のエルネスト・イベールです。本年もありがたい事に『ルーキーデッキ』を迎える事ができました。これもひとえに応援していただいた方々のおかげです。では、これから『レベルリセット』と、『ルーキーデッキ』のご紹介を致します。ごゆるりとお楽しみください。」

そんな「リーダー」の挨拶をサクセスコロシアム内の自室にてこの年26歳になるルシア・セルトンは聞いていた。

「『あいつ』の挨拶を踏襲しなきゃだよな。」

ルシアは、目の前の「仕事の成果」の最終チェックをしながら、「あれから、6年になってしまうのか。」と心の中で呟いた。「ルーキーデッキ」に与える「デッキバングル」と「ジョーカーコア」を見つめ、さらに自室にて呟きを響かせた。

「ねぇ、ソラナ、あんたの手の感覚が、消えないんだけど?どうしてくれんのよ?」


◆ソラナの死後

E.E.234年7月26日、ソラナ・アルシェは18歳で亡くなった。同時に、「世間的には」アニセト・デフォルジュは「忽然と失踪した」。それから、世間は混乱した。それと平行して、ジョーカープラスを失ったアニュラスデッキは、そこで「引退」となった。

それから、元アニュラスデッキと元ルチルデッキの10人で協力しアニセト・デフォルジュの悪事を世間に知らしめた。が、「リアルトランプゲーム」への国民や政府の存続に対する欲求は消える事なく、元アニュラスデッキの5人が「アニュラス機構」という組織を結成し、アニセト・デフォルジュの「後任」を務める事になり、E.E.236年の1月より「新生リアルトランプゲーム」は発足した。


◆アニュラス機構

アニセトが使用していた自室は、「総裁室」と名を変え、エルネストを代表とした元アニュラスデッキの集合部屋となっていた。その日の「リアルトランプゲーム」の日程はすべて終了し、5人が集まってきた。

「お疲れ様でした。エルネスト。」

そう声をかけたのは、アニュラス機構副総裁、フェリクス・ジュアン。それに続いて、アニュラス機構財務担当部長のテオ・ベルジェが声をかける。

「相変わらず、チケットは完売やったで。」

それを聞きながら、アニュラス機構の運営統括部長となったラモン・ジスカールが言った。

「ほんとけ?全体の運営も問題ねぇ。いがった。」

その仲間の言葉を微笑みつつアニュラス機構総裁のエルネスト・イベールが受け止めた。この年31歳となる4人の会話を聞き届けると、ルシアも「報告」する。

「ルーキーデッキに授与した物も、問題なく動いているようだった。事故なく今シーズン行けそう。」

アニュラス機構魔法管理部長となったルシアの報告に4人は安心した表情になった。


◆生まれ来る魔法石

アニュラス機構の5人は、その後もつつがなくリアルトランプゲームを運営していく。しかし、とある日が近くなると、心が落ち込む。そう、7月、ソラナがエデンへと旅立った月。一際、ルシアの心は荒む。

「ソラナ、ソラナ、ソラナ!」

ジョーカー寮の305号室で1年と半、共に過ごし、腕の中で旅立ったソラナのぬくもりを思い出してしまう。

「何であん時、ソラナを抱き締めてやったんだろ。あんな事しなけりゃ、こんなに苦しまなかったのに。誰か、あたしの心、浄化してよ。」

ルシアの涙は、ルシアの自室に落ちる。

「ソラナ、会いたい。」

そんな呟きにルシアは、こんな事を思いついた。

「エデンに、行って、帰って来れる、魔法石。」

ルシアは、魔法石の設計図を描き始めた。しかし、失敗した場合「エデン」に行けない。また、帰って来れなかったらそのまま使用者は死亡するその危険な魔法石を大っぴらに作れるわけがなかった。

「ここで作るの、止めよ。」


◆命日

7月26日が来てしまった。当時もう導師ではなくなっていたが、フェリクスが経験から正式な手法でソラナを葬った地にアニュラス機構の5人は集まった。

土葬にて眠るソラナ。そんな墓を目の前にエルネストは言った。

「あの時、僕が敵討ちを許さなければソラナは、生きていたかな?」

そんな後悔の言葉に、フェリクスが返した。

「いいえ、あなたはソラナの『救済』をしました。おそらく、ソラナは潰れそうな心を持っていたでしょうから。」

エルネストがその言葉に感謝の頷きを見せると、テオが言った。

「今でも、俺、迷っとるよ。あの決断が正しかったんかな?って。」

ラモンがそれに返す。

「一生、迷っででいいべぇ。いづが、俺らが寿命迎えてソラナに会えだ時に訊いてみっぺ。」

エルネスト、フェリクス、テオの同意の頷きがルシアの瞳に映る。ルシアは、多少間を空けた後、意を決しこう尋ねた。

「今、いや、数年以内に、寿命関係なくソラナに会いに行ける、ってなったら、会いに行く?」

4人の驚きの視線が一気にルシアに注がれる。ルシアは、それを受け、言葉を続けた。

「あたし、ソラナに会いたくなっちゃったんだよね。今すぐ。」

テオがそれに返した。

「気持ちはわかるで。せやけど、どうやって?ま、まさか?ルシア、お前さん、『それ用』の魔法石でも作ろうって事やあらへんよな?」

「そのまさかだよ。」

エルネストが言った。

「倫理的にどうかと思うけれど?背中を押すか迷う案件だね。」

「冷たいな。あんたらもソラナの命背負いながら戦うの、辛かったかも知れないけど、あたしの辛さも考えてよ。あんたら知らないでしょ?あたしの腕の中で冷たくなっていったソラナの手の感覚!あの日から、一瞬たりとも消えないんだよ!!」

ルシアの目に涙。それを受け、フェリクスが寄り添いつつ言った。

「よく、話してくれましたね。そして、私たちへの思慮ありがとうございます。『それ』がルシアにとっての慰めになるのなら、私はそれを支持しましょう。そして、お供させてください。生きながらにして、もしかしたら大霊皇ヤファリラ様にお会い出来るかもしれませんし。」

フェリクスの微笑みの横でラモンが言った。

「やってくんちぇ。だけんちょも、おめも『リアルトランプゲーム』に必要な奴だがら、間違って死んじまうっで事ねぇようにな。俺は、見守る。」

エルネストとテオの心配そうな顔に、フェリクスとラモンは「これ以上ルシアを苦しめるな」という意思を込めた頷きを見せた。そして、エルネストとテオもルシアの魔法石開発に賛同した。ルシアは、涙を拭き、こう返した。

「ありがとう。心配かけるかも知れないけど、これで大手を振って前に進める。」


◆魔法石の完成

ルシアは、それから通常の「リアルトランプゲーム」運営の傍ら、未知の魔法石開発を進めた。名づけて「エデン往復用魔法石」。残念ながら簡単に物事は進まなかった。ヤファリラの制止が如く、うまく魔法石にならない日々が続いた。ルシアは、ソラナの葬儀の際フェリクスから伝授された「星の半合掌」を何度も行いながら、こう言った。

「許されない事はわかってる!けど、あたしたちにソラナとの再会を!ヤファリラ様!!お願い!!」

その夜、再び失敗をした後、涙ながらにこう言った後、ルシアは気絶するように眠った。

「あたしたちだけの、魔法石にはしないから。お願いだよ。」

それ以降のルシアの夢に、設計図が出てくる。それを翌朝、かなり早く起きたルシアは、何よりも優先して描いてみた。

「所々、覚えてない。けど、これ、行けそうな気がする!」

そして、設計図は、魔法石へと変わった。

「出来た、出来た!出来た!!ありがとう、ヤファリラ様っ!!」

ルシアは、寝起きのままの姿で大粒の涙を流した。それがひととおり収まると、呟く。

「これは、一般に流通させる。」

E.E.240年12月13日の出来事だった。奇しくもこの年の「リアルトランプゲーム」が閉幕する日だった。


◆報告

ルシアの仲間たちは、「リアルトランプゲーム」の閉幕式の為に忙しくしていた。いの一番に魔法石作成成功の報をアニュラス機構のメンバーに伝えたかったのだが、それは叶わなかった。

時は過ぎ、無事に「リアルトランプゲーム」は閉幕を迎えた。夕方の一息、という時間がアニュラス機構に訪れた。ルシアは、これを逃すまいと、4人に言った。

「ねぇ、『エデン往復用魔法石』、今朝出来たの。」

疲労困憊といった表情だった4人の顔が、一気に希望の色に染まった。

「明日、ソラナに会いに行かない?任意だけど。」

フェリクスは返した。

「勿論、お供する約束でしたからね。」

ラモンは返した。

「やっど出来だが。よーぐやっだ。俺、行ぎでぇな。」

テオが返した。

「俺も、行ってええんやろか?」

エルネストが返した。

「そうだね。ルシア、僕が共に行ったら嫌じゃないかい?」

ルシアはそれを受け言った。

「しょうがないな。って言うか、よく考えたらソラナがエルネストとテオに会えないじゃん?まあ、全員で行くか!」


◆エデンへ

翌日、12月14日。朝早くの事だった。5人は集合し、ルシアは「エデン往復用魔法石」を全員に配布した。中央が白で、虹色の輪が広がる石をルシア含めて5人は見つめた。そして、こう声を揃えた。

「ゴー・トゥー・エデン!!」

5人の体は、聖なる光に包まれ、空へと消えて行った。

次に5人が目を開けると、明らかにエデンとわかる光景が広がっていた。清らかな光が注ぐ穏やかな大地。そこに、アマガエルを傍らに1人の女性が眠っていた。まもなくその女性は目覚める。そして、驚きの声を上げる。

「ルシア?エルネスト?フェリクス?テオ?ラモン?」

そう、ソラナ・アルシェその人だった。18歳の姿そのまま、立ち上がり5人の元に駆け寄って来る。ルシアは、エルネストは、フェリクスは、テオは、ラモンは、一斉に涙を流す。ソラナの戸惑いの問いが投げ掛けられる。

「みんな、し、死んじゃったの?」

ルシアが言った。

「違う!!あんたに会いたくて、会いたくて!会いたくて!!魔法石作ったの!!」

「ルシア。ああ、ごめんね?」

ルシアは、泣き崩れる。ソラナはルシアをいつかのように抱き締めた。ルシアに伝わるソラナのぬくもり。

「ソラナ、あったかい。」

そのぬくもりは、更なるルシアの涙を呼び込む。他の4人も涙の中だったが、そんなルシアとソラナを全員で包んだ。


◆情報交換

涙の洪水が収まった後、6人での情報交換が行われた。

エルネストが言った。

「世間が望んでいたから、『リアルトランプゲーム』は、まだ続けているんだ。」

「そうなの?」

フェリクスが言った。

「エルネストが総裁を務める『アニュラス機構』を私たちで立ち上げて、やってます。」

「みんなが?凄い!!」

テオが言った。

「いやー、儲かってるで?俺ら。」

「本当に?よかった!!」

ラモンが言った。

「5人で集まっで、やっとって感じだけんちょも、うまぐやっでる。」

「みんななら、間違いないよ!!」

ルシアが言った。

「あんたを殺した『間違った魔法』がないようにあたし、頑張ってる。」

「ルシア、ありがとう。」

そして、ソラナは言った。

「みんなが協力してくれたから、私、セシリアさんに謝れた。それに、アニセトさん、私のおじいちゃん、おばあちゃんに謝ってもらえたんだ。それからね、アニセトさんは、私のパパとママと仲良くエデンで暮らしてるよ。そして、私は大好きな家族と一緒にいられる。本当にありがとう。みんなのおかげだよ。こんなに早くお礼が言えるなんて思ってなかった。」

ルシアはじめ、4人はほっとした様子で微笑んだ。ルシアは言った。

「それは、よかった。さて、帰るか。」

ソラナは驚いた。

「もう?もうなの?時間とか決まってるの?」

「違うよ。これからは、『いつだって会える』から。」

ルシアはそう言うと、袋に入った「エデン往復用魔法石」をソラナに渡す。

「量産したから、魔法石。会いたい時に、あたしらこっちに来るし、あんたが会いたい時は、これ使ってエテルステラに戻って来れるからね?」

「そ、そうなんだ!!」


◆帰還

「あんたがエテルステラに来る時の見本、今から見せるから。帰るついでにね。」

「ま、待って!みんな!!」

5人は、首を傾げる。ソラナは言葉を続ける。

「久しぶりに会ったんだし、円陣、やりたい!!」

5人の疑問の表情は、微笑みに変わる。そして、デッキバングルはもうないが、6人の右手が集まる。そして、エデンにこの掛け声が響き渡った。

「アニュラス!!」

そして、円陣を解くと、ソラナはルシアからの魔法石を胸にこう言った。

「絶対、これを使ってみんなに会いに行くからね?」

ルシアは答えた。

「待ってる。こっちも、会いに行くから!」

6人の頷く姿がお互いの目に映る。そして、ルシア、エルネスト、フェリクス、テオ、ラモンはこう声を揃えた。

「ゴー・トゥー・エテルステラ!!」

再び5人の体は、聖なる光に包まれる。そんな中、5人とソラナはお互いに手を振り合う。そして、5人はソラナの目の前から消えて行った。ソラナは呟いた。

「みんな。」


◆アニュラス

E.E.241年1月14日。今年も「リアルトランプゲーム」は開幕する。開幕式の前の忙しない時間だったが、アニュラス機構の5人は、ソラナを思いつつ円陣を組んだ。

「アニュラス!!」


◆アニメ映画のおわり

映画の本編は、終わりを告げる。その事を表すように、エンディング映像が流れ始める。

キャラクターの顔がよく見える形で次々に退場するのに合わせて、エンディングテーマが添えられる。

芯の通った歌声の若い女性歌手が、空に駆け上がるような曲を歌い上げていた。この曲は、「きらめきの中へ / 毛利弥生」という曲だと字幕で知らされた。

寿人と理沙は、再びの「良質な音楽」と共に映画への感動の中、余韻に浸っていた。そうしているとやがて、エンドロールが始まる。エンドロールの曲は、劇伴の作曲家が作曲した歌なしの物であったが、それにも寿人と理沙は耳を傾けた。

そのエンドロールも終わり、劇場は、来たときのように明るくなった。


◆映画のあと

「よかったなぁ、中山さんの曲。」

寿人は、そう言って立ち上がろうとした。すると、隣の理沙が涙していた。

「野崎さん、感動したみたいだね。わかるよ。」

「ちょっと、この作品はこの映画しか知らないんですけれど、思わず、泣いちゃいました。」

理沙は、自らのハンカチで涙を拭ってはいたが、寿人もその手で拭ってやった。

「すみません、小橋さん。」

「いいや?」

「ああ、こんなに感動する映画を観ようって思わせてくれた中山さんには、感謝、ですね。」

「そうだね。」

そう2人は言葉を交わすと、立ち上がり、映画館を後にする。すると、寿人がこう言った。

「野崎さん、もし、時間大丈夫だったら、これから食事でもどう?」

「ええ、大丈夫です。」


◆食事しながらの

寿人と理沙は、映画館の近くにあったイタリアンレストランに入店し、多少早い夕飯を摂ることにした。寿人は、満面の笑みを浮かべながらこう言った。

「何度も言いたい!中山さんの曲を、映画館のあの音響で聴けてよかった!」

「そうですね。あのお二人の歌声も、素敵でしたね?」

「そうそう。よく見つけて来たよね?中山さん。」

「なんでも、何かのフェスに行った時に毛利弥生さんがボーカルを務めてたアマチュアのバンドを見かけて、『この人だ!』って思ったらしくて。」

「へー!」

「そして、プロに誘ったら、そのバンドのギタリストさんの辻大和さんもいい歌手になれそうって2人を同時にデビューさせたらしいです。」

「よく発掘したね。中山さん。俺、愛和音時代そこまでの事しなかったからさ、凄いなぁ。」

「でも、その中山さんを、『発掘』したようなものじゃないですか?小橋さんが。」

「あー、いや、俺だけじゃないから。橋野に言われて、神谷さんと選んだからさ。」

「そうでしたね。あ、そうそう、中山さん、お弟子さんを今年からとったって言ってました。」

「本当に?俺、聞いてない。」

「あ、これから言う予定だったのかな?中山さん。」

寿人は、急に頭をかいてこう言った。

「いや、俺に言う気はなさそうだ。多分。」

「え?何かあったんですか?」

「『掛け持ちバイト』の事、『文句』言っちゃったからな、愛和音が解散する直前に。」

「そんな事が。すねちゃった?とか?」

「かもね?でも、確か、中山さん今年50だよね?」

「確かに。」

「本格的に教え始めたのは、俺が54の時だったけど、最初に俺が中山さんの『先生』になったのは、50ちょうどの時だったから、なんだか感慨深いよ。」

「同じ、ですね?」

一旦、寿人と理沙はワインを口にする。そして、理沙は話題を変えた。

「あの、『社長』の件ですけど、小橋さん、大変じゃないですか?」

寿人は、一瞬動きを止める。そして、笑った。

「もう、橋野は『社長』じゃないよ。うん、でも、何で?『大変』って?」

「Yoshihiro Hibikiが新曲を歌う度に『社長』、『あーでもない、こーでもない。』って記事に書いてるじゃないですか?」

「えっと、それは佐崎佑里の歌にもそうしてるイメージだけど?」

「確かに、そうですけどね。だから、なんとなくまだ、『橋野さん』って呼べなくて。」

寿人は再び笑った。

「いい加減、橋野も音楽評論家、引退すればいいのに。来年80になるんだからさ。」

笑いが止まらないまま寿人はこう言った。そして、ひととおり笑った後、こう続けた。

「でも、『あれ』がなくなったら、さびしくなるかもっていう気持ちもある。」

「そうですよね。絶対に『社長』にほめてもらいたいって気持ちで曲を作って歌ってる面もありますから。」

「俺もそう。だから、橋野の事は変な言い方かも知れないけど、『放っておく』よ。」

「そうですね。そうしましょう。」

すると、2人に少しの沈黙の時間が流れた。そして、寿人が再び口を開く。

「懐かしいな、愛和音。」

「もう、廃業して9年になりますからね、この5月末で。」

「俺さ、一回歌唱部のみんなの前で愛和音の社員を『家族』と思ってるって言ったよね?」

「それは、もう、覚えてます。愛和音オールスターズの『永遠の家族』を歌う前、でしたよね?」

「うん。でさ、野崎さんも例外じゃないんだけど、未だに決められなくて。」

「何か、迷われてるんですか?」

「そう。年齢差から言って、野崎さんは、『妹』かな?それとも、『妻』かな?ってさ。」

理沙の表情が柔らかくなる。それを見つつ寿人は続けた。

「野崎さんは、どっちがいい?俺の『妹』になりたい?『妻』になりたい?」

「えっと、『妻』、でいいですか?」

そう言った理沙の顔は、わずかに紅潮しているようだった。

「じゃあ、野崎さんは俺の『妻』だね。こんな『夫』だけど、よろしく。」

理沙は一転満面の笑みを浮かべ、こう返した。

「こちらこそ、よろしくお願いします。」

その言葉を受け止めた寿人の顔にも笑顔が咲いていた。


◆店の外

それから、料理を味わい尽くした後、寿人と理沙は店を出た。

「小橋さん、今日は楽しかったです。」

「こちらこそ、楽しかったよ。誘ってくれて、ありがとう。」

「どういたしまして。お帰りは、気をつけて。」

「野崎さんこそ。また、会おうね?」

「はい。」

別々の方向に歩を進めた寿人と理沙。そんな2人を、わずかな雲が流れる星空が見守っていた。

(完)











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